21.紅茶に砂糖を入れてはいけません法(前編)
僕とエミリーは学部が違う。学部が違えば当然時間割も違うので、僕らはカフェテリアで別れた後、再びキャンパスで顔を合わせることはなかった。
5限を終えて寮に戻ると既にエミリーは帰宅していて夕飯の催促をしてきた。よほどお腹が空いていたらしい。
……揺れるツインテールがまるで犬のしっぽみたいで、ペットに餌をせがまれているような錯覚を起こしたのは秘密だ。
そんなこんなで食事も終わり。ソファに寝そべってだらけているエミリーをカウンター越しに眺めながら、僕は皿洗いをしている。
「~~♪」
鼻歌交じりにスポンジを濡らし、水につけた皿をこする。
もちろん女装しながら。
「手伝いマショウか?」
「大丈夫ですわ。エミリーさんはゆっくりしてて」
初めは抵抗のあった女装だが、案外慣れるものだ。その証拠に『ですわ』とか1000人に1人も使用者がいないであろう絶滅寸前のお嬢様言葉を口にしても、ストレスで額に汗が浮かぶぐらいで済んでる。あっ少し頭痛がしてきた。いけないいけない。
「でも……」
「好きでやってることですから」
これはユウリを演じているからの発言じゃなく、僕の本心だ。家事はやりなれているし、何より友人の役に立てるのが嬉しい。
まぁ、それ以上にエミリーに皿を洗われるのが怖いというのもある。この前洗濯用洗剤をスポンジに垂らそうとしてたし。
……そのうち洗濯機で皿を洗い始めても不思議じゃない。『エッ、漂白もできて便利じゃないデスか』とか言いながら。
そう思わせる”凄み”が彼女にはある。
「気になったんですけど」
「ハイ?」
「日本に来てから、どうやって生活していたんですの?」
「……というと?」
「いや、だって……本当に家事できませんよね。この2か月間、どうやって生きてこれたのか、わたし不思議でしかたなくって……」
「フフ、甘く見られたものデスね……」
この反応。よほど自信がなくちゃできない反応だ。
そこで僕はあることに思い至る。
――もしかすると、これまでの洗剤だのカップ麺だのは演技だったのか?
僕に家事を任せることで、ここにいることに負い目を感じさせない。あれは彼女なりの気遣いだったのかもしれない。
「ま、まさか」
「そう、そのまさかデス」
いやいやそんな。こんなポンコツ然としたエミリーがそんな深いこと考えるか?
ありえない……いや、でも。可能性としては否定しきれないかも───
「───ユイカにやってもらってマシた!」
……うん。まぁ……そうだよね。
たしかにあの人なら不思議じゃない。『あらあら。仕方ないわねぇ……』とか言いながら家事にいそしむ姿が目に浮かぶ。イメージぴったしだ。
でも、初めて見たエミリーの部屋は他人が片付けているとは思えない有様だったっけ。
「その割に、結構ヤバめな状態でしたけど……」
「最近は……まぁ、色々あって。自分でやらざるを得なかったといいマスか……」
バツが悪そうに目を伏せる。
自分でやらざるを得ない状況、と彼女は言った。
もしかすると喧嘩中なのかもしれない。カフェテリアでの二人からはそんな雰囲気は感じなかったけど、女子の人間関係は複雑って言うし。
深くは聞かないでおこう。
「でも、意外です」
「?」
「エミリーさんって、大学だと……こう、猫かぶってるじゃないですか」
「し、失礼デスね! そんなことしてまセン!」
「本当に?」
「ほ、本当デス」
「実は嘘ついてたりしません?」
「…………ちょっとは」
彼女は有名人だ。外見の良さもあるのだろうけど、彼女を有名たらしめているのは性格や雰囲気だと僕は思う。学部問わず様々な人間とコミュニケーションを取り、大学のイベント運営や課外活動にも勤しんでいると聞いた。
僕の耳に入ってきた彼女の人物像はどれも完璧超人といった感じで、こんなポンコツツインテ娘だとは欠片も思わなかった。それは他でもなく、エミリーが素の自分を隠していたからだろう。
僕はそれを悪いことだとは思わない。誰にだって隠したいことの一つやニつ、あるものだ。もちろん僕にもある。今こうして女モノのワンピースを身に着けて『ですわ』とかのたまってることとか。
「だから、大学の友人───ユイカさんをこの部屋に上げてたっていうのが意外だったんです」
「ユイカは特別デス。優しいし、それに口も固いので」
「そうなんですか」
その言葉を聞いて、僕の胸はちくりと痛んだ。素のエミリーを知っているのは自分だけ。そう思っていたのに、まさかあの女もそうだったなんて。歪んだ独占欲と知りながら、僕は嫉妬の炎を抑えずには───」
「勝手に心情を捏造しないでくださいっ。そんなこと思ってないですから!」
「…………」
「その『本当にぃ?』みたいな顔はよして下さい!」
ニヤニヤした顔で振り返らないで欲しい。
別に嫉妬なんてしてないし。
……でも。
『ユイカは特別デス』
特別、かぁ。
「──うわっ!」
皿が手から滑り落ちる。
がしゃんっ。
勢いよく金属音を鳴らしながら、シンクに衝突する。
幸い、皿は割れていない。しかしヒヤッとする出来事だった。首筋を濡らす汗を拭い、皿洗いを再開する。
「ふふっ」
「……なんです?」
ソファから振り返った彼女が、猫のように目を細め、楽しげな微笑みこちらへ向ける。
「安心してください。一番信頼してるのは、もちろんユウですから」
「なっ……!」
再び皿を落としかけ、慌ててキャッチする。
「さ、さっきのは手が滑っただけです! 含むところはなにもないですってば!」
「ユウったら。照れなくてもいいのに」
「おかしなこと言ってる暇があったら、家事の一つでも手伝って下さいっ!」
「さっきは手伝うなって言ってたじゃないデスか」
「うるさいですねっ」
顔が熱い。頬の緩みも抑えられない。
……ずるいなぁ、まったく。




