春の嵐と恋の風67
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冥界で何が起きているのか…が明らかになって行きます。
本日、カヤノは冥界から地上に戻る予定だったのだ。
前日の夜には、フォルテナ伯爵邸で使用人総出のサヨナラパーティなるモノも催してもらっている。
「気付けば、あっという間の2ケ月ちょっとの滞在でした。お言葉に甘えて、ずうっとお世話になってしまって…伯爵邸の皆様には、本当に感謝しています。ありがとうございました。」
昼食を終え、オグマが迎えに来て、カヤノはフォルテナ伯爵邸の面々に昨日と同じように挨拶をして回った。
「カヤノちゃん、元気でね!たまにはまた、顔を見せに来てちょうだい。私の方からも行きたいのだけど、冥界は縛りが厳しくてね…何かしら用がないと出辛いのよ。今は領地の事もあるし…時期もね。」
そう言って、名残惜しそうにハルリンドがカヤノの手を握って、別れを惜しんでくれる。
そして、伯爵もカヤノを見送る為に、わざわざ仕事に都合をつけてくれている。
「カヤノ君、妻も言っているが、私も君ならいつでも歓迎だよ。我々にできる事があれば、今後も遠慮なく頼ってくれ。こんなムサイ男だが、君と少し仲良くなれて嬉しいんだ。また是非、遊びに来てくれ。」
大柄のアスター様が至近距離に来ると今でもドキリとしてしまうが、優しい言葉と一緒にシルヴァスとは真逆の明るい緑色の瞳が優しく微笑んだのを目にすると、カヤノはつられたように何とか自然に微笑み返す事ができた。
うん、大丈夫。
前ほど、アスター様が怖くなくなった…気がする。
伯爵夫婦とじっくりと別れの挨拶をしていると、傍でその様子を見ていたオグマが口を開いた。
「さて、もういいか?三十木、そろそろ失礼しよう…ていうか、現世行きのゲートまで、どうせハルリンド達は付いて来て送る気なんだろう?その時もまた別れの挨拶をするんだから、いい加減にサッサと屋敷を出ようぜ?」
そうでした!
ハルさん達は途中、現世行きの異空間扉の前まで送ってくれる予定でした。
しみじみと挨拶を交わし合うのはまだ少し早いのです…。
しかし、フォルテナ伯爵はオグマにギロリと鋭い視線を投げかけた。
「何度別れの挨拶をしたって構わないだろう?本当にカヤノ君との別れを我々は惜しんでいるんだから。君にどうこう口を挟まれたくないものだな。」
何だろ?
この二人って、本当は少し仲が悪い…?
「あぁ?ミセスレディの譲り合いっこじゃないんだから…待たされる身にもなって下さいよ、伯爵。いや、ハルリンドの元・保護者兼旦那殿。それにしても、さすがはシルヴァス君の親友だ。揃いも揃って若い子がお好きですねぇ。いやぁ、類は友を呼ぶなぁー。」
オグマの心中
→(保護者の分際で養い子に手を出す似た者同士どもが!)
オグマは、どうやら伯爵がカヤノにかけてくれた言葉の中で『君ならいつでも歓迎』や『仲良くなれて嬉しい』と言った部分を拾い、『若い子が好きだ』と思っているのだとカヤノは取った。
そして、それに対して頭から湯気を立てた伯爵が、獅子が咆哮するような声を上げた。
「類は伴とはどういう意味だ⁈心外だ!ハルリンドの学生時代から、キサマ保毛…これ以上、私を侮辱するなら、相手になるぞ?アレステル・オグマ!あぁっ⁉」
カヤノはその声にビクリと体を震わせ、イタズラが見つかった子供のように背中を丸めた。
それに気付いた伯爵、アスターが気まずそうに謝った。
オグマ先生はそれを横目にニヤリと口角を上げる。
伯爵は密かに悔しそうにギリギリと歯を擦り合わせる。
「はっ⁉スマン。驚かせたか?いや、私は特に怒ったわけではないぞ?ただちょっと…オグマ先生の事は昔から存じ上げていたのでな…気軽くしただけだ。」
少しだけ伯爵から距離を取ろうと、後ろに下がるカヤノの肩を、ハルリンドが優しく抱きとめた。
「もう、アスター様もオグマ先生も…そんな事より、シルヴァスさんがカヤノちゃんの帰りを首を長くして待っているのじゃないかしら?カヤノちゃん、早く馬車に乗りましょう。」
彼女に体が触れると、カヤノは落ち着きを取り戻し、促されるままに馬車へ乗り込んだ。
そうだ、シルヴァスが待っている。
早く家に帰らなければ…。
カヤノは久しぶりに『家』に帰れると無意識に気を逸らせた。
馬車にはハルリンドとオグマとカヤノが乗り込み、大柄なアスターは自分の専用愛馬(?)とも言える小型ドラゴンに跨り、目的地まで行く事になっている。
御者の合図で、冥界の地上とは違う真っ黒くて獰猛そうにも見える大きな馬が動き出した。
アスターは馬車が少し走り出してから、ドラゴンで空に浮かび、上空からカヤノ達の乗る馬車を追う。
途中、御者に伝えてあったのか、ハルリンドが冥界のいくつかのスポットで景色の良いとされる場所に寄ってくれて、色々な説明をしてくれた。
「帰るまでのほんのちょっとの時間だから道草するのを許してね?何とか夕食までには帰せる程度の迂回しかしないから…。だって、あなたの滞在中、何かしら用事があってこれと言った観光に連れて行ってあげられなかったでしょう?残念だわ。」
とハルリンドは、一言添えて不本意を漏らす。
「次回はもっといい時期に来てね。今度こそ、色々と冥界を案内してあげるから。」
「ありがとうございます。でもハルさん、今回だって充分色々していただいて、楽しかったですよ。」
「そう言ってくれると良かったわ。来たのが丁度お彼岸に掛かっていたし、今も地上では大きな災害が立て続けに起きているようで冥界の気が入り乱れてるの。お盆に備えて、春の終わり頃には、早めに準備を始めるのだけど、そう言うのが起きると他の仕事が滞って忙しくてね。」
「そうなんですか…そんな間の悪い時に私ってば、来ちゃったんだ。ハルさん、本当にご迷惑お掛けしました。ごめんなさい。」
「謝らないで、迷惑じゃないわ。ただ安定しない時期は冥界に瘴気が発生しやすいから、私達が同行できない時は、安全上、あまりあなたを外に出すわけにはいかなかったの。さて、もうすぐゲートに着くわ。」
ハルリンドが和やかにそう言った時だった。
「ん?何だアレ…。ハルリンド、あそこの方角…おかしくないか?」
今まで馬車の中で女性二人の会話を黙って聞いていたオグマが、馬車の窓から一定方向を見詰め、ハルリンドに声を掛けた。
ハルリンドは咄嗟にその方向に注目してから、馬車の窓に思わず乗り出した。
カヤノは首を少しだけ捻る。
オグマが指し示した方向一帯の空だけが薄暗かった。
その場所は、真っ赤な大気がウイルスのような粒と砂塵に交じりあってその辺りを覆い、黒い瘴気に淀んでいる。
「嘘ぉ⁉言っている傍から、瘴気が発生してるわ!」
見開いた目をまぁるくさせて、バルリンドは声を張り上げた。
「それもあんなに広範囲で!様子が変よ…異例だわ。あれは…ただの瘴気じゃない!また、地上のマッド・チルドレンがらみかしら⁈」
ハルリンドがうっかり口にした言葉にカヤノはピクリと反応した。
「マッド・チルドレン?」
まさか彼らが冥界にまで影響を与えているとは…どれだけ厄介な存在なのだろう。
カヤノの前でマッド・チルドレンの名を口にした事で、彼女が怯えすぎないか心配したハルリンドだったが、ゆっくりとカヤノの顔を覗き見ると彼女が案外、平常心を保ったままだと知り、彼女はホッとしたようにそれについて話した。
「たまに現世で現人神達に発見されずに、死後、冥界にやって来るマッド・チルドレンの中には、邪悪な思想を隠し持って侵入する者がいるの。普通は、レテの川や忘却の炎でそうした危険思想は消去されるのだけど…。」
「だけど?」
カヤノは恐る恐る後に続く言葉を求めるべく、ハルリンドの言葉を復唱した。
ハルリンドはカヤノに話すべきか、一瞬、躊躇ったが、彼女の真摯な瞳を見て会話を続ける事を選んだ。
「だけど…生前から術に長けた彼らは、本当に少数だけど、うまく自分の過去や思考を封じ込めて魂をクリーンに見せかける邪念の痕跡を消す禁忌の術を使い、一般の死者の振りをしてやって来る。冥界入りの時の検疫すらくぐり抜けてね。そして、冥界での暮らしが落ち着いた頃に問題を発生させるの。」
「なぜ、そんな事を⁈」
「彼らは神の力に拘り、人落ちしてもそれを欲し続けた現人神の狂った子孫の成れの果て。神々や異界全般に恨みを抱き、純粋に死後、冥界を滅茶苦茶にしてやろうと生前、計画していた者もいるし、組織がらの目的の為にわざと死んでやって来る者もいる。」
「わざと⁈何の為にですか⁈その為に自分の命を縮めたって事ですか⁈罰当たりだわ。」
「そうね…罰当たりよ。でも彼らは、既に神々の仲間から外されたと強く思っているから、神に愛されなくても構わないのよ。むしろ一矢報いたいと思っているし。だから、死後、普通の冥界市民になり、沸いてくる瘴気の発生を秘密裏に探し続けて、あだなす機会を狙っているの。」
「瘴気を?」
「ええ。瘴気は毒だけど、マイナスの力に応用し利用できる。最近、マッド・チルドレン達は瘴気の発生スポットを見付けては、事前に現世で契約していた魔神や悪魔の力を借りて、魔獣等の闇の生物の卵をこっそり冥界に送り込ませ、瘴気のエネルギーを使って育ててるらしいのよ。」
「そんな事ができるんですか⁈瘴気の毒の中で魔獣を育てるなんて。」
「魔の生き物達にも瘴気は有害だけど、元々陰の力の強い存在は取り込まれても死なないし、毒によって変異するだけだわ。そして、同じように取り込まれた人間や神よりも強い化け物になる。より凶悪に、邪悪にね。卵から孵った魔獣は瘴気と冥界の人間の欲望を吸い込んで育ち…。」
ハルリンドに想像を絶するような恐ろしいマッド・チルドレンの所業を聞いて、カヤノは次にその口から出されるであろう衝撃の事実に備えるように、ゴクリの唾を飲み込んだ。
そして、そのままハルリンドの話に耳を傾ける。
「元の魔獣とは原型を成さない闇に呑まれた完璧な化け物を生むの。そういうものは、もはや自らの思考を持たず、闇に動かされるままに破壊を繰り返す。神々でも完全に救済する事はできないので無に返すしかないわ。その為に冥界神が本来の姿で戦い、それを行わなければならない。」
「冥界神が?ハルさんも?」
「ええ、そうよ。放置すれば冥界市民が殺されるか食われて取り込まれてしまう。それは魂の死を意味し二度と転生もできない。そんな事はさせられないでしょう?冥界神達は全力でそれらを駆除しなければならない。少しでも騒ぎが小さいうちに…けれど、マッド・チルドレン達は狡猾でね。」
ハルリンドは悔しそうにキュッと下唇を噛んだ。
「私達、冥界神達が闇生物との戦闘中に混乱の隙をついて、地上に戻りたいという潜在意識を抱えている人間の魂を地上の生者である仲間と結託して冥界に繋がる穴を開け、瘴気ごと現世に放って悪霊化させた後、向こうで従わせて式神のように使役する事も判明したの。」
上級神といえども、本来の姿で全力の戦闘を繰り広げている時は、意識がそちらに集中しているので、領地や他の事にあてている力が一瞬フリーズする為、自分のテリトリーの穴に気付かない場合が多いのだ。
「酷いわ。マッド・チルドレン達だって、冥界の死者と同じ人間なのに…。」
「彼らは自分達が特別だと思っているのよ…現人神だって自分達を特別だなんて誰も思っていないのに…おかしいわよね。その権利すら剥奪された者が自分達を…特別だと思っているなんて。とにかく、混乱の隙に彼らは冥界から色々なものを秘密裏に開けた穴から瘴気で隠して現世の仲間に送る。」
「わざわざ死んでまで、冥界にアクセスして悪さをしようっていう考えが、既に異様な感覚な気がします。彼らはどこまでも歪んで冷酷だわ。誰も幸せになんてなれない事ばかりを考えだして…。」
カヤノの顔色はすっかり色を失っていた。
ハルリンドは、心配そうな視線を向けながらもここまで話したのならと、最後まで会話を継続させる。
「彼らはそれらを使って現世で更なる悪行に手を染めるのよ。最近は話した通り、まんまと冥界にやって来たマッド・チルドレンが少しの間だけ冥界市民として潜伏し、瘴気発見を待って、仲間に冥界側の貴重なアイテムを盗んで送るという事件が…頻繁に起こっている。」
そこでオグマが口を挟んだ。
「冥界は外に出す際の規定は厳しいが、来る者は拒まずで侵入しやすい。そして、凄まじい陰の神のパワーがあり、そこでしばらく暮らした者は陰の力を吸収し、一層闇の力を強められる。それは奴らからすれば魅力的で冥界は今、マッド・チルドレン達から恰好の的になっている。」
そして教師は、なお口元を引き締めて真面目な顔で言った。
「こちら側からの瘴気を利用して異界との境目を歪ませ、あちら側からのアクセスで現世と冥界に小さな穴を開けたマッド・チルドレンは、冥界の気を吸い込んだ仲間の魂自体も穴から引きずり出して、現世で凶悪な悪霊にして…最新情報では現人神を襲う事件も起こしたらしい。」
「マッド・チルドレンが⁈現人神を?」
「ああ。現人神社会に衝撃が走るのはわかっているので、一部の者にしか、まだ知らされていないが女性現人神は特に狙われやすいから、今後、対策と通知が出される筈だ。」
カヤノは驚愕した。
背中には嫌な汗が噴き出し続けている。
そんな彼女を前に、今度はオグマに変わって、再びハルリンドが口を開いた。
「もはや、神の所業ではないわ。悪魔の手先よ…闇に墜ちた天使に逆利用される元・神様の端くれの哀れな子孫…。今回も紛れ込んだマッド・チルドレンが特定できていないからこそ、あんな瘴気が発生したのだと思うわ。彼らの呪術は毎回、凝っていて、神・社会への執念を感じるもの。」
ハルリンドの言葉にオグマが頷いて補足する。
「つまり、誰がマッド・チルドレンかわからなければ、突発的な瘴気発生とそれに伴う事件を未然に防げないんだ。冥界神があれに気を取られているうちに、紛れ込んでいる奴は現世からの手引きで冥界をうまく脱走…恐らく確実に魔神や悪魔も裏で力を貸しているが、大きなシッポを出さない。」
魔神も悪魔も規則や法律から冥界に無断で侵入できないが、能力的に入れないわけではないのだ。
ただ、そうした事により冥界神からの報復や、冥界側からのお咎めを受けた魔王経由の罰が下るのを恐れて、法を犯さないというだけである。
もしも、自分達に代わり、法を犯してくれる捨て身のマッド・チルドレンが冥界に入るというのなら、魔神がコマとしてそれを手伝う可能性はいくらでもあるのだ。
本来彼らは、神・社会に敵対する存在なのだから。
オグマは舌打ちをした。
「それにしても、今日に限って、瘴気発生地点に遭遇しちまうとは…。」
ハルリンドも顔を曇らせて見ていた瘴気の地帯に、諦めたような視線を這わせてからカヤノを見詰める。
更に、オグマの方を向き直って言った。
「本当ですね。それより先生、先程、アスター様が上空から目で合図をくれて、ドラゴンと共に瘴気の方角に駆けつけて行くのが見えたのですが…どうも、瘴気の勢いに変化が見られません。既に、この領地の冥界神も駆けつけている筈なのですが…。」
「それは。何かイレギュラーな事が起きているのか…手間取っている事があるのかもしれんな。」
「見ている限りでは、このままではすぐに治まらない感じがします。先生達と一緒に馬車に乗って待っていようと思ったのですけど…私も助太刀をして来た方が良いと思うの。」
「そうか…お前達は夫婦だしな。」
ハルリンドの言葉にカヤノは思わず、二人に話に割って入った。
「え?でもハルさん…あの瘴気の中には、闇の生物がいるかもしれないのでしょう?ハルさんに何かあったら、私…。」
カヤノは涙目で縋る。
戦闘ショーに出された経験を持つカヤノは、ただの魔獣でさえ死にかけるような目にあったのだ。
卵のうちから瘴気にあてられ続けて育ったなどという化け物が、一体、どれほど危険なのか想像しただけでも恐ろしい。
「大丈夫よ、カヤノちゃん。私は一応、人間交じりの現人神でもあるけど、ほとんど冥界神なの。本当はあなたを早く現世に送り届けてあげたいけど…現世へのゲートはここから近い。瘴気騒ぎの混乱に巻き込まれたら大変よ。だから、私も行って先にあのおかしな瘴気の正体を解決して来るわ。」
「三十木、ここは冥界神の指示に従った方がいい。この地は冥界。俺達はアウトローだ。現世行きのゲートにも異変があったら大変だ。俺達はここで待って、ハルリンド達が一段落したら指示を仰ごう。」
オグマもハルリンドの言葉に同意を示した。
カヤノだけがまだ、目に涙を溜めて首を振っていた。
「イヤ…ハルさんに何かあったらイヤなの!お願い行かないで。現世行きは急いでないから、ゲートの様子なんて知らなくていいし、馬車の中に一緒にいて、アスター様を待ってて下さい。」
「そういうワケにはいかないわ…。この馬車は特殊結界で守られてるから中にいる限りは魔のモノは進入できないし、御者もそのまま待機させるから…彼も下位だけど冥界神だしボディーガードにはなる。私がいなくても安全だから、大人しくこの中で待っていて?絶対に戻って来るから…。」
ハルリンドはそう言うと、次の瞬間、馬車の出入り口の鍵を開けて外に出て行った。
「ま、待って⁉ハルさん、待って!!」
カヤノは叫んで後を追おうとしたが、一緒に乗っていたオグマに体を押さえつけられて、馬車の中に引きずり戻された。
「バカ!お前が行ったら足手まといだ。たまには言われた通りにしろ!ハルリンドは、俺の生徒の中でも一、二を争う優秀な卒業生だ。勝算もないのに無謀な事はしない!心配は不要だ。」
外に出たハルリンドは馬車の御者に何かを告げてから、養成学校でオグマに学んだ通りに雲を呼び出して、颯爽とドレスの裾をひるがえして飛び乗ると、怪しい瘴気の渦巻いた場所へと黒雲で飛び去って行った。
その鮮やかな身のこなしは、ハルリンドがカヤノとは違い、さすがに神様なんだと思わざる得ない強大な神気に満ちていた。
だが、カヤノはそれでも彼女が心配だった。
当時の戦闘ショーで傷ついた少女達の姿が頭にチラついて、カヤノは震えた。
「オグマ先生…ハルさんに何かあったらどうしよう?私だけ…こんな所で守られていて卑怯だわ。」
オグマはしゃくりあげて、顔を涙でビシャビシャにし始めた卒業したばかりの頼りない生徒を優しく抱きしめた。
バカな気を起こしたカヤノが、また外に出ようとしないように、拘束を兼ねていたのかもしれない。
オグマの体は、アスターほどではないが大きくて、彼自身も男らしいタイプだ。
カヤノは咄嗟の事、硬直したが、それ以上にハルリンドに気を取られていて、すぐにされるがままに目を閉じて涙を流した。
「三十木は卑怯なんかじゃない。神でも人でも物でも何でも、得意分野があり、適材適所だ。戦闘に長けていないなら守られてたっていい。お前みたいなのを守る為に戦術に長けた奴らが存在するんだ。お前の天命は闘う事じゃない。」
オグマの声にグスグスと鼻を鳴らすカヤノ…。
教師の声は頭に入って来るのに、依然として震えが止められない。
「俺とした事が久々にミスをしたかなぁ。三十木、俺はお前を冥界に連れて来るべきじゃなかったか?」
オグマはカヤノの髪を撫でて、珍しく後悔の滲む弱気な言葉を口にした。
「何事も起きずに地上に戻れる予定だったんだけどなぁ。まさか帰り道に瘴気発生に遭遇するとは運が悪い。最近、現世の平和の裏側で悪魔どもがコソコソと気になる動きをしていたが…正体不明の瘴気といいマッド・チルドレンは、奴らと関りの根が深そうだな。」
魔獣の卵など現世には存在しないのだから、それをマッド・チルドレンが手にしている段階で彼らと魔界人との接点を物語っている。
オグマはそう考えながら、ハルリンドの行った先を見詰めていると、遠方の瘴気の立ち込める地帯から一瞬赤い空気がナリを潜めて、瘴気が一瞬霧散したように見えた。
「ん。瘴気の穴を誰かが塞いだか?」
オグマが目を凝らして細めた。
カヤノも瘴気が治まって行くのを目にして、『終わったの?』と呟き、体を窓の方へ寄せる。
しかし、すぐにそうでなかった事に気付かされた。
馬車の後方、窓から見えない方角から『ドッカーン!』と爆音が鳴り響き、今度はかなり近くから先程の瘴気と赤い砂塵の混じる空気が漏れ出しているのを感じた。・
窓の外からも薄っすらと赤に染まる空気の流れが見て取れて、カヤノとオグマに御者から声がかかった。
「マズいですよ!恐らく、あちらの瘴気の発生口を確定した冥界神が住民避難の為に一時的に塞いだのでしょう。ところが、どういうわけかこの付近に塞がれた瘴気と何かの赤黒い気が漏れ出しています。もしかしたら、闇の生物が瘴気と共に移動しているのかも…赤いオーラは化け物の吐息かもしれません!」
つまり、それは闇の生き物がこちらに移動して逃げて来たという事なのだろうか⁉
カヤノは恐怖から、更に自分の体の動きが鈍くなるのを感じた。
そんな彼女をよそに、オグマは冷静に御者に答える。
「正体はわからないんだろう?俺も文武両道型現人神だ。人間との混血ではなく両親揃って天上神だが兄弟も多くて反発から地上に赴任した。いざとなればアウェーの冥界でもそれなりに力は出せるし、中々戦力になると思うぜ?だが、敵が特定できないなら力のぶつけようがない。」
そこまで言うと、オグマは自分の横の小さな少女をチラリと一瞥した。
「それに俺が攻撃を仕掛けて、興奮した魔獣のとばっちりをうちの生徒が受けないか心配だ。なあ、どうすればいい?今から俺を残して馬車の気配を殺し、瘴気の発生地点から少しずつ離れられるか?」
「やってみます…と言いたい所ですが心配ですね。瘴気の中に何が隠れているのか見えないのでは、それが本当にこの近くにいるのか…動きもわかりません。どこに逃げればいいのかが特定できないのです。移動中は私は馬車を動かすので、カヤノさんに危険が近付いた時、瞬時に守り切れない可能性もある。」
「そうか…じゃあ、敵がもしかしてこちらに移動して来たなら、出てくるまでこのままの状態で待っておくか?」
「それがいいかと…。その後、オグマ様が腕に覚えがおありなら引きつけて下さい。その間に馬車をできるだけ遠くまで走らせます。あなたはそれを見計らって、適当に逃げて下さい。瘴気に交じって何かが姿さえ現せば、直にハルリンド様を始め、上級冥界神が駆けつける筈です。」
「よし、わかった。三十木、お前は皆に守られる存在な事を引け目に考えるなよ?お姫様が化け物と闘い始めたら、物語に騎士の出る幕がなくなっちまう。三十木はお姫様役なんだから守られてろ。一人にするかもしんないけど、何があっても馬車を出ちゃダメだからな?」
カヤノは視界の滲む目でぼやけたオグマのシルエットに何とか頷こうと顔を上げた。
その顔が痛々しくて、オグマは少々胸が痛んだが、語気を強めて念を押した。
「いいか?絶対だぞ?俺が外に出る時が来て…何があっても絶対に扉を開けるな。約束だぞ?いいな?」
その時だ。
今まで静まり返っていた大地から、真っ赤な太い触手のようにうねる植物の蔓がいくつも飛び出してきて馬車を揺らしにかかった。
この所、色々立て込んでいまして…土、日曜日のどこかでゲリラ投稿ができなかった場合、火曜日が更新予定になります。
毎度、ご迷惑をお掛けしています。




