15.エミリー先生のよくわかる両声類講座(後編)
「まぁ、冗談はさておき」
やけに自然な風体だったが、本人が冗談というならそうなんだろう。安心安心。
……本当に冗談なんだよね?
まぁ、イギリスの人はブラックジョークが好きって言うし。嘘は言ってないはず。たぶん。
「変声は反復練習が基本デス。喉を慣らすためにも、空いた時間でこつこつ練習することをおススメしマス」
「わかった。頑張るね」
「いい返事デス。……語尾に『お姉ちゃん』がついてないことを除けば」
「その設定、まだ続いてたんだ……」
やや暴走気味なところもあったけど……女声の出し方はなんとなく理解できた。
それにしてもエミリーは教えるのが上手い。ただやみくもに手段を押し付けるのではなく、なぜそれが必要なのか?ということをわかりやすく説明してくれる。
たとえるなら、数学の公式を成り立ちから丁寧に説明してくれる教師のような、そんな雰囲気があった。案外教師とか向いてるんじゃないかな。
「気になったんだけどさ」
「なんデス?」
「エミリーって男声、出せるの?」
「当り前デス。……というか、いつも出していマシたよ?」
不思議そうに顔を傾けるエミリー。
突然の女子っぽい仕草にドキッとしてしまう。相手はあのエーミールだぞ、落ち着け僕。
まぁ、彼女が疑問に思うのも当然だ。
僕らはこうして直接会う以前に何度も通話しているのだから。その時、彼女は男性の声で通話していた。
「あれって生声だったんだ……」
「まぁ、初めはボイスチェンジャーを使ってマシたけど。途中から練習して出せるようになりマシた」
そういえば二年前、突然エーミールの声が低くなったことがあった。
本人は遅めの成長期が来た、なんて言ってたっけ。
10代後半で声変わりなんて珍しい、と不思議に思ったのを覚えている。
あれってボイチェンから生声に移行したせいだったのか。納得。
「…………」
「どうしたんデスか。」
「久しぶりに聞きたいな、エーミールの声」
「むっ……」
「嫌なの?」
「……もう性別を隠す必要もないデスし。それに、けっこう恥ずかしいんデスよ」
「恥ずかしい?」
「男装した状態なら大丈夫なんデスけど……見た目と声の性別が一致しないのは、なんというか……恥ずかしいデス」
「……僕には『エミリーお姉ちゃん♡』とか言わせたのに?」
気まずそうに眼をそらす。
しかし僕は逃すつもりはない。そのまま彼女を見つめること数秒……ようやく観念したのか
「……仕方ありませんね。一度だけデスよ」
「やった!」
彼女は居住まいを正し、喉を手を当てる。
「『あー、あー』」
「!」
「『聞こえるか、ユウ。俺がエーミールだ』」
え……エーミールだ!
男の僕でも聞き入ってしまう美声。
ハスキーながらも芯が通っている声。
ナイーブそうでいて、胸に激情を抱えている。耳にしただけで、そんな人物像が頭に浮かんでくる。
まごう事なきエーミールの声だ。
「……なんでそんな嬉しそうなんデスか」
「いや、だって……」
「?」
「エミリーって、本当にエーミールだったんだ……」
「今まで疑ってたんデスか!?」
「実を言うと」
ここ数日間、胸に住み着いていた疑問が氷解した。
清々しい気分だ。
「Why!?」
「いや、だって……やけにベタベタしてくるし」
「うっ」
「ちょっと子供っぽいし」
「ううっ」
「しゃべり方、エセ外人みたいだし」
「え、エセっ……!」
撃沈。
僕の一言ごとに体を揺らし、ついには机に突っ伏してしまった。
「あんまりデス……」
「ごめんごめん」
「むぅ……」
頬を膨らませ、ジト目をこちらに向ける。拗ねてしまったらしい。
……そういうところが子供っぽいんだけどなぁ。
「謝っておいて聞くのもなんだけどさ」
「……なんデス?」
「どうして普段はエセ外人っぽい喋り方なの?」
「だから、エセ外人はやめるデス……!」
「いやだって……男声の時は普通のイントネーションで喋れてたのに」
僕とエーミールの会話は、日本語半分・英語半分といった割合だった。
思い返してみると、彼の日本語のイントネーションはほぼほぼ完璧だった。難解な単語の発音は怪しかったが、少なくともデスとかマスといった、いかにもな語尾はついていなかったはず。
「……それが問題なんデスよ」
「というと?」
「男性の話し方に慣れすぎてしまったんデス。それを矯正しようとしたら……」
「あー……」
普段日本で暮らしていると意識することはないが、日本語ほど柔軟性に富んだ言語は世界に類を見ない。
語尾というのもそうだ。です、ます、だ、である、だぜ、だっちゃ……膨大な種類を持つそれらは、数が多いだけでなく文章の構造によって流動的に変化する。
英語圏では語尾の文化がない。イギリス出身である彼女が一度習得してしまった男性口調を矯正するのに苦戦するのは、当然と言えば当然だった。
「いっそのこと、男声のまま生活しちゃえば? ほら、男装して……」
「『そんなこと、できるわけないだろ……』」
「ッ……!」
恥ずかしそうに、しかし反抗的な目線で僕をにらむエミリー。
その美声と見た目のギャップに、なんともいえない背徳感を感じた。
俗にいう胸キュンというやつ。相手は男なのに。
あれっ、エミリーは女か。声が男なだけで。
僕は男で、彼女は女。ならときめいても問題ないはず……いやでも声は男だし。
「僕が女装して女声を出して、エミリーが男装して男声を出せば……いけるのか? いやでも……」
「魅力的な提案デスね」
「でしょでしょ――って、冗談だよ冗談だからね。お願いだからクローゼットを凝視しないで!」




