2.サークル追放(後編)
そんな単語、凌辱モノのエロゲかニュースぐらいでしか聞いた覚えがない。
明らかに人違いだ。
誤解を解くため、僕は声を上げる。
「僕は───僕は、そんなことしてない!」
「だから、とぼけるな! 証拠もあるんだよ!」
そういって昭人は机の上にあったスマホをこちらに向ける。
そこに表示されていたのは、Twitterのダイレクトメールだった。エミちゃんのアカウントで……会話の相手は、僕。
おかしい。僕はエミちゃんのLINEを知ってる。だからわざわざTwitterのDMで話したことなんて無い。
それに、その内容。
『付き合うのは無理だけどセフレならいいよ』
『もし断ったら』
『この画像、拡散するからね』
そのメッセージの下には、マンションだろうか――詳しい場所はわからないが、エミちゃんをローアングルから撮影した画像が張られていた。下着が写っているその写真に、僕は全く見覚えが無かった。
「に、偽物だ! 僕はこんな会話してない!」
「お前、頭おかしいのか? どう見てもお前のアカウントだろ」
反笑いの昭人は、スマホの画面を突きつける。
概要欄、プロフィール、ツイート内容───そのどれもが、僕のアカウントであることを物語っていた。
震える手でスマホを取り出し、Twitterを開く。DM欄を開くと、そこには同じメッセージが表示されていた。
アカウント乗っ取り───その単語が頭に浮かんだ。
でも、誰が。なんの目的で? あの写真はなんだ? なんで図書館での話を知っている?
……いや、そんなの簡単だ。
昭人は狡猾な人間だ。それに以前、怪しげな商材を売っている先輩とつながりがある、という話を翔平から聞いたことがある。
そんな彼が今、エミちゃんを呼び捨てにし、彼女の肩を抱いている。
考えるまでもなかった。
はめられたのだ、僕は。
「し、翔平!」
翔平に助けを求める。彼は公正で、冷静な人間だ。しっかり説明すればわかってくれるはず……!
「本当にやってないんだ、助けてよ!」
「……俺は、確認したよな」
「え……」
「お前はそういう卑怯なことをしないって信じてた。でも、違った」
そう言って、翔平は顔を歪め、目を伏せた。
確認した、って――
『エミちゃんの件、マジなのか?』
───背筋が凍った。
あのメッセージは、僕が振ったことを確認するものじゃなく。
僕が彼女を脅したことを確認するメッセージだったのか!
今さら気が付いてももう遅い。僕は翔平に『うん』とLINEを返してしまった。これじゃあまるで、脅しの件が漏れていることを知っていながら、それを悪びれもせずに平然としているカスのように見えたことだろう。
詰み。
その二文字が、現状を表していた。
「本当なら、警察にでも通報してやりたいところだが……」
昭人がなにか喋っている。でも、理解できない。まるで難解な英語長文を読まされているみたいに、内容が頭に入ってこない。
「エミが、警察には通報するなって。感謝しろよ、お前」
「ぼ、僕は……僕は、このサークルを守ろうと───」
「悠弥! もう、いい加減にしろ!」
翔平は僕の腕を強引につかむと、そのまま部室の扉を開け――乱暴に押し出した。
「なん、で」
廊下に倒れこむ僕。
視線だけでも戻すと、翔平は眉を吊り上げ、顔をしかめていた。
侮蔑。失望。
その瞳には、そういった感情が込められていた。
「もう、戻ってくるな」
がら、と、扉が閉まる音。
何が、起きた?
僕は、このサークルを守ろうとして、エミちゃんを振った。
苦しかった。悔しかった。そんなこと、欠片もしたくなかった。けど、僕はそうした。
やっと見つけた、この場所を守るために。
けど、その結果がこれか?
ふらつく足のまま、C棟を出る。
唇の端から、血が流れている。けれど拭く気になれなかった。もう、すべてがどうでもいい。
頬を腫らし、唇から血を流し、ふらふらと歩く僕を、通りがかる学生たちが怪訝な目で見る。
「喧嘩?」「やだ」「血出てるじゃん」「お前、話しかけて来いよ」「は? どうでもいいわ」
彼らが何か言っている。
けど、どうでもいい。
なんせ、僕は脅迫レイプ未遂犯だ。あの話が広まれば、僕の信用は地に落ちる。そうなれば、血を流してフラフラしていようがなんだろうが関係なしに、僕の大学生活は終わる。
もうすぐ死ぬ人間が体面を気にする必要なんてない。
キャンパスの出口。青銅でできた瀟洒な門に向け歩いていく。
そんな時だった。
「アノ……」
ソプラノのように、高く細い声音。
思わず、声の方に顔を向ける。
そこにいたのは、美少女、という三文字が最もよく似合う美少女だった。
美少女な美少女って、これじゃトートロジーだが、そんなことがどうでもよくなるぐらいかわいい。
彫刻のように整っているが、どこか子供のようなあどけなさが残った顔。
高めの身長───もしかしたら170㎝はあるかもしれない───に、スリムながらも女性らしい体つき。
暖かな日差しによって煌めくプラチナブロンドのツインテール。アニメやラノベじゃツインテールは定番だが、実際の女の子がやるとどこかわざとらしく、ブリッ子のような雰囲気が出てしまう。
しかし、彼女のそれはまるで刀が鞘に納まっているように、一切の不自然さが無い。
ただただ、美少女。圧倒的なかわいさの暴力。
「血、出てマス。だいじょーぶ?」
たどたどしい日本語。おそらく、ヨーロッパからの留学生なのだろう。
と、そこで思い出した。
国際交流学部一年、エミリ―・チャーチル。
その現実離れした容姿と人当たりの良さから、他学部の僕ですら知っているような有名人だ。
それに有名人というだけじゃない。以前、彼女はアニ研の新人歓迎会に顔を出していたのだ。
ただ、あまりにも雰囲気があっていないので明らかに浮いていて、それっきりだった覚えがある。
「……大丈夫。心配いらないよ」
「でも、痛そうデス……」
「ちょっと転んだだけさ。だから、ほっといてくれないか」
「ほっとけません! ちょっとまって」
そういって彼女は、鞄からハンカチを取り出して……僕の口周りを、そっと拭った。
「うん、ヨシ」
「……あり、がとう」
「気にしないで! ハンカチはあげマス」
「そんな、悪いよ」
「困ったトキはお互い様デス! それじゃ、またね」
ハンカチを返そうとする僕を制止して、彼女はキャンパス内へと歩いて行った。
まったく話したことのない人間を介抱し、ハンカチを渡す。
……全人類があの娘みたいな善人だったら、僕はサークルに残れただろうか。
やっと手に入れた居場所を、失わずに済んだのだろうか。
彼女の背中を見つめたまま、ぼんやりとどうしようもないことを考えていた。
「痛っ……」
不意に、口の傷が痛んだ。
意識が現実に引き戻される。
────どうせあの子も、噂を聞いたら態度を変えるんだろう。
強姦魔にハンカチを上げたことに恐怖し、後悔するかもしれない。
善人といっても、所詮はその程度だ。自分が危なくなれば逃げ出すし、平気で人のことを責める。
……もう、疲れた。アパートに帰って、シャワーを浴びて、泥のように眠ろう。
明日の7時に次話投稿します(寝坊しなければ)。