春の嵐と恋の風54
アホいのアホいの飛んでイケ~なシルヴァス。
本日もアクセス、ありがとうございます。
出前の寿司を食べながら、シルヴァスと上司の男はずっと言い合いをしていた。
シルヴァスが粗末な寿司を勝手に注文したと上司の男が怒り出したので、カヤノは自ら交換しようと申し出たのだが、シルヴァスがそれを変えさせなかった。
しかし、カヤノも自分だけが豪華なものを食べるというのは嫌だったので、上司の男とお互いシェアする事を申し出て、好きなものを交換し合った。
それに対して、男は感激したように喜んだ。
「きゃあっ!カヤノちゃんって優しい!!嬉しい!交換っこ、俺大好き。」
男はシルヴァスに脂下がった顔を見せる。
それがシルヴァスには面白くなかったらしく、ずっと食事中、不機嫌だったのだが…上司の男が調子に乗ってカヤノに馴れ馴れしくし始めた所で、ついに閉じていた口を一気に開放し、上司を責め始めたのである。
売り言葉に買い言葉…二人は終始、言い合いを始めた。
うんざりして来たカヤノが食事の後片付けで出前の器を下げ始めると、言い争う二人のうち上司の男の方がカヤノに言った。
「もう、わかったよ!俺、帰る!!カヤノちゃん、この薬…一応、飲む前に医師に相談してってさ。」
茶色い小瓶をカヤノに差し出すと男は、直前で薬を持つ手を引いた。
「やっぱりヤーメタ。」
「え?」
(カヤノの声)
「は?」
(シルヴァスの声)
シルヴァスが眉を顰めて男を見た。
カヤノは小さく首を傾げている。
そんな二人に男は舌を出した。
「だって、せっかく仕事帰りに来てやったのに…シルヴァスの奴はちっとも感謝しないじゃないか!カヤノちゃんには悪いけど…寿司代は払うから薬は持って帰るわ。お望み通り、明日、職場で渡すよ。シルヴァス君が欲しがったらな!」
「何、面倒くさい事言ってんだよ。どうせ渡すならサッサと今、渡せ。何かあったら面倒な事になるだろう。お前が持ってたら、瓶を割りかねないし。」
「なっ⁉子供じゃないんだから割るわけないだろ!」
「何言ってんの?いつも、子供並みに落ち着きがないじゃないか…今もかなり大人げないし。」
「うるさい!とにかく、明日俺のデスクまで取りに来い!そして、皆の前で頭を下げたら渡してやる。」
男はそう強く言い放つと、カヤノが悲しげに自分を見詰めているのに気付く。
男は一瞬『うっ!』と声を漏らし、罰の悪そうな顔をしたが目を逸らして自分に言い聞かせるように啖呵を切った。
「ハッ⁉カヤノちゃん…いや、俺はシルヴァスの養い子なんかには絆されないぞ…持って帰っちゃうからな!!」
そのまま、うるうるとしたカヤノの瞳を見ないように踵を返し、鞄を持って中から取り出した財布から一番大きな紙幣を取り出して、上司の男はテーブルの上に『バン!』と叩きつけた。
そこで一部始終を無表情で見ていたシルヴァスが先程と打って変わって抑揚のない静かな声を出した。
「おい、うちのカヤノを泣かすとはいい度胸だな…。」
シルヴァスから出た低く静かな声に、男は後ろ向きのまま、本能的にビクリと体を跳ねさせた。
どこからか…室内なのに絶対零度の冷風が吹いている。
『これ…マズいパターンだ…。』
と、引き際が見定められない部類の男は、今回も度を越してシルヴァスを刺激したのだと、遅ればせながら気付く。
男はそうっと、振り返ってから愛想笑いを浮かべ、急に下手に出たような丁寧な物言いをし始めた。
「いや、な、シルヴァス君が謝ってくれさえすれば…俺は今でも薬を置いて行くよ?俺もさ、ちょっと頭に血が昇ったんだ…。」
シルヴァスは低い声のまま、首を小さく横に振って言った。
「別に置いて行かなくてもいい。そっちが親切心からではなく、単に薬を口実にうちのカヤノを見に来ただけだってのはわかってる。謝る気はないし、因幡大巳には直接連絡を入れて頼む相手を考えろって怒鳴ってやる。まさか、僕の上司がこんなアホだとは奴も思わなかったんだろうな。」
「ちょっ…待て。シルヴァス、医師に言うのはヤメロ。八つ当たりだ!しかも俺が、お使いもまともにできないように思われそうな気がする…。」
「できてないだろーが。」
「ヒッ⁉わかった、置いてく。薬は渡す。カヤノちゃん、泣かないで⁈シルヴァス君、殺気が怖いんですけど⁈」
シルヴァスの気に気圧されて、上司は慌てて薬の瓶をカヤノの手に握らせた。
先程とは打って変わっての行動に、カヤノは男に向けて、驚いて目を見開く。
散々、シルヴァスにフッ飛ばされ続けた生活を送る形だけ上司の男は、空気は読めないがパターン的にシルヴァスの不穏な雰囲気を肌身で記憶している…ヤバイ時は、サッサと退散するに限る。
…毎回、間に合わないけど。
「じゃあ、俺帰るわ!!」
そう言うと、上司はそそくさと帰ろうとした。
シルヴァスも普段なら、既に男を吹き飛ばしているのだが、カヤノの前なので一応、穏便に済ますつもりで怒りを何とか治めたようだ。
目は、未だ理性を保っていない証に、明るく光っていたが…。
そこで、助かったのだから、早々に帰れば良かったのに、男は帰り際に何を思ったのか、余計な事をカヤノに言った。
そこが彼の残念な所である。
「いやぁ、シルヴァスがこんなに怒るなんてさ。カヤノちゃんは本当に大事にされているんだねぇ。」
こっそりとカヤノに耳打ちする男を見て、涙目になっていたカヤノの目から涙が引っ込み始めた。
代わりにそっとピンク色に頬を染める…。
上司は、シルヴァスの為にカヤノが頬を染めたのだと思うと、それが癇に障った。
だから、ニヤリと意地悪く言葉を続けた。
「だけど、意外だな。シルヴァスの趣味はもっと、しっとりして有能そうな美女だと思ってたよ。君みたいな可愛い系ではなくてさ…。」
「え?」
カヤノは、男が何を言っているのかわからなかった。
「俺、コイツと昔、仕事で冥界に行った事があるんだけど…その当時、シルヴァスが惚れてた女性を見たんだ。すっごい美人!いかにも冥界女神って感じの!君と見た目の色が全然違うし、包容力の高そうな女性だったなー。」
男の会話が耳に入って、シルヴァスは目を瞠り、すぐに黙らせようとしたのだが、一瞬遅かった。
「君に会う前は、もしかしてシルヴァスは養い子を狙ってるのかと思ったけど…あの女性に入れあげてた奴が君に惚れるなんてありえないよな。養い子だし、情が移って大事にはしてるんだろうけどさ。」
「カヤノに勝手な事を言うな!」
シルヴァスが大きな声を出して、男の言葉を遮った。
しかし、驚きながらもカヤノは、次の言葉を求めるように上司の男に先を促すような視線をやった。
「へへ、君は若いんだから、仮にシルヴァスに口説かれても信じちゃダメだぞ?世間に出れば、もっと色んな男がいるんだから他にも目を向けるべきだ。例えば、俺とかさ…良かったら俺とお友達からー…。」
そこまで上司の男が言いかけた所で、もう我慢がならないとシルヴァスは窓から男を強風に乗せて吹き飛ばした!
『ドカーン!』と音を立てて、シルヴァスの精霊の力で自動で開いた窓を男の体が通過すると、バルコニーの壁に強く打ち付けられてから、瞬く間に空の彼方に消えて行った。
美しい夜の空。
満月の横に星になった男が煌めくと、シルヴァスは手動で窓を閉めて、呆気に取られているカヤノの方に近寄った。
「カヤノ…あんな奴の事なんて信じちゃいけない。さあ、薬を渡して。いきなり口をつけて副作用があったら大変だから、まずは因幡先生に処方の詳細について確認をしないと。」
カヤノはシルヴァスに言われるがまま、薬の瓶を手渡したが、男の言葉が気になって上目遣いをしながらシルヴァスに聞いた。
「あの…シルヴァスが好きだった女性って…冥界の人なの?」
普段ならシルヴァスがフッ飛ばした相手を心配するカヤノだったが、余程、男の言葉が気になったらしく、気が動転してそこまで気が回らない。
そんな事より、シルヴァスが惚れていたという相手について、聞きたいと言った様子だ。
「ん?ええと…カヤノに会う前の話だよ。出会った頃は、君はまだ子供だったし…引き取った頃には彼女への恋も終わってたんだから、気にする事ないよ…。」
「ふうん。でも、有能そうな美人なんだ…。」
カヤノは自分を振り返る。
有能どころか、自分は今、記憶を失くして学校卒業すら正規にできなさそうな状況である。
ちなみに、ブスとまでは思っていないが、自分は愛嬌がある程度の顔で、美人とは言えない。
カヤノは表情を曇らせた。
シルヴァスはそれを見て、誤解がないようにと言葉を重ねる。
「その子はもう結婚してるからね?それに個人の趣味なんて変わるよ…大体、恋愛って言うのは好きになった人が好みのタイプになるんだよ。」
「包容力が高そうな女性だって上司の方が言ってた…私は、シルヴァスに頼ってばっかりだわ。」
シルヴァスはギクリとした。
『また、自立だなんて言い出すのではないよな⁈』
吹き飛ばした男に向かって内心、舌打ちをし、カヤノに真摯に向かい合う。
「そう見えるだけで、彼女は頑張り屋だったからね。僕が力になれたらと思ったのは本当だよ?でも、彼女は僕よりも逞しくて自分に相応しい男の手を取った。僕も今は彼女の選択は正しかったと思ってる。僕にはカヤノがいるからね。」
「シルヴァス…それ本当?シルヴァスには私がいるって思ってくれているの?私、ちゃんと恋愛の対象として愛されているって信じてもいい?」
カヤノは、まだ少しだけ潤んだ瞳でシルヴァスを見続けている。
「勿論だよ…もうずっと、カヤノが僕の一番で、相応しい女性だと思っているよ。今更、他の女性を持って来られても、僕の目には君しか目に入らないからね。」
「あのシルヴァスの職場の男の人は…私が養い子だから、情が移って大事にしてるんだろうって言ったわ…。」
「情が移ったのは本当だけど…それだけで、君をお嫁さんにしたいだなんて思わないよ。最初は下心なんてなかったけど、今は純粋に君が好きなんだ。信じてよ、カヤノ…。」
カヤノはシルヴァスを見詰めて、何か考えているようだった。
カヤノから見るシルヴァスの悲痛に歪める顔は辛そうで、その黒に近い瞳が先程から動揺の為かエメラルドのような色で明るく光っている。
その瞳は潤んで見えた。
カヤノは、自分がシルヴァスにそんな顔をさせたのかと思うと、少し罪悪感のようなものを感じた。
それでようやく、自分を納得させてシルヴァスの手を取った。
「うん、信じる。私にはシルヴァスしかいないもの。その人をシルヴァスが好きだったのだとしても、仕方ないよね…シルヴァスは私より年上だもん。だから、私がその人に負けないように…頑張る。」
シルヴァスはカヤノの言葉に虚をつかれたように驚いた。
『カヤノがハル(記憶にないだろうけど)に負けないように頑張るって言った⁉』…と。
「彼女より私が優れているなら、勝てる自信なんてないの…だって私、子供の頃から不器用だもの。でもね、私、シルヴァスの事を誰よりも好きになるように頑張るから…。」
前のカヤノだったら、そんな前向きな言葉を言えただろうか?
シルヴァスは驚きとカヤノの言葉に感動を覚えて打ち震えた。
もう、ノックアウト寸前である。
それなのに、あと一押しとばかりにカヤノがまた、男の理性に破壊力抜群の言葉を連ねて来た。
「私、世界で一番シルヴァスの事を好きになるわ。誰よりも愛するように頑張るから…ね、そしたら、シルヴァスも今まで出会ったどの女性より私の事を好きになってくれる?」
『ズキューン!』
シルヴァスの中だけで銃声が鳴った。
カヤノの言葉にシルヴァスのハートが、完全に打ち抜かれまくってしまった音である。
「そんな事、言わないでも…とっくに君は僕の中で世界一だし、今まで会った誰よりも特別な存在だよ!ああ、でも嬉しい!カヤノがそんな事を可愛い事を言ってくれるなんて…君、僕を狼にでもしたいわけ⁉」
シルヴァスはガバリとカヤノを抱きしめた。
そして、心の中で強く叫ぶ。
何なんだ!毎回、この生き物は!!
可愛いがすぎるだろー!!
ヤバイ…年甲斐もなく、トキメキが止まらないんだけどぉ~⁈
しかも不便な肉体の一部がまた、反り返って猛りそう!
助けてー。
「カヤノ…僕、もう耐えられないかも…その、卒業まで待とうと思ってたんだけど…。」
シルヴァスの中で上司が来る前の続きが始まった。
カヤノを抱きしめながら、もう頂いても良いかと、シルヴァスがついに我慢できずに訪ねようとすると、一足早くカヤノが先に言葉を発した。
「この、薬を飲めば…色々、思い出せるのよね?早く、飲みたいけど…やっぱりヒロミ先生に聞いてからじゃないとダメなのかな?」
「え…は?ええと、薬⁈」
忘れていた!!
カヤノの言葉に浮かれてる場合じゃない!
そうだった!
シルヴァスは凍り付いた。
カヤノは無邪気にキョトンとして首を傾げている。
突然、自分の下半身の熱も一気にクールダウンして、下降してくれたのはいいが、温度が下がっている筈なのに汗が滲み出てくるのがわかる…脂汗という奴だ。
「もし、記憶が戻ったら、今までのシルヴァスとの事も思い出せるのよね?」
ニッコリ笑うカヤノを呆然と見つめながら、シルヴァスは自分の血の気がサーッと引いて行くのを感じていた。
思い出されない方が好都合な事がありすぎる!
例えば、僕が一度、カヤノを振ってしまったとか!!
(シルヴァス・心の焦り声)
そう思ってシルヴァスは焦ったが、極力、それを見せないように気を付けながら、早まって薬を使いすぎない方が良いという方向の意見を口にした。
「いや、その一概に薬を使うのはどうかと思う。あまり困った事がなければ、このままにした方が…良いというか…。」
急速に歯切れが悪くなっていく彼の言葉に、カヤノは不服を述べた。
「でも、学校の授業内容だって、クラスメイトの事だって、シルヴァスとの思い出も色んな事の記憶が数年間、真っ白なのよ?困らないわけないじゃない。あ、そう言えば…。」
「ん?」
「そういえば、何でヒロミ先生は、私に催眠術と記憶を失う薬を使ったんだっけ?失った方が良い記憶って?数年間の記憶が無くなったってわかった日は頭がボーッとしてたし、今までも学校の事で頭がいっぱいだったから、大事な事をいくつも確認していなかったわ。」
カヤノの言葉にシルヴァスは目を泳がせた。
大いに口元を引きつらせ、誤魔化すような言葉をとりあえず続けて吐いておく。
「うーん、それについては因幡先生に相談しながら、説明したいんだよね。彼も元はこんなにすっぽりと君の記憶を消すつもりはなかったのだろうし…ちょっとした事故というか。」
「そういえば、ヒロミ先生の診察室で…気付いたら、シルヴァスが怒って暴れていたよね?あれって、何でなの?ヒロミ先生って精神科なのよね…何で先生は私に施術を?」
カヤノは何度も首を捻った。
施術を受けてすぐと思われる日は、意識が戻っても何となく頭がぼやけていて、記憶が定かではない。
その日は何となく、フワフワしていたので思考も定まっておらず、見た事や聞いた事も普段よりは曖昧な状態だった。
確か、警官隊にシルヴァスがお世話になった日に、サルマンがを保釈の為に赴いてくれた時…二人は何か話していたのだが。
カヤノは、朦朧としていた意識の中で二人の会話を聞いており、ハッキリと思い出せないが、因幡大巳は自分に勝手に施術をしたようだと認識していた。
しかし、なぜ、自分はヒロミ先生に記憶を消すような処置を受ける必要があったのだろうか?
カヤノが、その小さな頭で色々思いを巡らしているのを察知したシルヴァスは、口を開いて彼女の思考を遮った。
「施術に関して細かい事を考えるのはダメだよ。今、君は記憶喪失状態なんだから!記憶喪失って、あまり考えるすぎるといけないんだってさ。だから、この話は一旦保留にしよう。」
「でも…。」
カヤノは訝しんだ。
それを汲み取ったようにシルヴァスが言葉を続ける。
「そう言えば、当初は君が落ち着いたら病院で一度、診てもらおうって話してたよね?因幡先生も君の施術に失敗した事で僕らの前に顔を出せなくなったけど、病院を通じて間接的に協力すると約束してたから、ずっとこちらが音沙汰なしで気になっていたんだろうね。」
そう言えば、警官隊につかまって保釈された日、シルヴァスはそんな事を言っていたような気がするとカヤノは思った。
そして、『だから薬を調合して様子を知りたかったんだろう。』と続けるシルヴァスに曖昧な返しをした。
「そうなんだ…。」
…と。
「僕は、君が今、幸せならそのままでも良いと思っていたし、因幡大巳への連絡も病院の件がなければ、必要がないと思ってたんだ。」
「どうして?」
「今の状態で医療にかかったりすると…卒業間近だって言うのに通院だ何だってゴタゴタするのは目に見えてるからさ。病院にかかったって、すぐに記憶喪失をどうこうできるかわからないし、不明瞭な事で時間を取られるより、学校をまず卒業する事が第一だと考えたんだ。」
「不明瞭?」
「うん。僕は児童保護で子供を伴って精神科に行く事が多々あるんだけど、こういう分野は通院しだすと長いんだよ。完治が目に見えるわけではないからね。通院中は学校から正常状態…つまり健康と認められなくなる。」
「そんな…体はどこも悪くないし、別に頭も正常なのに?」
カヤノは考えた。
『でも…確かに通院をしているという段階で、周りから見たらどこか悪い所があると言っているようなものなのかもしれない。』
シルヴァスは、なおもその事についてカヤノに説明するように言葉を連ねた。
彼はもっともらしい事を瞬時に考える技に長けている。
本来は、単に記憶をカヤノが思い出さない方が都合が良さそうだ…と簡単な理由で、特に請われないので病院に連れて行かなかっただけなのだが…。
「学生の間に通院すれば、学校を通じての情報から現人神社会的に正常でないとレッテルを張られかねないだろ?卒業生は現人神として一人前になったという証に、その資格と学校での成績や調査書がセンターに送られて登録される。通院中なら当然…その内容も調査書に記載されてしまう。」
「そう言われれば…そうよね…そんな事まで考えてくれてたなんて、やっぱりシルヴァスってスゴイのね。」
カヤノはシルヴァスには敵わないと改めて思い直し、ようやく納得したように頷く。
それを見止めると、内心焦っていたシルヴァスも満足げに微笑んで、因幡大巳が上司の男を介して調合したという薬の服用について、彼女に言い聞かす。
「医師の受診を受けてから話し合った方がいいからさ…ね?僕から見ると、記憶のないカヤノだって充分やって行けると思うよ?あまり何度も薬や頭を弄るのは良くないって因幡大巳もアホ上司に伝達していたみたいだし…。」
「わかった。じゃあ、明日、とりあえずヒロミ先生にお薬の服用について詳しく聞いて下さい。それから病院に行くのが順番的に良いのか確認してもらえますか?その…学校の調査書に記載されて不利になるような内容になるかとかも…。」
「勿の論だよ。そうしよう。それから、通院が長引きそうだったら、受診だけしてもらって学校を卒業するまで保留にしてもらおうか。」
カヤノはそれで納得して、それ以上しつこく自分の記憶に関しての話をしてこなかったので、シルヴァスはホッと息を吐き出した。
しかし、明日からどうしたものか…。
カヤノと約束をしてしまったので、受け取った薬について因幡大巳に連絡は入れようと思う。
だが、医師にかかれば、担当医が因幡大巳の薬の使用を止めてくれるとは限らない。
一度、リセットする為に全てを思い出せば、わずかな間で築く事ができたカヤノとの密接な関係がおじゃんになってしまう可能性も高いように思える。
今は、せっかく彼女がハルに負けないくらい僕を好きになってくれるなんて言う、頼もしくて可愛らしい宣言までしてくれたのに…記憶が戻れば、ハルへの劣等感や今までの状況を思い出して、途端にまた僕との距離を置き始めるに違いない。
賭けの事だって思い出すだろうから、彼女が僕に好意を持ってくれているのは明らかなのに、また頑なに僕を否定し始めるのだろう。
数々の負ってきた傷のせいで臆病すぎる彼女に戻ってしまうのだ。
トラウマの方も再発確実だ…。
これに関しては、僕意外の男を拒絶してくれるので、僕にとって悪いものとは言えなかったのだが、それに付属してくるカヤノの心を閉ざしている部分を考えれば、今の方が彼女に取っても幸せなのではないかと言える部分の方が強い。
無論、僕も…今回、死ぬほど可愛い本来のカヤノに出会えて、これがまた元に戻ってしまうかと思うと…惜しすぎる!という、気持ちを拭えない。
できれば、何とかカヤノに薬の使用を踏みとどまらせたい!
まずは因幡大巳に明日、職場の休み時間を利用してアクセスし、詳細を確認して大手の病院に連れて行こう。
話の内容と状況によっては、因幡大巳を脅して連れて行く病院の方でも薬の使用を控えるように、医師の方から話してもらうように手を回させてもいい。
あんな蛇だが、因幡大巳はそれなりに医師や大手病院にも顔が利くのだ。
「嫁取り合戦が絡むとクソ蛇としか思えないが、代々、医療には長けた家系だからな。」
シルヴァスは、脳内でそのように考えを整理してから、カヤノの方に意識を向けると、彼女がいつの間にか自分の前から姿を消して、台所で出前の器をすすいだり、お茶のカップを洗っているのに気付く。
『これはいかん』と、シルヴァスは遅れて台所に行き、カヤノに変わってそれらをし始めた。
その代わりに、カヤノをソファに座らせて、デザートとお茶を出してやる。
「これ、帰りに駅前のケーキ屋さんで買ったんだけど…オープン記念でアップルパイが半額だったんだ。あのバカ上司がいきなり来訪するから出し忘れてたよ。良かったら、食べてゆっくりしていて。」
カヤノはアップルパイに目を奪われながらも、シルヴァスの方に遠慮がちに聞いた。
「で、でも…いつも食事の支度も、後片付けしてもらっちゃってるし、たまには私がやっても…。」
「いいって…僕がカヤノには、台所の後始末をあまりさせたくないんだよ。ここでのんびりしてくれてた方が嬉しい。だって、洗い物すると手が荒れちゃうでしょ?今日は食洗器を使う程の量もないし、手洗いの時は僕が洗う。」
そこまで言われるとカヤノは、目の前にあるアップルパイという強敵も相まって、シルヴァスにそれ以上の反論はできず、ありがたく彼の申し出を受けた。
「そ、それじゃあ…いつも申し訳ないけど…お言葉に甘えて。」
「うんうん、そうしてね。」
シルヴァスは満足気な笑顔を浮かべて、台所に戻る。
独立型キッチンスペースに戻ると、カヤノから取り上げた後片づけの仕事を一人、手早く行いながら、因幡大巳の返答次第では、受け取った薬の瓶を割って、しばらく時間稼ぎをしようかとも考えていた。
「全く…親切のつもりかわからないけど…今更、面倒な事をするなぁ。しかも猿上司に薬と伝言を頼むなんて迷惑すぎる。悪気はないにしろ、蛇め。裏目に出る行動ばかりして…どうも僕とアイツは相性が悪いらしいな。」
シルヴァスは、一人、次々に起こる事態の急変に頭を抱えていた。
「どうして、自分の恋愛はこう…うまくいかないんだ。」
それが恋なんですと…運命の女神の声が聞こえるような気がしたが、シルヴァスはスポンジを握り潰して洗剤の泡をこれでもかと吹き出させながら、ブチブチと文句を独り言ちるのであった。
長々と連載してしまってすみません。
大分後半になって来たので、もうしばしお付き合い下さい。
とはいえ、まだ終わりせんが。




