34.嘘を重ねて(3)
扉に耳を当て、向こうの音に耳を澄ます。
ぱたぱたと、スリッパが廊下を叩く音。
「ずいぶ──遅かったけど──もしかして、忙し──たかしら」
「そんなことないデ──少しうたた寝を──」
「もし──て、まだ治って──たの?」
「……その話は───」
僕の部屋と玄関先の廊下はリビングを挟んでいるので、会話の音はくぐもっていて聞こえづらい。
がちゃり、とリビングの扉が開く音が聞こえる。それと同時に彼女達の声がクリアになった。
問題はここからだ。
食器や私物は何とか隠したが、それでも僕のいた痕跡は完璧に消せていない。いや、そもそも素のエミリーを知るユイカさんにとっては部屋が片付いていること自体が不自然なのだ。
「? やけに片付いてるわねぇ」
案の定、部屋の様子を疑問に思ったようだ。
「そうデスか? 別にいつも通りデスよ」
「そうかしら………前なんて、足の踏み場もなかったぐらいなのに」
「誇張しすぎデスって」
「そうかしら」
「そうデスよ」
いつもと変わらない声のトーンで、淡々と嘘を紡いでいく。
たとえFBIの尋問官だって今の彼女が嘘をついているなんて思わないだろう。それほどまでに自然な様子だ。
「まぁ……強いて言うなら心境の変化ってやつデス。ワタシが真面目に家事するの、そんなに意外デスか?」
「意外よ」
「………心外デス」
ユイカさんの無慈悲な断定にむくれる声も、頬を膨らましてそっぽを向く様子が脳内再生されるぐらい違和感がない。
ネット越しとは言え、長年の間僕を欺いていただけはある。
これなら心配いらなそうだ。
「ねぇねぇ、ところでエミリ」
「ン?」
「あのメイド服はなぁに?」
おおっと雲行きが怪しくなってきたぞ。
恐らく、ダイニングのハンガーツリーにかけてある例の和風メイド服のことを言ってるのだろう。
片付け忘れた僕にも非はあるけど、料理中に着るように強制してきたのはエミリーだし。自業自得だ。
これには流石のエミリーも動揺したのか、一瞬沈黙する。
「………インテリア、デスね」
必死に絞り出したであろうその言葉は、なんとも苦しい響きを持って室内に響いた。
「……随分変わったインテリアね」
「……あれは守りメイド服といって………使用人のお古を飾ると風水にいいと言われてるんデス。イギリスでは」
「それ、本当? 私、聞いたことないんだけど………」
全肯定母性系ヒロイン属性を持つ(持ってるはず。たぶん)ユイカさんといえど、これには疑問を持ったらしい。
「ワタシの故郷──Canterbury特有の風習なんデス。けど、こっちでも馴染み深いはずデスよ。日本でも床の間に武者の鎧を飾ったりするじゃないデスか。あれと一緒デスね」
が、ここは流石の三枚舌。もっともらしい(?)言い訳を即興でまくし立て、なんとかその場を切り抜けようとする。
いや、流石に苦しいだろ───
「なるほど………エミリは物知りねぇ」
………え、それ信じるの?
なんか訪問販売に騙される人妻みたいで不憫だ。
ユイカママの将来が心配です。僕が守らなきゃ………。
「それより、こんな時間にユイカがくるなんて珍しいデス。一体どうしたんデスか?」
やや強引な形で話を打ち切り、本題に入るように促す。賢明な判断だ。
「ちょっと話があって。いい?」
「構いませんが、随分急デスね」
「あら、連絡したのよ。けどエミリったら、返事してくれないじゃない」
「えっ………うわ、本当デス。すみません」
「もうっ」
どうやら事前に連絡をしていたようで、エミリーはそれに気がついていなかったらしい。
それに気がついていればこの事態は避けられたのかもしれないので、責任の大半はエミリーにあることになる。あとでツインテでも揉ませてもらおっと。
「まぁ、それも要件の一つなんだけど」
「というと?」
「私が聞きたいのは………エミリ、最近どうしたの?」
「どういう意味デスか?」
「そのままよ。サークルにも顔出さないし、キャンパスに来てもすぐ帰っちゃうし。それに、連絡だって返すのが遅くなって……みんな心配してるのよ」
「あぁ、その件デスか」
『なんだ、そんな事か』みたいな平然とした声音だけど、そんなの初耳だ。確かにサークルを休んでいるとは言っていたが、友人が訪問してくるぐらいの事態だとは知らなかった。
「舞踏研の山本さん、心配してたわよ。何かあったんじゃないかって。それにフェンシングの原田さんも夏の大会について話があるって……」
「? おかしいデスね。連絡、入れておいたはずなんデスが」
「そうなの?」
「はい。全部辞めるって」
えっ。
驚きのあまり、思わず扉に身を寄せると───
がたっ。
(やばっ…………)
扉──おそらく蝶番が緩んでいたのだろう──が派手な音を鳴らした。
「………あら?」
それほど大きな音ではなかったが、決して小さくはない。
「何かしら、今の音」
「音? なにか聞こえましたか」
「あら。そこの部屋からしたじゃない」
「いや、気のせいじゃないデスか。ワタシには何も………」
努めて冷静に。エミリーは僕の鳴らした音をフォローしようと試みるが………
「あ、さてはエミリ……」
「な、なんデスか」
「床のもの、全部空き部屋に投げ入れたんでしょ」
まったくもう、と可愛らしく呟くユイカさん。
それを耳にした瞬間
(あ、詰んだな………)
僕は悟った。
あと数分もせず、ユイカさんはこの部屋に踏み入るだろう。
僕が姿を隠すこと自体はそう難しくない。クローゼットに隠れればやり過ごせるだろうし、最悪、窓から飛び降りればなんとかなるはずだ。
けれど、布団や私物はどうにもならない。それらを秘匿する空間はこの部屋にはないし、唯一思いついた方法は窓から投げ捨てるぐらいだが、これも音でバレるだろう。第一、下に人がいたら大惨事だ。
もうどうにもならない。半ば諦めて天井を仰ぐ。
「そんなことないデスっ」
ふと、親友の声が聞こえた。
「隠さなくてもいいのよ?」
「ほ、本当デス。ほんとのほんと。英語で言うとTruth of truth……」
「Reallyでしょ」
「………本当にそうでしょうか。ユイカの意見はもっともらしいデスが、なんというんでしょう。───オリジナリティ、独創性。そういった要素が欠如しているように思えてなりません」
「………そ、そうかしら?」
「そうデス」
エミリーが時間を稼いでくれている、と気がつくと同時に、諦観に支配されていた思考が動き出す。
……そうだ。何を諦めているんだ。
これは僕だけの問題じゃない。事情は知らないが、サークルを休んで男と同棲しているなんて知られたら、いくらユイカさんといえどエミリーに対して思うところがあるだろう。
考えろ、考えるんだ。どうにかしてこの場をやり過ごす方法を───
(あっ………)
一つだけ、ある。
色々と問題点は思いつくが、この際そんなこと気にしてられない。
僕は早足でクローゼットまで移動すると、計画を実行すべく必要なものを取り出していく。
本当だったら5分は欲しいところだが、贅沢は言っていられない。
せめて2分。いや、1分でもいい。エミリーは優秀だから、それぐらいの時間は稼げるはず───
「知っていますかユイカ。レモン一個に含まれるビタミンCは───」
………あと30秒もないな。
もう少しマシな話題あるだろ………と内心毒づきながら、できる限りのスピードで作業を行う。そうしている間にも、ユイカさんが席をたったであろう音が聞こえた。
まだだ。あともう少し──
ガチャ。
彼女がこの部屋の扉を開いたのと、僕が作業を完了するのは同時だった。
「えっ………!?」
背後からユイカさんの声が聞こえる。
続いて「ユウヤくん………!?」という声を幻聴しかけるが、そうはならない。
振り向くと、驚愕に見開かれた彼女の瞳があった。
が、それは『矢野悠弥』に向けられたものではなく───
「えっと……誰?」
間一髪、変身が間に合ったことに胸を撫で下ろす。感じるのはもちろんパッドの感触。つれえ。
壁に備え付けられた姿見には、黒髪ロングヘアにロングスカート───二階堂ユウリの姿が映っていた。




