39.彼の憂鬱
講義も終わり、やることもなく構内をうろうろしていたら、見知った背中をベンチに見つけた。
「しょーうーへいっ」
「……!!?!」
首元に手を回し体を揺らす。
彼は電流を流されたかのように体をびくつかせ、危うくベンチからずり落ちそうになった。
「い、いきなり驚かすな」
「ごめんごめん。隙だらけだったから」
期待通りの反応をしてくれた友人に平謝りしつつ、隣に腰掛ける。
「……あいつかと思った」
翔平は呆れたような顔つきでこちらを一瞥し、そう呟いた。
「あいつ?」
「サークルの新メンバーがなんだが……あ、いや、すまん」
「別に気にしてないって」
申し訳無さそうな顔をされるが、僕としては反応に困る。気にしてないと言えば嘘になるが、少なくともサークルと聞いただけで病み期に入るレベルではない。
それより、新メンバーって……ユウリのことだよな。
まさか翔平の口からその名前を聞くことになるとは思っていなかったから、少しだけ驚く。
「新メンバー……ち、ちなみにどんな人なの?」
好奇心からなんとなく聞いてしまったが、すぐに後悔した。
友人から自分の女装形態の感想を聞かされるとかどんな拷問だ。
これでもし「実はタイプでさ……」とか言われたら翔平を殺した後国外逃亡する自信がある。辛すぎるから。
ただまぁ、感想が気にならないと言えば嘘になるので、期待半分不安半分みたいな心持ちでいると……
「まぁ……変なヤツだな」
「変なヤツですか……」
翔平は目を細め、なんとも微妙そうな顔をしていた。たぶん僕も同じような表情をしていることだろう。
そんな風に思われるようなことしたっけ……と思い、過去の言動を振り返る。
『翔平さんっ。この後空きコマですか? もしよかったら……』
『いや。空いてない』
『そ,それじゃあ昼食でも』
『……いや。空いてない』
『……明日は』
『…………空いてない』
『……えっと』
『それじゃ』
『あ、ちょっと! 翔平さーん!』
とか。
『あ、部室着てたんですね。あぁっ、それ、新刊ですか? 私もその作品追ってるんです。面白いですよね』
『いや。読んでない』
『え? でも、右手に……』
『……いや。読んでない』
『いやでも』
『…………読んでない』
『……えっと』
『それじゃ』
『あ、ちょっと! 翔平さーん!』
とか。
あれ、思い出したら泣けてきたな。なんか僕、いつも避けられてないか? アザラシしかり。普通こういうのって男女逆なんじゃなかろうか。
……というか変なヤツって翔平の方では? コミュ障とかそういう次元じゃない。会話表現が3パターンしかないとかこれもうbotだろ。
「わざわざ冷たくあしらってるのに、何度も話しかけてくるんだ。……変なヤツ」
「あしらう……あれが……?」
「なんだ」
「いやなんでも。ていうか、普通に接してあげればいいのに」
「……苦手なんだよ。知ってるだろ」
とは言うものの、目の前のシャイボーイは超がつくほどのイケメンだ。整った鼻梁に彫りの深い目。やや長髪気味にした黒髪に隠れる眼差しには、男の僕でもどこか心惹かれる魅力のようなものがある。……まぁエイル君には及ばないけどな!
女子が苦手とは言うが、これまでの学生生活で彼女の一人や二人、いや三人といわずに十人ぐらいできていても不思議じゃない──いや、だからか? 寄ってくる人間が多ければ、その分トラブルも多いはず。昼ドラ並みの修羅場を何度もくぐり抜けた結果、今現在のED寸前みたいな感じになったのかも知れない。
「でもでも。そんなこと言ってたら花の大学生活が灰色のまま終わっちゃうよ」
「……別に灰色でもいいしな」
「拗らせてるなぁ……ほんとに大学生?」
「うるさいな」
正直、ここまで女嫌いだと手の打ちようがない。
攻略難易度SSS。アザラシと同レベル、いやそれ以上かもしれない。こういうオタクたちを骨抜きにしてるオタサーの姫って、ガチで凄いんだな……と全国の姫たちに尊敬の念を送らざるを得ない。
「それに、だ。ああもグイグイこられると、なにか裏があるんじゃないか、と思うのが普通だろ」
思わず背筋がビクッと震えた。
まさかその裏とやらが目の前にいるとは夢にも思わないだろうが、翔平の勘の良さに戦慄せずにはいられない。
「……そ、それはどうなんだろ。普通に友人が欲しいだけなんじゃない?」
「あの外見でか? わざわざ自分から動くまでもないと思うんだが……って、ユウヤは知らないのか」
「ま、まぁね」
「二階堂ユウリ。経済学部の一年らしい。……名前ぐらいなら聞いたことあるんじゃないか?」
「あ、ありませんわ──じゃなくて、ないよ」
「そうなのか。いや、少し雰囲気が似てるから、もしかしたら知り合いなのかと思ってな」
「へ、へぇー……似てる。そうなんだ」
「あぁ、雰囲気とか……」
「……」
「会話の運び方とか……」
「……」
「あと、ちっさいところとか……」
「……別にちっさくないけど? 戦前の平均身長は超えてるし」
「戦前……」
おい哀れみの目で僕を見るな。辛いだろ。
翔平は可哀想なものを見るような目で僕のことをしばし眺めた後、申し訳なさそうに視線を逸らした。
まぁ、疑われる流れは止められたようだ。代償としてプライドは砕け散ったが。
「まぁ、噂じゃどこかの令嬢らしいけどな。詳しく知りたかったらファンクラブのやつらに聞いてみればいいさ」
「そっか……ん? ファンクラブ?」
「あぁ、ファンクラブ」
「それってあの、同好会とか愛好会とか、そういうの?」
「あぁ。Twitterで見かけたんだが……ほれ」
翔平がスマホの画面を差し出す。
えっと……なになに
『経済学部の女神を称える会』
『ユウリお嬢様に踏まれ隊』
『腹ペコお嬢様にパフェを貢ぐ。それだけ』
『KUROKAMI LONG SEEKERS』
その先にもずらっとアカウントが並ぶ。いや、アカウントだけじゃない。
「経済学部」「二階堂」「ユウリ」の検索ワードの下には、タイムラインを埋め尽くさんばかりの投稿で溢れていた。
「ひぃっ……!」
タンスの下を覗いたら、大量の虫が蠢いていた時のような感覚。反射的にスマホから身を引いてしまう。
「……ん、昨日見たときよりも増えてるな」
「あ、ありえない……なにこれ!?」
目の前のスマホに映し出される内容が信じられない。
ユウリは芸能人でもなければ著名人でもない。僕は有名になるようなことをした覚えなどないし、出来る限り注目を集めないように行動してきたつもりだ。なのでここまで衆目を集めていること自体異常だ。
もしかして、同姓同名の別人なのでは……いや、二階堂なんて名字の人間、そうそういない。仮にいたとして、名前まで一致するとかどんな偶然だ。
「まぁ、この外見だしな」
「いやいやありえないって。ちょっと外見がいいだけでSNSで話題になるなんて聞いたこともないよ。そういうのって、アイドルとか有名人だけじゃないの?」
「なんでそんなに驚いてるのか知らんが……プロフィール不明。そいつを知っている人間は0。突如として学内に現れた謎の美少女。おまけに本人の出現がゲリラ的らしくてな……いかにも大学生が好みそうな話題だろ?」
「りゅ、流行に乗るしか脳のない大衆どもめ! 果ては衆愚政治! この国は終わりだよ!」
供給が少なければ、それだけ需要は肥大化する。経済の原則はこんなところにも適応可能らしい。
需給のバランスが崩れただけでなく、不定期かつ低出現率という状況がユウリにレアモンスター的な属性を付与し、結果、このような惨状を招いたと。
状況は理解できたが、信じられないし信じたくもない。
恐る恐る画面をスクロールする。
幸い(?)なことに、僕の通う大学界隈で話題になっているだけで、一般デビューは果たしていないようだ。
ふと、とある写真が目に止まった。
僕が複雑そうな表情でパフェにぱくついている写真だ。机には空の食器が散乱しており、パフェの他にはドーナツとショートケーキが並べてある。
これ、アザラシと翔平に連続で逃げられてやけ食いしたときのやつか……うわ、いいね1000件超えてるし。
『これマジ?』『第二棟のカフェテリア? すぐ向かう!』『かわいい』『餌付けしたい。いやむしろ食べられたい』……ひえぇっ。
「しょ、肖像権の侵害だ! どうした法治国家! 内閣は責任を取って辞職しろ!」
「半分ミーム化してるな……まぁ、これは本人にも問題ある気がするが」
リプライ欄の下には、パフェの代わりに街を貪るコラ画像が貼られていた。大怪獣ユウリ。これ作ったやつ出てこい。
「……ま、まぁ一過性でしょ。暇なんだねー、大学生って」
「次のミスコンでチャーチルと張り合える逸材が見つかった! って報道部の奴らが騒いでたぞ。近々出場のオファーをするらしいが」
「ルッキズムの象徴とも言えるクソイベじゃないか! 報道部とか言ってもやっぱマスゴミはマスゴミ! レイシスト共は己の罪を自覚しろ!」
「今日のお前は政治色が強いな……というか、なんだ。やけに反応してるが、やっぱり知り合いなのか?」
「い、いや。別に?」
翔平が不思議そうな目を向けてくる。
これ以上疑われることは避けたいので黙るが、正直、今すぐにでも叫びだしたい。心もささくれ立っている。誰彼構わず当たり散らしたい気分だ。
どうしてこうなった??? どこで道を間違えたんだ。パッドを入れたあたりか? そうだ、そうに違いない。いまさら戻れやしないのだが。
「ありえないって……なんだよこれ……」
「まぁ、異常ではあるな」
「異常でしかないよ」
「……正直、俺も怖い。もし二階堂に話しかけられてるところをこいつらに見られたら、刺されてもおかしくないしな……」
「ありえな……いや、ありえなくはないのかな……?」
「まぁ、まだアニ研にいることは知られていないみたいだけどな。それも時間の問題だと思うが」
そういう翔平はガチ目に憂鬱そうにしていた。こうなってるのは僕のせいなので、申し訳無さを感じなくもない。
というか、翔平と僕は和解しているのだから、ユウリの格好をして情報を得ようと接触する必要は無いような気もするのだが……実際問題、そういうわけにもいかないのだ。
「あ、サークルと言えばさ。あの件、何か進展あった?」
「……あのな」
翔平は憂鬱そうに伏せられていた顔を上げ、こちらに向き直る。
「前も言ったが……あれは十中八九、昭人の仕業だ。誰が一番得をしたかで考えれば、それしかない。それを踏まえた上で、だ」
「……」
「これ以上この件に関わらない方がいい。これはお前のために言ってるんだ」
この通り。
和解してから何度か内情を聞いてはいるのだが、彼は答えてくれないのだ。
「そういうわけにもいかないよ」
「……あれは2016、いや7か? 具体的な年数は忘れたが。Aという人物が、SNSで友人Bになりすまして他人への誹謗中傷を行った。その結果、どうなったと思う?」
いきなりの例え話に困惑する。
話をそらそうとしているのか? と思ったが、どうやらそうではないらしい。
「え……Aが逮捕されたんじゃないの」
「いや。Bが名誉毀損で逮捕された」
「えぇ!?」
「結局、冤罪は晴れて無実になったんだけどな。それでも誤認逮捕は起こった。……これはフィクションでもなく、実際に起こった事件だ」
「……」
「もし万が一、あの件が蒸し返されるようなことがあったら……同じようなことが起こるかもしれない」
「それは、そうだけど。流石に冤罪のまま牢屋に入るなんてことありえないって」
「そうだろうな。でも、最終的に罪が晴れたとして──ユウヤの場合、奨学金があるだろ」
「う……」
そうなのだ。なんとも幸運なことに、僕は入学時の成績が認められ、特別給付型奨学金の授与──いわゆる特待生として大学に通っている。
別に僕の能力がずば抜けて高い訳ではなく、運良く枠の下の方に入り込めただけのだが。なんとこの奨学金には返済義務が無い。
なので、僕の学費・家賃は奨学金+バイト代によって賄われているのだ。
奨学金の給付審査は毎期行われ、成績だけでなく素行なども勘案される。枠の下の人間が、なにか問題行動を起こせば……恐らく、給付は打ち切られる。
仮に冤罪であったとしても、そういうトラブルに巻き込まれることによって給付に支障が出ることはありえない話ではない。
そうなれば、別の団体から返済義務ありの奨学金を借りるか、今のアパートを出てあの家に戻るしかない。どちらにせよ親権者の許可は必要だ。それだけはなんとしても避けたかった。
「なぁユウヤ。もう手を引かないか」
「……それでも、納得できないよ」
「なんというか……お前らしくないぞ」
「それ、どういう意味?」
「あ、いや。悪い意味じゃない。誰だってこんなことされれば不快だしな。ただ……」
彼は少し逡巡し、少し息を吸い込んでから言った。
「前のユウヤだったら、『仕方ないよ』って済ましそうな気がする」
「それは……」
翔平の見方は間違っていない。事実、この件に巻き込まれた当初はすべて諦め、逃げ出そうとしていたぐらいなのだから。
「なにかあったのか?」
当然、あった。けど、それを話してもいいものか。
翔平は僕とエミリーの関係を知ってはいるが、それでも、余計なことを喋れば彼女に被害が及ぶ可能性は否定できない。もし僕が冤罪でしょっぴかれたとして、彼女が風評被害を受けるようなことは避けたかった。
ただ、ここまで僕を心配してくれる翔平に嘘をつくのもためらわれる。
悩んだ末、人物名だけ隠して伝えることにした。
「……僕のために、怒ってくれた人がいたんだ。涙まで流して、本気で怒ってくれたんだ」
「……」
「それなのに当の本人が『仕方ない』で済ますのは……なんていうか、失礼だと思う。だから、僕は何があったか知りたい。知って冤罪を晴らして……こういうと大仰かもしれないけど、なんていうか、彼女に報いたいんだ」
翔平は呆気に取られたようで、その黒い瞳は驚きに見開かれている。
「それなら……俺は止めない。出来る限り協力もする。まぁ、思うところはあるが」
「翔平……!」
「でも」
「?」
「それって本当に、お前の意思なのか?」
「それは……そうだよ。当たり前じゃないか」
「……話を聞いた感じじゃ、全部、その相手のためじゃないのか。お前自信の意思はどうなんだ」
「あの子のためでも、僕の意思であることは変わらないんじゃないかな。なんというか、禅問答みたいだけど……」
「……そうか」
話を終えると、翔平はいつもの無表情を崩し、可笑しそうに笑った。
「チャーチルのお陰か。意外な組み合わせだと思ったけど、案外相性がいいのかもな」
「べ、別に違うけどっ?」
「図星みたいだな」
「……僕ってそんなにわかりやすい?」
「だいぶな」
少しだけ張り詰めていた空気が霧散し、和やかな雰囲気が僕らの間を満たす。
けれどすぐ、翔平は微笑を消し、なにか悩むように眉間に皺を寄せた。
「…………」
「どうしたの?」
「……いや、ユウヤ。実はな、その友人についてなんだが……」
少しだけ口を開き、すぐにそれを閉じる。
何かを言いかけて、それを飲み込んだような。そんな仕草だった。
「……いや、なんでもない。忘れてくれ」
「?」
不自然な態度だ。
気になって問いかけようとした瞬間、ポケットに振動を感じた。
スマホを取り出すと、件の友人からの着信だった。
「ごめん、ちょっと電話」
「そうか。俺も用事があるから、それじゃ」
「うん。またね」
結局、何を言おうとしたのか聞けずじまいだった。
『結局、相手のためじゃないか』
彼の言葉が不思議と耳に残っていた。僕はそれを打ち消すように通話ボタンを押し、スマホを耳に近づけた。




