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6 『白虎』の狩り



「ただいまー」


 玄関を潜って美桜(みお)に声をかけると、すぐに足音が近づいてくる。

 廊下とリビングを(さえぎ)る扉が勢いよく開かれ、朝と同じくエプロン姿の美桜が出迎えた。


「おかえりー! ご飯もうすぐ出来るからねー」

「おう」

「今日はお兄が好きな生姜焼きだよ」


 そりゃあいい。

 兄に理解のある妹で助かる。


 荷物を置いて部屋着に着替えてリビングへ。

 食欲を唆る香りに耐えられなかった腹の虫が鳴り、気づいた美桜に笑われた。


「そんなにお腹空いてたの?」

「こんなに美味しそうな手料理が並んでたら嫌でも腹は空くって」

「嬉しいなあ」


 嬉しいのはこっちだよ。

 帰る家があって、大切な家族がいて、温かい食事があって。

 これ以上、何を望むというのか。

 奇跡のようなバランスの上に成り立っている日常。


 その尊さは失わなければわからないもので。


 一度、失ったもので。


「……どうしたの? 不細工な顔して」

「普通に傷つくからオブラートに包んで????」

「ごめんごめん」


 てへ、と赤い舌を出して美桜はおどけてみせる。

 美桜に悟られるくらい顔に出ていたのだろうか。


 ……大丈夫。

 今の俺は昔と違って力がある。

 必ず、俺が美桜を守るんだ。


「ほら、冷める前に食べちゃおう?」

「だな」


 今日も、平和は続いていく。



 ▪️



 人が寝静まった深夜。

 (さざなみ)立つ海が一望できる東京湾、埋め立てられた陸地に並ぶ巨大なコンテナの迷路。

 夜風が隙間を吹き抜け、漂う空気に混じる血と暴力の気配を遠くへ運ぶ。


 響く三点バーストで放たれた銃声。

 続けざまに応戦する拳銃の散発的な銃声がリズミカルに奏でられた。


「おい、こっちだ!」

「構成員を捕らえろッ!! 最悪殺しても構わん!!」


 男たちの怒号が夜を裂き、再度マズルフラッシュが暗がりに閃く。

 東京湾で銃撃戦を繰り広げるのは、日本の特殊部隊と『皓王会』構成員の二勢力。


 両者の戦力はほぼ互角。

 どちらにも死者や怪我人が出ているが、それが退けない理由になっていた。


「くそっ、増援はまだかっ!?」

「今『異特』が向かっているらしい! それまで持ち堪えろ!」


 隊長格の男が部下を鼓舞し、応と声を上げた部下。


「――っぁあああああっ!?!?」

「坂下っ!?」


 その、頭を。


 暗闇から溶けだした人の手が掴んだ。

 ギチギチと頭蓋骨に指がめり込み、軋む嫌な音が小さいながらも良く耳に届く。

 呆然としながら彼を見つめる仲間は現実を直視することを拒絶しているようにも思える。

 血走った眼とぽっかりと空いた口で無言の助けを求める彼に、誰一人として手を伸ばせない。


 そのまま、頭蓋(ずがい)をスナック菓子でも粉砕するような気軽さで握り潰した。

 ぐちゅ、と割れ目から紅い脳漿(のうしょう)が飛び散り、髪先を伝って地面へ滴り落ちる。

 あぶくを吹いて倒れ、闇から死を冒涜するかのように背を踏みつける大柄な男が現れた。


「……ったく、こんな雑魚相手に俺様を呼びやがって。クソつまんねぇ」


 男は耳穴に小指を突っ込みながら悪態をつき、今しがた殺した男の頭に唾を吐く。

 道端の石ころでも蹴飛ばしたかのような気軽さだ。

 罪悪感や害意は感じられない。


「なっ……!? お前、『白虎』――」

「お? 俺様のことを知ってるやつがいたか」


 隊長の石ヶ谷が呟いたのは、部下を殺した男の異名。

 全世界で指名手配されている異能犯罪者であり、本人の異能強度は驚異のレベル9を誇る。

 『異極者(ハイエンド)』一歩手前……それは、殆どの生物にとって圧倒的な格上の強者。


 名を林道泰我(りんどうたいが)――通称『白虎』と恐れられる異能者が、彼らを襲っていた男の正体だった。


(くそ……我々では絶対に敵わない。ましてやレベル9相手など、赤子と恐竜を戦わせるようなものだ……!)


 一同の脳裏を絶望が塗り潰す。

 ここで死ぬ……誰もが自分の役割や任務を差し置いて確信してしまっていた。

 既知の怪物を前にして本能的な怯えが足を竦ませ、一歩退くことすら許されない。

 そもそも、一歩も百歩もレベル9『白虎』からすれば大差なくキルゾールの範囲内だ。


「めんどくせぇな……皆殺しでいいって話だが、それじゃあ趣きがねぇとおもわねぇか?」

「…………」

「そうだな……なら、ここは一つ懸命に生きてきたお前たちに免じてゲームをするか。ルールは単純――俺に捕まったら殺す。わかりやすくて良いだろ?」


 ふざけたことを。

 誰もが思うも、口に出せた人はいない。


 生き残るための僅かな光を目が向いて、口を動かす余裕なんてなかった。


「10秒待ってやる。精々逃げ回って俺を楽しませろッ!!」


 口角を最大限に上げて嗤う强の合図で、隊員たちが一斉に散らばった。

 少しでも人数を分散すれば、その分の時間くらいは稼げるという無言で交わした作戦。

 犠牲が出るのは免れない。

 自分が真っ先に殺される可能性があるとしても、明日の可能性へ繋ぐため自らの命を捧げる。


 高鳴る心臓の鼓動。

 手に滲む汗、首筋がひりつく感覚。

 背を走る怖気を深い息遣いで遠ざけて、自嘲気味に笑って見せた。

 そうでもしなければ、折れてしまいそうだから。


 ――10秒後。


「さぁて、やるか」


 獰猛に嗤う泰我が一歩踏み出して。

 虎の狩りが始まった。



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