13.邂逅(後編)
「エミリー」
「……」
「いい加減、機嫌なおしてよ」
「……別に、怒ってませんが?」
嘘つけ。
コトコト、と手元の鍋が震えている。そろそろじゃがいもが煮立つ頃だろうか。
ダイニングのテレビはバラエティが放送されていて、最近話題の女芸人が大笑いする声が聞こえてくる。
しかし、そんな番組とは反対に僕らの雰囲気は好ましくない。
シェアハウスを初めて1日も経っていないのに、僕たちの雰囲気は険悪だった。
「絶対怒ってるでしょ……」
「怒ってないデス」
「いやいや」
それなら目を合わせてほしい。
さっきからエミリーは僕と目を合わせようとしない。それどころか、返事も「はい」「へぇ」「デス」の3種類しか使ってこなかった。某メッセージアプリのり○なちゃんですらもっとマシな返事するよ。人類がAIに敗北する日は近いのかもしれない。
「そもそも」
「……」
「ユウがあの女に未練たらたらで、ワタシが怒る理由なんてないデス」
「あるよ」
「……ふぅん。その理由って、なんですか?」
試すような口調。
テレビを見ていたエミリーがこっちを向く。
少し頬が膨らみ、目を細めている。やはり拗ねているようだ。
僕がエミちゃんへの思いを整理できないことによって、彼女が怒る理由。そんなのは明白だ。
「僕が彼女を心配して、復讐を諦めちゃうんじゃないか。そう思ったからでしょ」
「……にぶちん」
「え?」
「女心がわかってないデス。そんなんじゃ、完璧な女装への道のりは遠いデスね」
やれやれ、といったジェスチャーをし、再びテレビへ向き直ってしまった。
どうやら外してしまったらしい。
おかしいな。明らかにこれだと思ったのに。
「ヒントがほしいな」
「……この話はおしまいデス」
「そんなぁ」
「A woman`s mind and winter wind change often(女心は秋の空)。なんどもチャンスが与えられるなんて思わない方がいいデス」
「むぅ」
まいったな。怒っている原因がわからなければ、彼女の機嫌を治すことができない。
とはいえ。彼女の機嫌が悪くっても肉じゃがは煮立ち、夕食は完成する。
この雰囲気で食卓を囲むのは残念だが、冷めてしまってもいけないので夕食にすることにした。
「ほら、夕食にしよう」
「………」
まだ機嫌はなおっていないようで、返事はない。
彼女は無言でソファから立ち上がり、テーブルにつく。
しかし食の誘惑には抗えないようで、食卓の料理を見て不思議そうな声を漏らした。
「これは……シチュー、デスか?」
「ううん。これはね、肉じゃがって言うんだ」
とはいえ、エミリーの発言もあながち間違ってはいない。
実はこの肉じゃが、イギリスのビーフシチューを元に日本軍で作成されたという逸話がある。具材がシチューと似通ってるはそのためだとか。まぁ、信ぴょう性が薄い都市伝説みたいなものだけど。
「結構前に食べてみたいって話してたよね」
「……覚えててくれたんデスか」
「うん。いつか会えたら作ってあげようって考えてたんだ」
「……こ、この程度でワタシの機嫌が治るとでも?」
「そんなつもりじゃないよ」
本当にそんなつもりはない。
あれは一年前だっただろうか。なんかのアニメのスクリーンショットとともに、「この料理はなんだ?」とエーミールから質問されたことがあった。
……というか、機嫌が悪いってこと認めてるじゃないか。
配膳を済ませ、僕らは夕食を食べ始めた。
「おいしい?」
「別に……ふつうデス」
「普通かぁ」
「カップヌードル以上チキンラーメン以下ってところデスね」
まさかインスタント食品と比較されるとは。得意料理だったころもあって、少し傷つく。
もしかして口に合わなかったのだろうか。結構自信作だったのに。
イギリス育ちのエミリーに合わせて、少し濃いめの味付けにしたのが裏目に出たのかもしれない。
少ししょぼくれながら食事を続けていると……
……あれ。
おもちゃ屋の前を通りがかった子供のように、彼女がちらちらと僕の肉じゃがに視線を注いでいるのに気が付いた。
「もしかして、食べたりない?」
「! べ、べつにそういうわけでは……」
それにしては凄い動揺している。
否定するわりには、肉じゃがから視線逸らせてないし。めっちゃ凝視してる。
もしや……機嫌を崩したまま冷たい態度をとった手前、素直に食べたいと言えない。そういうことだろうか。
「ちょっと作りすぎちゃって、まだ余りがあるんだけど」
「ほ、本当デスか!?」
ぐわぁっ、という効果音が聞こえてきそうな勢いで机に乗り出す彼女。ツインテールが慣性によって振り子のごとく荒ぶる。
あまりの食いつきに若干引いてしまう。
それと同時に
『カップヌードル以上チキンラーメン以下』
さっきの彼女の発言を思い出す。あれは少し傷ついた。
いやまぁ、カップヌードルもチキンラーメンも美味しいけどさ。僕もよく食べるし。でも手製の料理とインスタント食品を比較するのは、僕にも食品メーカーの両方に失礼ではないだろうか。
いくら機嫌が悪いとはいえ、それはないだろう。
……よし、ちょっと復讐してやろう。
「まぁ、僕はお腹減ってるし。このまま全部食べちゃおうかな」
「そ、そんな……!」
飴玉を目の前で食べれられた子供みたいに、露骨にしょぼくれる。
「た、食べすぎは体に毒デス。ワタシも空腹デスし、ここは分け合って――」
「チキンラーメンでも食べてれば?」
「あ、あぅ……」
奴隷商に子供が連れていかれる光景を目の当たりにしたかのような目で、エミリーは鍋から僕の皿へと移される肉じゃがを見る。
悲しいを通り越して絶望。目のハイライトは失われ、心なしかツインテールもしおしおと萎れていっているように見える。
「あー美味しい。つゆの染み込んだ牛肉と、ほろほろと崩れそうな野菜たち。鰹出汁を入れたのも正解だったな。味の深みが段違いだ。美味しい美味しい……」
「あんまりデス……こんな、こんな……」
しょぼくれるエミリーを肴にこのまま食レポを続けてもいいが、流石にかわいそうになってきた。
もうそろそろいいだろう。
「なんてね」
「えっ……」
「冗談だよ。食べたいんでしょ、肉じゃが?」
「ほ、本当デスか!?」
ぱぁっ、と表情が明るくなる。
鍋の残りを彼女の皿に移す。エメラルドグリーンの瞳は爛々と輝き、数秒前とは対照的に希望に満ち溢れている。
「むぐむぐ……最高デス。特にじゃがいもの絶妙な歯ごたえがgood……!」
山盛りになった肉じゃがをいそいそと口に運ぶ。その表情はすこぶる笑顔。心なしかツインテールもぴょこぴょこと動いているように見える。
しかし数秒後、彼女は口をとがらせ
「わかってて焦らすなんて……ユウは意地悪デス」
「はは、ごめんごめん」
まぁたしかに、ちょっと大人げなかったかも。
けどまぁ、それはお互い様だよね。先にカップラーメンと比較してきたのはそっちだし。
「……どうしたんデスか?」
「ううん、なんでも」
それにしても、本当にイメージと違うな。
子供のような笑顔で幸せそうに食事をする彼女を見て、そう思った。
僕の知ってるエーミールは、クールで、賢くて、少なくとも肉じゃがの有無で絶望するような人間じゃなかったし。二人が同一人物だなんて、未だに信じられないな。
……いや、もしかして。
気がつけば、エミちゃんと会ってから続いていた微妙な雰囲気は消え、僕らには明るい雰囲気が戻っている。
あえて肉じゃがにつられるふりをして、悪い雰囲気を払拭したのではないか。彼ならそれぐらいの機転をきかせてもおかしくない。
やっぱりエーミールはすごいや。
……と、そこまで考えて
僕の皿から、こっそりと牛肉を奪い去ろうとするエミリーと目が合った。
「た、食べすぎは毒デスから。ユウの分も消費してあげようかな、なんて……」
前言撤回。尊敬して損した。




