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38.裏庭の巨大クッキー

「ひどいよ……」



 赤く腫れた首周りを抑えながらそうぼやくと、



「……自業自得デス」



 そっぽを向きながらそう返された。



「まだやり足りないぐらいデス。ユウはにぶちんデスから、どうせ対して辛くもなかったでしょ」

「むっ……」



 ちょっと──いやだいぶ──いやいやさらに失礼だったと思うけど、いきなり抱きつかれて混乱していたこっちの身としては、正直納得がいかない。


 ……というか勘が鈍い=痛覚も鈍いとはならないと思うんだけど、それを指摘したらもう一度ツインテ絞殺されそうだから黙っておく。



「鈍いって言うけどさ。それならエミリーはどうして欲しかったの?」

「………本当に、わからないんデスか?」



 おそらく、胸云々の発言に怒っている訳ではないのだろう。いやそれも少しはあるのかもしれないが、少なくとも本質ではない。鈍い、というぐらいなのだから、恐らく僕は何かを見落としている。そしてその見落としは、彼女が抱きついてきた目的と関係している、はず。


 じゃあ、それは一体?


 友人に抱きつく目的なんて、皆目検討もつかない。

 

 僕だって、翔平を驚かせるために後ろから抱きついたりしたことはあったけど──普段のクールな様子からは想像もできないぐらい取り乱すのが面白いのだ──まさかそんな下らない理由ではないだろう。



「君は僕の親友で、長い付き合いになるけどさ……正直、わからないよ」

「………親友、デスか」



 エミリーはその言葉を、まるで嫌いな野菜を咀嚼するかのように、どこか苦々しげに呟いた。


 少しの沈黙があって。彼女は仕方がない、といった感じでため息をついた。



「……この話はやめにしマスか」

「どうしたのさ、急に」

「別に。聞きたかったことは聞けたので」

「そうなの?」



 何を聞かれていたのか。そもそも聞きたかったこととは何なのか。皆目検討もつかない。それを知れないままなのは少し、いやだいぶ寂しいけど、まぁエミリーが納得しているのならそれでいいや、と納得することにした。


 というのも、こっちには聞きたいことがあったからだ。



「あのさ、聞いていい?」

「なんデスか」

「さっきユイカさん……と話してたけど」



 彼女の名前が出た瞬間、エミリーの瞳孔がくわっと開いた……気がした。



「また胸の話デスか。今度は千切りますよ」

「違うよ! ……っていうか、千切るってどこを?」

「首とか」

「ひぇぇ……」



 せめて指とかにしてくれないかな。いや指も嫌だけど。

 

 真顔の親友が纏うオーラが余りにもドス黒く、思わず部屋に逃げようかなぁなんて考えるけど、そんな場合じゃない。



「あのさ。入ってるサークル、全部辞めるって本当?」

「………う」



 ついさっき、エミリーとユイカさんが話していたことだ。僕のミスで会話を中断させてしまったが、あの時からずっと気になっていた。


 問われた本人はやや気まずそうに顔を伏せ、けれどもすぐにいつもどおりの不敵な笑みを浮かべた。



「嘘か本当かで言ったら、まぁ嘘の嘘──コインで例えるなら裏の裏と言ったところデスかね。あ、知ってマスか? 1ポンド硬貨の裏はエリザベス女王が描かれてる方で──」

「要するに本当なんだよね?」

「そ、そうは言ってませんよ」

「じゃあ嘘なの?」

「………そういう訳でもないデスが」



 つまり本当じゃん……。



「ダメだよ、ちゃんと出なくちゃ」

「べ、別に問題ないでしょう。大学は放任主義なんデスから、参加するかは自由デス」

「それはそうだけど……」



 彼女の不敵な笑みは崩れ去り、またもや気まずそうに視線をそらす。


 確かに、高校の部活と違って大学の活動は放任主義的なところが多い。多いのだが……



「いきなり全部辞めるって……どうなの? 残された人たち、心配してるらしいし」



 そう。規則上問題なくとも、そこには人間関係が存在する。いきなり辞めようものなら残された人間は疑問に思うだろうし……それに、ある程度真面目なサークルだと顰蹙を買う可能性もある。要領のいい彼女のことだから心配いらないのかもしれないが、やっぱりどこかひっかかる。



「……まぁ、申し訳ないとは思いマスが」

「何か、理由があるの?」

「まぁ、あるにはありマスけど」



 煮え切らない答えだ。


 あまり話したくない……そんな感情が伝わってくる。実際、サークルからポイ捨てされた僕に彼女を問い詰める資格なんて1ミリもないとは思うが、僕としてはここでやめるつもりはなかった。


 学部・学科問わずその名を轟かせる(表向きは)社交的なエミリーが、入学以来被っていた猫を脱ぎ捨てるのだ。なにか重大な秘密があるに違いないし、それを隠そうとするなんて……もしかすると、かなり切羽詰まった事情があるのかもしれない。僕としては心配だった。



「サークルの先輩を巡ったドロドロの人間関係に巻き込まれたとか」

「そういうのじゃないデス」

「公共の場で乱痴気騒ぎを起こしてTwitterで炎上したとか」

「そういうのでもないデス」

「怪しい葉っぱの取引に関わっちゃったとか」

「そういう感じでもないデス」

「飲み会で眠剤を盛って──」

「……ン? ユウはワタシにどんなイメージを抱いてるんデスか?」

「それはさておきさ。教えてよ」

「う……べ、別にユウには関係ないデス」

「──関係あるよ!」



肩を掴んで正面から相対する。



「さっきも言ったけど。僕はエミリーのこと、なんでも理解してる訳じゃない」

「ち、近いデス」

「だからといって、わからないから仕方ない、なんて諦めるつもりもないよ。それじゃ赤の他人と何も変わらないし」

「あの、近いデスって」

「近い? 確かにそうかもね。でも、近くにいるだけじゃわからないこともあるんだ」

「……あうぅ」

「結局、話してくれなくちゃわからないんだ。だから、何か悩みがあるなら──」

「教えマス! 教えマスから、一旦離れて下さいっ!」



必死の説得が通じたようで、どうやら話す気になったらしい。



「それで?」

「……もっと一(I want to )緒にいた(be with )いから(you more)

「えっと、何て?」

「二度は言いません」

「えっ、それは酷いよ!」

「別に日本語なんて指定はありませんでしたし。問題nothingデス」



軽く話せる程度の英語力はあるが、ネイティブの、それも早口の小声となれば殆ど聞き取れない。



「……必要なものとそうでないものの区別をつけただけデス。時間は有限なんデスから」

「????」



必要なもの? 

エミリーにとって必要なもの……それすなわち惰眠とソシャゲなり。つまりなんだ、ぐぅたらソシャゲに時間をつぎ込みたいからサークルを辞めたのか? ありえな……いや、ありえるか。とりあえずこれは保留にしておくか……。


当の本人は何故かうつむいていて、こころなしか頬が赤い。


 どこか体調でも悪いのか。それとも、顔をうつむけてしまうぐらい後ろめたい事情があるのか。

 

 ──いや、待てよ。僕に話したがらない。それってつまり、僕が関与している可能性が……そこまで考えて、ある思考が稲妻のようにひらめいた。



「……あの、さ」

「ハイ」

「もしかして、僕が理由?」

「ほわっ!?」



 うつむいていた顔が勢いよく持ち上がり、つられてツインテールが逆立った。



「そっ、そんなわけないデス。とんだ思い上がりデスよ」

「本当に?」

「本当でしゅ」

「噛んだね」

「噛んでないデスっ」



 彼女の視線はせわしなく動き周り、ぐるぐるぐるぐるとそのうち周回軌道に乗って地球を脱出しそうな勢いだ。


 ……やはり。


 目に見えて狼狽している様子が、僕の予想が正しかったことを裏付けていた。



「別に、隠さなくていいよ」

「か、隠す。なにを? あ、そういえばこの寮の裏には巨大なクッキーが隠されてるって聞いたことがありマス。巨大クッキーデスよ、巨大クッキー。それも50ポンド超えらしいデス。せっかくだし、今から探しに──」

「それで騙せるって思われるあたり、僕って本当にナメられてるんだね。ていうかやる気なさすぎでしょその作り話。話戻そっか」

「うぅ……さ、さっきはわからないって言ってたのに……どうして急に……ヒントを与えすぎたとは思いマスが……うぅっ」



 ここまでお膳立てされて気が付かないほど僕は鈍くない。

 

 謎多き親友の考えを見透かせたことを嬉しく思いつつ──



「でも、そういうのはいらないかな」



 けれど、僕は彼女の行為を不快に感じていた。



「え……いらない、とは?」

「言葉通りの意味だよ。僕は……君にそういうのを求めてるわけじゃない」

「……えっ」



 一瞬、彼女の表情が固まった。

 

 それから、今聞いたことが信じられない、とでも言いたげな表情で、こちらをまじまじと見る。


 構わず僕は話を続ける。



「気持ちはありがたいけどさ。あんまりいい気分しないよ」

「……うそ」

「正直、やめてほしいかな」



 胸を針で貫かれたような、鎮痛な表情。色白な頬は一瞬にして血の気を失い、せわしなく動いていた瞳は凍りついたように静止している。



「め、迷惑……でしたか?」



 それから、おずおずと、まるで機嫌を壊した親に取り入る子供のように怯えた様子で問いかけてきた。


 その様子に罪悪感を覚えるが、僕は彼女に嘘は付きたくない。いや、ついてはいけない。親友なのだから。

 

 ……まぁ、それ以前に腹立たしいっていうのがあるんだけど。



「……まぁ、そうかな。そんな風に思われてた事自体、ショックだし」

「っ……そうデスか」

「というか、考えてみてよ。エミリーだって僕に同じことされたら困るでしょ」

「そ、そんなことないデス! ……ユウがそうしてくれるなら、ワタシはどれだけ──」

「本当に? そんなわけないよ。そりゃ、理屈の上では嬉しいって言うべきなんだろうけど。正直言って、友人にそんなことされるのって……不快だよ」



 僕がそう吐き捨てると、彼女は本当に辛そうにきゅっと目をつむり、自分の両腕を胸の前に持っていく。心なしか、体が震えている。


 言い過ぎたか、と思ったが、それでも辞めるつもりはない。



「あのさ。こうなるぐらいだったら、お互い距離をおいたほうがいいと思う。一緒にいることが必ずしも幸せだなんて限らないわけだし」

「それはっ──」



 僕のその言葉を聞いて、彼女は閉じていた目を開いた。

 

 紺碧の瞳からはいつもの不思議な煌めきが消え失せ、ただ仄暗い光が宿っていた。

 怯えている……それも、尋常じゃないぐらいに。



「それは──それだけは嫌っ。離れたくない。いなくならないで。不快にさせたなら謝るからっ」

「……別に謝ってほしいわけじゃないよ」



 ぎゅっ、と肩が掴まれる。縋るように彼女が体を寄せてくる。さっき感じた暖かさはそこになく、冬の氷のように彼女の体は冷たかった。


 彼女の心中をここまで乱してしまったのは自分のせいだと知りつつも、同時に僕はある疑問を抱いていた。


 エミリーはどうしてこんなに焦っているんだ?



「だから、嫌いにならないでっ……」

「……? いや、嫌いにはならないけど」



 エミリー──いや、エーミールは。自分の行動が咎められたぐらいでここまで動揺しなかった。実際、ここまで取り乱した彼女を僕は見たことが──いや、一度だけある。一ヶ月前、僕のアパートに押しかけてきたときだ。あれは一方的に僕が別れを告げたことが原因だ。この状況とは前提条件があまりにも違う。


 だから、彼女がここまで取り乱す理由がわからない。たしかに、僕の態度も強硬だけど……



「……やっぱり、エミ──あの女のことが好きなんデスか」

「……どうしてここでエミちゃんが出てくるの?」

「えっ?」

「えっ?」



 また、あの感覚だ。噛み合わない。理解できない。なんでここでエミちゃんが出てくるんだ。


 彼女の考えていることが、一瞬で理解できなくなった。


 ……いや。

 ここまで完璧に噛み合っていたと思っていた歯車は、実は空転しているだけだったのではないか?

そんな考えが浮かんでくるが、まさか、と思い打ち消した。



「とにかくさ。僕は君の重荷になりたいわけじゃないんだよ」

「……重荷?」

「うん。僕は君と対等でいたいんだ」

「あの、一ついいデスか」

「なに?」

「どうしてワタシがサークルを辞めたのか……その理由を聞かせてもらっても?」



 少しの冷静さを取り戻した声で、そう問いかけてくる。それに反比例するように、僕の心は焦り始めていた。



「……えっと、要するに、エミリーは僕に気を使ってくれたんでしょ」

「…………」

「『ユウはサークルから追い出されて苦しんでるのに、自分が大学生活を楽しんでいるのは申し訳無い』……みたいな。だから僕と同じレベルまで落ちるためにサークルも全部やめて、他の人ともあんまり連絡を取らなくなったんじゃないの? でもさ。それって、同情というより憐れみだよ」

「…………あの、ユウ」

「気を使ってくれるのは嬉しいし、こうやって一緒に過ごせて僕はすごく救われてるけどさ。そこまで頼んだ覚えはないよ。君には君の生活があるんだし、それを犠牲にしてまで慰めてほしいなんて歪んだ考え、僕は持ってない」

「あのっ!」

「うん? 言っておくけど、本当にそういう気遣いは──」



 彼女は僕の言葉を遮って──



「ひょっとして、バカなんですか……?」



 ……彼女の瞳には、まるで初めて宇宙人を目にしたときのように──いやそんなシチュエーション遭遇したこともないけど──とにかく、奇妙な生物を捉えるようような色が浮かんでいる。



「……Are you retar──stupid?」

「言い直さなくていいって! 二重の意味で!」



 なぜ呆れられているのかもわからない。

 バカ? それすなわち、僕が勘違いをしていたと。そういうこと?



「……え、違うの? 名推理すぎて自分でもびっくりしてたんだけど……」

「1ミリもかすっていませんね……」

「またまたぁ。そういう嘘でしょ」

「いや、ガチで」

「……ガチで?」

「ガチで」

「ガチなんだ……」



 ガチらしい。


 やはり、さっきの感覚は間違いではなかったのか。

 

 はじめから終わりまで、僕らはお互い勘違いしたまま会話していたようだ。


 となると。となるとだ。


 え、僕めっちゃ恥ずかしいヤツでは?


 つまり、さっきまでの僕を振り返ってみると。


 友人がサークルを辞めたことに勝手に責任を感じて、勘違いしたまま「そんなことされても嬉しくない」とかキレ散らかしていたわけか。関係ないのに。


 客観視するとヤバさが際立つな……。


 なにが「君とは対等でいたいんだ(キリッ)」だよ。うわ恥ずかし。恥ずかしすぎだろ。誰だこんなこと言ったやつ。僕か。僕なのか。……本当に僕なのか?



「嘘だろ……」



 え、夢だったりしないかな、これ。いや現実だよな。いっそのこと、矢野ユウヤとしての人生を捨てて、一生ユウリとして暮らそうかな。そうしたら今回のミスも追求されないだろ。別人扱いなんだし。無理がある? そうですか……。


 申し訳無さやら恥ずかしさやら辛さやら後悔やらが次々と心の中を飛び交い、終いには脳の奥が締め付けられるような痛みを感じた。


 これ絶対エミリーにいじられるな……1週間ぐらいユイカさんのところに避難できないかな……なんて考えながら、恐る恐る彼女の方を見ると──



「なにが『嫌いにならないで(涙目)』デスか。恥ずかしすぎデス。誰ですかそんなこと言ったやつ。ワタシか。ワタシなんデスか……えっ、本当にワタシ……?」



 なんだか知らないけど同じように病んでいた。



「つら……」

「つれぇデス……」



 当分の間、僕らはソファに顔を埋めて悶えることになった。




 ……ちなみに、後々確認しに行ったが、寮の裏に巨大クッキーは無かった。いや、別に期待してなかったけど。ほんとに期待してなかったけど……一応ね?

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