3.決別と出会い(前編)
アパートに着いた。扉を開き、乱雑に靴を脱ぎ捨てる。
部屋の明かりもつけないまま、ベッドに倒れこんだ。
「夢じゃ、ないよな……」
胸の真ん中に、ぽっかりと大きな穴が開いてしまったような感覚。
高校時代、僕は周りと自分に嘘をつき続けてきた。趣味のことを隠して、周りの顔色を気にしながら過ごしていた。もちろん、今はオタクと言うだけで差別される時代じゃない。アニメやマンガだって市民権を経て、有名人でもオタクをカミングアウトしている人間もいる。
けど、差別の名残のようなものは確かに存在しているのだ。
ラノベを読んでたら奇異の目で見られるし、ギャルゲなんてやろうものなら「そういうやつ」としてレッテルを貼られ、後ろ指をさされながら学校生活を送ることになる。
だから僕は誰にも趣味を打ち明けることができなかった。
傍から見れば、僕の高校生活は充実していたのかもしれない。けど、内心ではたとえようのない不満を抱えていたのが事実だ。
だから大学に入ったら、オタサーに入ろうと心に決めていた。
趣味のあう仲間たちと、一緒に過ごして、遊んで……輝かしいとまでは言えなくても、楽しかったと胸を張れるような、そんなキャンパスライフを送ろう。そう考えていた。
なのに。
その結果がこれか。
「はは……っ」
乾いた笑いが、6畳間に響く。
人間、本当に絶望すると笑ってしまうというのは本当らしい。
今頃彼らは、邪魔者が消えた部室で仲良く語らっているのだろう。
もしかすると、この前買ったボードゲームをプレイしているかもしれない。それか、購買で菓子を買い込んで、アニメ鑑賞会をしているのかも。
一方僕は。明かりの消えた1Kのアパートで、誰とも話さずベットでうずくまっている。周りには誰もいない。ひとりぼっちだ。
光と影。楽と苦。
こんな一件があったんだ。もう僕があそこにもどることはないだろう。大学でも腫れもの扱いで、これからの4年間は地獄だろう。もしかしたら警察に捕まるかもしれない。冤罪であることを証明できない以上、その可能性は否定できない。
「異世界転生、したいな……」
口から漏れた言葉は、なんとも間抜けな願望だった。思わず失笑してしまう。
……なにが†騎士†だよ。バカじゃないのか。
けど、僕はこれまでの人生でこれほど異世界に転生したいと思ったことは無い。それほどまでに辛かった。
いっそのこと、トラックにでも轢かれてやろうか。真実を述べた遺書を残しておけば、あいつらを道連れにできるかもしれない。
……いや、そんなことは無理だ。
僕が自殺すれば家族に迷惑がかかる。
そうだ、それならいっそ、誰とも関わらず、一人で過ごすことはできないだろうか。
そうすればもう傷つくことも無い。この暗い部屋でほとんどの時間を過ごし、最低限の単位を取って卒業する。その後は、人と話さなくて済むような職業に就いて、適当に生きて、最後は野垂れ死ねばいい。
孤独に生きて孤独に死ぬ。
そうしよう。
僕のような人間が、誰かと交流を持つこと自体が間違いだったんだ。
そうと決まれば話は早い。僕はスマホを取り出し、手当たり次第にSNSをアンインストールしていく。Twitter、インスタ。そして、LINEのアイコンをタップしようと指を動かすと、通知が来た。
(エーミール)『サークル、どうだった?』
エーミール。
この名前を見れば握りつぶされた蛾とか少年の日の思い出とかを連想するのが日本人の性だが、それは関係ない。
彼は僕の友人だ。といっても、直接会ったことはない。ネットで知り合った友人、ネ友というやつだ。
彼と初めて話したのは5年前。
中学で趣味の話ができない僕は、ネットにその場所を求めていた。そんな時、とあるマイナーアニメのコミュニティで出会ったのが彼、エーミールだ。
エーミールという名前からもわかるように、彼は日本人ではない。イギリス住みだ。すこぶるイケメンで、向こうじゃさぞモテていることだろう。
彼は日本語が上手く話せず、あまり皆とコミュニケーションが取れていなかった。当時、英語の成績が伸び悩んでいた僕は、彼に日本語を教え、対価としてこっちは英語を教えてもらう。ネット越しではあるがある種の異文化交流を提案し、そこから交流を持つようになった。
難関とされるこの大学に僕が入学できたのも、彼の協力があってこそだった。
(悠弥) 『ダメだった』
(エーミール)『What? ダメって、何があったんだ』
彼にはよく相談に乗ってもらっていた。それは高校時代だけでなく、大学に入学してからも続いていた。最近のエミちゃんについてもだ。
彼女を振るという決断は、彼が背中を押してくれなければ難しかったかもしれない。……結果として、それがこんな事態を引き起こしてしまったのだが。
(悠弥) 『話せば長くなるし、なにより面白くないから聞かない方がいい』
(エーミール)『ちょっとまってくれ。詳しく説明してくれないか』
メッセージから、エーミールの困惑が伝わってくる。けれどそんなことはどうでもよかった。
(悠弥) 『あと、連絡はこれっきりになると思う』
(エーミール)『どういうことだ。連絡が取れなくなるって、電気でも止められたのか?』
(悠弥) 『違う。けど、僕とは連絡を取らない方がいい』
(エーミール)『そんな悲しいこと言わないでくれ。僕とユウの仲じゃないか』
うるさいな。
いつもは楽しくて落ち着くエーミールとの会話を煩わしく思っている自分に気づき、自己嫌悪に陥る。
(エーミール)『今、どこにいる?』
(悠弥) 『日本』
(エーミール)『そうじゃない。家か、大学か、それともバイトか』
そんなことを知ってどうするのだろうか。
もしかして、イギリスから日本まで飛んでくるつもりか?
たしかに、エーミールは僕の通っている大学を知っている。
けど、どちらにせよ、これ以上彼を巻き込みたくなかった。
もしも真実を知れば、エーミールは自分を責めてしまう。彼が背中を押さなければ、僕とエミちゃんは付き合い、今回のことは起こらなかったかもしれないからだ。
(悠弥)『辛いんだ。もうほっといてくれないか』
突き放すようなメッセージを送り、アプリをアンインストールした。
五年間、僕らは直接会ったことは無いけど、仲良くやってきた。親友、という言葉が直接会ったことがなくても成立するのなら、僕とエーミールは間違いなく親友だっただろう。
けれど。
僕は一方的に彼を切り捨てた。
猛烈な後悔に襲われる。
でも、仕方ないじゃないか。僕のような人間と関わっていたら、彼まで不幸になってしまう。
吐き気がする。
ふらつく足で洗面所に向かい、胃の中のものをぶちまける。ねばつく胃酸が口の傷に触れ、すこぶる痛かった。
胃の中が空っぽになると、猛烈な倦怠感が襲ってきた。
眠い。疲れた。ベッドに倒れこむ。
「ぁ……」
睡魔に抗う理由もなく、僕は眠りの世界へ落ちていった。