春の嵐と恋の風55
こんばんは。
次々に問題が起きて…シルヴァスは、私生活も忙しい男ですねぇ。
本日もアクセス、ありがとうございました。
「おい、何であんなバカ上司に薬を渡したりしたんだよ。全く、せっかくカヤノがこの暮らしに馴染み始めた今頃になって、いらない薬を調合してさ…嫌がらせでもしてるわけ?」
「い、言いがかりですよ。だって、児童保護員でシルヴァス君の上司だって聞けば、ちゃんとした現人神だって思うでしょ⁈どんな上司かなんて知りませんし…。」
「本気で他意はないと?僕からすると…一番、頼んでほしくない相手だったんだけどね。」
因幡大巳の診療室は現在昼休み中である。
一時はシルヴァスに滅茶苦茶にされてしまった診療室だったが、手早い優秀な神懸り技術者達のお陰で、今や元通りのレトロ喫茶風室内がすっかり再生されていた。
そして、スタッフは因幡医師の言いつけで、外に食事に出払っている。
その費用は、シルヴァスに強制されて、全て無駄に資産家の因幡大巳の奢りとなった。
スタッフ達を外に追いやったのは、無論、人払いの為だ。
午前の診療終了と同時に、鋭利に目を細めたシルヴァスに昼休みを直撃されて、因幡大巳はタジタジであった…。
その会話の開口一番にあげられたバカ上司は、本日職場を欠席しているらしい。
昨日の『遠いお空に飛んでイケ~』で、最低でも全治三ヵ月はダメージを受けたと推察される。
これでしばらくは奴に面倒を掛けられる事もないと、朝、出勤して一番に出会った相棒、クシティガルヴァスにシルヴァスは淡々と話した時、相棒の顔が心なしか青くなっていた。
上司である現人神をフッ飛ばした事で罪に問われるかと思われるかもしれないが、神・社会は案外、(差別される事はないが)実力社会の上、弱肉強食的な部分もあるので、これと言って咎められる事もない。
シルヴァスにとっては、上司と言っても天上の神のように位が高いわけでもなく、人間濃度の高い代を得た現人神など、特別敬う必要もない…おまけに壊滅的にアホなのだ。
体でも華奢ならば、問題視される事もあるかもしれないが、無駄に丈夫な男なので生死にかかわるわけでもなし…周りも『またか』程度にしか見てはいなかった。
あんな男にちょっとお灸をすえたくらいで青くなるなど、クシティガルヴァスが優しすぎるのだとシルヴァスは思う。
それに因幡大巳への暴行事件の時は、診療所半壊という物理的破損が主に罪に問われた要素だったのだ。
その為、警官隊に身柄を拘束され、保釈に引受人が必要になったのだが、バカ上司の場合は本人自身を吹っ飛ばしただけなので問題ない。
職場を破壊したわけではないのだ。
この辺が人間社会とは、大きく違う部分である。
それにシルヴァスだって、同じ現人神でもフッ飛ばしたらダメな相手と良い相手くらいはちゃんと選ぶ。
アイツは大丈夫な奴だ。
死なない程度に加減もした。
周りやクシティガルヴァスがなぜ、そんなに自分に対してビビったように青い顔で、震えるのか理解できない。
自分はこぉんなに節度を守って、上司に普段から親切に愛の鞭を持って接してやっているのに…。
目の前の因幡大巳も含めて…だ。
見た目とは相反する武闘派なシルヴァスに威圧され、因幡大巳は『自分が薬を作ったのは決して嫌がらせではない!』という意味で首を横に振っていた。
また、彼を怒らせて、診療室内で暴れられでもしたら大変だと…医師はすっかり恐怖症になっているのだ。
因幡医師からすれば、電話で済まさず、わざわざこうして目の前までやって来る時点で気に入らない事があれば容赦なく対応すると、シルヴァスが暗に言っているようなものである。
そもそも、なぜだか知らないが、昨日、彼の上司だという男に精製ばかりの薬品(カヤノ対応・オリジナル)を渡した事で、シルヴァスは酷く腹を立てている。
どうやら自分は、頼んではいけない相手に頼んでしまったらしいとシルヴァスの形相と口ぶりからして悟り、彼、因幡大巳もまた顔を青ざめさせた。
「何だか、よくわかりませんが…申し訳ない。それと『いらない薬』とはどういう意味でしょう?私はただ、その後の暮らしに記憶がない事で不便がある場合に限りと思って調合を急いだのですが。」
「その件ね…今、カヤノの暮らし向きは(僕的に)すごーくうまくいってたんだよ。」
「そうだったのですか…それでは、私の取り越し苦労になったんですね?」
「ああ。正直、当初は勝手にに医療行為を施そうとした君の違法行為に、僕もムカついたけど、結果的に記憶を失って彼女のトラウマも落ち着いたし、明るく前向きになって良かったと思ってたんだ。」
「ならば、良かったです。私も責任を感じて、気になっていたので安心しました。」
シルヴァスの話を聞いて、青くなっていた因幡大巳も少しだけ安堵の表情を浮かべた。
「けどさ…せっかくその状態で丸く収まりそうになってんのに…あんのクソ上司を登場させるから迷惑なんだよね。カヤノの前で記憶が戻る薬なんて言って宣伝するから本人が飲む気満々でいるんだけど。」
「嫌がらせで調合したわけではないんです。不自由が過ぎれば記憶を戻した方が良い場合もあると…備えのつもりで渡したのです。そもそもがトラウマになっている部分のいくつか記憶を削除する事で軽減してあげようと施術に及んだのですし。」
「フン!それに伴い、自分に都合の良いニセの記憶も入れ込むつもりだったクセに!」
「うっ。それを言われると…。シルヴァス君にはお見通しですね。参ります。」
「それよりどうしてくれるんだよ⁈確かに学校関係では記憶に穴が開いて不自由してるけど、一年延長で単位を取ればハグレ扱いされない特例に認可されて丸く収まったばかりだったのに!本人は自分がトラウマ持ちだった事を忘れて記憶を取り戻したがってる。」
「うーん、私なら甦った記憶を再施術でまた弄る事もできるんですが…あまり上書きや削除を繰り返すと脳に負担がかかるからなぁ…100%お勧めとも言えないのです。」
「言っとくけど、君にカヤノを診察してもらうつもりはないよ。他の医者を紹介しろ。形だけでもカヤノを病院に連れて行かざる得ない状況になったから、明日早速受診させる。ちなみに昨日の薬の詳細を教えろよ。」
「了解しました…あの薬は忘れ草の効能を打ち消す解毒剤のようなものなので副作用はありませんが、代わりに打ち消された記憶を選べずに思い出します。利きが良ければ、全てです。」
「ああ…それだと、順調な部分に関しては困るな。振出しに戻るわけだろ?」
「ご指摘の通り。」
シルヴァスは片方の眉を上げて、因幡大巳を見た。
患者用の診察室の椅子の上で、行儀悪く投げ出していた足を組んで話の先を進めさせるべく、きちんと聞く体勢に入るような所作をする。
それを見受けて、因幡医師もまた真摯に言葉を続けた。
「本来私が消したかった部分まで思い出してしまうのは、せっかく削除したのに勿体ないですね。ですから、不自由があった場合はと言って、薬を渡させて頂いたんですが…。私としては、医師に施術を頼むのが一番良いように思えます。」
「施術…再施術かい?さっきはおススメしないとか言ってなかったっけ?」
「ええ。ですが負担はあってもこの先、記憶操作を何度も受ける予定があるわけでもなし。リスクを含めてもその方が良いような気がします。しかし、それには本人の同意が必要で、カヤノたんが同意してくれるかどうか…。」
因幡大巳の話を聞けば、記憶を戻す薬を使うか使わないかは状況次第だったので、カヤノ本人に直接ではなく、職場を介してシルヴァスに調合した薬を渡すようにとバカ上司に頼んだようだ。
それを堂々とカヤノに手渡しやがって…。
改めて『あのバカが!』と、シルヴァスは口内で悪態をついた。
シルヴァスに今のカヤノの現状を聞いた因幡大巳の意見は、自分の紹介する医師に再施術を行わせるのが一番良いと言うものだった。
なぜなら、現在、カヤノにかかっている術は完全でなく、不安定な状態なので記憶の解除も容易な筈だからだ。
確かに記憶を弄るので、多少宜しくない部分もあるが、そうすればトラウマの件に関わるいくつかの記憶を削除して、学校での生活だけを思い出させることも可能になる。
その場合は、因幡大巳の解毒薬を服用する前に催眠術で医師に意識を司らせた状態で、その後に薬を飲ませ、催眠状態のうちに記憶を復活させてから、また、忘れ草の薬を少量加減しながら様子を見て服用していき、不要な記憶を消していく。
だが、正反対の効能の薬を催眠状態で立て続けに服用する事もあり、多少の記憶障害が残る可能性があるし、脳に負担がかかる事は、どうしても否めない。
因幡大巳は言う。
「副作用で片頭痛が残ったり、失った記憶部分を薄っすら思い出してしまう可能性もあるし、一度目に比べると術のかかり方も100%は望めません。ただし記憶を全部失った今の状態よりは不自由も減らせるし、シルヴァス君や私が彼女に失って欲しい過去の部分も多少は都合よく消せる筈です。」
「だが、頭痛の原因になるかもしれないんだろう?できれば、再施術は避けたいなぁ。」
「ええ、まあ…でも、時の流れと共に軽減されるし、薬を飲んで全てを思い出した状態で放置する方が…荒っぽいように思えます。せっかく嫌な事を忘れていられたのに、個人的に私のしでかした事を彼女に思い出されるのも辛いですし…。」
「それは自業自得じゃないか。」
「それだけじゃありませんよ。薬を飲んだだけの状態にするという事は、彼女にとって一気に辛い記憶が噴き出るようなものですから…ヘタすると元よりも大きなショックを受ける事になります。」
「トラウマの軽減どころか逆効果って奴?」
「ええ…ですから私の渡した薬を使用するのなら、医療機関で専門医の元でお願いしたいのですよ。再施術を受けないで記憶のみを復活させるだけにしても、正気の状態で薬を飲ませてはいけません。催眠をうまく使ってショックを軽減しつつ、元の状態に持って行くのが医師の腕の見せ所です。」
「なるほど、医療機関を介さずに薬を使う事だけは避けろって事か…。聞けば聞くほど、薬を飲ませずに済めばその方が良いように思えて来るなー。」
「一気に正気の状態で忘れ草の効力を解除する薬を服用すると、急激な記憶の復活で周りに反抗的になるのも特徴です。かといって、必要な記憶も失っては不自由だろうと思って用意したのですが…。」
「ハハハ。不自由なカヤノが可愛くて…すっごくエンジョイしてたんだけどな。僕の理性、崩壊するくらいに下半身の限界スレスレ…昨日の一件で一気に萎えたけどね。」
「そうですか…スミマセン。現在、うまく生活できているのなら仇になってしまいましたね。」
「うん。完全に仇になってなってるね。この蛇…また何かしでかす気かと思ったもんね。僕の幸せライフに対する妬みかとかさ。」
「ただ、私の最初の施術は未完成でしたので、今後問題が出る可能性があるのですよ?」
「今後、問題が出たら、その都度、対応すれば良かったよね?僕、そう思ってたんだけど。あのバカ男に薬を渡してもらったお陰でカヤノと接触して、今後問題が浮上するような嫌な予感すら、逆にしているんだけど?」
「・・・・・。」
シルヴァスと因幡大巳は、しばし、お互いの顔を無言で見詰めた後、共に唸った。
「仮に今の状況が良いと言うなら、忘れたままの状態である記憶にもう少し頑丈なロックが必要になります。どちらにしろ、最初の施術だけでは、今回、渡した薬を飲まなくとも、封じた記憶が何かの拍子で甦る可能性が高い。そうなる前にいずれは何らかの対処をしておいた方が得策ですよ…。」
「そうか。とにかく、明日はカヤノを統括センター内の大病院に連れて行くから、君の方からもあらかじめ医師に手を回して、薬はまだ、服用をしない方が良い方向で彼女に説得するよう言ってよ。」
「わかりました…シルヴァス君の報告によれば、カヤノたんは現在、良い方向に転じているようなので、そういう風に後輩医師を通じて指示を出します。勿論、きちんと診察をさせて頂いた上でですが。」
「宜しく。それと万が一、カヤノが頑固に薬の服用を希望したら、僕、うっかり落として、瓶を割るけどイイ?適当な理由を付けて、貴重な薬品だから二つは作れないって事にしてくれない?」
「あなたに凄まれれば、私は従うより他ありませんが、当たり前のように姑息ですよね。シルヴァス君て優しそうに見えて、詐欺というか…黒い。」
「は?もとはと言えば純粋なカヤノを騙して、モノにしようとした君のせいでこんな事になっているのにどの口が言う?記憶が戻らなくても、それをカヤノに僕の口から教えてやる事はできるけど?」
「スミマセン…シルヴァス君。私の勘違いです。あなたはとっても賢くて、ステキナヤサシイ精霊サンです…そういう方向で行きましょう…ハイ。無論、賛成です!」
目を明後日の方向に向けた因幡大巳は、即、手のひらを返し、シルヴァスを褒めたたえながら、意見に賛成を示した。
そして、二人は話し合い、せっかく忘れいるのだからトラウマの内容は告げずに、精神的なショックの原因を両親との海難事故のせいにして、それを取り除くために施術を必要としていたが若いうちに記憶回路を弄るのは良くないので、成人まで待って施術をすることにしたという設定を作った。
その事で、アルバイトで世話になった因幡大巳が親切心から、カヤノの記憶操作を独断で行おうとしたので普段から彼女を心配しているシルヴァスが安否を知らせる為に密かに付けていた契約妖精の報告を聞き、カヤノが拉致られて不正医療を行われようとしていると誤解して、因幡大巳の診療室に怒鳴り込んだというストーリーが展開される。
その後はカヤノも知っての通り、シルヴァスが彼女の催眠状態である事を知らずに乱入した為、施術に失敗。
今に至る…という口裏合わせをした。
「じゃあ、明日はそういう方向で僕からもカヤノに落ち着いて言って聞かせるから…改めて、大手病院医師への説明協力の件は頼んだよ。」
シルヴァスの声に因幡大巳は同意した。
「ええ、請け負いました。それにしても、シルヴァス君の頭の回転は速いですね。細かい設定もあっという間に考えてくれて…大したものだなぁ。」
「一番悪いのは君なのに、僕が君よりも悪いみたいになっちゃってるのが解せないけど…僕のせいだって泣きつくけば、カヤノは許してくれるからね。以前、謝った時も僕の事を悪くないって言ってくれてたし。」
「しれっと泣きつくのか…いつもカヤノたんをそうやって騙して…?」
「カヤノに君の卑怯な所を黙っていてやろうと思って考えた設定だったんだけどな。もう一度言うけど、僕は別に、君の施術理由を正直に彼女に伝えたって構わないんだよ?わかってる?」
因幡大巳の言葉にカチンときたシルヴァスの声の温度が下がったのを感知して、自分がマズい事を言ったと気付いた医師は一瞬口を噤んだ。
それを『フン』と鼻で笑った精霊様は、最重要事項だと言わんばかりに、今回も重ねて一言、念を押す。
「ああ、それと一応、何度も言っておくけど、くれぐれも君は二度とカヤノの前に現れないでよね?」
「…わかりました。というか、恋愛感情を封印してもダメ?医者として彼女の今後が心配なんです。」
「しつこい。当たり前だろ?君は鬼門だとわかったから、この件が済んだら僕にも近寄って欲しくない。」
「容赦ない…。」
二人は、最後に今後の対策についての流れを簡単にまとめておさらいをした。
それから、シルヴァスは因幡大巳のクリニックを後にして、本日欠勤の上司の穴を簡単に埋めると、高速で自分の仕事を処理し、夕方にはクシティガルヴァスに時間をずらしてもらった出張に出て、直帰したのだった。
☆ ☆ ☆
夜の7時過ぎ。
シルヴァスが帰ると、カヤノが夕飯の下ごしらえをしていた。
手際の良いシルヴァスに比べると、カヤノは速度が遅いので、ポテトサラダを作る為ジャガイモを潰そうとして、何度も仕損じながら頑張っていた。
「あー、カヤノ。芋を潰す時はスプーンよりフォークを使おうか?今度、ポテトマッシャーを買ってくるね。」
「あ、つい…クセで。スプーンの方が早く潰せるような気がして。」
「んー?それって、少しまだ芋がふかし足りなくて硬いのかもよ。まあ、いいや…貸してごらん。」
相変わらず、匙でジャガイモを潰そうとする要領を得ないカヤノに苦笑してシルヴァスが言う。
これ以前もやったな…カヤノは忘れてるだろうけど。
カヤノはポテトサラダを作るのが好きらしい…それもこの上なく時間のかかる方法で。
明日こそ絶対、マッシャー買っておこう。
「マッシャー?…ですか。」
「簡単にジャガイモを潰せるやつだよ。あまり必要性を感じなかったから使ってなかったんだけど…マッシュポテト作る時とかに使うと便利なんだ。」
「ふうん。シルヴァスって本当に色んな事に詳しいのね。それに器用。何でそんなに簡単にジャガイモが潰れていくの⁈」
あれよあれよと言っているうちに、次々と形を失くしていくジャガイモにカヤノは目を丸くしている。
「風の精霊は情報が命!作業は風のように素早くが基本設定。芋が簡単に潰れるのは、君より力持ちだから仕方ない。」
年の差と自分が器用である事には触れず、シルヴァスは爽やかな笑顔で、精霊的な特性で自分は物知りなのだと主張した。
遅れてシルヴァスが着替えてエプロンを装着し、合流するとあっという間に三品ほどのおかずができあがってしまう。
カヤノはシルヴァスを恨めしそうに見た。
「私なんて、ポテトサラダ一つ作るのにも、もたもたとしてたのに。シルヴァスは、どうしてそんなに女子力が高いの?」
「それはー、カヤノに美味しいものを早く食べさせてあげる為だよー。」
「解せないわ。私だって、シルヴァスに少しは楽になってもらいたいのに。何で、こんなに要領が悪いのかしら。」
「それはー、カヤノが僕の楽しみを奪わない為だよ。僕はカヤノを甘やかしたいからそれでいいのさ。」
狼と赤ずきんちゃんのやり取り調で二人は会話し、カヤノは不貞腐れた顔で口を尖らせた。
シルヴァスは、プッと吹き出した後、件の話を自然な流れでカヤノに告げる。
「そういえばさ、昼に因幡先生に薬について聞いて来たよ。あれ、飲むだけじゃ危険みたい。使うにしろ、使わないにしろ、医師の指示に従わないといけないらしいから、明日病院に行ってみようね。」
「え、そうなんですか?」
「うん、それと君が記憶を失った経緯についても、明日、病院で話させてもらうから。僕としては非常に言い辛いのだけどね…。」
「シルヴァス…?」
「とにかく、明日話す。明日は仕事も休みだし、因幡先生のツテで病院の予約も取ってある。午後は休診だけど、午前中は予約者のみ診てくれるって聞いたから行こう。」
シルヴァスはそれだけ言って、薬についての会話を打ち切った。
☆ ☆ ☆
次の日、シルヴァスは約束通りカヤノをセンター内の大病院に連れて行き、因幡大巳と前日に打ち合わせた通りの設定で、なぜこうなるに至ったかを因幡大巳の息のかかった医師の前で本人に話して聞かせた。
カヤノはシルヴァスの思惑通り、誰も恨む事なく受け止め、その事で自分が数年の記憶を失ったのだと知っても、シルヴァスに対する好意の気持ちは変わらずに彼女に根付いていた。
担当医は因幡大巳の同族に近いのか、同じく白い髪の線の細い美丈夫だった。
瞳の色は琥珀に近いレッドで、そこはヒロミ先生とは違うなぁとカヤノは思った。
担当になった医師は、自己紹介を済ました後にシルヴァスの話を聞いてから、カヤノに因幡大巳の調合した薬のデメリットを説明した。
その上で彼は、昨日、因幡医師がシルヴァスに説明した事と同じような内容を口にしていく。
そして、最後に今のままで不自由がないのなら、しばらくはそのままにしておくのが一番良いのだと匂わせた内容を語りながら、シルヴァスとカヤノにそれぞれの意志の確認を求めた。
「以上がこちらの方から説明しなければならない事と私めの意見ですが、保護者様とカヤノさんの意向をを伺います。」
医者の問いには、シルヴァスが先に口を開いた。
「僕は、カヤノに後遺症が残るのはイヤなんで、このまま様子を見て、薬の投与や催眠を使うのは控えて欲しいと考えています。また、問題が出てきた時に対処してもらうのが自然なのではないかと…。」
シルヴァスの意見に担当医師は頷いた。
「なるほど。確かに再施術や記憶を復活させるにしろ、施術を受けたばかりより少し時間が空いて、落ち着いてきた時の方が良いですね。短期間に立て続けに脳や心理を弄るのは定着に支障をきたしやすい。」
医師の言葉の後に間髪入れず、加えてシルヴァスは
『仮に記憶を取り戻し、学校を普通に卒業できた所で、調査書に通院中や後遺症ありの文字が刻まれるくらいなら、記憶を失った状態でも単位を取る為に学校に通い、問題のない調書をセンターに登録した方が長い目で見て良い!』
と力説をした。
医師もシルヴァスも積極的にカヤノに失った記憶を取り戻する事を求めなかった為、カヤノも結局は丸込まれたような形で、今回の因幡大巳の薬の使用を見送る事にした。
カヤノの決断に医師は、美しい形をした弧を描いて口角を上げて言う。
「そうですか。私めも、その方が賢い選択だと思います。記憶の方はこれから何年も先に、必要な時に思い出してもいいのですから。それまでは、しばし、今と未来だけを見て生きるのも悪くはない。」
医師の言葉に対して、カヤノも納得したように答えた。
「そうですね…お薬なんかに頼らなくても、いつか全てを思い出すかもしれませんし。今は、先の事だけを考えてみます。その通院なんですけど…。」
「ああ。宜しければ悩み事でも何でもお聞きしますので、定期的にカウンセリングという形で訪れてくれれば一番安心ですがね…ですが…。」
「カウンセリング…ですか…。」
「ええ。ですが…もし、外聞やシルヴァスさんの言うように学校の調査書が気になるのでしたら、以前の因幡氏の施術の影響と思われるような問題が起きた時だけ来て下さっても構いませんよ?」
「えっ、それでもいいのですか?」
「予約通院ではありませんが、あなたが来院する時は連絡を頂ければ、間に優先して予約を入れるように手配しておきます。」
「そ、それだとありがたいです!あの、先生、ありがとうございます。」
「いえいえ、あなたのような状態の患者さんは色々と不安定ですからね。普段は来る必要すらありませんが、何かあった時にはすぐに見なければ心配なので当たり前の対応です。」
医師の言葉にカヤノはもう一度、深々と頭を下げると、シルヴァスと二人、診療室を出る。
去り際にシルヴァスが担当医を一瞥すると、担当医はレッド系の琥珀の目を細めて、含み笑いを見せた。
シルヴァスは、カヤノが記憶を復活させる薬の件で、それを服用したがらないでくれた事に密かに安堵の息を吐いた。
家に戻ると、その夜、シルヴァスはカヤノに因幡大巳の薬を背の高い戸棚の上の方に入れて見せ、今後、使用するかどうかわからないものなので、とりあえずはここに置こうと彼女に告げ、うまくそれを取り上げた。
あえて、彼女の知らない所に隠さないのは、カヤノにあらぬ疑いを抱かせない為である。
手の届きづらい高い位置で、取り出すのが面倒くさいように奥の方にしまう事で、取ろうと思えば取れるけど、取り辛いとカヤノに思わせる微妙な場所を選んだのだ。
そうする事でシルヴァスは、別に薬の使用に関して禁止もしていないし肯定もしていない…純粋にカヤノの副作用を心配する以外は、大して気にしていないという風に無意識に見えるように演出をしている。
こうして、カヤノの記憶の復活の件に関しては、とりあえず、丸く収まったのであった。
…少なくとも、その筈だった。
最近、多忙になりつつあり、更新日や時間がハッキリしませんが、次回も読んで頂ければ嬉しいです。




