春の嵐に恋の風⑦
次回も早めに投稿できると思います。
「カヤノちゃん、お帰り!」
現人神統括センターから、お金を払えば一昔前にあったという電話ボックス感覚で使える、現人神専用の公衆・現世内限定転送ドアを、自宅の通学用に設置されている異空間転送ドアに繋げ、カヤノが担任を伴って帰宅すると…開口一番、シルヴァスが気配を察知したのか、廊下の突き当りにある扉の前で、笑顔で彼女にお帰りのハグをしようと待ち構えていた。
サルマンが、シルヴァスがまだ仕事場にいるかもしれないから、先にセンターに寄ってみようと提案してくれたのだが、やはり、シルヴァスは既に帰宅済みでカヤノの帰りを待っていたようだ。
(※学校と統括センターも繋がっているので、扉一つで行かれるのだ!)
現在は、大和皇国に籍を置く現人神として生活しているが、シルヴァスは元来、外国の精霊で親しい者へのスキンシップが、人と一定の距離を保つ控えめな大和皇国の民と比べて激しかった…。
帰宅後、咄嗟にハグしようとするのは、彼のいつも通りの対応だが、シルヴァスはカヤノの後に続く男の存在に気付くと、広げた手を引っ込めて注意深く視線を凝らした。
「あれ…カヤノちゃん、お客さん?ええと、あなたは…。」
シルヴァスが言う前に、カヤノの後に続いてドアをくぐり、室内に侵入してきた男…担任のサルマン・キュベルが自ら名乗った。
「ご無沙汰しております。保護者面談ぶりですね…カヤノさんの担任で、あなたの後輩のサルマン・キュベルですよ。学生時代は、お世話になりました。」
「サルマン…連絡もなしで来て…今日は何か用かい?」
少しだけ驚いた顔をしたシルヴァスだったが、すぐに眉を顰めて、元・後輩の顔をジロリと見る。
サルマンとシルヴァスの身長は同じくらいだったが、共に細身でもシルヴァスの方が、若干、細マッチョ度が高いように感じられる…とはいえ、サルマン・キュベルも、現人神だけあってか、女の人のようでも細マッチョには変わりない。
それに、女言葉ではなく、普通の丁寧な言葉でしゃべると、担任教師もちゃんとした男性に見える。
二人は数秒、見合ったようにお互いの腹を探り合うような視線で牽制しあったが、担任のキュベルが先に口を開いた。
「実はカヤノさんの事で、本日、お話がありますの。すぐ学校に戻りますから…少しだけ、お時間を頂いても宜しいですか?」
すぐに、担任のいつも通りの言葉遣いが垣間見え始めたが、さすがに保護者の前では、女言葉も礼儀正しい。
シルヴァスもカヤノの事で話があると聞いて、担任を自宅のリビングに招いた。
カヤノが暮らすシルヴァスの家は、人間用の普通の高層マンションだった。
元はシルヴァスが一人で暮らしていたのだから、一軒家と言うのは管理が面倒だったのだろう。
とはいえ、マンションは、4LDKで二人で暮らすには十分に広く、最上階の見晴らしの良い部屋で、コンシェルジュや様々なサービスが完備された高級物件である。
シルヴァスは、カヤノとキュベルをソファに並んで座らせた後、紅茶と男性とは思えない女子力の高さを窺がわせるお手製マドレーヌを持って来て出し、対面のソファに腰を下ろした。
砂糖を担任に勧めた後、シルヴァスは自分も砂糖を一つ紅茶に入れて、一口啜って見せ、落ち着いた所で声を掛ける。
「それで、お話というのは何でしょうか?キュベル先生?」
今までカヤノは、二人が知り合いだと知らなかったので何も感じなかったが、後輩だと知りながら、保護者として改まった声を掛けるシルヴァスの口調は、何だか剣呑に感じた。
サルマン・キュベルの方も先輩だと言うのに、教師然として話す姿は、よそよそしく、シルヴァスに対してトゲのようなモノを感じざる得ない。
理由はわからないが、何となくカヤノはハラハラとした。
先生には、シルヴァスさんにうまく話をしてもらって、出来るだけ早いうちに独立をする事と、今回、それに備える為、先生のうちに居候させてもらって、男性に慣れる訓練始めようとしている事について、説明して納得してもらわなければならないわ。
その一端として、キュベル先生と相談し、現人神統括センターで何らかのアルバイトを短期で行ってみようと決めたのだから…。
心の中で、そう思い、カヤノは『先生お願い!頑張って!』と担任にエールを贈った。
そんなカヤノの様子が何となく伝わったのか、シルヴァスは眉を更に顰めて、面白くなさそうな顔をした。
それに相反するように、サルマン・キュベルは満面の笑顔で口を開く。
「お話というのはですね…カヤノさんをこれから半年間、アタシのうちで預からせて頂こうと思いまして…。」
「はあああぁぁぁっ⁉」
シルヴァスはサルマン・キュベルが開口一番、言った言葉に眼を丸くして、ソファから立ち上がった!
それから激高を抑えるように、顔を少し赤くして、大きな声を出した。
「何を言っているんだ!サルマン⁈意味が分からない!!」
「ですから…それを今から説明する為に、アタシが来たんじゃないの!せっかちな保護者ね。」
驚きからか、保護者と教師らしからぬ、砕けた口調になったシルヴァスと担任はどちらも立ち上がって、額を突き合わせるように会話を始めた。
養い親とは言え、現人神は愛情が深い。
数年面倒を見ただけのカヤノに対しても、妹として家族のような愛情で、シルヴァスが彼女を大切にしている事は、カヤノ本人も良く理解している。
だから、男性恐怖症に陥った原因となったトラウマについても、無理に向き合わせる事はなく、マッド・チルドレンの事件後、四年以上が経過した今でも、苦手な男性との接触をあえて、避けられるようにと、いつも配慮してくれていたのだ。
だが、カヤノだって、いつまでもシルヴァスの厚意に甘えてはいられないし、将来を誓い合った仲でもない相手に、一生、守ってもらう事はできない。
シルヴァスの親バカとも言える庇護は心地良くて、ありがたいが…自分の思いに応えてもらえない相手との生活がいつまでも続く事はないのだから。
自分が今後、誰とも恋愛できなかったとしても、現人神の女子であれば、結婚は必須。
相手がいなければ、センターの方で用意してくれるのだから、未婚でいることはありえないし、シルヴァスだって、今はその気がなくても、いずれは好きな女性と家庭を持つかもしれない。
そうなれば、自分はシルヴァスにとって、邪魔な存在だ。
シルヴァスの新しい家庭に入れてはもらえない。
仮に、いくらシルヴァスが良いと言っても、本当の兄妹ではないのだ。
相手の女性が嫌だろうと思う…。
サルマン・キュベルは、カヤノのそれらの思いを考慮し、遠回しに言い改め…
『だからこそ、そろそろトラウマ克服の為のアクションが必要だ!』
と、言うような事を…カヤノに変わって、シルヴァスに話してくれた。
勿論、サルマン・キュベルは、今後の自立に向けて、カヤノと計画を立てた事んついてもシルヴァスに話した。
シルヴァスは、カヤノが普段見た事がないほど、難しい顔をしていた。
そして、その表情のまま、カヤノを見ると、彼女の意見を確認するように、ゆっくりと口を開く。
一瞬、緊張感が走り、カヤノは背筋を伸ばして座り直した。
『ゴクリ』と唾を呑むカヤノ…。
「カヤノちゃんは、本当にトラウマ克服の為に頑張りたいの?卒業が近いからって、無理したりはしてない?僕は、いつまででも君がいてくれて構わないのだけど…どうしても君がそうしたいなら…止めないよ。」
シルヴァスの問いにカヤノは答えた。
何も迷いは無かった。
「男性が苦手なままだと、視野や行動範囲も狭くなるし…何よりも周りに気を使わせてしまうのは嫌なの。シルヴァスさんといたら、どうしても甘えてしまうから…先生の所で少し頑張りたいんです。」
「そう…でも、それ、どうしてもサルマンの家に行かなくてはダメなの?うちからだって、アルバイトには通えるし、男性恐怖症の克服だって…君がその気なら、僕だってちゃんと協力するよ?」
「さっきも言ったけど…私、シルヴァスさんに甘えちゃうから…。」
「別に、僕は、甘えてくれて、全然構わないんだけど⁈」
二人の会話を聞いていたサルマン・キュベルが『くわっ』と口を開く。
「ですから、保護者様!!『甘えてくれて構わない』って言っている時点で本末転倒ですよ⁈アタシ、やっぱり、シルヴァス先輩と一緒にいると彼女は、いつまでもトラウマを克服できないと思うわ。」
「うるさいな、お前は…。カヤノちゃんに何を吹き込んでくれたの?」
「失礼ね。何も吹き込んでないわよ!彼女なりに自立に対して、色々と考えた結果なの。里親代わりなら、納得して送り出してやりなさいよ。」
「はっ⁈自立?今、自立と言ったか?いくら何でも、自立なんて言い出すのは早いだろう?まだ、カヤノちゃんは学校だって卒業してないじゃないか。」
今度はシルヴァスとサルマン・キュベルの会話にカヤノが口を挟む。
「いいえ、シルヴァスさん!早めに用意しておかないと…私には男性が苦手というハンデがあるんですから、できるだけ、自立に向けて早く努力をしたいんです。」
「だからって…そんなに急がなくてもいいだろう?僕は、カヤノちゃんを追い出そうなんて思っていないんだから。もしかして、遠慮とかしてる?とっくに打ち解けてくれてると思っていたのは僕だけ?」
「そうじゃないんです。シルヴァスさんに打ち解けすぎちゃったから…離れなきゃいけないんです。遠慮もしていません。」
「意味が分からないよ。打ち解けすぎちゃダメとか離れなきゃいけないとか…何がダメでいけないの?」
「でも、このままだと私、自由に恋愛ができませんから…。ちゃんと恋愛して好きな人と結ばれないと、統括センターで用意された結婚をしなきゃならないのでしょ?」
カヤノの言葉にシルヴァスは目を見開かせた。
さも、そんな事、考えてもいなかったかのように、シルヴァスが動揺している様子を見せる。
シルヴァスにとって、このままだとカヤノが、統括センターにあてがわれた男神と婚姻を結ばなければならないという事は、目から鱗だったのだろう。
頭ではわかっていても、そこまで急ぎの案件として考えていなかったのだ。
しかし、当の本人であるカヤノは違っていた…。
カヤノは更にシルヴァスに言う。
「私もシルヴァスさんが考えるように、簡単にはトラウマを克服できないんじゃないかって思うんです。だから…不安で。でも、ゆっくりと傷が癒えるのを待つよりも努力をしていきたいの。」
「いや、別に…。」
「だって、いつまでいても良いとおっしゃって下さっても、シルヴァスさんに大事な人ができたら、私、一緒に暮らせませんよね?」
「いや、だからそういう予定はないし…これからも…僕は…。」
シルヴァスは何か言いかけたが、そこはサルマン・キュベルが遮った。
「そうよね!お互い独身ですもの…将来のシルヴァス先輩の奥様だって、最初から妙齢の養い子との同居を納得してくれる人ばかりいないと思うわ。そんな事で重荷になるのは、この子だって嫌でしょ?」
「だから、僕は結婚する予定もないし…カヤノちゃんがいる間は…。」
「ストーップ!シルヴァス先輩が言おうとしてる事…この子の重荷になると思うわ。それに彼女が成人して、いつまでも先輩がくっついていたら、彼女自身が縁遠くなりそうよ。」
「ど、どういう意味だ⁉」
「シルヴァス先輩って過保護よね?門限とか厳しそうだし…この子をずっと子ども扱いしそうだわ。血の繋がらない独身の保護者がいつまでも付いていたら、実は二人はそういう仲なのかと疑われかねないじゃない。」
「なっ⁉僕とカヤノちゃんは、そんな仲じゃない!変な事、言わないでくれ!!」
声を荒げて、カヤノとの関係を否定するシルヴァスに、カヤノの表情に暗い影が落ちた。
その事にシルヴァスも気付き、慌てて、しどろもどろな言葉を紡ぐ。
「あっ、いや、それはその…変な事って…そういう意味ではなくて、君の名誉の為と言うか…。」
そんなシルヴァスの姿にサルマン・キュベルは口角を上げ、猫なで声を出した。
「うふふ…ダメね、シルヴァス先輩。女の子を傷付けちゃ。アナタらしくないわぁ。ねぇ、カヤノちゃんの意見を尊重して下さいますでしょ?」
「だって、その、いや…。」
フェミニストは取り乱す。
女の子を傷付けたと言われると非常に弱い…。
そんなシルヴァスが、何か言い終わる前に、カヤノは俯いたまま、有無を言わさないような口調で言い放った。
「周りに変な事を言われてしまう前に…シルヴァスさんとの仲を疑われたら申し訳けないので、早く自立したいです。もう決めたので…先生、いつから、おうちにお邪魔してもいいですか?」
強い意志を示すカヤノの声にシルヴァスは呆気に取られた。
それと同時に頭を殴られたような衝撃を受けた。
どうしてかわからないが、自分でそんな仲じゃないと全否定しておいて、カヤノにそう誤解されたくないと言われると…何だか、心の中がモヤモヤとした気持ちになる。
それから、サルマン・キュベルが話した内容にも、心中がスッキリせず、胸の中に渦巻く何かがシルヴァスの心臓の音を早くさせた。
そんなシルヴァスの心中など察してはいない後輩であり、カヤノの担任はカヤノに向けて彼女に問われたことを答えている。
「ああ、そうね…アタシは、別に今すぐでもいいけど…支度もあるでしょ?明日学校が終わったら迎えに来るから、そのまま我が家に来るのはどう?急だけど、善は急げって言うじゃない?」
「ハイ!!それで宜しくお願いします。」
元気の良いカヤノの返事にシルヴァスは、餌を食べにくる金魚のように口をパクパクとさせた。
シルヴァスは不意に、この女言葉を操る後輩の教師が…学生時代は、普通の言葉を使っていた事を思い出した。
当時、サルマン・キュベルは同性愛者でもなければ女っぽい男でもなかった。
普通に色男で、人数の少ない女神系現人神こそ落とせなかったが、人間の女性にモテてもいたし、そこそこ遊んでいたのを知っている。
サルマンがこんな風に女言葉を使い出したのは、現人神養成学校の教師になってからだ。
シルヴァスが推測するには、恐らく、女子部の教師というのもあり、保護者や生徒との関係を円滑に進める為、あえて同性だと錯覚させるような女言葉を使っているのではないだろうか。
在学中は、教師が生徒に手を出すのはご法度だが、卒業してしまえば永久担任制とはいえ、自由恋愛だ。
相手が教師と生徒だって、お互いが好き合えば恋愛対象になり得るのだ。
シルヴァスは嫌な予感を感じていた…。
サルマンがカヤノを狙っているとは思いたくはないが…一年足らずでカヤノは卒業する。
女子の現人神は少なく、狙う異性は多くて競争倍率が高い。
しかし、カヤノはサルマンに警戒心を持っていないようだし、腹ただしい事に、見た目のソフトさや口調で、唯一、カヤノが怯える事の無い男の一人でもある。
自分には平気なのに、他の男には怯えてくれるのであれば、サルマンのようなカヤノに受け入れられた男にとっては、カヤノは条件の良い花嫁候補と言えるのではないだろうか?
そういえば、女兄弟の多いサルマンは、華やかな女よりも慎ましやかなタイプの女性が好きだったような気がする…。
もしかすると、カヤノみたいに大人しく庇護欲をそそるタイプは、奴の好みなのではないか?
シルヴァスは心の中で、黒い感情と共に焦りを覚えた。
『クソッ!サルマンの奴…教師のクセに変な事を考えたりしないだろうな⁈カヤノはまだ17歳だぞ?』
しかし、年齢など関係はない…。
現人神の花嫁の青田刈りは、隙さえあれば、頻繁に行われているのも事実…。
下手をすると、孤児の現人神の女の子を引き取って、子供の頃から、自分の嫁になるように言い聞かせて育てるような男神もいるくらいだ。
見入られてしまえば、神のかかった男など、手段を選んだりはしない…。
自分の心に忠実な神々や人外の男は、何としても気に入った相手を手に入れたいし、人外社会は決まって、力でものを言わせるか、早い者勝ちの世界だ。
『もしかして』という仮定の話でも、今まで大事に育ててきたカヤノが、サルマンに取られるかもしれないと考えるだけで、シルヴァスは無性に腹の立つ思いと、殴られた後のボワーンと麻痺したような感覚に襲われた。
その状態で、しばらくシルヴァスは、凍り付いていた。
担任のサルマン・キュベルは、動きを止めて固まるシルヴァスを呆れた顔で横目に見ながら、早々に学校へと戻って行った。
その日の夜の夕食は静かで、シルヴァスとカヤノはろくに会話もしなかった…。
次の日、学校へ行ったカヤノが、サルマンを連れて帰宅すると、シルヴァスはまだ仕事中で、家に戻ってはいなかった。
本当は、今後の事を学年主任の耳に入れ、正式に担任から学校で説明を受けた後にカヤノが帰宅してから、夜にキュベルが迎えに来る予定だったのだが…。
サルマン・キュベル本人の申し出で、帰宅後、荷物を取って、すぐに連れて行った方が早いし、効率が良いと、カヤノの下校に彼は一緒に家までついて来たのだ。
あまり担任を待たせるのも悪いので、カヤノはシルヴァスに半年だけのお別れの手紙を書いて、ダイニングのテーブルの上に置いた。
最後にアルバイト先が決まって、落ち着くまで電話はしないという事も付け加えて…。
それから、キュベルに荷物を持つのを手伝ってもらい、二人はシルヴァスの家から姿を消した。
※学校通学用の異空間転送ドア
=異空間にある現人神養成学校に通う為、学生の間だけ特別に自宅に設置してもらえる学校に繋げられる扉。ただし、異界に行くにはパスポートが必要なので、このドアからは学校のみしか行かれない設定になっている。卒業するとセンターの教育委員会に返却しないといけないので、卒業生が学校に用がある時は、統括センターから行かなければならない。