26 女子中学生にそれは人としてどうなの?
「――お目覚めですか、先輩」
十束の声が、耳元で囁かれた。
部屋にいるはずのない人物の肉声に驚き肩を跳ねさせながらも振り向けば、鼻先に十束の笑顔が重なる。
息がかかるほど近しい距離。
つぶらなヘーゼル色の瞳と交錯し――
「――っ!?」
慌てて後ろへ飛び退き距離をとる。
背中を壁に合わせたところで、十束は小悪魔のようにクスリと笑う。
十束も美桜と同じような檸檬色のパジャマ姿。
子供っぽい色合いながらも、十束にはよく似合ってる。
「もう、そんなに驚かなくてもいいじゃないですか。瑞葉、傷ついちゃいますよ?」
「嘘言え。内心はキョドってる俺を面白がってたんだろ。てか、勝手に男の部屋に入ってくるな。世の中の男はケダモノだって習わなかったか?」
「先輩はチワワみたいなものですし?」
「誰のナニがチワワだって? ん? 朝一で精神科行くぞ?」
「別にそこまでは言ってないんですけど。ほんと精神がひん曲がってますね。矯正しないんです?」
「出来たらとっくにやってるっての」
はあ、とため息。
年下に好き勝手言われて怒るようなプライドも持ち合わせてはいない。
完全な虚偽情報ならまだしも、十束の言葉は何一つ間違ってはいないからな。
「んて、なんで俺の部屋に? 夜這いって線は除外するが」
「わかりませんよー? シュレーディンガーの夜這いかもしれません」
「そうなのか?」
「えっ、違いますけど。勘違いしないでくださいねー」
うん、知ってた。
やっぱり十束の正体は人の心を惑わす小悪魔だろ。
俺は今、確信を得た。
「瑞葉がちょうど部屋の前を通った時に、中から呻き声みたいなのが聞こえたので様子を見に来ただけです。悪夢でも見て魘されていたんですかね」
何気ない瑞葉の予想は、あながち間違いでもなかった。
個人的には悪夢の類いではあるし。
「存外に優しいんだな。見守っててくれたのか」
「先輩の寝顔も観察できたので役得でしたっ」
「こんな寝顔のどこに需要があるんだか。てか、どうしてそんなに俺を気にかけるんだ?」
「それ、結構重大な秘密なんですけど。責任取ってくれます?」
「……やっぱいいや。そんな重いもの背負いたくない」
「賢明な判断です」
首を振れば、十束はにっこりと笑う。
理由はなんであれ学院で美桜を守ってくれた事実は変わらない。
明確な答えでなくとも構わないか。
十束は敵じゃない。
それだけで十分だ。
なんとなく緊張していた心持ちが落ち着いて、筋肉が弛緩していく。
「――ようやくまともな顔つきになりましたね。起きてすぐは見てられないほど酷かったですけど」
「あー……マジ? 自覚なかったな」
「なんていうか、こう……人を殺せそうな目付きでしたよ。余程憎い相手が夢に出てきたんですね」
憎い相手、ねえ。
十束もあの日の会議に出席していたのなら、相手が誰かなんて予想がついているだろう。
口に出さないのは十束なりの気遣いか。
「瑞葉になら弱音を吐いてもいいんですよ? 安心してください、秘密は守りますから。お試しで瑞葉ママに甘えてみませんか?」
「……中学生女子にそれは人としてどうなの?」
「社会的地位は地に落ちますよね。でも先輩って地べた這いずり回ってるじゃないですか」
「失うものがないっていいなあ〜!!!!」
知ってるか十束よ。
顔が笑っていても心が泣いてたら意味ないんだ。
十束の誘惑をヤケになることで相殺し、ベッドから降りる。
「シャワー浴びてくる。恥ずかしいから着いてくるなよ?」
「瑞葉をなんだと思ってるんですか」
「小悪魔系猫かぶり後輩」
「超絶美少女も付け加えといてください」
「自分で言うな。じゃ、十束も早く寝ろよー」
言い残して十束を部屋に置いたままシャワーを浴びに向かう。
流石に着いて来ないようで一安心しながら、汗ばんだ服を脱ぐのだった。
■
部屋に一人残された十束は、閉じた扉を見送ってため息をついた。
「……やっぱり同じ人だ、同じ声だ」
僅かに頬を緩ませながら呟く。
真夜中に十束が京介の部屋を訪れたのは偶然ではない。
初めから目的があって京介と接触していた。
「先輩には申し訳ないことをしたけど、どうしても知りたかった」
自らの右手を見下ろし、ギュッと握る。
克明に思い出せる京介の体温がまだ残っているようで、名残惜しそうに胸へ抱き寄せた。
頬を赤らめる姿は恋する乙女のようで。
ヘーゼル色の瞳には、仄かに昏い光が宿っていた。
「――だからこそ、許せません。佐藤賢一……今すぐにでも東京湾に沈めてやりたい。直接的な裁きを下す力がない自分が恨めしい」
静かに呪詛の如き言葉を綴る。
十束が持って生まれた異能は現在レベル7――『念話』と『記憶閲覧』。
前者は肉声を介さず、一定範囲内の対象と会話が可能になる異能。
後者は接触した対象の記憶を覗き見る異能。
十束は答え合わせのために京介の記憶を覗き、副産物として壮絶な過去を知ったのだ。
「だから、今度は瑞葉の番です」
決意はもう固まった。
揺るがず、違わず。
十束瑞葉は、窮地から救い出してくれた英雄の背中を追う。
「……ああ、でも程々にしないと嫌われちゃいますね。それは嫌です。重い女だなんて思われたくないですし、明るく優しい超絶美少女の十束瑞葉ちゃんを目指しましょうか」
薄く笑って、瑞葉は京介のベッドへ倒れ込む。
どうせならベッドに潜り込んでしまえばよかったかな、なんて考えながら深呼吸を繰り返すのだった。
余談ですが作者の頭の中で十束瑞葉はcv佐倉綾音さんです




