春の嵐と恋の風65
シルヴァスとオグマ先生のツーショットです。
シルヴァスは、カヤノの入院中、毎日必ず病院へ通っていた。
それなのに!
その日も仕事帰りにカヤノを訪ねたら、何と自分には何も言わずに、彼女は退院していたのだ!
心底凍り付いた。
「どういう事さ⁈」
毎日、欠かさず通っていたのに!
彼女に尽くせるだけ、尽くそうとも思っているのに!
即刻、何があったのか担当医に聞けば、現人神養成学校の教師が手引きをしたのだという回答が返って来た。
いくら保護者だったとはいえ、血の繋がりもなく夫でもない自分が、一人前と認められる権利を得たカヤノの動向を完全に止められるとは思ってはいない。
だがカヤノは、病んでいた。
患者なのだ!
「しかも病院の費用を担っている僕に、無許可でカヤノを退院させるなんて、常識的にあり得ないだろ⁈」
頭にきたシルヴァスは、当然、学校を経由してオグマに連絡を取った。
「何を医師に言って脅したのか知らないが、一体何を考えているんだ。アレステル・オグマ!」
そして、すぐさま直接怒鳴り込みに行ったが、オグマはシルヴァスの為に用意した面談室の正面で涼しい顔をしている。
「そう怒るなよ。オタクに協力する為に退院させるって担当医には話したんだ。三十木の治療に関しては、ハルリンドが冥界医に診せる予定だし安心しろ。」
「よりによって、ハルの所にカヤノを連れて行ったのか?あの子は冥界には不似合いだ。」
「だが、本人の希望だぞ?学校に連絡をしてきたのは三十木の方からだ。それに心理や精神面を扱うなら、冥界の医師の方が優秀じゃないか。」
「いい加減にしてくれよ!いくら養成学校を卒業して、僕の保護権利が正式には喪失したからって、勝手に連れ出すなんて…今まで面倒を看て来た僕に対して、ヒドイ仕打ちだとは思わないの?」
「俺が退院させた事は、ちゃんとオタクに伝えるように、医師に頼んでおいただろう?」
オグマとは親友なわけでも、特別な感情を持っているわけでもないが、児童関連の仕事という共通点やハルリンドを通して、過去に何度か接点があり、知り合いという程度には認識していた。
その認識している相手の印象は、教師として信用できる男というものである。
それなのに、こうも簡単に『保護者である自分のソレを裏切るとは!』とシルヴァスは、歯ぎしりを繰り返す。
そんなシルヴァスを一瞥すると、オグマは頭をポリポリと掻きながら口を開いた。
「まあ、俺ら別に知らない仲でもないだろ?ってなわけで、一応これでもシルヴァス君の味方なんだぜ?俺は、三十木とオタクがくっつく事に反対もしないよ。」
「だったらなんで、こんな余計な事を?」
目を細めるシルヴァスにオグマが笑う。
「だから…オタクに手を貸してやっているつもりなんだがな?進路指導の担当者として、今年の卒業生の中で三十木だけが就職先や今後がハッキリしてないんだ。その事を俺は気にしていた…。」
「どういう意味だい?僕に手を貸しているって?僕は彼女が就職するのを全く希望していないんだけどね?そもそも彼女、今はそれどころじゃないし。」
「本当に?俺は永久就職を決めてやる手伝いをしようと思ってたのにな。残念だ…いらぬ世話だったか?」
「おい⁉それ、ちょっと…どういう事???」
縋りつくように相手の肩をつかみ、強く揺するシルヴァスに、不敵なオグマがニヤリと笑った。
「そのまんまだが?俺は教師として、生徒に適した将来を進ませてやる義務がある。だから、シルヴァス君に協力してやろうと思って余計な事をしてんだが…迷惑だったかね?」
「だ、だから、詳しく説明して!」
オグマは立ち上がって歩き出そうとした。
「だったら、俺はもう帰る所だったんで、これから地上で一杯やりながら話さないか?」
時刻は既に夜の9時を回っている。
シルヴァスが学校に何らかの接触をしてくるのを想定していたので、オグマは家には帰らず校内で待っていたのだろう。
相手の言葉に目を見開くシルヴァスは、遅れて立ち上がると次の瞬間、今度は先程のオグマに似た不敵な笑みを浮かべて見せた。
「わかった…いいよ。謎々遊びかな?楽しいのは好きだよ。気ままで衝動的で…刹那的なのが精霊だからね。受けて立つさ。差しで飲もうじゃないか。」
☆ ☆ ☆
どう見ても自分と同じ元外国籍の帰化組・現人神に見える派手な外見のオグマ行きつけの飲み屋は、意外にもカウンターの他に座敷を個室風に仕切った古き良き時代の大和皇国風らしい居酒屋だった。
店先には、赤ちょうちんが立ち並ぶ人間界の一般の店だが、裏路地に入ってからは、呼ばれた者しか辿り着けないようになっている。
一度、呼ばれてしまえば、いつでも利用可能な不思議な店で、店主は猫又という妖怪なのだという。
シルヴァスは入店早々、胡坐を掻いてから座敷で行儀悪く片膝を立て座ると、オグマに店について文句を言った。
「猫又の店かぁ~。僕、あんまり妖怪系の店って得意じゃないんだよ。何を食べさせられるか不安なんだよね。」
「まあ、そう言うな。ここは安全だ。ちょっとメニューが偏ってはいるが、つまみはうまいし…リーズナブルなんだ。」
そうオグマに言われて、シルヴァスがすかさずテーブルの上のメニューを手に取って見る。
メニュー表には、めざしの炭火焼き、骨せんべい、魚の頭の煮つけ、お勧めの猫まんまに温泉卵…なぜか猫缶なる物が目に入り、シルヴァスは肩を落とす。
「おい…最後のが一番の理由なんじゃないのか?りーずなぶるってトコ!仕事量の割に安月給って噂の先生様ぁ?」
「安月給で悪かったな!それ、学園長に言ってくれ。この店、養成学校の教師達で打ち上げや集まりによく利用するんだぞ。」
「ゲッ!やっぱり質より値段じゃないか…。」
シルヴァスの頭の中では、教師と自分を含む役所仕事の従事者は皆、基本ケチだと相場が決まっていた。
クシティガルヴァスなんぞは、内勤中の動向を見ていると、何度も茶葉を変えずに淹れた緑茶を啜っている。
出がらしすぎて、色がつかなくなっても気にならないらしい…。
中にはそうでない者もいるが、そういう奴は出世をする傾向にある。
そして、自分はそちらの方だと思いたいとシルヴァスは遠い目をした。
そんなシルヴァスにオグマは、首を捻りながら声を掛ける。
「何で、そこで納得するんだ?」
「いや、もういい…。それより話をしてくれるんだろう?」
「ああ。」
オグマは答えると、シルヴァスと二人で生ビールを頼んで話しを始めた。
そして、オグマが自分に手を貸そうとしているという事実にシルヴァスは納得したのだった。
オグマは言った。
「俺が見た限りでは、三十木はオタクの傍にいるのが一番幸せになれる気がする。」
その最初の一言で、シルヴァスの機嫌は、簡単に急上昇を始める。
「アイツは健気で非力で頑固だが芯が強く、血は薄くても不動の性の現人神だ。その性の影響か宿命的なもんなのか…自分では自由に動き回れない星回りは、正反対でどこまでも自由なオタクと対照的で相性が良い。」
オグマの会話を黙って聞くシルヴァスは、『うんうん』と首を小刻みに縦に振って頷き続ける。
「何も三十木は現人神としてバリバリ仕事を熟さなくても、職に就くだけが社会貢献というわけではないし、誰でも適性というものがある。三十木は動き回るのは向いていないし、アイツを常に愛でてやる者が必要だと俺は思うんだ。」
シルヴァスは相変わらず、腕を前に組み直して再び『うんうん』と頷いた。
「少なくとも、現時点で三十木の周りにいる奴で一番相性が良さそうなのは、元・風の精霊様だと直感した!アイツが心身ともに傷だらけなのは知っているが、更なる己の成長を芽吹かせる為にも愛情という養分を心置きなく吸収して、委縮する事なく伸び伸びと本来の性を取り戻してもらいたい!」
「同感!その通り!」
シルヴァスは、そこで調子良くオグマに合いの手を入れた。
酒も入って調子づくオグマは、気を良くしたように続ける。
「その愛情は誰が相手でも良いというものではない。やはり、自分が求める相手…自分が欲しい相手のものでなければ意味がない。愛情は誰でも欲するエネルギーの一つだが、三十木は両親の愛情も子供時分で打ち切られてしまったし、傷が多い分、特にそれが必要だ。」
「オグマ君、良い事言うねぇ。カヤノの求める愛情が僕っていう風に聞こえるよ。いやー、さすがベテラン教師!見る人が見れば、わっかるのかなぁ~?」
気付けば、オグマの架空の鼻は、一尺ほど伸びている…。
「勿論。俺の眼力は他の教師と比べて、群を抜いていると自負している!その辺の若造ボンボン教師と比べてもらっては困るな!!」
オグマの言葉がそこで終われば、シルヴァスは一般的なギャラリーの反応と同様、この教師の自画自賛モードに飽きれている事だろう。
しかし、シルヴァスは次に続く言葉をオグマから聞いた。
「そして、そんな俺が言うんだから間違いない!三十木は神力の相性がいいだけではなく、君に似合う女性に成長した。彼女は悲しい過去を持っているにも拘らず唯一、オタクを異性として恐れない…その瞳には恋情が孕んでいるからだ。」
アレステル・オグマの口頭の言葉を心中の言葉に翻訳すると…。
『三十木は君に似合う女性に成長した』
→三十木は君好みに育てられてしまった(残念ながら)。
『オタクを異性として恐れない』
→不本意だが、いずれ誰かに嫁がなければならないのなら必要案件だ。
(完全に騙されていると思うが永遠に騙されたままで済むならそれもアリかと思わざる得ない。)
『瞳に恋情が孕んでいる』
→他にも男はいるのに…まさかこの男がいいなんてなぁ。
(可哀想に…この男のフィールド内で生活させられては当然か。)
という『今更どうしようもないから諦める』という思いが根底にあるのだが、オグマの口から出た言葉だけを耳にしたシルヴァスは、へにゃっとだらしのない顔を作った。
オグマは、口こそ悪いが類い稀なる洞察力を生徒達一人一人に向けられる有能な教師だ。
そんな教師から見て、そんな風に見えるのかと思えば、シルヴァスを喜ばせない筈はない。
シルヴァスは、オグマの言葉を頭の中で何度もリフレインさせてはリピートして、居酒屋の座敷で個室風とはいえ、他の客の目を憚らずに悶えた。
『僕に似合う女性!』『唯一!』『恋情!』
なんていい言葉!!
「つまりはだな…シルヴァス君。三十木は不安定で世界の全てにまだ怯えているんだ。だが、子供の頃から女は女だ。オタクに出会って、彼女は何かを感じたのかもしれない。オタクにとっちゃ、単なる子供だったとしてもな。」
「いやいや、先生。わかるよ、何となく。そう言えば、僕も確かに彼女を子供だと思い、当時はハルに気を取られていて気付かなかったけど…知らず知らずのうちにカヤノの事を目で追ってきたような気がする。結局、引き取っちゃったし。」
気になってしまうという事は、理屈ではないのだ。
自覚がないうちに、大切な相手だと認識して接している事だってある。
事実、自分はそうだった。
恋というのは、相手が自分にとってメリットがあるからという理由で落ちるわけではない。
「だからな、俺が言いたいのはそういう事ではなくて…少しくらい三十木を長い目で見てやって欲しい。ずっと、オタクの用意した生活に満足して好いてくれていたんだから、彼女のインスピレーションを信じて、しばらくはやりたいようにさせてやれ。」
「でもさ、オグマ君。いや、オグマ先生…それはわかるんだけど、その不安定なカヤノから目を離すのは僕としては心配なんだよね。そこまでわかってくれてるなら、長い目とか言わないで、早く返してくれないかなぁ?」
「慌てるな。三十木が望めば、オタク以外だって彼女を娶ろうとする奴はたくさんいるんだ。お前さんが心配するのは当然だが、確実に本人から選んでもらいたいとは思わないのか?」
「そう思っているよ?今までだって努力してたし…ちゃんと好きになってもらいたいから全力で口説いてる。ねえ、君、さっき仕事するだけが社会貢献じゃないみたいな事を言ってたけど…サルマンみたいな考えは本当に持ってないんだよね?彼女を一度は社会に出したいとか。」
「俺は、本人が望むのでもサルマンが望むのでなく、彼女らしくあれる未来を歩ませたい。それが一番幸せでいられる条件だ。生徒が幸せになれるのなら社会云々はどうでもいい。だからこそ、自分の好いた相手と一緒になって欲しい。そいつも彼女が好きなら何の問題もないだろう?」
シルヴァスは再度、『うんうん』という頷きを開始した。
勿論『それなら早くカヤノを僕に返してくれ』という思いを込めて…。
オグマは続けてシルヴァスの欲しい言葉を奏で出す。
「自分が担任をしていたクラスの小娘どもが、誰かに嫁ぐと聞かされる度にめでたい反面、正直、そう易々とやりたくないという複雑な気持ちにもなるんだが…三十木の場合は卒業後に一人立ちさせるには心配すぎるしな…。」
「うんうん。」
自分の受け持ったかつての生徒達を思い出してか…そこまで順調にシルヴァスの欲しい言葉を奏でていたオグマの雰囲気は少し険しくなった。
そして、言動も雲行きが怪しい。
「仮に、三十木の相手がお茶らけたように見える軽そうな茶髪の顔面詐欺と噂されている落ち着きのないどこそこと飛び回っている無自覚で残虐な精霊野郎だとしても…。」
「うんうん…ん?」
「自分はあちこち動き回っているクセに、大事なモノは縄張りから出さないでしまい込む自分勝手男の知能犯だとしても…。」
「おい…ちょっと待て。」
「俺だったら、もっと良い男を見付けて来てやれる…諦めろ!と言ってやりたくても、狂暴な風は暴風につき、抑えられないとわかっているから…。」
オグマの言動が少しづつ穏やかでなくなってきたのにつれ、シルヴァスは首を傾げて、額に汗をたらりと流した。
「仕方なく黙って様子を見ていた所、本人もどうやら奴が好きらしいという絶望的状況に気付き…。」
「絶望的ってどういう意味だよ⁉」
「それなら仕方ないから…応援してやるしかないじゃないか!」
<オグマ・嘆きの心の声>
↓
難儀な状況につき、他の男にこの先、同じような恋情を持てる可能性が著しく少ないんだから…。
しかも、いつの間にかロックオンされているし…。
この状態から、この男から逃げ切れる可能性を考えると、抵抗する事に力を貸しても精霊様のまた違ったスイッチを押してしまい兼ねない…それなら穏便にくっつけてやった方が三十木の為だ。
「オグマ君…。」
シルヴァスが何となく腫れ物に触るような姿勢でオグマを呼んだ。
大して強くもない酒がきいて来たのか、オグマはやや横揺れになって話を続ける。
「三十木は斜め方向に物事を考えて、自ら自分を非議してばかりいやがるんだから。周りが認めてやらなけりゃ、自分の権利や欲しいものだってつかめない。恋の魔法はアイツが思っている以上に厄介なんだって…。」
「ああ、そうだね。確かに…僕もそれは厄介だって思っているよ。」
「そう簡単に手放せる感情じゃないんだって実感させてやらなけりゃ、オタクの傍にいても良いって思わせてやらないと、難儀な三十木が精霊様の元に根を下ろせるように。だって、アンタなら彼女を大事にして他の者なんて目に入らないように幸せだけを見せてやれるんだろう?」
「君、ちょっと嫌な奴かな…と、一瞬思いかけたけど、やっぱりいい先生なんだね。勿論、僕は彼女のほんのちょっとの涙で、何倍もの幸福を与えてあげる自信があるよ。」
「だから、俺は三十木の就職先を…アンタに決めた!」
「よっ!イケメン、名教師!!ソレ大正解。」
こうして、一度は雲行きが怪しさを見せたものの、シルヴァスとアレステル・オグマはお互いに気を良くして、その後、深夜までお互いを褒め合いながら飲み明かしたのは言うまでもない。
そして、オグマは最後に『だからこそ、自分は冥界に三十木を連れて行ったのだ!』と告白した。
「シルヴァス君、このまま、三十木を手元につかまえておくのは逆効果だ。押してダメなら引いて見ろって言うだろう?しばらく、会わない時間を作るのは良い事だ。周りが見える。」
「でもさ、そうする事で彼女がうちから遠退いたりする可能性はないの?」
「そうなるなら…最初から縁がなかったと思えよ。」
「ちょっと何?今の発言、無責任ー!」
「まあまあ、三十木がハルリンドの所を頼ったのは良かったじゃないか。あそこは死者の国だからな。丁寧に扱われた所で生の気の強い神力持ちの三十木には、さぞ居心地が悪いだろう?オタクみたいに強い気を持っていれば別だが…三十木は小さくて神力が少ない。」
「…本当に大丈夫なの?」
シルヴァスはカヤノが心配になる。
冥界は死者の願望を再現した世界でもあるが、同時に不安定に人の思いに揺らぎやすく、瘴気や負の念も堪りやすい。
定期的に力の強い冥界神達が自分の管轄を浄化している事で平和を保ち続けている。
地上より下の世界という事もあり、地獄界や魔界等の陰の気質の強い階層に属すだけあって、そこからたまに侵入者や影響を受ける事もあるし、全く危険がないわけではないのだ。
現世に比べれば、そういうものとの遭遇率が高い事は否めない。
その辺は、貴族クラスであるアスターやハルリンドがついているので安心ではあるが、それにしたってオグマが言った通り、カヤノには居心地の悪い空間である事は間違いなかった。
「取ったビザは三か月。一年、二年となれば風化して冥界に属しちまうだろうが…ビザの期間内程度なら平気だ。オタクの守護がなければ色々現実が見えるし、冥界にいれば直に地上が恋しくなる。それが恋情によるもので、離れる事ができないのだと錯覚してもらえればしめたものだろう?」
「あのね…カヤノはとっくに僕への恋心を認めてるんだよ。問題はそれなのに、離れたがっている所なの。それに錯覚させるんじゃなく本気でそう思って欲しいんだよね!」
シルヴァスの荒げた声に、オグマは黒い笑みを見せた。
「おい、まさか嫁取りが絡んでいるのに…そんな綺麗ごと、本気で言ってるわけじゃないよな?だとしたら、まずはモノにしてから頑張んな。」
ん?どこかで聞いた言葉だな…。
いや、モノにしてから考えろとアドバイスしてくれている時点でクーガよりは親切か…。
って、コイツ、独身のクセに何だってこんなに色々的確なんだ⁈
シルヴァスは、オグマが未だに独身でいる事がかねてより不思議だった。
だが、シルヴァスはオグマの恋人にだけ見せるオカン度のレベルの高さを知らないのだ。
オグマは寒い部屋では『毛糸のパンツをはいてるか?』などと、下心があるわけでもなく平気で確認する男だ。
当然、ウザさからできた彼女は、次々と離れて行くというもの。
振られた数は星の数で…通算何度目の失恋か数えるのも忘れるくらいだ。
そんなオグマがドヤ顔という奴で、知った風な恋愛理論を唱える。
「フッフッフ。シルヴァス君…恋心を三十木が認めていてもだな。彼女がオタクと離れるくらいなら…ってくらいに思えるほど冥界で弱ってから会ってみろ。偽りの『生』を演じている死の世界を見た後、本来の地上の香しい風に出会っただけで、きっとオタクが特別に見えるぞ?」
「だ・か・ら、もうカヤノは僕を特別だって認めてくれてるんだってば!でも何か、オグマ君が言うと…色んな事がうまく行くような気がするな。僕、丸め込まれてる?」
「ハハハ。ちなみに俺は、教師界のキューピッドとも言われているんだ。」
(自分には一切、効力が発揮された試しもないがな…。)
「フフ。スゴイね、ソレ。さすがオグマ先生・様!…で、それは誰が言っているの?その言った奴、キューピッドとか見た事あんのかね?それにしても奇遇だな。僕は恋の預言者と言われているんだ。」
(自分の恋愛については全く見えやしないけどね…。)
シルヴァスは若干、目を細くしたが、自身の恋愛経験が今一でもオグマが言っている事は、あながち嘘ではない。
なぜか、オグマは自分の事以外には勘が良く、生徒の恋愛事情が絡むと神懸りなのだ。
シルヴァスは、今も鼻を伸ばしかかるオグマに向けて、クスリと笑った。
「フフ、キューピッドはないけど、いい働きはしてくれそうだよね。卒業しても生徒の仲人業にまで精を出してそうだもん。」
シルヴァスの言った事を聞いて、深く一つ頷いたオグマは急に真面目な表情になって、釘を刺すように言った。
「けど、いいか…向こうが地上に戻るというまでは、絶対に姿を見せに行ってはダメだぞ?絶対に三十木には会いに行くな。ホームシックになってもらうのが目的だからな?」
「辛いけど…わかったよ。本当は、今すぐに冥界行きの申請して来たいけど我慢する。彼女を目の届く場所に連れ戻したくて仕方ないんだけど…。」
「よし、じゃあ精霊様お得意の契約と行くか?まずは、誓いのしるしに明日まで飲み明かすぞー!」
こうして二人の夜は、更けて行ったのである。
そして、この後、シルヴァスの酒の弱さにオグマはオールナイトを進めた事に後悔する事になるのであった。
オグマはグッタリするシルヴァスを自宅まで送り届けながら思う。
実は、シルヴァスにはああ言ったが、過去のハルリンドを含め、卒業したての生徒に永久就職を進めるのは、あまり気が進まない。
せっかく自分達教師が生徒達に色々と教え込んできたのだ。
少ない期間だとしても、是非、自分達の実力をどこかで実感して来て欲しい。
サルマン同様、オグマだって、そうした気持ちがないわけではないのだ。
だが、三十木カヤノがシルヴァスを好いているのは一目瞭然だった。
彼女のトラウマはそう簡単には拭えない。
しかし、記憶操作をオグマは良しと思ってはいない。
都合の悪い事を忘れた所で魂の記憶は、アカシックレコードと呼ばれる大宇宙レベルのデーターバンクにそれぞれの生き様として記録されてしまうのだ。
自分の頭から事実が消えた所で、本来の行いの痕跡も起きた事実も無になる筈は決してない。
それは人間で言うならば、転生後に刈り取らされる業であり、神族を含めた人外だって大いなる神のデーターバンクに刻まれた事実から逃れる事はできないのだ。
因果応報。
因果は必ず巡って来る。
それならば、何事も逃げずにいた方が良い。
そして、三十木の状況は、一人では到底乗り切れるものでもない。
彼女は事故同様で記憶操作を受けてしまったとはいえ、それは状況の改善とは言い切れないものだ。
本性がいかにもスゴそうな精霊様に、そんな生徒を引き渡すのは複雑だが、それでも彼女が何も気付かずに幸せになれるのなら、それも良いかと思ってしまった。
何よりも彼女の恋情を優先させてやりたい。
そう思わせるのは、自分を見るだけでビクリと体を跳ねさせる三十木カヤノが、学校行事の際に見せる保護者への照れたような嬉しいような顔が、妙にいい顔で可愛くて、輝いていて、精霊と伴にいれば彼女はこうあれると、オグマに思わせたからだった。
それからオグマは、難アリ生徒の一人として認識していた彼女を常にチェックしていた。
何事もなければ、そのまま見守っていようと思っていたのだ。
だが、同僚で後輩のサルマンが事もあろうにこの難アリ生徒に恋慕を始めたのと、次々に起こる彼女の厄介ごとを知り、『三十木、お前もか⁉』と過去迷惑を掛けられた不幸体質の生徒の顔を頭の中でチラつかせながら、彼女が少々、難儀な星回りである事を本格的に確信してしまった。
これは、だた見守っているだけではいけない…。
オグマは老婆心ながら、シルヴァスと三十木カヤノをしっかりと結びつけるのに手を貸してやる事を決意したのである。
「今年の卒業生の最後の一人の行先が決まらないと…俺も気が気じゃないからな。」
人間仕様の普通のタクシーを呼んで、シルヴァスの自宅マンションに着くと、いつの間にか泥酔した彼の体をベッドに転がしてオグマは言った。
「全く、好きな割に酒に弱い精霊様だ。泣き上戸だったり突然キレたり、一緒に飲むにはハードな男だよ…三十木はこういう時、しっかりしてそうだからシルヴァス君には良い奥さんになりそうだな。」
オグマの一言にシルヴァスはムニャムニャと口を動かしている。
「うぅん、カヤノぉ、平気だからぁ~。もう一杯飲ませてぇー。」
「クソウザイな。寝惚けて三十木と間違えるとは…俺は帰るぞ?鍵はポストに入れとくから。」
最後にそう言い残したオグマは、シルヴァスのマンションを後にすると、日の昇り始めた方向に向かって歩き始め、鼻歌と共に光の地平線上に消えた。
きっと、彼の家に帰ったのだろう。
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