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春の嵐と恋の風61

また一波乱。

カヤノの神経回路が少々心配になってきました。

 ここに来て、立て続けに病院を訪れる事になってしまったシルヴァスとカヤノ。


この所、シルヴァスの仕事もクシティガルヴァス頼みだったが、本気の伴侶ゲットへの取り組みをしている最中であると知る相棒は、何だかんだ言っても協力的だった。

今回も急な休みを取ったにも関わらず、文句を言いながら、自身の勤務時間を延ばしてでシルヴァスの分の最低限の仕事量をカバーしてくれている。


これには、いつか彼にお返しをしなければならないと、病院の待合室でカヤノが診察室に呼ばれるのを待っている間、シルヴァスは考えていた。


そして、意識が職場に向かっていたその時、意に反する呼び声を聞く。



「うっそぉ⁈カヤノちゃんじゃないか!昨日は大丈夫だった?俺、後から心配になっちゃってたんだ。」



シルヴァスとカヤノは、その声に反応して体を揺らした。

声の方向に振り向く瞬間、シルヴァスは片方の小鼻の横のシワを引きつらせる。



「そんな心配をするくらいなら、カヤノにストレスと精神的打撃になるような話をするんじゃないよ…このバカ上司!」



シルヴァスの口からは『春ではなく北風の精霊なのではないか?』と思えて来るような冷たい声が出た。

二人が振り向いた方向には、正にこの事態を引き起こしてくれた諸悪の根源である昨日の包帯男=シルヴァスの職場で評判の()()上司がいたのである…。

包帯男は、昨日の自分の行いを反省する気配もなく図々しくカヤノの方に近寄って来た。



全く…この男には罪悪感というものがないのだろうか?



シルヴァスがいつものように、すかさず間に入る。

そして、カヤノには見せない顔で睨みつけた。



「昨日はとんでもない事をカヤノに言ってくれたな。今日こうして僕らが病院にいるのは、君のせいでカヤノが発作を起こしたからだ。青少年課の者として、保護対象者の情報を漏洩させるとは、許すまじき行為だぞ?上に報告するから覚悟しろよ。」



包帯男は一瞬怯み、途端にガタガタと震えだした。

情報漏洩だなんて、そんな大それた事をしたつもりは本人にはないらしい。

そんな事もわからないのかと思うが、基本、この男は良く物事を考えない性質なのだ。

良く言えば、子供のように純粋で大らか…悪く言えば無神経の能無し。

そんな男が普段使わない頭を使って、シルヴァスの密告により、上からお咎めがあるかもしれないと考えて戸惑い始める。



「ちょっと、待てよ。シルヴァス()!それは大袈裟すぎだろう?外に情報を出した訳じゃないんだぞ?カヤノちゃんに本人の話をしただけなのに…上に報告って…そんな…イケずな事言うなよ。」



シルヴァスは更に顔を歪ませて、呆れた眼差しを包帯男に送った。



「そう思うなら、僕が上に報告したって痛くも(かゆ)くもない筈だな?」


「うぐっ⁈そ、それは…。」


「とにかく、なぜそっちも同じ病院にいるのか知らないが、カヤノの前から今すぐ消えてくれ。青少年・児童保護課の上層部から、君の彼女への接触を禁じるように命令を出してもらおうと思っているくらいなんだからな。」


「それじゃあ、俺が危険人物みたいじゃないか⁈俺はたまたまお前にやられたケガを診察しに来た所だったんだ!包帯がズレると動けないから、ほぼ毎日通っているんだぞ。()()()()()で!」


「充分、危険神仏(人物)だろう?とにかく、今も僕らから目の入らないどこかへ行ってくれ。カヤノが怖がる。それに、ここは精神科のフロアで外科はない筈だけど?」



そこに昨日、包帯男の運転手として付き添っていた男が現れた。

どこか離れた所から、面倒を看ている包帯男の様子を見つつ、こちらの話を聞いていたのだろう。

現れた男は話に口を挟んだ。



「坊ちゃんは、シルヴァスさんの悪口やケガの文句と包帯グルグル巻きへの不平不満ばかりを延々としゃべるので、うんざりした外科医が『そんなに不満があるならカウンセリングでも受けてろ』と精神科に押し付け…いえ、そのままこちらに行くように指示されたんですよ。」



シルヴァスは目を細くして、運転手兼付き添いの男にわざとらしく、物言いたげな視線を向けて言った。



「それで君は、単なる病院への付き添いだけでも時間がかかるのに、おしゃべりがうざくなった外科医に精神科へ追い払われて、またコイツの順番待ちをつき合わされている最中というわけだな?」


「はい…。」



付き添いの男もまた、付き添っている包帯男に対してシルヴァス同様に目を細めて一瞥すると、素直にシルヴァスの言葉に頷いていた。

すると単純で直情型の上司=包帯男が憤慨の色を見せる。



「おい!お前は僕の味方だろうが⁉何でシルヴァスに同調してんだよ。」


「いえ、坊ちゃん…自分は坊ちゃんのお爺様に心配だからついて行ってやってくれと()()()()()()仕方なく…。」


「うるさい!うるさい!うるさい!」



包帯グルグル巻きのせいで、たたでさえ視線を集めている男が大きな声を出したので、近くを歩く看護士や患者が人差し指を口の前で立てて、『シーッ!』という形を一斉に作って去っていく。

赤面した男は、矛先をカヤノに変えたように彼女の方を見ると、居たたまれなさからか言わなくても良い事をヤケを起こして次々と言い放った。

全くバカである…。



「大体、俺はカヤノちゃんの為に薬を届けるのを請け負ってやったのに、コイツにケガまでさせられて…被害者なんだぞ?何で上に報告されなきゃいけないんだよ⁈それに昨日カヤノちゃんに会ったのは偶然で、俺は家の前まで車でわざわざ送ってやったんだ!」



カヤノは大きく目を見開かせた。


彼女にしてみれば、送ってなどもらいたくはなかった。

家は歩いて帰れるほど近いのだ。

いきなり、男の方から話し掛けてきて、断ったのに強引に乗せられたような感じだったのに、男の言いようではこちらも送ってもらいたかったように取れる。

しかも、男が話した内容は、児童保護課の職員として接触した対象者であるカヤノの情報を調べておくのは当然の事をしただけだと、自分は単に薬を届けただけの関りしかないのに、もっともらしく主張した。

何という自分勝手な言い分だろうか。

カヤノは男に嫌悪感を抱いて体を強張らせた。

彼女の固まった体と表情も気にせず、包帯男はまだカヤノに続けて口を開き続ける。



「それに彼女の発作だって?言いがかりだ!俺は何にもしていない。彼女が勝手に起こしたんだ。ハッキリ言ってトラウマなんて気合でどうにかなるんだろ?記憶がなくなっただけで治まってたんだから…普段から甘えの多い脆弱な心を鍛えれば治るんじゃないの?」


「ぼ、坊ちゃん⁉心に傷を負っている女性に何て事を…もう、その辺で口を閉じて下さい!」



付き添いだという男は、何を言い出すのかと慌てて包帯男を取り押さえたが、その口は止まらなかった。

更に包帯男の口からは、シルヴァスを攻撃する代わりに、弱い立場であるカヤノばかりをターゲットにして、心無い言葉が次々と飛び出して行った。



「だって、マッド・チルドレンに捕まってたのはカヤノちゃんだけじゃない!結果的に五体満足で助かったんだからいい方だ。体の傷だって自分の意志で残しているだけで本当は消せたんだ。何年も経っているのに未だに男が怖いだなんて甘え以外にないじゃないか!」


「坊ちゃん!!」



付き添いの男はついに叫んだ!

マッド・チルドレンの件に関しては、記憶があった時だって、周りは気を使って気軽に触れたり会話には出さない内容だったのだ。

普通に考えれば、カヤノの過去の児童課の報告書の資料を見ただけで、辛い記憶に違いないと想像がつくというのに…専門家が、いや、専門家だからこそあえて痛い所をつくのかもしれないが、触れてはいけない部分だという事は誰でもわかる筈だ。

それなのに言ってはいけない事を言ったという過ちに後ろめたさすらないのか…包帯男はカヤノに向けてラストスパートとばかりに声を張り上げた。



「薬をもらっといて、今も俺が教えてやんなきゃ何も覚えていないって事は、飲んでないんだよな?つまり過去を思い出すのも怖いんだろ?そんなだからシルヴァスは心配で、情がうつった養い子をこの先も引き取ってる感覚で恋人関係に持ち込んだんじゃねえの?だって君、地味じゃん!」



その刹那…。



「ド、ガシャアァァァン!」



爆音が院内のフロアに鳴り響いた。

怒りを堪えきれなくなったシルヴァスが、精霊の力を爆発させてしまったのだ。

包帯男は、シルヴァスによって院内の強化ガラスを突き破り、窓の外に真っ逆さまに落ちて行った。

着地地点に到達したのか、最後に鈍い音が聞こえたがここは病院だ。

事の事態を偶然見合わせた院内のスタッフが、数名の看護師に耳打ちし合って、包帯男を救出に向かった。


シルヴァスの瞳は、依然興奮状態で明るい緑色に輝き、包帯男の付き添いで来ていた男はシルヴァスに深く頭を下げて何度も謝り、何も口を開かないシルヴァスから一歩、二歩と離れると謝りながらも後日謝罪に行くとしきりに繰り返しながら、包帯男の方へと走って行った。

彼も、包帯男を任されていた責任があるのだろう。

結局、何も機能しなかったが…あのような予想不可な問題行動をするのだから、付き添う男には少々荷が重く、()()()()()()の責任を持たされるというのも気の毒ではあるのだ。


そして、カヤノの方は震えながら、トラウマを完全に再発させていた。

いや、既に昨日から…もっと言うならサルマンの一件から、かなり再発が進んでいたのだが、今回のは完全に重症化しているのがシルヴァスには感覚でわかった。

シルヴァスはハッとしたように、急いで診察室のドアを叩き、カヤノの状態を中の担当医に伝えてもらおうと看護士を呼んだ。


そのほんの一瞬の間だった。


自分でもどうして良いのかわからないカヤノは、汗の滲む震える手で一応と言って持って来ていた前回、担当医の出してくれた薬を探そうと、待合室の椅子の上に置いたままのシルヴァスの鞄を漁った。

ショックのあまりと包帯男への嫌悪感による気分の悪さに手の震えで薬が中々探し当てられず、カヤノは何度かシルヴァスの鞄をかき回したが、代わりに因幡大巳の記憶を戻すという瓶に入った薬の方が彼女の手にコツンと当たった。


まるで運命の導きのようにその薬に気付いたカヤノは、包帯男が『過去を思い出すのも怖いんだろう?』と言った言葉を思い起こし、咄嗟にその薬を手に取った。



「こ、怖いわけじゃないわよ。」



カヤノの心は悲しみと苦しみの(はざま)にあり、彼女の行動に誤作動を起こさせたのかもしれない。

彼女は握っていたその薬の蓋を外すと、憑りつかれたように一気にそれを飲み込んだ。


患者の順番を急遽飛ばして、突然の発作と聞きつけた担当医を連れたシルヴァスが駆けつける瞬間だった…。


颯爽と吹く風のようなシルヴァスでも、あと一歩の所でカヤノの行動を制するのには追い付かず、彼が目を丸くしてカヤノが瓶を口にしたのを見て『カヤノ、やめなさい!』と声を張り上げたのと同時に、彼女は瓶の中の液体を全て飲み込んでしまったのである。


すぐに瓶が床に落とされ、パリーンと音を立てて割れた。

カヤノは一層、激しく震えだして、その場にへたりこんだようにペタンと座った。



「キャアアァァッ!」



そして次の瞬間、すぐに駆けつけるシルヴァスと担当医の姿を見るなり、彼女は叫び声を上げて気を失ってしまったのである。



 それから数刻。


カヤノの意識は戻らなかった。


夢を見ているのか…『うーん』と唸っては時折涙を零して、目覚める事のないカヤノに寄り添いながら、シルヴァスは彼女の汗をぬぐい、自身も涙をほんの少し滲ませていた。



「カヤノ…一体、どんな夢を見ているんだろう。夢の中で僕意外の何かに泣かされているのかもしれないと思うと、可哀想で泣けてくるのと腹が立って泣けてくるのが入り混じった複雑な気持ちになるよ。」



たまに様子を見に入って来る担当医は、シルヴァスの呟きを耳にして微妙な表情を浮かべつつ、励ますような言葉を掛けた。



「大丈夫ですよ…急に失った記憶が大量に復活して混乱を起こしているだけです。一生、目が覚めないわけではありませんから。あの、くれぐれも腹は立てないで下さいね?」



医師の頭の中には、待合室に偶然居合わせた看護婦から聞いた吹き飛ばされて地面に真っ逆さまに落ちた包帯男の話が浮かんでいた。


 その日、病院の入院用の部屋でシルヴァスとカヤノは一泊を過ごす事になった。



 ☆   ☆   ☆



 それから、夜になり、次の日の朝が来て、チチチと鳥のさえずる音が聞こえて…。


シルヴァスは、カヤノのベッドにわきに置いた面会者用の椅子に腰かけて、うつ伏せの状態で一緒に眠っていた。


一足先にようやく目を開けたカヤノが、自分の手を握る温かい感触に気付き、恐る恐るその方向を目だけを動かして盗み見ると、そこには疲れて眠るシルヴァスの姿があったのだ。


彼が一晩中、自分の傍にいてくれたのが一目でわかった。

だが、唯一、怖くなかったシルヴァスの手が大きい事を意識した途端、カヤノは急に汗が滲み始め、慌てて自分の手を引き抜いた。


カヤノはそれに申し訳ない気持ちと、自分に寄り添ってくれている事に対して、温かい気持ちが広がって行くのを感じた。


それと共に昨日、薬を飲んだ事で忘れていた事を一気に思い出して、シルヴァスに対しての怒りも覚えていた。

いくつもの感情が織り交ざるのに混乱して、結局最後はシルヴァスへの怒りに感情を固定させる。



シルヴァスってば…私の記憶がないからって!

もう、二人が恋人だったみたいな言い方をして!

ヒドイ…私を騙そうとしたのね!!



自分が良いように騙されていたと強く感じたカヤノは、目覚めた後、数分で悔し涙を流し始めた。

最初は一晩中、自分に付いていてくれたシルヴァスに、温かいモノも感じていたというのに…。

カヤノは記憶の中のハルリンドへの思いやシルヴァスに自分の当時の告白を間接的に断られた件…自分を選ぶ事に踏み切れないと彼に言われた事を、まるで呪いのようにしつこく思い出したのだ。


それから彼女は、シルヴァスの上司に薬を飲む直前に言われた事を次々と思い起こして、頭の中で反復させた。



「シルヴァスは…私のダメな所も良いって前に言ってくれた。上司の人は…私がそんなだからシルヴァスも心配なんだって言ってた。」



カヤノは唇を震わせた。



「だから、私と恋人関係を結んで、この先も引き取るつもりでいたのだろうって。そんなの嘘って思いたい。シルヴァスは本当に私を好きだって言ってくれたし、あの人の言った事なんて信じるのはおかしい。でも…それなのに私、心のどこかで否定できない。」



シルヴァスの寝顔を見ながら、カヤノはガンガンと痛む頭を手で押さえる。



「それに(はた)から見れば…私、やっぱり甘えているだけに見えるんだ。男性恐怖症になるなんて図々しいんだよね…きっと。本当はあの事件で五体満足なだけで、満足しなくちゃいけないのに。」



自分で言った言葉にドキリと胸が鳴った。

特に『五体満足』という言葉に反応したのだ。

その言葉にとてつもない恐怖心を感じ、カヤノは肩を震わせる。

自分以外の戦闘ショーに参加していた少女達の姿を考えると大きな罪悪感が沸き上がって来る。

脂汗が浮かんだ。


丁度、そこに女性の看護士が入って来て、シルヴァスとカヤノの様子をチェックしに来た。

看護士はカヤノの目が開いている事に気付き、感じの良い大きな声を上げた。



「あら!目が覚めたのね?良かったわ…あなた、薬でショック症状を起こしていたのよ。今、担当医を呼んできますから…。」



女性看護師がそこまで言うと、彼女の高い声に反応して眠っていたシルヴァスが目を覚ました。



「カヤノ!目が覚めたの⁈」



その途端にカヤノは青い顔でブルブルと震えだした。

眠っていて動かなかった時はそれほどでもなかったが、立ち上がったシルヴァスはそれなりに高身長でベッドの上のカヤノには、とても大きく見えた。



「えっ?カ、カヤノ⁈どうしたのさ?」


「ヒッ⁉」



シルヴァスが目覚めてから二度目の声を掛けると、カヤノは更に恐怖に揺れた瞳を保護者である彼に向けた。

シルヴァスの瞳が剣呑な色を光らせている。

看護士が慌てて間に入ってシルヴァスをカヤノから少し遠い位置に下がらせた。



「急な薬の投与で混乱が激しい状態なんですよ!下がって下さい。今、先生を呼んできますから。」



先程まで感じの良かった筈の看護士は、険しい表情に変わっていた。

シルヴァスは、黙ってカヤノを見据えながら、壁に背を持たれさせた。

その間、カヤノは涙を浮かべて、彼から目を逸らし続けた。

シルヴァスは、それに少々イラついた。

だが、相手の状況を頭ではわかっているので、それをおくびにも出さないように努めようと、黙って口を閉じて担当医が来るのを静かに待った。



 しばらくして、担当医が部屋に入って来ると、カヤノは医師にすら最初、怯えを見せた。

これは、見覚えがあるとシルヴァスは思った。

マッド・チルドレン達から保護したばかりの…最初の頃のカヤノの態度に似ているのである。


シルヴァスは医師の診察の間、病室の外に出る事にした。

そして、医師が診察を終えて、看護士と共に室内から出てくると、シルヴァスはその事に関して医師に伝えておいた。

医師もカヤノの男性恐怖症が酷くなったようだと感じたようで、再施術を今すぐ施したいのだが、本人がいくら説明をしても首を縦に振ってくれないと頭を抱えて出て来たのである。



「いやぁ、困りました。施術は本人の同意がないと基本、行えないんです。保護者であるシルヴァスさんの同意や以降も今ならまだ、生きて来るんですけど…あそこまで本人が否定するのを進めるのは、やはり…医師としてできませんよ。もう少し、時間を置いて話してみましょう。」


「引き取った時から数年かけて、少しづつ良くなって行ったんだ。それがまた数年伸びたくらいなら見守ってやるつもりだ。僕も気長に彼女に接していくように努力します。」


「そうですか…いや、頭が下がります。カヤノさんは今、かなり頑なになってしまっていますが、時間を置けば、また変わってくるかもしれません。あなたが彼女を大事にされていて良かった。」


「当然だろ?彼女は僕のお嫁さんだからね。他の『現人神』の皆さんは違うんですか?」


「いえ…そうですね。妻なら…ええ、私めもそうかも?いや、やはりそれぞれ、現人神にもよるかと…神も人と同じように性質が三者三様(さんしゃさんよう)ですからねぇ。」



医師は遠い目をした。



「私めなら、妻に否定されたら…彼女の精神を壊してでも元通りにしようとしてしまうかもしれません。それでも叶わぬのなら…彼女を飲み込んで、私めも現世から消えます。自分の事なら、あなたのようにいられないな…だから、シルヴァスさんには頭が下がるんです。」


「それは穏やかじゃないね。患者と自分の大事な奥さんとでは随分、強引さが違うなぁ…。歪んだ方向にえらく情熱的だけど…君、因幡先生の眷属か何か?」


「まあ、似たような一族ですよ。フフ、勿論、妻は私の事しか見えなくなっていますから…そんな悲劇は起こったりしませんけどね。妻と患者様との扱いが違うのは当然ですよ。」



その後、『患者様相手なら医者として冷静でいられますから常識的な態度を取れます。』と邪気なく笑う医師を見て、シルヴァスは無機質な笑顔を返し、

『ああ、この医師は既に妻の目に他を映さないよう中身を弄っているのだな。』

と察すると、瞳の奥に酷薄さを浮かべて、先程の彼と同じように遠くを見た。



「三者三様か…本当にそうだね。僕は()()()()()、つまらないもの…。」



 ☆   ☆   ☆



 シルヴァスと医師は話し合い、カヤノはしばらく入院する事になった。


急な頭痛に襲われるし、異性を必要以上に怖がる事で精神安定の為の薬を投与する事になり、家庭より医師の元の方が安全だと言うのが理由だ。


何より、今カヤノは保護者であるシルヴァスにさえ、心を閉ざしている状態なのだ。

そんな状態の彼女を家に帰しても、またどんな発作を起こすかわからない。


当然、卒業式にもカヤノの回復は間に合わなかった…。


記憶の復活により、正式な卒業が認められたものの、式には出席できなかったので後日、退院を機に卒業証書等を取りにカヤノは学校に訪れなければならなかったが、サルマンや他の男性教員の大勢いる場所に、とてもではないけどまだ行ける状態ではない。

とにかく、カヤノはすぐに頭痛を起こすのだ。

酷い時はその場に(かが)みこんで、しばらく立ち上がれなくなる時もある。

一人でどこかへ行くような行動は極力控えねばならず、そういう状態が続く限り、日中、シルヴァス以外の家族がいない状況で退院に踏み切る事もできないのである。


学校側には担任のサルマンを通して、シルヴァスが現状を定期的に連絡している。

入院が決まった最初の日に入れた電話では、サルマンは酷く興奮した。



「な、何ですってぇ⁉一難去ってまた一難じゃない!!あの子の周りって、何でろくな男がいないのよ?アンタの所のそのバカ上司!何とかならないの⁈畜生…シメてやる!!」



言葉の最後の方に行くに従い、どんどんと不穏になるサルマンに、シルヴァスは『うるさいなぁ』と電話口から耳を少し離し気味で答えた。

心の中では『ろくな男がいない』の部分に『オマエもな』と一言添えて…。



「もうシメた。病院の窓(5階)から突き落として半年は安静だとさ。正直、僕は神殺しになってもイイからこの世から消えてくんないかなって思ったんだけどね。でも、神界でもアイツを引き取りたくないのか…必ず復活するんだよ。意図的に現世に返還されているのを感じる…。」


「何よ…ソイツ。ターミ〇ーターか何かなの?サイボーグ?現人神でも生身じゃないわよね?」


「生身だけど…あんな頑丈なのは初めて見たよ。」


「それでも、半年病院送りにしたくらいじゃ、腹の虫がおさまらないわよ!…にしてもあの世から返還されるなんて…アタシ、意地悪バアサンくらいしか知らないわ。」


「古いな…イジワルバアサン。それ、きっとヒトなら老人くらいしか明確に知らないんじゃ?少なくとも中年以降でないと…。」


「アンタに言われたくないわ!そっちなんて化石級じゃないのさ!アタシは古くない!それより、肉体的制裁だけじゃ、そういう奴は懲りないんじゃないの?なんてったって復活とか不死身かよ…怖いわ。」



吠えるサルマンにシルヴァスは付け加えて言った。



「まあ、今回は僕もかなり頭にキタから上に報告してね…アイツは仕事復帰後、役職を外されて僕の部下になる予定だから、せいぜいコキつかいながら、根性を叩き直してやるよ。」


「へえ?延々と続く嫌がらせとイジメをするわけね?先輩、春の精霊とか言って一見、フワッとしてそうだけど実は陰湿そう~。」


「何を人聞きの悪い…単に色々わからせてやるだけなのに。」



シルヴァスは相手に見えない電話口で笑んだが、その笑顔はどこか恐ろしい。

サルマンは思い起こしたようにカヤノのお見舞いに行く事をシルヴァスに願い出た。



「それより、一度、カヤノの様子を見に行きたいんだけど…。」



シルヴァスはやんわりと首を振ってそれを断った。



「サルマン、勿論、意地悪をしたい気持ちもあるが、これは意地悪で言っているわけではない。カヤノは君に会える状態じゃない。もう少し時間を置いてくれ。僕に対しても不信感に満ちていて、家に連れて帰る事も(はばか)られる状態なんだ。」


「フン…それは自業自得なんじゃなくて?」



サルマンはそう言ったが、シルヴァスの言葉に一応、納得して電話を切った。


 

 それから、シルヴァスは仕事が終わると病院に直行して、毎日カヤノの様子を見に顔を出すのだった。


相変わらず、シルヴァスに不信感を募らせたカヤノは、今まで通りの反応を示してくれず、目を逸らしたままの固まったしゃべり方しかしなかったが、日を追うごとに距離を取って話をするだけなら、さほど怖がらないようになってくれた。


それでも当時上司だった男に言われた『甘えている』という言葉に、深く傷ついたであろうカヤノは、できるだけシルヴァスに他人行儀な態度を取った。


シルヴァスは、それさえも包み込むように、出会ったばかりの振り出しに戻った気持ちで、辛抱強くカヤノに声を掛け続けた。


それはなかなか苦しい事だったが、シルヴァスは顔に出さず、常に明るく優しく笑顔でカヤノに接する事を心掛けたのだった…。


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