閑話3
「サブノック」
その優しい声が好きだった。
「流石はサブノック。覚えるのが早いわね」
目の前でニッコリ笑うのは姉のサミジーナ。5歳年上の優しい姉だ。今は二人でチェスをしていた。
「まだ、お姉さまには敵いません」
「あら。もう勝つ気でいるのね。まだまだ負けないわよ」
わざと怖そうに言った姉の姿に笑いそうになった。褒めてくれるのが、構ってくれるのが嬉しくて、度々、姉をチェスに誘った。
ずっと、こんな日々が続くと思っていた。このまま大人になり、父の後を継ぎ、子に譲る。そんな日々が。
そんなある日、武装した集団が城に入り込んだ。その時はクーデターということが分からなくて、只々、怖かった。
「皇帝の間まで一緒に来ていただく」
皇帝の間には、お父さまとお母さま、城に居合わせた貴族が集められていた。
「サブノック!」
「お母さま!」
僕はお母さまにしがみついた。そして、恐る恐る武装した集団を見やった。すると、中央で男たちに指示を飛ばしていたのは、お姉さまの護衛騎士のミシェルだった。
「ミシェル・・・」
僕が小さい声で呼ぶと、ミシェルは冷たい眼で僕を見た。あまりの冷たさに、僕はお母さまの体に顔を埋めた。
少しすると入口の方が騒がしくなった。数人の男たちが駆け込んでくる。
「大変だ!皇女に逃げられた」
「何だと!?」
ミシェルの表情が変化した。冷静なミシェルしか見たことのない僕には、こんな事態でなければ新鮮に感じたであろう表情だった。
「いったいどうやって・・・」
「分からない!皇女を捕まえに行った奴らの言ってることがイマイチ・・・」
後方から呼ばれたのは、その時だった。
「お父様!こちらに!!」
お父さまが振り返った。僕は訳も分からず固まったままだった。
「お早く!」
もう一度、声が響く。お姉さまの声だった。
「行け!」
お父様が腰の剣を抜き、お母様と僕の前に出た。お母さまが僕を引きずるように走っていく。
「逃がすな!」
ミシェルの怒声に更に固くなった僕を、お母様がお姉さまへと押し付けた。
「早く逃げなさい」
「お母様も」
「早く!!」
お母さまに押されて、お姉さまと僕は後ろへ倒れ込んだ。何故かお母さまの背中が見えた。
「お、お姉さま・・・」
僕は唯々、お姉さまに抱きしめられたまま震えていた。お姉さまは呆然としていたが、なんとか立ち上がり、僕の腕を引っ張って走り出した。
外の明かりが見えた時、僕はもうフラフラだった。
「こ、ここまでくれば・・・」
そう言って、お姉さまが座り込んだ瞬間、後ろから大声が聞こえた。それは、歓声のようで、悲鳴のようだった。
「まさか、まさか・・・」
「お姉さま?」
お姉さまの顔が蒼白になった。頭を抱えている。
「お姉さま・・・」
「だ、大丈夫。サブノックは私が守る」
お姉さまの歯がガチガチ鳴っている。しかし、力強く僕の腕を掴んで城とは反対の方向に歩き出した。
「行くわよサブノック。少しでも城から離れましょう」
お姉さまの表情は見えなかった。僕たちは黙々と歩いた。でも、疲れてきた僕は躓いてしまった。そんな僕に気が付いたお姉さまは、僕を木に寄り掛け、自分は隣に座った。何かを考えている様だった。そして、荷物を漁って、1冊の本を取り出した。
「お姉さま?」
「・・・」
お姉さまは本に火をつけた。火は見たことのない燃え方をした。そして、火から声が聞こえた。
『レメゲトンの血を認証。名を・・・』
僕はお姉さまにしがみついた。お姉さまは震える声で答えた。
「サミジーナ・レメゲトン」
『サミジーナ・・・バエル・レメゲトンの子孫と確認。現世への顕現終了』
黒衣の女性が現れた。僕は混乱していた。混乱のあまりボーっとしていると、隣に居たはずのお姉さまと黒衣の女性が消えた。
「お姉さま!?」
一瞬の出来事だった。しかし、泣きそうになった瞬間、僕は森ではなく丘の上に居た。
「お姉さま!」
「サブノック!」
お姉さまに抱きしめられた。それが、城の外に初めて出た日のことだった。
お姉さまからの説明でジーンが初代皇帝と契約した悪魔であると知った。そして、僕たちはジーンの力で村まで逃げてきたのだ。城のこと、お父さまとお母さまのことは気になった。しかし、お姉さまがワザと話さないようにしていたから、僕も触れなかった。
村の暮らしは新鮮だった。僕は普通の子供みたいになった。乱暴な言葉遣いになり、村中を駆け回り、ドロドロに汚れる。城では考えられないことだった。
そんな日々が1年続いた。姉さんは近所のサムに告白されたが、気乗りしないようだった。
「この髪と眼は私たちで終わらせないと」
すると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「こんな時間に誰かしら?」
「きっとサムだよ!返事が待ちきれなくなったんだ」
姉さんを玄関に促す。戻って来た姉さんが連れてきたのは知らない男だった。
「どうしたの?姉さん」
「ノック・・・奥に行ってて」
僕は奥に行ったフリをして、話を聞いた。僕たちが村に籠っている間のことを。そして、意を決して出て行った。僕の心は決まっていた。ガードナー将軍の元へ行こうと思った。
母が亡くなったことを聞いた。更に僕の決心は固くなった。姉さんには村に残ることも勧めたけど、一緒に行くことになった。朝早く、僕らは村を出て行った。
要塞デカラビアに来たのは初めてだった。ガードナー将軍に出迎えられ、今後のことを話し合った。僕が帝位に付くには後1年が必要だった。悩んでいると、クーデター軍からの使者の来訪を知らされた。
「お姉さま、自分も行きます」
「いいえ。サブノックに何かあったら大変だわ。貴方は残って」
「・・・はい」
お姉さまが心配だったが、大人しく2人を見送った。そして、戻って来たお姉さまから聞かされたことの数々は衝撃的だった。お姉さまは、クーデターが起こることを知っていたという。
「僕は許せないよ。そんなことを聞いて、許せるわけ無いじゃないか」
「そうよね」
「クーデターを知っていたのに、誰にも言わなかったお姉さまも。今、勝手に決めてクーデター軍の元に行こうとしているお姉さまも。どっちも許せない」
「ごめんなさい。サブノック」
「許せない。許さないから」
それから、まともにお姉さまの顔を見ることが出来なかった。数日後にクーデター軍の使者が再び来て、話がまとまったようだった。
お姉さまが僕の部屋を訪れて、ジーンの願いで僕を守ると言ったが僕は断った。ジーンはお姉さまが連れて行くことになった。
お姉さまの出発の日。僕は窓から外を見下ろしていた。見送りには行けなかった。自分が何を口走るか分からなかったから。ただ、これが今生の別れかもしれないと漠然と思っていた。
馬車が走り出した。万歳の声が聞こえた。
「さようなら。お姉さま」
僕は小さい声で呟いた。別れの言葉はそれだけだった。




