1.サークル追放(前編)
外見がコンプレックスだった。
けぶるように長いまつげ。手入れなんてしなくても輝きを失わない、濡れ羽色の黒髪。どれだけ鍛えてもちっとも太くならない細腕。いつまでたっても160の目盛りを超すことのない身長。
男なのに女っぽいこの見た目がちょっと──というか、だいぶ嫌いだった。
中学生の頃。クラスメイトの女の子に「外見が好み」と褒められた。どうやら彼女の好きな有名人に似ているらしい。有名人。男性アイドルか、はたまた映画俳優か。ウキウキしながら続きを待っていると「ほら、女優の……」僕は泣いた。好みってそっちかよ。
しょぼくれる僕を見て、どういうわけか彼女はゾクッときたらしい。恍惚げな瞳で僕を捉えたまま「髪の毛がサラサラで羨ましい」「女の子みたい」「ネイルしてあげよっか」「制服のスペアがあるから、更衣室で着替えさせてあげる」とか口撃を始めた。そして言うだけでは満足できなかったらしく、更衣室に連れていかれて無理やり女子制服を着せられた。おまけにネイルも。あまりの恐ろしさとプライドをベキベキにされたショックで普通にガチ泣きした。泣いている僕を見て彼女はさらに興奮したらしく、ついには友人を呼んで僕を押さえつけ、ついさっき自分で着せた制服を無理やり脱がそうと────したところで、不意に更衣室の扉が開いた。
「やめろよ!」
止めてくれたのはクラスメイトの阿久津君。サッカー部のエースで成績優秀。性格は温厚でおまけにイケメン。
彼は女子が怒鳴られて呆気に取られている隙に僕の腕を掴み、人気の少ない校舎裏まで連れて行ってくれた。どうやら教室での一部始終を見ていたクラスメイトから話を聞いて助けに来てくれたらしい。
中学にもなって言葉攻めで半泣きになっちゃう自分への嫌悪感とか、外見への嫌悪感やらで気分が沈んでいたけれど、阿久津君は優しく話を聞いて慰めてくれた。「わかるよ、辛いよな」「もう大丈夫だ」彼の声を聞いていると不思議と心が落ち着いてきて、さっきの出来事が悪い夢だったんじゃないかと思えてきた。
僕は思った。やっぱり持つべきものは男友達だ。うんうん。もう女子とか恋愛とかどうでもいいし、僕の青春は男友達との友情に費やそう──そんなことを考えていたら。
不意に阿久津君は僕に身を寄せ、少し恥ずかしそうに喋り始めた。
「その……もしよかったら」
うんうん。
「付き合ってくれないか」
なんでだよ。僕は泣いた。
高校に上がってからも、どういうわけか僕は女子から襲われ、男子から告られ続けた。そんな歪んだ青春を送った僕の心は歪みに歪み、大学に進学した今でもその傷は癒えていない。
恋愛はクソ。それが僕の持論だ。しかし今──その持論が覆されようとしている、のかもしれない。
事の発端は、昨晩届いたLINE。
『どうしても伝えたいことがあって。明日、二人きりで会えないかな……』
僕は大学でアニメ研究会に所属している。通称アニ研、ゴリゴリのオタサーだ。しかし、ここは僕にとって心地いい空間である。オタクは大人しい。そして心優しい。人との距離感をしっかりと保ってくれる人間が多いのだ。距離感を開けすぎて世間からはコミュ障とか罵られてしまうことも多いけれど、勝手に僕の服を脱がして着たり同性という立場を利用してセクハラしてくる人種よりよっぽど好感が持てる。
そしてオタサーと言うこともあり、女子が少なめだ。少なめ、というか同じ一年生では一人しかいない。
そう、俗にいうオタサーの姫、というやつだ。
「あの、悠弥くん……」
そしてその姫が、目の前の神崎恵美。昨日のLINEの送り主でもある。
黒のワンピースに、肩まで伸ばされたツインテール。黒曜石のように純粋な瞳はくりっとしていて、小さめの身長もあいまって小動物のような可愛さがある。
そして。彼女の不安げにうるんだ瞳は、目の前の僕へ向けられている。
「あの、急に呼び出しちゃってごめんね……」
昼下がり。大学の図書館の隅で、僕と彼女は向かい合っていた。
「いや、別にいいよ。今日は講義ないし」
「ありがとう……やっぱり、悠弥くんは優しいね」
彼女が微笑む。その笑顔が僕だけに向けられていると思うと、どくりと心臓が高鳴った。
あまりの可愛さにオタサーの姫を守る†騎士†にジョブチェンジしたくなる衝動に駆られるが、グッとこらえる。
「それで、どうしたの?」
どうしたの?と聞いてはいるが、この状況で本当にそんなことを思うような人間がいたらそいつはバカかラノベ主人公のどっちかだ。
二人きりで会えないかという意味深なLINE。そして、目の前の彼女の態度。
十中八九、告白だろう。
もしこの読みが外れていたら、あまりにも恥ずかしいので衝動的にトラックに突っ込んで異世界転生してしまうかも。そしたら本当に†騎士†になれちゃうな。
「あ、あのね……ごめん。ちょっと緊張しちゃって」
「大丈夫。落ち着いて」
「う、うん」
彼女はちら、と僕に目を合わせてはそらす。とても緊張しているようで、小さな胸に手をおき、すー、はーと深呼吸を繰り返す。かわい。
そして彼女は
「好き、です。付き合ってください……!」
想いをを最後の一滴まで絞り出さすように、細い体を震わせ、そう告げた。
その仕草があまりにもかわいらしくて、反射的に抱きしめかけるがすんでのところで踏み止まる。
これから僕が彼女にする仕打ちを考えると、そんなことはできなかった。
僕は目を伏せ
「……ごめん」
そう、つぶやいた。
「……え?」
信じられない、といった顔。
その顔を見て、心がちくりと痛んだ。
取り返しのつかないことをした、という自覚はあるが、今さら踏み止まるわけにはいかない。
すべてはサークルのためだ。
「エミちゃんはたしかにかわいい。話だって合うし、一緒にいて楽しい。僕も好きだよ」
「じゃあ───」
「でも、それは恋愛感情じゃないんだ。友人としては好きだけど……ってやつ」
嘘です。恋愛感情ばりばりあります。
エミちゃんはかわいい。それはオタサーと言う女日照りのコミュニティだから、というわけじゃなく、単純に、シンプルに、かわいい。それに、アニメや漫画、Vtuberといった二次元にも理解がある。
そして何より、僕を好いてくれている。それはこれまでの外見につられた男子たちや偏執的な愛情を向けてきた女子たちとは違い、きわめて純粋でプラトニックなものだ。外見に縛られてきた僕にとって、しっかりと内面を見てくれているということは涙が出るほどうれしかった。
こんないい女子、そうそういない。
可能なら僕だって付き合いたい。
「そんな……」
「ごめん。でも、駄目なんだ。僕は君と付き合えない」
ごめん、訂正するからやっぱり付き合おう――そう言いたくなる気持ちを無理やり抑えつけ、なんとか言葉を絞り出した。
恐る恐る、彼女を見る。
エミちゃんは泣いていた。
「……ッ!」
彼女は背を向け、そのまま走り去ってしまう。
その背中を追いかけるなんてことは許されない。僕はただ茫然と見送ることしかできなかった。
これでよかったのだろうか。
後悔がじわりと湧き出してくる。
僕が彼女を振った理由。それは、サークルを守るためだ。
サークルの男子メンバーは全員彼女がいない。ざっくり言うと女に飢えてる。
そんな彼らにとって心のオアシスだった存在がエミちゃんだ。
オタサーの男子で人間関係が得意なやつはそういない。大体の人間が大なり小なり問題を抱えていて、特に同年代の女子に対してはちょっとしたトラウマを抱えている割合が多い。
なので、初めは僕らも半信半疑だった。
こんなかわいい女子が、むさくるしいオタサーに入ってくるなんて。どうせチヤホヤされたいだけなんだろ?といった具合に。
しかし、エミちゃんは違った。
彼女のオタク知識は本物で、僕らのような冴えないオタクにも平等に接してくれる。おまけにかわいいときた。
そんな子、好きにならないわけがない。サークルメンバーに「エミちゃんと付き合いたいか?」と聞いたら、間違いなく全員が「Yes」と答えるだろう。
だから。僕は彼女の告白を断ることにした。
理由は簡単だ。友情が崩壊してしまうから。
僕はあのサークルが好きだ。ゆるい雰囲気で、気軽に趣味の話ができる仲間がいる。
そしてなにより、自分を偽らなくていい。
無理に男らしく振舞う必要も、いきなり襲われる恐怖におびえる必要もない。やっと見つけたあの空間を失うことは耐えられない。
「くそぅ……」
……明日、サークルに顔を出すのが気まずいな。エミちゃんと上手く話せるだろうか。
────────
そんなわけで翌日。
あの後、エミちゃんから連絡はなかった。やはり気を悪くしたのだろうか。
話しかけて無視でもされたら、豆腐メンタルの僕は耐えられる気がしない。
……そういえば、なぜか他のメンバーはこの件を知っていた。
というのも、メンバーの一人――翔平から「お前、エミちゃんの件ってマジなのか?」とLINEが来ていたからだ。とりあえず「なんで翔平が知ってるの?」と返したら、「事実確認をしたい」とだけ返ってきた。とりあえず「本当だよ」と答えて――そこでLINEがピタリと止まった。
僕がエミちゃんを振ったことに、腹を立てているのだろうか。それとも気まずいから触れるのを避けているのか。
――緊張する!
キャンパスの隅、C棟にある部室の前で、僕は立ち尽くしていた。
単純に、部室に入る勇気が湧かない。
「ぐっ……」
うなったりくねったり。はたから見れば、まるで悪魔崇拝の儀式のように見えることだろう。
窓ガラスに写った自分の姿が目に入る。キモすぎワロタ。
……やめよう、悩んだって無意味だ。
いくら悩んだって、何かが起こるわけじゃない。
それに、他のメンバーだって案外気にしていないかも。気のいい彼らのことだ。僕のことを気遣って学食を奢ってくれるかもしれない。いや、翔平なんかは「エミちゃんに告られたんだって? 死刑だ死刑」なんていって、僕が奢らされるかもしれない。そんな僕らを見て、楽しそうに笑うエミちゃん。
そんな場面がありありと浮かんで、くすりと笑う。
たしかに、彼女とは気まずくなるかもしれない。けれど僕らは大学生だ。どこかで折り合いをつけて、そのうち元の関係に戻れるだろう。
そしてもしも大学を卒業したとき、彼女が僕を好きでいてくれるなら。
その時は僕から告白しよう。
「……よし」
意を決して、扉を開いた。
「みんな、久しぶり───」
そこまで言いかけて、僕は足を止めた。
先輩は出払っているようで、部室には僕ら一年生しかいない。
ただ、そんなことはどうでもいい。
おかしいのは彼らの様子だ。
中央のテーブルで、すすり泣くエミちゃん。そんな彼女の肩を抱き、慰めている男子――昭人。彼は、このサークルで僕が苦手とする唯一の人間だ。事あるごとに突っかかってくるし、なにより口が悪い。
そんな彼が、どうしてエミちゃんとベタベタしているんだ。
それに、僕のことを睨む他のメンバーたち。いつも温厚な彼らとは程遠い、まるで凶悪犯罪者を責めるような目線が僕に向けられていた。
なんだ、これ。
「ど、どうしたの。みんな」
雰囲気に気圧され、しどろもどろになってしまう僕。
「どうしたの……だって?」
昭人はエミちゃんの肩から手を離すと、こちらに詰め寄ってきた。
「どうもこうもないだろ。みんな、お前のしたことを許せないんだよ」
「ぼ、僕はエミちゃんを振ったけど……そんなに怒ることじゃ」
「とぼけるな!」
不意に、衝撃が僕を襲う。
頬にじんわりとした熱さ。口の中を駆けずり回る痛み。鉄臭い血。
殴られた、と気づいたのは数秒後だった。
「え……」
「や、やめて昭人くんっ」
「止めんなよ、エミ」
目の前の光景が信じられない。
昭人が僕を殴って。エミちゃんが昭人に走り寄って、縋り付いて。昭人がエミちゃんを呼び捨てにして――徹夜の後に見る、出来の悪い悪夢のような光景。
ただ、本当の悪夢はこれからだった。
「――告白した女子を脅して、盗撮して、挙句の果てにレイプしようとしたんだぞ? そんなやつ、殴られても文句言えないだろ」
……え?
彼の言葉が理解できない。盗撮? 脅し? レイプ?
新連載です。
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