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23.謎の美青年。あるいは……(前編)

風呂を上がると、時計は10時を回っていた。


疲労がどっと押し寄せ、そのままソファに倒れこむ。



「…………疲れた」



風呂上がりの火照った体を冷まそうにも、エアコンのスイッチを入れる気力すら起きない。それほどまでに僕は疲れ切っていた。

異なる性別の服を着て、他人を演じる。言葉にすれば単純だけど思っていたよりもずっとハードだ。

初めてもう数日になるけど、未だに慣れない。



「まったく、そんなんじゃ先が思いやられマス」

「う……まぁ、そうだけど」



そんな僕を見かねたエミリーが小言を言ってくるが、正論なので反論できなかった。


今日は人前で女装していたわけじゃない。大学があったので、朝と帰ってからの数時間だけだ。それなのにここまで憔悴しているのだから、サークルに潜入して情報を集めるなんてできるのだろうか。



「不安だなぁ」

「安心してください。危なくなったらワタシがフォローしマスから」

「えっ?」

「ハイ?」

「エミリー、今なんて?」

「だから……ユウの正体がバレそうになったら、ワタシがフォローするって」

「あの……エミリーもサークルに入るの?」

「? 当たり前デス」

「そんなのダメだよ!」

「……どうしてデスか」

「危ないからに決まってるよ」



冤罪をでっち上げ、それをダシにサークルを追い出す。

そんなことをする人間、冷静に考えてまともじゃない。控えめに言ってサイコパスだ。悪く言えば犯罪者。

そして現状、その相手が誰であるかもわかっていない。

もしかすると昭人でない別のメンバーかもしれないし、複数人である可能性も否定できない。


そんな状態でエミリーがサークルに入れば、新たな標的になってしまうかもしれない。



「心配しすぎデスよ。別に、取って食われるわけじゃないデスし」



彼女は楽観視しているようで、その口調もどこか気が抜けている。

それが余計に僕を心配させた。



「なにがあるかわからないんだ。エミリーにもしものことがあったら、僕は……」

「ワタシだって、ユウだけに押し付けるのは嫌デス」

「押し付けるって───そもそも、これは僕が原因なんだから。エミリーにそこまでさせるわけにはいかないよ」

「ワタシは好きでやってるんデスっ。ユウが気負う必要なんてありません」

「……ごめん。それでも嫌だよ」



半ば口論のような形になってしまうが、僕は彼女の意見を認められない。認めたくない。


これまで彼女は手を尽くしてくれた。

嫌われるかもしれない不安を抱えながら、アパートに駆けつけてくれたこと。

唐突に思えたこの同居生活も、精神的に追い詰められていた僕をケアしようとしてのことだろう。

もしもエミリーが現れず、一人で過ごすことになっていたら。きっと僕は立ち直れず、枯れるようにダメ人間になっていたはずだ。


だからどんなに頼まれても、これ以上彼女を巻き込むわけにはいかなかった。


お互い譲れないまま、無言で見つめ合う。

そのまま数秒が経過する。



「……どうしても、デスか?」

「うん。絶対、だめ」



僕と彼女の立場が逆でも同じような会話になっただろう。僕だってエミリーが辛い状況にあったら、たとえ危険であっても迷わず助けに行くはずだ。

けれど。それを分かっていても僕はうなずくことができなかった。



「……ワタシが───エミリー・チャーチルがサークルに入るのは、ダメだと」



念を押すように、回りくどい言い方。



「こればっかりは何度言われても変わらないよ」

「……そうデスか」



不満げに頷いた彼女は口元に手をあて、何か考えこむような仕草をする。

……なにやら不穏だけど、とりあえず納得はしてくれたみたいだ。




──────




それから数日。バイトやら講義をこなしながらも、僕はユウリとしての振る舞いを身に着けていった。


そして7月の初日。

今日、僕はサークルに潜入する。

既にサークル副代表にはTwitterで話をつけてある。サークル新入生にしてはやや遅めの時期だが、こちらが女子であると伝えると二つ返事でOKが貰えた。



「私はユウリ。私はユウリ。私は───」



念仏のように自己暗示を唱えながら、瀟洒な校門をくぐる。

キャンパスに足を踏み入れると、緊張のあまり心臓が締め付けられているかのような錯覚に陥った。


今ここで衣服が弾け飛んだら、僕の大学生活は終わるんだよな……いやそんなシチュエーションありえないけど。


でも。


もしも僕の擬態が不完全で、知り合い───それこそサークルメンバーにでも見破られたら。

洒落じゃ済まない。

女の子を盗撮して脅した挙げ句、女装してキャンパスを徘徊しているなんて噂が立った日にはもうまともな人生は送れないだろう。

……そうなったら配信者にでもなろうかな。萌え声で胸チラ見せとかすれば名も知れぬ紳士たちが投げ銭してくれるかもしれないし。きわどい衣装でピアノを弾くのもいいな。


いやぁ、女装は役に立つなぁ!


内心で血涙を流しながら、そんな益体のないことを考えていると───



「あのーっ」

「ひゃぁっ!」



背後から声をかけられ、まるで女の子のような声が漏れる。

練習の成果が出たことに安堵しながらも、自分がもう引き返せないラインに足を踏み入れていることに気が付き絶望する。


そんな負の感情をそっと胸にしまい込み、声の方向に振り返る。

そこには、長身の男が立っていた。



「これから講義?」

「違います……えぇっと、あなたは?」

「あ、俺、ヤスダ。経済学部」

「ヤスダさん……」



ヤスダと名乗った目の前の男──派手なブランドを身に着け、パーマのかかった茶髪。良いとこ育ちのチャラついた大学生、といった印象だ。


えっと。こんな知り合いいたっけ───って。ユウリに変装してるんだから、知り合いが声をかけてくるわけない。

となれば彼と僕は初対面なわけか。



「そう、ヤスダ。君は?」

「えっ」

「あんま見ない顔だけど、どこの学部?」



見ない顔。

そうは言うけど、大学は広いんだからむしろ顔見知りの方が少ないんじゃないか? 高校じゃあるまいし。

とそこまで考えて。ふと、建物のガラスに写った自分の姿が目に入る。

腰まで伸びた黒髪に、すらりとした体躯。一見清楚な雰囲気だが、ぱっちりとした目元が少女らしいあどけなさを際立たせる。


なるほど美少女だ。


……もしやこれ、ナンパでは?



「えっと、用事があるので……」

「いいじゃんいいじゃん。暇そうにしてたし」

「それは……」

「ほら、行きましょうって」

「痛っ……」



ヤスダが腕を掴んでくる。

反射的に体が竦んでしまう。 


怖い。


いつもの僕なら簡単に振り解けるはずだった。けれど不思議なことに、女モノの服を着てユウリとして振る舞っているせいか力が出ない。まるで他人の体をコントローラー越しに操作しているような感覚。


そうだ、助けだ。助けを呼べばいい。

しかし、焦る頭で考えだしたその結論が使えないものであることに気がつく。

ここでいらぬ注目を浴びれば潜入に支障をきたすかもしれない。何があるかわからない以上、余計なリスクを追うことは避けたい。



「や、やめてください───」

「何をしてるんだい?」

「えっ……」



不意に、僕の腕を掴んでいた感覚が消えた。



「淑女に手を上げるなんて、男の風上にも置けない。恥ずかしくはないのかい?」

「は? なにお前」

「人に名前を尋ねるときは、まず自分から。一般常識じゃないかな」



まるで物語の王子のように鷹揚な口調の彼は、ヤスダを阻むように立ちふさがる。

目が覚めるような金髪に、鋭い目つき。



「そんなの知らねぇよ。こっちは女と話してんだから、さっさと失せろよ」

「そうはいかない。ボクと彼女は知り合いでね。こうも手荒な真似をされているところを見たら、放っておくわけにはいかないのさ」

「知り合い……んだよ、彼氏か?」

「……まぁ、そんなところかな」

「ひゃっ……」



肩を掴まれ抱き寄せられる。

不意打ちだったので、思わず体がびくりと跳ねた、


『ごめん。少しだけ耐えて』


そう耳元で囁かれる。それがまたくすぐったくて思わず声を上げそうになるが、すんでのところで耐える。


……あれ、この匂い。どこかで───



「これからデートなんだ。悪いけど、キミはお呼びじゃない」



往来でこんな会話をしていれば、次第に人目が集まる。

通りがかった学生たちが次々に足を止め、遠巻きにこちらを伺っているのが見える。


『なにあれ』

『痴話喧嘩?』

『やば』

『男の方、すっごいイケメンじゃない?』

『あんなかわいい娘、うちの大学にいたっけ』

『あいつヤスダじゃね?』

『また女に声かけてんのか』


周りの目線に耐えきれなくなったのか、顔を赤くしたヤスダは



「───彼氏持ちが一人でうろついてんじゃねぇよ。クソっ!」



そう捨て台詞を残して正門へと去っていった。

それと同時に観衆も興味を失ったようで、ぺちゃくちゃと喋りながら散り散りに歩いていく。


───えっ、女の子って彼氏同伴じゃないとキャンパスを歩けないのか……。


うちの大学がデトロイトもビックリな治安情勢だったことに戦慄を覚えながらも、危機が去ったことにほっと胸を撫で下ろす。

ふにっ。撫で下ろした手のひらにパッドの感触。死にたい。



「ゴメン。近すぎたね」



そんな僕の絶望なんて知るわけもなく、助けてくれた彼は僕の肩に回していた腕を離した。



「えっと……ありがとうございます」

「はは、気にしないでよ」

「そんな、本当に助かりましたっ」

「これぐらいお安いご用さ。そんなに気にしないで」



そう言うと、彼は優しげに微笑んだ。

思わずどきりとする。

ユウリを演じているからだろうか。反射的に女声が出るぐらい役に入り込んでいるのだから、そう錯覚してもおかしくない。

いや、そうじゃない。

同性の僕でもときめいてしまう不思議な魅力が彼にはあった。



「それじゃ、ボクはもう行くから。またね」

「あっ………」



腕時計に目をやると、サークルの顔合わせまでまだ時間があった。

寮に戻るには短いが、キャンパスをぶらつくには持て余す。


彼と一緒に時間を潰せないだろうか。

彼ほどのイケメンが側にいれば、さっきみたいな輩もおいそれと近づいてこないだろうし、なによりこの姿で他人と接する練習にもなる。

それに───なんというか、彼の側にいると不思議な安心感がある。先のことで少しナーバスになっている僕にとって、それはなんとも魅力的に感じられた。



「あの、少しお時間よろしいですか?」

「………ど、どうかしたのかい?」



呼び止めると、振り向いた彼の表情は強張っていた。

でも、頼む分にはタダだ。一応、ダメ元で聞いてみることにする。



「もしよろしかったら、一緒にお食事でもどうですか? ちょうど昼時ですし」

「それは……」



少し逡巡を見せる彼。

すぐさま断ってこないところを見ると──初対面であることを警戒して、迷っているようにも見える。


なので僕は───



「……だめ、ですか?」



『魔性の女・ユウリちゃん必殺技集(エミリー作)』に書いてあった秘奥義その12、『上目遣い+胸チラ』を解放した。

控え目なお嬢様の上目遣い+パッドにより生成されたD カップによる胸チラ。これで堕ちない男はいない───とエミリーは語っていたが、代償として大きなものを失っている気がしなくもない。プライドとか倫理観とか。



「っ………!」



顔を逸らされた。

不発か………!? 

流石にあざとすぎたか───芳しくない反応に、失敗をリカバーする方向に思考を切り替えようとするが……



「……耐えろ(stand)耐えるん(walk it)デス( off)……」



彼の顔を覗き込むと、やけに険しい顔をしている。

まるで理性と欲望に板挟みになっているような。そんな葛藤がうかがえた。

……よし。



「あの、無理なさらず……用事があるなら、そちらを優先していただいて構いませんので」

「そ、そうか。それなら───」

「………少し、寂しいですけど」



ここでダメ押しの一手。最後のセリフにあわせて、悲しそうに目を伏せる仕草も忘れない。

あえて引くような素振りを見せることで、大抵の男は断りづらくなる。北風と太陽のような古典的な手法だが………



「───む、無理な訳ない! むしろ歓迎さっ」



──よしっ。

かくして僕は彼と昼食を取ることとなった。


……何か大切なものを失った気がしなくもないが、世の中には考えない方がいい事もあるよね。

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