37.嘘を重ねて(6)
「あの」
「はい」
「……エミリーさん?」
ユイカさんが去って一件落着……と思ったのもつかの間。
リビングに戻るといきなりエミリーが抱きついてきて………そのまま今に至る。
「あの……いい加減、暑いです」
「……夏デスから」
「それはそうですけど。いやそうじゃなくって」
「どっちデスか。優柔不断デスね」
「どうして私がなじられてるんでしょうか……」
ほんと、どうしてだ。
なじられてることだけじゃない。
夜遅く。密室に親友と二人っきり──そしてなぜか彼女は僕に抱きついている。そしてなぜか僕は女装している。死にたい。
論理性もなければ必然性もない。あまりにも唐突。だからこそ気味が悪い。この状況に陥った理由が欠片もわからず──いや、女装している理由はユイカさんの訪問なんだけど──僕の頭は混乱を極めていた。
「あの、いくら友人といえこういうのはマズイと思うんです。倫理とか常識的に………」
「そんなこと知りません。そもそも、今のあなたはユウリデス。どこにも問題なんてありません」
「それはそうですけど………それでもですよ」
「……うるさいデスね。ユウは黙ってじっとしてればいいんデス」
彼女は正面から抱きつく体制で、なんとも悲しいことに僕と彼女は身長差がないものだから、肩の上に乗せられた彼女の表情を知ることはできない。けど、その声は少し──不機嫌なように感じられた。
「あの………怒ってます?」
「怒る……ワタシが? Why? どうしてそう思ったのか甚だ疑問デス」
「…………えっと」
「ワタシは別にいつも通りデスが。それともユウには何か心当たりがあるんでしょうか。だとしたら聞いてみたいものデス」
「…………あの」
「ちょっと可愛い女の子に抱きつかれたからってすーぐデレデレして。尻尾振ってついていってしまうようなユウに? 添い寝につられて友人を蔑ろにするようなユウに? ワタシが怒る理由なんてNothing。そうデスよね?」
「そ、それは………」
ここまで言われて「えっ、そうなんですか。怒ってないんですね!」なんて返せるほどユウリちゃんは強心臓じゃないしサイコでもない。
つまりだ。
彼女はさっきの僕の態度に怒っている訳だ。考えてみれば当たり前かもしれない。彼女はリスクを犯してまで協力してくれたのに、当の本人がああも簡単に陥落しかけたのだから。腹が立つのは当たり前だろう。
……でも、抱きつく理由はなんだ?
新たな疑問を解消しようと頭を悩ませていると──
「………そもそも、ユウは男の子なんデスから」
「………」
「ああやってベタベタしてきたら、ばしっと払いのけるぐらいのことをするべきだと思いマス。性別を隠しているんデスから、そうしなければ相手に失礼デス。倫理とか常識云々を語るなら、ユウはそういう部分をもう少し考えるべきデスっ」
「確かに、私が悪かったのは認めますけど………」
「何か言いたげデスね。反省してるなら、もう少ししおらしく───」
「──それなら、こうやってエミリーさんが抱きつくのもアウトだと思うのですけど」
「…………」
「…………」
沈黙。
体を少し離して、ちら、とエミリーに目をやる。僕の背中に腕を回した体勢のまま、彼女は目をそらした。
「エミリーさん?」
「い、今のユウはユウリ。女の子 to 女の子ならセーフ……デス」
「……その論理ならユイカさんに抱きつかれてもよかったのでは」
「それは倫理と常識が欠如してマス! 不誠実デス!」
「それならこの状況は……」
「デスから、今のユウはユウリなので……はっ!?」
無限ループって怖い。
自らの論理破綻に気がついたエミリーは、一つ咳払いをし
「そ、それはそれとして」
「それとしちゃうんですね………」
「わ、悪いデスか!?」
「いやぁ……?」
「と、とにかく! あぁいうのはだめデス! 飲みサー主催のコンパぐらい不健全デスから! わかりましたか!?」
「……善処します」
「それ絶対しないやつデス! ジャパニーズ建前! ワタシ知ってマス!」
……いやだって、あんなスタイルの美人に抱きつかれて抵抗できる人間、存在する? しないよ。
というか飲みサーって単語知ってるんだ……エミリーの語彙って謎の偏りがあるな………。
そんな煮えきらない僕の答えにエミリーはヒートアップし、収まる様子がない。
仕方がない。
このままじゃ埒が明かないので、ウィッグを外して女装を解く。
エミリーは可愛いものに目がない。というか、通販で萌えアニメの薄い本とか取り寄せているあたりレズっ気があるのでないかと僕は疑っているのだけど、とにかくユウリの外見に惹かれて過度なスキンシップをとってくる傾向があるから、あるいはこうすれば離れてくれるのかも──と思っていたのだけど。
「…………」
一瞬だけ顔を強張らせ、抱きついていた手を緩めたが、何かを決意したかのようにきゅっと目をつむり、すぐに僕の胸に顔を押し付けてきた。背中に回された腕は、むしろさっきより抱きつく力を強くしているようにも感じられる。
「えっと……?」
予想外の反応に戸惑う。
彼女は僕の胸から顔を上げた。
「……どう、デスか?」
「ど、どうって……」
サファイアのように煌めく瞳はどこか挑戦的な色を宿していて、まるで僕を試しているようだ。その瞳に射竦められ、思わず言葉に詰まる。
ふと、シトラスのような清涼感のある香りを感じた。薄い服を通して、彼女の体の温もりが伝わってくる。
……そういえば、エミリーって女の子なんだよな、
普段、意図的に意識しないようにしている事実が確かな体温をもって想起させられる。それと同時に、鼓動が早まる。目の前の彼女を、反射的に抱き返そうと手を伸ばし──すんでのところで踏みとどまった。
……それは、あまりにも不誠実だ。変わらず僕に接し続けてくれている親友に対する冒涜と言ってもいい。
そんな僕の内心を知らぬまま、彼女は再び口を開く。
「……ユイカに抱きつかれて、嬉しそうでしたけど」
「………」
またその話か、と身構えるが、先程とは様子が違う。
怒っているのでなく──緊張している?
「……ユウの体は温かいデスね」
「い、生きてるんだから当たり前だよ。それより、どうしたの。なんだか様子が──」
「……ワタシに抱きつかれて、何か思うことはないんデスか」
「思う、こと……?」
ダメだ。
期待と不安の入り混じったような、彼女の表情。何かを期待している──それは、なんとなくわかる。
けど、なにを求められているのかはさっぱりわからない。
「ユイカと比べて、どう感じマスか。答えて欲しいデス……正直に」
そう問いかける彼女の声は、いつになく真面目で──少しだけ、心細そうだった。
また、この感覚。
ここ最近、彼女と過ごすようになってから、心のどこかがすれ違っているような──そんな錯覚に襲われることが増えた。まるで、言葉が通じなかった出会い始めの頃に戻ってしまったような、少しの隔絶の混じったほろ苦い感覚。
僕はどう答えればいいのか。
適当に誤魔化して、この場を逃れることは……多分、できる。
でも、それはしたくなかった。
嘘と虚飾にまみれた高校生活を終え、ありのままで過ごせると思ったサークルですらも、エミちゃんへの嘘が発端となって失ってしまった。
それらの嘘が不必要だったとは思わない。けど、せめて親友の前ぐらい正直でいたい……と、僕は思う。
「強いて言うなら──」
「………」
「硬い、かな」
少しの沈黙があって。
「……硬い?」
「うん」
「一応聞きますが、何が?」
「胸が。ユイカさんに比べて」
恐らく、彼女は不安だったのだろう。
あまりにも暴力的なユイカさん's ボディを前にし、女子としてのアイデンティティが揺らいでしまった。だから僕に体を押し付け、少しぐらいは胸があることを証明したかったのだろう。
でも現実は非情だ。
ないものはない。いくら夢想しても人は空を飛べないし、水の上を歩くこともできない。
そして、僕が親友に嘘をつくこともない。
「でも安心して。日本にはこういう諺があるんだ。『貧乳はステータス──」
「──Shit!」
「痛っ!! ちょっ、なんで叩くのさ!」
「叩くに決まってマス! バカなんデスか!?」
「そ、そっちが正直に言えって言ったんじゃないか!」
「しょっ、正直っ?!」
ショックを受けた様子で、少し硬直した後──涙目の彼女は、おもむろに金色に煌めくツインテールを持ち上げ
「……なんでっ……どうしてっ! ユウのばかっ!」
「く、首っ! ツインテ巻き付けないでっ。息できないからっ」
先程までの静けさはどこへやら。一瞬のうちに発火したエミリーは、そのなめらかなツインテールで僕の首をギリギリと締め上げる。
「ばかっ! もう知らないっ!」
「──ちょっ、ほんとに死っ……」
その先を言えぬまま、僕の意識はツインテによって切断された。




