春の嵐に恋の風⑧
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シルヴァスが帰宅したのは夕方だった。
帰宅時間は遅くはない…普段に比べれば、早すぎるくらいだ。
午後の五時ちょうど。
今日はカヤノを迎えに来ると、サルマン・キュベルが言っていたので、仕事を早く切り上げてきたのだ。
(残りの仕事は同僚に押し付けて…。)
それなのに戻って来てみると、カヤノはサルマンと既に家を出て行ってしまっていた。
ダイニングテーブルを見ると、カヤノの可愛い文字で置手紙が残されている…。
シルヴァスは、わなわなと震えた。
「アイツ!サルマンの奴!!せっかく、早く帰って来たのに…一体、何時に来たんだ⁈クソッ。わざと休日ではなく、平日に彼女を連れ去ったんじゃないだろうな⁉」
シルヴァスの嫌味や反対を想定していたのか、サルマンが自分を避けた事だけはわかる。
常識的に考えて、保護者不在に連れ去るとは…舐めた真似をしてくれる。
だが、カヤノがサルマンの元に居候するのは半年だけだ。
それが終われば、再び戻って来る。
サルマンの言うように、奴の家には姉が同居している筈だ。
(妹はもう青田刈りにあって結婚してしまっているが。)
勝手な行動には腹も立つが、今後のカヤノの事を思うなら、トラウマ克服の為に努力するのは、悪い事ではない。
担任とカヤノが立てた今後の計画に対して、自分が必要以上に神経質になりすぎるのも、過保護すぎると言われそうで躊躇われた。
あんな奴でも一応、教師なのだ…。
大きな間違いはあるまい(少なくとも在学中は)。
シルヴァスは気を取り直して思案する。
「そう言えば、カヤノちゃんに、お試しでアルバイトをさせると言っていたな…。」
だとしたら、現人神学生の初めてのバイト先は、安全性や周りの理解を加味して、十中八九、現人神統括センター内のどこかの部署だろう。
部署が違えば、フロアや勤務スペースは別だが、職場自体は同じ場所にある。
「アルバイト先が決まったら、どこにいるか聞き出して、仕事の合間に覗いてみるか…。」
シルヴァスは独り言ちながら、カヤノの手紙に視線を落とした。
その日の夕食は、昨日の夕食よりも、更に静かだった…。
「味気ないな…一人の食事ってのは、こんなものだったかな?ああ、そういえば、カヤノちゃんが来る前は、家で食事なんて滅多にしなかったよな。」
仕事帰りは、いつもどこかの店に寄っていた。
「明日は、行きつけだった店にでも寄るか。スナックかバーか…どっか酒の飲める店…うーん。久しぶりに『パピヨン』にでも行くかなぁ。」
『パピヨン』は一般の人間の女性が運営しているバーだが、ママが美人で聞き上手…良心的な商売で居心地の良い店だ。
カヤノを引き取る前は、週に何度か人間のフリをして、シルヴァスはこの店に通っていた。
シルヴァスの髪は、金色交じりの茶髪だが、人間ではありえない色というわけでもなかったので、姿形を変える術を使う事もできるが、シルヴァスは普段から一般人の前でも本来の容姿で過ごしていた。
少し異国の血が入っていると言えば、周りの人間達は納得するし、聞き上手なバーのママはお客が聞かれたくない話題には敏感で、しつこく触れてくるような事も無い。
「そうだ。そうしよう…。たまには、独り身生活に戻るのも悪くない。」
シルヴァスは、穏やかな笑みを浮かべて独り言をしゃべっていたが、最後の一欠けらになったポークソテーの肉片を人が変わったような勢いで、『グサリ!』と思いっきりフォークを突き刺して、口に入れると、たった一人の後片付けを始めるのだった…。
☆ ☆ ☆
その頃、現人神養成学校の教師であるサルマン・キュベルは、教え子に自宅を案内していた。
「我が家へようこそ。」
そう言って片手で室内を示すと、カヤノに目の前の女性を紹介して見せる。
「アタシの姉でイーリスよ。大和皇国風の名前も持っているけど、アタシ同様、本名で生活してるの。シルヴァス先輩もそうでしょ?妹もいたけど結婚して家を出たわ。両親は現人神の任期を終えて、仕事先が幽世に変わっちゃったのよね。だから今は姉と二人暮らしよ。」
そう続けて話すキュベルの家は、郊外の一軒家で、程良い広さがあり、外装は明るい茶色の屋根にレトロさを追求した木造住宅だったが、ロマン感じられる年代物の造りで、とてもモダンだった。
所々にアールヌーボーを意識させる装飾や照明が設置されており、贅を尽くし、美を追求したこだわりの感じられる建物だ。
家の雰囲気も、サルマン・キュベルの見た目や彼によく似た姉のイーリスの住んでいる場所としては、ピッタリだとカヤノは思った。
『キュベル先生も赤毛の美形だけど、それと同じ色の髪のお姉さんもすごい美人ね。』
(カヤノ・心の声)
二人とも軽くカールした髪をゴージャスに伸ばしており、食事の際はドレスやディレクターズスーツでも着ていそうなイメージさえする…。
「こんなステキなおうちに、私がお世話になるのは、何だか居たたまれないわ。場違いみたい。」
思わずカヤノの口から出てしまった言葉に、担任は少々、気を悪くしたようだ。
胸の前で腕を組んで、片方の口角を歪めて言った。
「ちょっと…また、アンタは、そういう事を言う!自分で自分の事を場違いなんて言うんじゃないの。アンタだって、一応、現人神なんだから…。」
担任の言葉を聞いてカヤノは思う。
そう一応…『一応』なのだ。
一応、現人神だってだけの自分なのに、男性が苦手だなんて変な問題まで持っている面倒くさい自分。
おまけに孤児で両親が現世にいた頃だって、夫婦ともに末端現人神でしかなかった。
暮らしむきは、ちょっとリッチな一般の人間程度だったし、半年とは言え、そもそもがこんなに大きなうちで世話になるような娘ではない…。
『どうしよう…先生の厚意で付いて来ちゃったけど、もうシルヴァスさんの家に帰りたい!』
サルマン・キュベルの家は、正直言って大きい。
豪邸と言うより、年代物の和ティストを入り交ぜた洋館で、屋敷と言った方がしっくりいく。
一介の教師と言う仕事上、カヤノは、まさかサルマンが、こんなに大きなうちに住んでいるとは思わなかったのだ。
キュベルの言葉で下を向いてしまったカヤノを見て、弟に紹介されたイーリスが美しい笑みを浮かべて、近くに寄って来た。
そして、おもむろに手を広げるとカヤノのをフワリと軽く抱きしめる。
「うわぁ、大人しそうで可愛い子!大きいのは家だけだから気楽にして?中身がこんな何だから…気負う事ないわ。自分の家だと思って、遠慮せずに過ごしてね。」
そう言って、イーリスは弟の方をチラリと見た。
「んま!こんなとは何?失礼ね!!」
(サルマンの声)
「こんな男じゃないの…。何よ、その女言葉。似合わない~!キモイわぁ。」
(イーリスの声)
「キィッ!失礼だわ!!」(サルマンの声)
「アンタがキツイ言い方するからこの子、さっき俯いちゃったんじゃないの?ガサツな教師って最悪!ごめんなさいね、カヤノちゃん。でも、コイツが言ったように『場違い』なんて言わないで?私はあなたが来るのに大賛成なの!久しぶりに妹が戻って来るみたいで嬉しいわぁ。」
(イーリスの声)
「あ…ハイ、こちらこそ。こんなステキな…お洒落なおうちで、しばらく居候させてもらえるなんて…ありがたいです。イーリスさん、先生、今日から半年間、どうぞ宜しくお願いします。」
(カヤノの声)
カヤノは、サルマンとイーリスに深々と頭を下げた。
そうよね、今更、帰りたいだなんて…。
シルヴァスさんから自立しようと思ってやって来たのに、こんな事では一生、彼の家から出られなくなってしまうわ!
ジメジメ考えたりするのはよそう。
一時は、孤児になってしまった私が、せっかく素敵なおうちに滞在できるんだもの!
こんなラッキーな機会は、二度とないかもしれない。
だったら半年間、ここでの生活を堪能させてもらって、しっかり、アルバイトを熟しながら、トラウマ克服と社会勉強を思いっきりしよう!
そうよ!そうしなければ、シルヴァスさんを説得してもらって、家を離れた意味がない。
カヤノは決意して、下げていた頭を上げると、サルマンとイーリスは温かい笑顔を浮かべて、こちらを見守っていた。
注目を浴びている事で、カヤノの頬が少し赤くなると、サルマンとイーリス姉弟は…悶絶するようにデレ始める。
「うきゃぁぁぁっ、若い子って可愛いわねぇ。サルマン、イイ子を連れてきたわ。良くやった!」
「アアアァッ、そうなの!姉さん、わかるでしょ⁈カヤノってば、アタシ達のツボよね。でも、可愛いからって悪戯しちゃダメよ?アタシの大事な生徒なんだから!!」
「わかってるわよ!ねぇ、カヤノちゃん…半年過ぎてもうちにいていいのよ?何なら、私の本当の妹になってくれても構わないんだけど…。ほら、ねぇ、お姉ちゃんって呼んでごらんなさい!」
「バカね…姉さん、とりあえず、半年過ぎても、まだ学生だから保護者に一度返さなきゃなんないのよ。教師が引き取れるのは半年の間だけ。」
「あら、じゃあ、卒業して自立したら、うちで下宿するって言うのはどう?ダメ?カヤノちゃんは、その為のお試しを兼ねて家を出たんでしょ?」
「そうね…卒業後に保護者と話し合って、家を出たなら問題はないわね。一応、現人神養成学校は永久担任制だけど、卒業後の個人的な付き合いは可能だから、店子になるのもOKよ。」
「ふうん…店子と言わず、カヤノちゃんが気に入れば、本当に私の妹になっても構わないのに。ほら、うちの弟と一緒になってくれれば簡単でしょ?」
イーリスの言葉に真っ赤になったカヤノがあたふたと慌てだす。
「えっ⁉そ、そんな滅相もないです…。先生と…その、一緒に…だなんて…冗談でも申し訳ない。」
オロオロとするカヤノの取り乱しように、イーリスは上機嫌に手を口元で覆って笑う。
「ウフフフ、可愛い!慌てなくても大丈夫よ。気に入ったらって言ったでしょ?それに、現人神は女性が少ないんだから、申し訳ないどころかお嫁に来てくれるなら普通、大歓迎だわ。それにサルマンは、あなたなら余計に嬉しい筈ヨ?」
ついに茹蛸状態になったカヤノが、にならない声を出していると、イーリスのおふざけにサルマンが助け舟を出してくれた。
「全く…姉さんこそ、そんな事を言ったら、カヤノが余計に気を使うじゃないの!カヤノ、姉さんの言う事は気にしないで。でも、卒業後、うちで暮らしてくれても構わないというのは、姉さんが言う通りだからね。まあ、今日は来たばかりだし…夕食にしましょ。」
サルマンに促されて、イーリスもカヤノも食堂へと移動する。
そこで、カヤノはキュベル姉弟に、
『たくさんいるわけじゃないから。』
と、食堂で三人の使用人を紹介された。
使用人がいるだけでも、充分、現代・大和皇国において珍しいのだが、サルマンやイーリスは家が無駄に広いからだと、さも大したことはないのだというように、カヤノに説明をした。
「うちは特別、他の家と違って立派とかじゃなくて、単に姉もアタシも仕事があって家事をができないから仕方なく来てもらってるのよ…。」
これ以上、カヤノに気を使わせたくないと配慮してくれたのか、サルマンは話の節々に『普通の家』である事を強調してくれる。
だが、それは気を使ってくれたのに他ならないとカヤノは思った。
使用人の三人は、一人は料理と身の回りの世話をしてくれる寡婦だと言う熟年の女性。
もう一人は、女ざかりな年齢だと思われる、掃除や食事の後片付け、それと雑用も請け負ってくれるメイドの女性。
三人目は、力仕事や運転手、その他、普段は庭師として活躍している中年の男性だ。
その全員が、親の代からこの家に仕えていると言っていた。
つまり、仕事で忙しいし家の事ができないから、急に雇った人材というわけではなく、キュベル姉弟が生まれる前から使用人を雇っているような家庭だったに違いないのである。
当然の事ながら、カヤノは緊張したが、キュベル姉弟が気を使ってくれているのだ。
自分も、物怖じしてばかりでは逆に申し訳ないのだと思い、カヤノはサルマンとイーリスの説明に納得した風を装った。
紹介を受けた使用人は、皆、『普通の人間』で昔とは違って通いで来ていて、夕方に夕飯の用意が済むと帰宅するらしい。
夕食の片づけだけは、イーリスとサルマンが順番で行っているのだそうだ。
今日はカヤノが来るという事で、顔合わせのために、使用人達は遅い時間まで待っていてくれたのだという…。
男性の使用人には、少し体を固くしたが、優しそうな風貌の人だったので、カヤノは何とか使用人全員に挨拶ができた。
本当なら、勤務終了で家に帰っていた筈なのにありがたいな…と思いながら。
カヤノの気持ちが伝わったのか、三名の使用人はカヤノに向かって優しい笑顔を返し、それぞれ自宅へと帰って行った。
その後、イーリスとサルマンとの夕食が始まる。
今日は、カヤノの歓迎会を兼ねてくれたらしく、夕食の席は豪華でホールケーキまで用意されていた。
カヤノは単なる生徒の自分に、こんなにも良くしてくれる担任教師とその姉のイーリスに対して、感動を覚え、頬を赤らめて感謝の言葉を紡いだ。
「キュベル先生、イーリスさん、本当にどうもありがとうございます!とっても嬉しいです。」
カヤノが心の底から微笑むと、派手でこそないが、彼女の周りに小さく可憐な花が咲いたように見えた。
教師としては若手のサルマンは、少しだけ頬をピンク色にしてカヤノに言う。
「…なら良かったわ。この人ってば、パーティやら歓迎会やら、祝い事が大好きなのよ。それから…アタシの事、キュベル先生って言うのやめてくれない?他人行儀っていうか…姉もキュベルだし。せめて下の名前でサルマン先生にしてよ。」
「ハイ。実は私、先生に慣れ慣れ過ぎるのは悪いかと思ってたんです。では遠慮なく…サルマン先生!」
「その方がいいわね…。本当は、名前だけで呼んでもらっても構わないんだけど…他の教師って、結構、石頭もいるからね。教頭なんて特にさ…。どうせ陰で、うちのクラスの一部の奴らに呼び捨てにされてんのにね。」
再び満面の笑顔を浮かべたカヤノに、少し照れたようなしぐさでサルマンは、頭を掻きながら目を逸らし言う。
そのサルマンの姿に、イーリスがクスクスと笑っている。
弟は女の子を簡単に家に連れて来るタイプではない…。
生徒だとしても、どこかの店で奢ってやるような事はあっても、家までは入れない筈だ。
サルマンは気さくなようで、とても用心深く、自分の懐には気に入った者しか入れない主義なのである。
生家は、現人神として、それなりに上の立場で力を持っているが、本人は教師の仕事がしたいと言い、結婚するまでは家の後を継がないと、今も一介の教師を続けている。
お陰でイーリスが幽世に人事異動で出向いてしまった両親の代わりに、弟が後を取るまでとの約束で、実家の仕事を熟すハメになった。
全くワガママで迷惑な弟だと思う。
しかし、その弟が実家にまで連れてきたという事は、この娘が余程気に入っている証拠だとイーリスにはわかった。
可愛い弟に嫁が来てくれるのは嬉しい!
それに今日会ったばかりだが、カヤノは雰囲気的にも、我が家の神性と相性が良さそうだ。
現に、自分もその穏やかな雰囲気と、少女の可愛らしさを一目で気に入ってしまった。
過去、嫁が来れば弟も家業を継ぐと言ったのだ…。
カヤノがサルマンとうまくくっつけば、自分も解放されて万々歳だ。
世の神様社会だって、そう、うまく行ったりはしないが、『うまく行けばいいなぁ~』とイーリスは思った。
そして、そう思うと…どうしても、顔がニヤけてしまうのを止める事ができない。
もうすぐ、実家から解放される!!…かもしれない。
「何よ、姉さん…変な笑いヤメテよね。」
「あら…何でもありませんわよぉ?サ・ル・マ・ン・先・生。」
「マジムカツク女だわ…姉さんて。」
表情を失くしたサルマンが、姉に氷のような視線を向ける。
そんな事では動じないイーリスが、相変わらず弟に対して、口に手を置きながら、ニヤニヤと笑い顔を向け続けていた。
「姉弟っていいですね。私、一人っ子だったから…お二人を見てると羨ましいな。」
カヤノは、笑顔に目を細めて、首を傾けながら、そう言った。
サルマン、イーリス姉弟は、カヤノの顔を見ながら、動きを止めた。
そして、小さな声で何か呟いている…。
カヤノには聞き取れなかったので、そのままデザートのピンク色の薔薇のクリームが乗ったケーキを食べながら二人に美味しさを伝えるべく頬を綻ばせた。
(姉弟の小声)
「クッ!何、この可愛い子…妹にしたい。」
「うう、今時、純粋…素直で真面目だし…。」
☆ ☆ ☆
こうして、夜は更け、カヤノは、案内された花柄モチーフの豪華すぎる部屋で、お風呂を借りてから眠りについた。
明日はサルマンについて行って、学校と現人神統括センターでアルバイト先を探しに行く予定だ。
「サルマン先生も、お姉さんのイーリスさんも…素敵な人で良かったな。」
次回も早めに投稿できると思います。