春の嵐と恋の風【72】
時間ができたのでゲリラ投稿です!
誤字脱字、お許し下さい。
カヤノ危機一髪です。
『おかしいな…?』
薄っすらと見える視界の先には真っ赤に燃えるマグマの鮮烈な赤。
それをボーッと眺めながら、カヤノは体が麻痺していくのを感じていた。
『さっきから、指先も動かないの…。』
口を開く事もできず、蔓に縛られてガックリとぶら下がっているカヤノの体は、眠っているように弛緩している。
まるで、てるてる坊主みたいだ。
ただ頭の中で、ぼんやりと思考する事はできる。
『下から上がってくる熱気のせいかしら?息も苦しい…。頭に空気が行き渡っていないように頭痛もするわ。冥界医に掛かってからは、せっかく頭痛も減って来ていたのに。私って、いつも不毛よね。』
頭の中身だけを動かして、唯一、まだ動く淀み始めた瞳を懸命に動かして辺りを見ようとするが、首を上ゲルにも力が入らず、渾身の力を籠めるには億劫で、視線の先は相変わらずマグマしか見えない。
諦めて、カヤノがそっと辛うじて動かせる瞼を閉じようとした所、何やら聞き覚えのある声や辺りが賑やかになって来たのを感じて、億劫だった首を上げてみようと頑張ってみた。
「カヤノちゃん!!」
次の瞬間、大好きな鈴のなるような透き通った声が、熱い周りの空気にも振動してカヤノの耳に届く。
カヤノは頑張って一度、ガクリと下がってしまった首をもう一度、力の限り振り上げて、声の方向を向く。
すぐにまた、ガクリと下がってしまったが、一瞬だけ見えた姿は見間違えなどではなく、大好きな『ハルさん』だった。
『ハルさん⁉来てくれたの?それに他にも…オグマ先生やアスター様の声もする。』
カヤノはそう思って、もう一度顔を上げたかったが、数度の努力で再び脱力してしまい、しばらく力を籠めるのは無理そうだった。
周りが何か自分に向かって声を放っているのも聞こえたが、何分、体が言う事を聞かない…。
傍から見れば、カヤノは縛り首のように脱力して見えている筈だ。
何とか声に答えたいが、いざという時以外は体を動かす以前に口を開くのだって難しそうだった。
カヤノは冥界のマグマの気にあてられて、急速に弱っていたのだ…。
ただでさえ、地上系の神力が尽きそうな状態を早める冥界の神気の強い山頂。
しかもここはマッド・チルドレンが自然発生で湧き出た瘴気を拡大した可能性のある場所に近い。
神気の衰えは魂の衰え…。
普通なら神力が消え去っても、持っている人間の魂の部分まで衰える筈はないのだが、冥界のマグマはその魂をも溶かす威力を持っている強力なパワーがある。
その気に長時間、当たり続けただけでも魂の表面が溶けそうになるほど強く、輝きを鈍らせてしまう。
直接とかしたわけではないので、すぐに助け出して安静にすれば魂に別条はないだろうが、現実問題、気に晒された状況では魂は光を弱めていく一方である。
神力が万全であれば、多少の気は払い除けられたかもしれないが…カヤノは運が悪い事に両方が相乗効果で益々弱まるという負のスパイラルに陥っていたのである。
力の抜けきった状態のカヤノが何度か顔を上げようとして、失敗する様を見て取った一同は慌てて彼女の救出に乗り出そうとした。
「カヤノちゃん!無理しないでいいから…すぐに助けるから。」
ハルリンドは叫び、フォルテナ伯爵・アスターとオグマは顔を見合わせて話し合った。
「どうするオグマ先生?蔓を引っ張っても、マッド・チルドレンがそれに気付いて、カヤノ君を離したら終わりだ…。」
「とにかく、三十木に直接近付いてから奴の蔓を切って、抱き上げて救出する必要があるが…どうやって行こう?」
「真下はマグマで足場になるような岩場からは離れすぎている。彼女の目線まで岩を伝って行っても肝心な場所まで到達するには空中作業が必要だ。私のドラゴンは呼べば来るが…残念ながら炎に弱い属性なんだ。マグマの気が立ち上がるカヤノ君の傍までは飛べないかもしれない。」
「人間界でなら、俺が雲を呼んで三十木を乗せれば済むのだが、ここまで冥界の気が強い山頂だと神雲の力が散らされてただの水蒸気に転じ、途中で消滅する恐れがある。俺一人なら瞬時に岩盤に飛び移る事もできるが…三十木を片手に抱えた状態を想定すると…不安が残るな。」
「背に腹は代えられないが、できる事なら少しでも安全に確実に助け出したいしな…。」
「うむ、この中の誰かが力の強い翼持ちの神や天使だったら良かったのだが…。何か、もっと良い方法はないもんかな…?」
「ああ。私も半分は天使の血を引いているのだが…冥界神の血が濃くてな。翼も残念ながら持っていないのだ。」
「伯爵様…悪い事は言わない。天使系の血を引いているって話はしない方がいいですよ?天使のイメージが壊れるから…っちゅーか、アンタが天使の羽を付けた姿を想像すると吐きそうだな。」
「キサマ…どういう意味だ?殺すぞ⁈」
「いえ…ね。冥界の伯爵様に天使要素を求めてないっつーか?アンタの場合、羽生えてたとしても、天使よりガタイのいい天狗ってイメージというか…なぁ。」
ニヤリと口角を上げるアレステル・オグマ。
いつの間にか話の論点をずらして、睨みあう二人にハルリンドが金切り声を上げた。
「お二人とも!!早く、真面目に考えて下さい!カヤノちゃんがぐったりしてるんですよ⁈」
二人は顎に手を当てて考えた。
「「うーん…?」」
首を捻ってはいるが、即座で良い案の浮かばない二人に焦り、苛立ち始めたハルリンドがしびれを切らせた。
「もう、いいわ!これといった案がなければロープと使いましょう。万が一、マッド・チルドレンが蔓を切ったり離した時に備えて、保険代わりにロープを彼女に結んでから引き上げるのです。蔓を離されてもあらかじめ縄が巻きつけてあれば、真っ逆さまに落ちるのだけは避けられます。」
ハルリンドの案に夫であるアスターが頷き、さすがは自分の妻だと鼻高々になる…。
「なるほど、それならオグマ先生の雲が消滅する前にロープを彼女に結び付ければいいのだし…万が一、作業中に雲が消滅しても彼自身にもロープを巻き付けさせておけば、二人を我々が引き上げればいいだけだ。さすがは私の妻!」
過去にハルリンドの恩師でもあったオグマも教え子の案に鼻高々になる。
「それなら、ロープを結ぶ役は伯爵か俺が良いな。ハルリンドでも雲は扱えるが、もしもの時には男の腕力があった方がいい。咄嗟に三十木を抱える事もできるしな。お前は相変わらず、頭の回転が速い!さすがは俺の教え子!」
救出の方向性が決まって清々しい表情に変わる男二人とは違い、ハルリンドは厳しい表情のままで溜息をつく。
「はあぁっ。こんなの…一般的な方法で完全に安全とも言い切れません。お二人にもっと良い案があればと思ったのですが…。とにかく、今は、カヤノちゃんを早急に保護しなければ!」
「そうだな。急ごう。」
オグマは即・頷いて、近くにいた兵士にロープを持っているか確認する。
訓練された兵士達は、色々な事を想定しているので、当然、ロープも持っていて一連の流れを見守る中、既に持っている手荷物からそれを取り出して待機していた。
アスターは、オグマが兵士の一人から日本の縄を受け取るのを見て『自分の方が体が大きいし冥界神としての責任がある』とカヤノの救出を申し出た。
それには、オグマにも異論はなく、伯爵様の申し出を受けるべく、しっかりと彼に命綱を取り付け、一方を兵士達数名に渡す。
もう一方の縄の先も、先程二つに分かれた数名に渡して、反対側をカヤノに結び付けるようにとアスターに手渡した。
カヤノの吊るされているズボラ山の火口には、長い大きな木の棒を四方向から円の中心地点で交わるように立てて、火口付近の地中岩盤からいきなり出現している長いマッド・チルドレンの蔓を引っかけて火山のマグマの方へ垂らし、カヤノが円の中心辺りにぶら下がるように吊るしてある状態だ。
粗末な棒の立て方をしている上に、簡単な縄で縛っているだけのやっつけ仕事なのが見て取れるだけに、カヤノにロープを巻き付けた後、慎重に蔓を引かなければ、いきなり棒が大破して火口の円・中心につり下がっているカヤノの体は、勢いよく火山の岩盤に打ち付けられるだろう。
その為、焦って乱暴に引き上げてはならない。
一同は慎重に事を進める為に、黙々と集中して作業を開始しようとした。
その矢先。
どこから聞いていたのか、どこから現れたのか…。
いきなりカヤノに伸びる蔓が生えている地面の穴をかち割って、岩盤の下から大きな球根の三っつの不気味な顔が飛び出した!
「ざーんねぇんでしーたーぁ。追いついちゃったもんねぇ!!そうはさせないよぉ。」
ドカーンと大地を突き破る音と共に現れた球根型の顔に遅れて、無数の蔓に引き上げられ、姿を現したマッド・チルドレンの女が、ゲーム感覚でもいるかのような嫌な笑顔と共に登場したのだ。
「地中を音もなく移動していたの?カヤノちゃんを私達に返しなさい!さもなければ、即・消滅を免れないわよ?今なら、とらえるだけであなたの意見も聞いてあげられるように取り計らう…。」
ハルリンドが精一杯の譲歩を見せるが、マッド・チルドレンの化け物は鼻で笑った。
「冗談!そう簡単に返しちゃったら、アンタ達は私をヤル気でしょうが?信じられるかっつーの!そんな事より、全員動くな。ヘタな真似したら、今すぐこの子を落っことすよ?」
急に耳に付くような大きな声を上げて登場したマッド・チルドレンにカヤノも気付き、目を向けようと思ったが、顔を持ち上げるどころか、閉じた瞼すらも今は重くなっている。
『立ち上がって来る湯気のような熱気が…苦しい。目を開けるのも痛いような気がする。』
ここに吊り下げられて一人にされてから、カヤノは最低限の時しか目を開けないようにしていたが、今は純粋に開けているだけで激痛を感じるわけでもないのに、心境とは関係なく目に涙が滲むのだ。
完全にマグマの熱気と共に発せられる強い冥界の気が、目をも刺激しているのだと思わざる得ない。
化け物の脅しに一同は張りつめた空気感の中で隙を探る。
ハルリンドは額に汗を浮かべ、ピクリとも動かずに硬直していた。
ヘタに刺激すれば、本当にこの闇の生き物が、カヤノに何をするのかわからないのだ。
化け物は、一同が手も足も出ない様子に『フフン』と満足した声を漏らし、楽しそうにカヤノを吊るしている一本の蔓を揺さぶった。
「ほら、ほーら、動くと落とすよぉ?私の蔓は手足と同じで自由自在なんだからね。変な真似したら、この子が可哀想なんだから。」
急に体を大きく揺すられて、火口の円の中心点から大きく弧を描くようにプラプラと揺すられたカヤノは、空中ブランコのような浮遊感にさすがに目を見開いた。
途端に熱気と共に真っ赤なマグマがグラグラと揺れ動くように目に入り、気持ち悪さから吐き気を催す。
「うっ⁉うぐぅ!」
「あらぁ、気分が悪いのぉ?吐かないでよー?」
そう言いながら、ケタケタと声を上げて笑い出すマッド・チルドレンが蔓を少しづつ上方に引き上げて、カヤノを一同に見せびらかすように火口の上空に高く掲げ始めた。
怖くて目を開けられないカヤノに嗜虐心をそそられる化け物はわざと蔓を揺らめかせている。
ハルリンドは、その様子に見てはいられないと言ったように、目を背けて涙を滲ませた。
丁度その時、レイナと共にドラゴンで遅れてやって来たシルヴァスの瞳にカヤノの状況が映った。
「カッ!カヤノォォォ⁈」
緊迫した状態なのは瞬時に承知したが、シルヴァスは驚愕のあまり、口から必要以上に大きな声で彼女の名を呼んだ。
離れていても微かに耳に入る会いたかった相手の声に、カヤノは今しばし目を大きく開けた。
同様に背筋に冷たいものを感じたオグマとアスターも、ギギギと油の切れた機械のような音をたてて、首をゆっくりと上の方に向ける。
「一体、何回、このパターンを繰り返したら済むわけぇぇぇ⁉もう怒ったぁ!これが最後だからな⁈」
続くシルヴァスの言葉に、ゴクリと生唾を飲み込む男二人。
『自分らが最後カモ…』と頭の中に同様の言葉がかすめた…。
首に力は入らなかったが、偶然、クルリと仰向けな状態に化け物の蔓に高く身を掲げられていたカヤノは、見開いた目の中にシルヴァスの姿を見止める事ができた。
最後に一目でも会いたいと思っていた相手の腕に冥界の騎士風の姿の少女の姿を映し、カヤノは咄嗟に目に滲んだ程度だった涙を溢れさせた。
「あ…の、子は…?」
動かすのも億劫な口元を微かに動かすと辛うじて声が出た。
『嫌だ!シルヴァス…そんな風にしっかりと他の女の子を抱いてドラゴンに乗るなんて!シルヴァスが自分以外と一緒にいる所なんて見たくない。』
カヤノの心に強い独占欲が渦巻いた。
元々そういう気持ちがなかったわけではないが、そんな風に思ってはいけないと、ずっと自分の正直な気持ちに鍵を掛けられるだけ掛けようと今までは頑張っていた。
そんな風に思うのが嫌で、彼の傍にいるのを拒否しようとしていたくらいだ。
自分の感情で彼を縛りつけたくないから…。
でも、今の状況ではカヤノにはそんな余裕なんてない。
弱りすぎて、自分の事しか考えられなかった。
『純粋にシルヴァスに抱きしめて欲しい…自分だけを。』
だから、悲しくて涙がつらつらと頬を伝って行く。
カヤノの涙には、随分と衰えたが神力が辛うじて含まれていた。
強い思いが涙に宿った為か…頬を伝った涙の粒が一滴、また一滴と火山のマグマに到達すると、何やらマグマがグツグツと音を立て始める。
その様子に、まだ誰も気付く者はいなかった。
シルヴァスは急いでドラゴンを急降下させている。
ジェットコースター並みの速さで陸地に向かって速度を上げるドラゴンのスピードに、恐怖でレイナが悲鳴を上げる。
「イヤアァァァ⁉キャアァァァッ!!」
そして、あっという間にハルリンドの元にドラゴンを着地させると、シルヴァスはサッサとレイナを彼女の元に降ろして、自分は再びドラゴンに乗って姿を視止めたばかりのカヤノの方へと向かった。
その際、後ろを鋭い視線で一瞥し無言で立ち去って行ったが、その視線を向けられた先のオグマとアスターはビクリと肩を強張らせた。
「何だ…アレ?この俺が殺意なんかに身を震わせるなんて…。」
オグマの自身への驚きにアスターが口を小さく開く。
「オグマ君…恥じるな。普通の反応だ。アイツ…怒りすぎると破壊神化するんだ。もう、あーなったら精霊じゃない。怒りが消えるまで自分の身を守る事だけを考えよう。とりあえず、あの化け物を差し出せば、私達が半殺しにされるのは免れると思う…。」
「半殺し?させるかよ…。」
「君はアイツをわかっていない。まあ、大丈夫…丁度、今、目の前に化け物がいるからな。自分の保身だけを考えるのなら、逆に倒さないでいて良かったというべきか…奴に全て押し付けよう。」
「ふざけんな…半殺しが怖くて教師やってられっか。そんな事より三十木を…。」
オグマが言い終わらぬうちにアスターは首を振って彼の動きを制止させた。
「オグマ君、野暮なマネはするな…先生。シルヴァスに任せるんだ…お姫様の救出は物語のヒーローがすべきだろう?前回もカヤノ君の騎士だったしな…私達にとっては災厄でしかないが。」
遠い目をしたアスターに怪訝な顔をするオグマ。
その時だ。
ズボラ山の大地が『ゴゴゴ』と音をたてて揺れた。
カヤノの涙を吸収したマグマが活動を始めたのだ…。
マッド・チルドレンは驚き、視線を大地に落としたが、すぐにカヤノの至近距離に一匹のドラゴンが到達しようとしているのを視止めて、威嚇するように無尽蔵に伸びる蔓で空中のドラゴンをとらえようとした。
「くぅっ!いつの間にあんな近くまで飛んできたんだ。うるさい、ハエめ!地面に引きずり落してやるぅ!」
化け物は次々に長い触手のような蔓でドラゴンを追ったが、シルヴァスの乗ったドラゴンはその間を器用にすり抜けて、それでも接近した蔓は彼の剣で切り落とされて行った。
カヤノまであと少しだった。
マッド・チルドレンは怒りにカッと目を見開いて、理性を失ったかのようにカヤノを拘束している蔓を振り上げ、彼女の体ごと『ブーン』と遠心力をたっぷりにつけ、シルヴァスとドラゴンに打ち付けようとした。
その刹那!
うっかり蔓が緩んでカヤノの体が空中に放たれてしまう。
マッド・チルドレンも『しまった』と顔を強張らせていく。
唯一の人質を失っては、自分が冥界から現世に逃げる切り札を失ってしまうのだ!
同時にオグマに対して『野暮なマネするな』『シルヴァスに任せとけ』と言っていたアスターの顔が見事に歪み、これでもかという程、大きな口が開けられて行く。
もう少しでカヤノの元へ行ける筈だったシルヴァスは、僅差でカヤノをつかまえる事ができず、落下を始めた彼女の体をドラゴンで追った。
「駄目だ…間に合わない!」
シルヴァスはドラゴンを放して、自分は飛び降りた。
当然、私的に使ってはいけないという現人神規約の記されている精霊の能力をフル作動して、カヤノの後を追う為に!
それでも、マグマに落ちるスレスレでカヤノを拾い上げられるかどうかは、精霊界で最速を誇る風の者でも賭けでしかない!
マッド・チルドレンが蔓でカヤノを散々、振り回していたお陰で、それほど勢いよくカヤノは下に向かって落下していたのだ。
カヤノは、襲い来る落下速度の速さに目を瞠りながらも、迫りくるマグマに強く恐怖を感じたが、悲鳴も上げられず、今までの日々が走馬灯のように脳裏に浮かび上がって行くのを見ながら目を閉じた。
そして、その全てがシルヴァスの姿だったのを確認するや否や…。
ついに彼を心の底から切望した。
そして、祈る。
「助けて!シルヴァス!!」
今までにないくらい、声を振り絞って力の限り叫んだ。
口を開けるのも億劫だったのに、人間最後の最後で危機に瀕すると火事場のクソ時からというものが出るらしく、カヤノが思っていた以上にハッキリとした声が口から出た。
声に出してシルヴァスを呼ぶのと同時に、カヤノは心の中でも二重に同様の思いを描いていた。
『私の精霊様!どうか助けて!!』と。
途端にシルヴァスの姿がパッと消え、一瞬にして落下するカヤノの前方に光が現れた。
信心する者。
高潔な者。
神々と深い関りや縁を持つ者。
そうした加護を持った人間の強い求めに呼ばれた神仏とそれに準ずる存在は、彼らと見えない繋がりが形成されており、その危機に瞬間移動して駆けつける事ができる…いわば契約のような関係。
それを信仰と呼ぶ者もいる。
つまり、カヤノの人間の部分が呼ぶ声に、シルヴァスの精霊としての義務機能が反応した。
カヤノの落ちる先に現れた強い光と共に現れたシルヴァスは、先回りしたように両手を広げて彼女を受け止めた。
フワリと一瞬、カヤノの体に浮遊感が湧きおこり、綺麗に広げられたシルヴァスの腕に中に納まると、カヤノは深い安心感に包まれて、彼の胸に顔をうずめて抱きついた。
腕の中で縮こまって自分に縋りつくカヤノを大事そうに包み込むと、シルヴァスは大きく羽を広げて上へと上昇を始める。
羽…。
え?
羽…?
カヤノはうずめていた顔を少しずつ離してシルヴァスの顔を見た。
いつもと同じ優しい顔をうっとりと自分に向けるシルヴァスの衣装は精霊ナイトそのものだったが、その耳は尖り、妖精と同じで…瞳の色も力を使っている時の明るい色のままだ。
気のせいか、彼の周りは薄っすらと金色に光っていて、いつもと最も違うのはシルヴァスの後ろの方で先程から『バサバサ』という音が聞こえており、その背中にはしっかりと透明の美しい羽が生えていたのだ!
「よ、妖精の羽?バサバサって…羽音⁈」
まだ、口を開くのもスムーズではなかったが、シルヴァスから出される気が心地良くて冥界の気にあてられていた筈なのに、カヤノの感じていた重苦しさは一掃されていた。
だから、驚きと相まって、再びカヤノの口からは声が発せられた。
シルヴァスはニコリと笑ってカヤノの言葉に答える。
「カヤノが本気で僕を呼んでくれたからね。人間の祈りに応じるのも精霊の務め。縁のある人間の求めに近くにいた精霊が呼び出されて瞬間移動で現れるんだ。そして、求めに応じた後は必要に応じて元の時間に戻れるから、人の為に働いていた間も今までいた場所から消えた事にはならないのさ。」
この機能は人間の求めがある時だけ発動されるので、普段は魔法陣や呪文を飛ばしての瞬間移動は使う事ができないらしい。
『神仏の加護を得るという事は、そう言う時間をも凌駕する不思議な力が働くのだよ』とシルヴァスは続いてカヤノに説明した後、フッと笑い彼女のオデコに口付けて、また言った。
「初めて、カヤノが僕に助けを求めてくれた…。魔神の一件の時は僕が傍にいたのに呼んでくれなかったもの…悲しかったよ。今日はやっと人間らしく僕を求めてくれたね。嬉しい!」
カヤノは戸惑った。
シルヴァスが普段と違うからだ。
口調も顔も同じなのに、今のシルヴァスは何だか、いつも以上に精霊様らしくて神々しい。
自分の神力が下がっているせいか、さっきからシルヴァスのポカポカした気が体中に伝わってきてカヤノの中に入り込んでいた冥界の気が振り払われて行くようだ。
シルヴァスの背中に付いている羽からも目が離せない。
「シルヴァス…綺麗。」
だから、カヤノはつい正直な感想を言った。
シルヴァスの羽は、大きくて透き通っていて六枚もあり、一枚一枚が違う色で光っていた。
緑、黄緑、ピンク、金色、銀色、空のような薄い水色…。
シルヴァスは目を三日月の形にして応えてくれる。
「ありがとう。カヤノにそう言ってもらうと嬉しいなぁ。ああ、羽ね…気になる?僕、風の精霊だから無くても空は飛べるけど、本当の姿はこっち。元来は羽持ちなんだ。現人神の間は、滅多にこの姿は取らないように言われてるけど…人間らしくないからねー。」
カヤノは思わず顔を真っ赤に染めた。
恥ずかしいのに、彼の姿から目が離せない。
「ナニソレ、赤くなっちゃって、可愛いんだけど⁈カヤノ、この姿の僕といたければ、精霊界に来れば、ずっとこのままで過ごしているよ?」
シルヴァスは、カヤノの顔を覗き込んでそう言うや否や、彼女の涙の痕を舌で拭った。
驚いたカヤノは目を瞑る。
シルヴァスは構わず、空の上で遊泳しながらカヤノの頬から瞳まで舐め上げた。
「いっぱい泣かされちゃったみたいだね…可哀想に。悪いのは誰かなぁ?オグマ君、アスター?それともアイツ…勿論アレは、絶対にそうだよね?許せないなぁ。」
カヤノは力なく首を振った。
「オグマ先生もアスターさんも悪くないの。私が開けちゃダメって言われていた馬車の扉を開いてしまったからつかまちゃったの…。私、また皆に迷惑掛けちゃった。怒らないで。」
カヤノがまたウルウルと涙を滲ませた。
「うーん、怒らないでって言われてもなぁ。どうしょうかな?今、舐め取ってあげたのに…また悲しくなっちゃったの?いいよ、いくらでも泣いて。僕、君の涙が好物なんだ。すぐにまた舐めてあげるからね。」
熱に浮かされたようなシルヴァスの言葉に、カヤノは一瞬、動揺をした。
見た目の綺麗さに誤魔化されているが、彼の言っている事はヘンタイ発言である。
「シルヴァス、変。舐めるとか…いくら私の事を異性として好きだと勘違いしてるからって。」
シルヴァスは眉間にシワを寄せて首を傾げた。
「勘違い?また、そんな事を言って…君、いい加減、思い込むのヤメテよね。勘違いなわけないだろう?本気で愛してなかったら前にしたようなキスもしないし、君の涙を舐めたいなんて思わないよ。」
カヤノはパチクリと瞬きしてから、シルヴァスに不安そうな視線を向けた。
「ああ~、そういう不安そうな目もイイよなぁ!カヤノ、自覚無いみたいだけど、本当に僕は君が好きなんだからね?考えてごらん。傷つくかもしれないけど…こんなに何度も迷惑変えられて手のかかる君を逃がさないように執着してるなんて、ただの家族愛じゃありえない事だよ?」
「えっ?」
「君って本当に鈍いね。親、兄弟ならとっくに君の意志を尊重して自立の手助けをしてあげてるよ。僕だから、自立しないでいつまでも傍にいて良いなんて言うんだよ。親と違って一人前にする義務なんてないからね。僕の義務は君が卒業するまでだ。」
「シ、シルヴァス…でも…。」
「その義務も学校に寄れば、すぐに果たされる。卒業証書取りに行けばいいだけだもん。こんなに言ってもまだ僕の愛を疑う?君が僕を信じられないのは怖がりだからだよね。今日は『でも』もなしだよ。そんな所も可愛かったけど…僕は本気で怒ってるよ?今度という今度は君の事も許せない。」
カヤノはシルヴァスの言葉にビクリとして顔を俯かせた。
目にはすぐにまた涙が滲む。
それを隠したくて、俯いたまま口を開いた。
「ご、ごめん…なさい。また、シルヴァスにも結果的に迷惑を掛けちゃった。それに黙って退院して、冥界に来た事も…勝手に帰るって言いだしたり…恩知らずな事ばかりして…。」
続ける言葉が紡げなくなって肩を震わせるカヤノを『やっぱ可愛いなぁ』とうっとり眺めてシルヴァスは、彼女の耳にも口付けながら囁いた。
「フフ、全然、泣き顔が隠れてないよ?本当に悪いと思ってるんだ?じゃあ、一生許さないから僕に償って?もうオグマ君の言う事も、君の言う事も僕は聞くのをやめたよ。今回の事で思ったんだ。」
カヤノは弱々しく顔を上げた。
シルヴァスに抱かれていると精霊の清々しい気で、少しずつ神力が補充されて行くのがわかる。
冷たい事を言い始めても、彼が意識的にカヤノに気を流してくれているのかもしれない。
「僕に我慢なんて似合わないって!精霊は自由で正直だからね!カヤノ、僕はもう散々君を傷付けた事への償いをしてきたと思うよ?今度は君が僕に償う番だ。君の臆病な思いなんて関係ない。僕が君意外に目が行くかどうかでも、今後は観察していれば?ハルともせいぜい自分を比べればいいさ。」
「ヒ、ヒドイ…。」
「君の考えている事なんてお見通しだよ…。僕はね、そんなの考えられなくなるくらい君の事を愛してあげるから大丈夫。うん、最初からそうしてれば良かったな。いや、卒業するまでしたくてもできなかっただけか…その後も精神、病んじゃうし。でももう、冥界で大分良くなったんだよね?」
シルヴァスはキラキラ光る精霊の顔で爽やかにニコリと笑んだ。
「オグマ君に聞いていたよ?ハルに紹介された冥界のお医者さんのお陰で、色々良くなったんだって?症状とか頭痛とか。なら、もう僕が手加減してあげる必要ないよね?覚えてるカヤノ?」
カヤノは怯えたように体を震わせて恐る恐るシルヴァスを見ながら、腫れ物に触るような態度で聞き返した。
「あの…覚えてるって、何を?」
『フフフ』と笑ったシルヴァスの目元に影が差した。
清々しく笑んでいる筈の顔が、たった今まで神々しかったのに…なぜかカヤノには、得体が知れないほど邪悪に見えた。
「勿論、賭けだよ。君が記憶を失くしたりしてたから、僕は触れないであげてたけど。それに記憶のない君は従順に僕と結婚してくれそうだったから、賭けなんて持ち出す必要もなかったしね。言っておくけど、賭けは継続中だったんだよ?今だってずっと有効で反故にはなっていない。」
「で、でも賭けの途中で、いくつも不測の事態が起きたんだもの。今回はなかった事にして…。」
「ブーッ!無理ぃ!不測の事態に陥った場合なんてルールにはありません。お互いの同意がなければ、賭けは反故にはできません。そして、僕は反故に何てするつもりもありません!」
にーっこり笑うシルヴァスの強い口調に、カヤノは彼の腕の中でパクパクと声にならない声を紡いだ。
有無を言わさない姿勢のシルヴァスへ、今の立場のカヤノが強くモノを言う気力はなかった。
何より、本当に弱っているのだ…。
空中で二人の世界にしばし陥っていたものの、シルヴァスはカヤノがこれ以上、自分に何も言えない事を見て取れると、満足したように地上に視線を走らせた。
「さて、向こうも落ち着いたようだな…。アスターやハルの所に戻ろうか?」
シルヴァスの言葉にカヤノがコクリと頷くと、精霊様はゆっくりとカヤノに負担を掛けないように地面に降り立った。
シルヴァスとカヤノが地上に戻ると、化け物になったマッドチルドレンは、オグマとフォルテナ伯爵夫妻、レイナの働きによって、すっかりとロープでグルグル巻きにされており、無事、生け捕りにされた状態だった。
カヤノを投げた事により、人質を手放したマッド・チルドレンに遠慮する者は誰もいない。
あっという間に拘束されたであろう事が見て取れた。
口だけが自由なマッド・チルドレンはしきりに叫ぶ。
「放せ!縄を解け!畜生!!」
と…まるで、女性とは思えないような悪魔に憑依でもされている口調で周りの冥界神達を激しく罵っている。
だが、誰もそれを相手にしてはいない。
カヤノは、先程、シルヴァスにドラゴンの上で抱かれていた少女を嫉妬心から覗き見る。
今は自分がシルヴァスに抱き上げられている状態だ。
すると向こうの少女も、カヤノを少し離れた所から視止めて、目を瞠っている。
カヤノは少女の顔をマジマジと見て驚きの声を上げた。
「あなた…は⁉」
向こうも同時に声を上げた。
「あなたは!もしかして⁉」
シルヴァスは腕の中のカヤノに視線を落として『ほえっ?』と愛嬌のある声を出し、首を傾げた。
何がなんだかわけのわからない一同もカヤノとレイナに注目をしている。
次回、火曜日に更新できるかわかりませんが、できなかった場合木曜日あたりにズレるかもしれないです。
次回もどうぞアクセス、宜しくお願い申し上げます。
本日もありがとうございました。




