26.実質乙女ゲー(中編)
扉の方を向くと、そこには翔平が立っていた。
目が合う。彼の眼からは部外者が部室にいることへの驚きが見て取れた。
「………アザラシさん。彼らは?」
「あぁ、言ってなかったでござるな。サークルの見学者でござるよ」
「見学……この時期にですか」
翔平は不思議そうに首をかしげ、僕とエイル君を一瞥する。
思わずどきりとする。いや、落ち着け。入る時期がおかしかったところで、それは僕の正体に繋がる情報たり得ない。
平常心だ。二階堂ユウリとして振る舞う。僕がやるべきことはそれだけで、他は何も考えなくていい。
「えっと、お邪魔してます」
「…………いえ」
「その、二階堂ユウリと申します」
「…………どうも」
彼は目を伏せ、それっきり無言になった。
………コミュ障かい。
とはいえ、それは今に始まったことじゃない。
翔平は女性が苦手だ。
緊張しているのか、それともどう接していいのかわからないのか。はたまた興味がないだけなのか。彼は女性を前にすると口数が少なくなるきらいがあった。同じサークルのエミちゃんとですら、彼が楽しそうに話しているところを見た覚えがない。かなり顔が整っているのに女っ気がないのはそういう理由があったりする。
だから円滑なコミュニケーションが取れるとは思っていなかったが……
「…………」
「あの、お名前は?」
「翔平です」
「そ、それじゃあ。翔平さん、とお呼びしますね」
「どうも」
「…………」
「…………」
まさかここまでだったとは。
ここまでの言葉のキャッチボールでの最高文字数、なんと4文字。「いえ」「どうも」「翔平です」だけで会話してる。逆に高度だな………。
沈黙が部室に満ちていき、それに伴って雰囲気が重くなる。
いたたまれなくなりエイル君を見ると、彼は翔平に目を向けていなかった。こちらから体を背け、窓の外を見ている。
まるで意図的に視界に入れないようにしているかのようだ。
なにやら因縁でもあるのだろうか。
「し、翔平氏はシャイにござる。とりあえず。サークルの活動内容でも紹介しますかな」
アザラシが機転を利かせて、重苦しい沈黙は弛緩した。
彼の性格は面倒くさいオタクそのものだけど、なんやかんやでコミュ力は高い。
以前それとなく褒めてみたら「学校では他人の顔色ばかり伺っておりましたからな。おや、目から汗が……」なんて言ってたっけ。
アザラシの灰色の高校生活を想像して全僕が泣いた。
閑話休題。
アニメ研究会と銘打ってはいるものの、ここはそこまでガチなサークルではない。
アニメとか映画とか、映像作品と呼べるものを好む人間たちが集まって適当に駄弁る。それがこのサークルの本質だ。唯一、学祭での小雑誌作成があるぐらいで、それ以外の公的な活動は課されていない。
「―――といった具合にござる」
アザラシがこのサークルの概要を話していると、もう一人、来訪者が表れた。
「―――あれっ。誰、そいつら?」
粗暴な口調に、ワックスで固めたツーブロックヘア。昭人だ。
翔平のときと同じように、アザラシが僕たちのことを紹介する。
それを聞いた昭人は――
「ふぅん………」
僕のことを下から上まで、舐め回すように見てくる。
……うへぇ。
この姿になってわかったけど、男から向けられる視線というのは思っていたよりもわかりやすいものだ。
……もしかして、僕が定期的にツインテを凝視してるのもエミリーにバレてるのか?
いやまさか。でもあの曲線美、何度見てもたまらないんだよな……。文部科学大臣は今すぐあれを有形文化財に指定すべき。
胸? ないものを凝視できるほど僕の目は高性能じゃない。
「オレ、昭人。名前なんつーの?」
「……ユウリです。二階堂ユウリ」
「へぇ、学部どこ?」
「りが……経済です」
危うく本籍である理学部と言いかけたが、あそこは男女比9対1の魔境。調べれば僕が存在していないことなんて簡単にわかるだろう。バカ正直に答えてリスクを犯す必要はない。
木を隠すなら森。事前に決めた設定どおり、人の多い経済学部と答えた。
「マジ? 俺、経済なんだよね。一緒じゃん。あ、じゃあ言語学Iって取ってる?」
「えっと……履修しているような、してないような」
「なにそれ。まぁいいや。あの教授、まじで説明下手でさ。教えて欲しいとこあんだけど、この後時間ある?」
「えぇっと…、」
「あ、キツいなら今度でもいいし。そうだ、連絡先交換しね?」
グイグイと距離を詰めてくる昭人。女好きの彼だから食いついてくるとは思っていたが、まさかここまでだったとは。
いや、そもそも。昭人はエミちゃんとデキてるんじゃないのか?最後に部室で見たときは、そういう雰囲気だったのに。
どう対応していいかわからず、思考がフリーズしてしまう。
何も言えず、僕が黙っていると――
「あぁ、その講義ならボクも履修してるよ」
僕の様子に気づいたのだろう。エイル君が助け舟を出してくれた。
「……は、誰?」
「人に名を尋ねるときは――って、デジャヴュだね。ボクはエイル。ユウリさんの……そうだね、友人さ」
「ふぅん。そんで、なんの用? 今、ユウリと話してんだけど」
「よ、呼び捨て………ッ!?」
エイル君の表情が一瞬、地獄の悪鬼のように歪んだ―――ように見えた。
思わず目を擦る。目が覚めるような金髪に、モデル顔向けの美貌。何も変わらない。これまで通りのエイル君がそこにいた。
見間違い、かな?
釈然としないけれど、とりあえず助かったみたいで安心した。でも胸はなで下ろさない。辛いから。とりあえずエイル君には心中で感謝しておく。
「………言語学だろう? 彼女は履修してないみたいだし、僕が教えてあげるよ」
「……いや、別にいらねぇんだけど」
なにやら雲行きが怪しい。
「いらない? へぇ、さっきと言ってることが違うけど」
「いや、お前に関係なくね?」
「ははっ、ずいぶんと余裕のない口調だね。気を悪くしたなら謝るよ。僕だって喧嘩がしたいわけじゃないんだ」
「じゃあしゃしゃってくるなよ、気持ち悪い。新入部員ならアザラシと話してればいいじゃねぇか」
「ユウリさんの連絡先が知りたいなら、適当な理由付けなんてせずに素直にそう言えばいいじゃないか。あまりにも滑稽だったから思わず口出ししてしまったんだよ」
「は?」
「Huh?」
なんか……仲、悪くない?




