春の嵐と恋の風53
おはようございます。
また波乱の予感です…。
シルヴァスの上司は、別に悪い男ではない。
仮にも、『現人神』と呼ばれる審査にクリアしているのだから、邪悪なわけがないのだ。
大きく分ければ、ちゃんと良い心根の持ち主には違いないのである…多分。
ただ、ちょっと…アホなだけだ。
感情のままに行動する単細胞とでも言うのだろうか?
それと…単に女の子が大好きで、誰にでも声を掛けては、嫌われてもしつこく後を追いまわすというだけで、他には特に害もなく(それが問題なのだが)、子供好きでもあるので職種的にも問題はない(そう思いたい)筈…だった。
とはいえ、子供相手に問題がなくとも、保護対象の子供達の成長後を考えると、大将の子供達を成人するまで、色々とサポートする立場である事から、彼には必然的にペーペー時代から男児を専門に担当させられていた。
それは当時の彼の上司の判断でもある。
男は当時の上司を恨めしく思っていたが、この判断は正しかったと誰もが認めていた。
その後、男はコネもあり順調に現場から離れた役職へと出世した。
周りは彼がそれほどの実力があるとは、全くもって思ってはいなかったが、現場で子供達に触れ合う機会がなくなる事に対し、むしろ良かったと安堵して、彼の昇格に賛成の色を見せた。
本人も楽な場所への移動(窓際ともいう…)と役職には(単純だから)満足をしていた。
だが、自分の補佐に精霊界から駆り出された実力派の部下が、保護対象の少女の保護者に認定されていたのだと知ると、急に面白くない気持ちが湧いた。
確かに腹パンチをくらわされた事にもムカついてはいたが、日頃から自分には冷たい部下に受けている仕打ちなど慣れているので、それ自体は次の日になれば忘れる程度の些細な出来事だったのだ。
(※生身とは思えない『頑丈なタイプ』のボディを持っている現人神は腹パンチでフッ飛ばされても些細な出来事なのだ!)
しかし、シルヴァスに養い子がいたというのは、彼にとって大きな事件だった。
それも、自分だけがその事を知らなかったのである!
正直、現人神の孤児の貰い手は多く、男の子だって、それなりな家庭にしか任されない。
それが数の少ない女児であれば、競争倍率が一層高く、自分を含めシルヴァスのような独身男神が引き取る事は滅多にできないのだ。
余程の事情があったにせよ、それはものすごく巡り合わせが良く、独身ヤローには幸運な事だ。
シルヴァスがカヤノを引き取るにあたって、当時は下心がなかったとは考えもしない非モテ上司にとって(しかも女の子大好き!)は、喉から手が出るほど羨ましい話である。
ズルイ!
アイツで許可が下りるんなら、俺だって保護者、やりたい!
上神の接待で訪れる店でも職場の飲み会でも、シルヴァスは決まって周りの女の子からの受けが良かった。
特別に異性として憧れられるわけではなくても、自分には感じの悪い部下は、女性相手だと別人のように柔らかな雰囲気を纏い、親切で警戒されずに相手の懐に入るのがうまいのだ。
何かあれば、必ずお呼びがかかるのはシルヴァスで、相棒のクシティガルヴァスは粗野なせいか、女子にはさほど人気はなかったが、男神の新米現人神などには面倒見がいいのか、よく懐かれている…。
それに引き換え、自分が傍によると女子現人神達は、蜘蛛の子を散らしたようにどこかへ行ってしまうし、新米の初々しくて可愛い男神現人神は、自分の顔色を窺いながらも愛想笑いを浮かべて、クシティガルヴァスに助けを呼ぶような視線を送るのである。
そうすると、自分の隣には自然にシルヴァスかクシティガルヴァスが配置されるようになった。
面白くない!
何で、俺の周りをこの可愛くない二人が、いつも固めているんだ!!
その二人が不在時には、なぜか両脇は自分よりも上の上司が座っているし…これじゃ気を使って、ちっとも俺が楽しめないじゃないか。
何なんだ、これは人間達の言っている職場イジメという奴か⁈
しかも、人間の店に行っても、現人神女性同様に、女の子達が逃げていくのはなぜだ?
おかしい!
人間の女の子達には職場での自分を知られていないのに。
シルヴァスの上司である男は首を捻る。
「単にふざけて、スカート触っただけなのに…あれがマズかったのかなぁ。それとも、抱きついた時に首筋の匂いをかんだのがいけないのか?いずれにしても女って、冗談つうじねーよな。」
何が冗談なのか…。
当たり前である…。
そんな事をすれば、誰でも嫌がる。
男は色々と残念な現人神であった。
そして、距離感がおかしい。
むしろ常に自分をフォローして回っている職場の同僚や部下達には、頭を下げてしかるべきなのに、彼は特に世話をかけているシルヴァスに逆恨みのような嫉妬心まで抱いた。
世話になっているという自覚が、本人だけにはないので、それがイタイ。
これだから普段から、シルヴァスに吹き飛ばされてばかりなのに…男は悔しさから、小さな嫌がらせを考えた。
医務室の医師に聞いたシルヴァスが自分以外に昨今とっちめたという現人神がいるのを知った後、部下にお使いを頼まれるという立場逆転の行動で、何と自分は偶然にその現人神と出会ってしまったのだ!
因幡大巳医師!
彼は、度々児童保護課でもお世話になっている医師の一人だった。
現場から長年遠ざかっていた自分には、全く面識のない存在ではあったが、書類のサインで目にする程度にその名だけは知っていた。
男は、たまたま部下に頼まれた書類をクリニックに持ち込んだ際、医務室の医師の話を思い出して世間話の一環でシルヴァスの話をしたのだ。
すると、今日は受付対応の女性が一人しかおらず、忙しかったせいもあり、因幡医師が直接、男の話に乗って来たのである。
そこで、判明した!
シルヴァスとその養い子を巡る事件が!!
それで因幡氏とシルヴァスの間に一悶着があったという事が!
医務室の医師が言っていたシルヴァスにとっちめられた現人神というのは彼だったのだ!
当然上司の男は、自分と同じように因幡大巳がシルヴァスを良く思ってはいないのだろうと、味方を得たとばかりに可愛くない部下の悪口を並べ始めた。
しかし、意外な事に因幡医師は、シルヴァスを悪く言わなかった。
しかも反対にオールドタイプの現人神らしく、神々しいオーラを放って窘められてしまった。
「いえ、君…部下の悪口を外で言うのはどうかと思いますよ?シルヴァス君は、うちにも仕事で何度も来てくれてますが…それなりに良い青年です。」
「え?でも、あなたは彼と一悶着あったのでしょう?このクリニックも滅茶苦茶になったとか言ってたじゃないですか…たった今。」
「ですが、仕事と私情は別です。今回、私はその禁を犯してしまったので偉そうに言えた義理ではないですが、彼はフットワークが軽くて気さくに頼み事も聞いてくれますし、いくつか世話にもなってます。それに警官隊沙汰になった事件は私に非がありますから。」
「で、でも、悔しくはないんですか?」
「いえ?最後の悪あがきをした自覚は自分でもありますし、結果、カヤノたんには中途半端な術をかけてしまって申し訳なく思っています。シルヴァス君に怒られて当然の事をしているとわかっていながら、最後のチャンスだと思いコトに及んだので…結果、当たって砕けただけです。」
上司の男は呆気にとられた。
どこへ行ってもシルヴァスが評価されている…。
「カヤノたんには私が似合いだと自負しましたが、今回もどうやら私の花嫁ではなかったようです。今はそれがわかっただけでも良しとしてます。シルヴァス君に診察室で暴れられたのには参りましたが。」
因幡大巳の話を聞いて、影ながら舌打ちをした男だが、医師はそれには気付かず、不意に何か思いついたように言った。
「そうだ!実は色々と試してみて、忘れ草の効果を打ち消す薬を作ってみたのです。あなた、シルヴァス君と同じ職場なのですよね?実は、あの一件以来、自分から彼の元に出向き辛くて…。」
そう言いながら、因幡大巳が奥の部屋から茶色い小瓶を持ってきた。
「できれば記憶に関わる事なので、あまり連続して薬を使うのはおススメしないのですが…すっぽり抜け落ちてしまった記憶で、カヤノたんに不便があるようなら使っても良いのではないかと思いまして。」
因幡大巳は、男に向かって説明を始めた。
男はそこで、一連の事件に行きつくまでのカヤノとシルヴァスとの状況と現在についてを詳しく知る事になる。
そして、カヤノが運悪く失わなくて良い記憶まで失ってしまったのだと医師から聞かされるに至った。
「その件で、私はシルヴァス君がカヤノたんを連れてどこかの現人神系・大手病院、もしくはセンター内の病院に来る筈だと考えていたのですが、まだ二人が来院したという情報が入って来ないのです。」
因幡大巳は自分でも責任を感じ、伝手を使って、二人がどこかの病院に来院した際には、自分に連絡がくるように手を打っていたのだが、未だ二人が受診した形跡はなく、どうするべきか考えあぐねていたのだと持っている小瓶を指差して言った。
「私がカヤノたんを診察するのは、シルヴァス君に禁止されていますが、この件で病院に行く際には、病院側に私からアドバイスできる事があるから連絡をしてくれと彼に言ってはあるのです。しかし、万が一に備えて病院側からも連絡が入るようにしておいたのですよ…でも受診してないとなると…。」
因幡大巳は、その続きをとても残念そうに言った。
カヤノを担当する医者を通して、この薬や記憶を失った時に使用した薬の分量や状況、今後の指導を関越的に行おうと思っていたのだが、まだどこの医療機関にもかかっていないのなら打つ手がないし、カヤノの現在の生活に不便がないかも心配しているのだと。
「かと言って、私はシルヴァス君に自分からは二度とカヤノたんの前に現れるなと、警官隊の前で契約までさせられてしまいましたからね。そこで、あなたにお願いなんですが、この薬をシルヴァス君に渡して頂けないでしょうか?」
「え?俺が⁈」
シルヴァスの(一応)上司は、突然のお願いに目を丸くした。
「彼女に使った忘れ草の分量を計算して、何度か実験を繰り返したのですが、ようやく安全な状態でこの薬を仕上げる事ができました。シルヴァス君に診察室を半壊させられたので生成が遅くなってしまいましたが、あなたから渡して頂ければありがたいのです。」
そう言うと因幡大巳は、上司の男に柔和な笑顔を向けた。
「本来なら病院を経由するのが一番だったのですが、利用していないのなら仕方がない。丁度、誰かをお使いにやってシルヴァス君に渡そうと思っていたのです。しかし、誰にでも頼める物ではありません。」
「それはそうだろ?薬は扱いも難しいし、何か不正があると大変だ。信用できない者には任せられない。」
「ええ、ですから誰に頼もうかと思っていた所にあなたがいらした。あなたならシルヴァス君と同じ職場で上司ですし、児童保護課に在籍している方なら安心です。カヤノたんは学校卒業まで保護対象なのですから、保護課と無関係ではないでしょ?」
「まあ、俺達は保護対象の児童や対象者に対しては一人前になるまで責任を負っているし、あらゆる事を管理してもいるが…。」
「やはり、適任です!お願いします。シルヴァス君に質問やこの薬を利用する事があれば、私に連絡するように伝えて下さい。私でなくとも、間に他の現人神専門医を通して説明するように手配しますから。」
「はあ、わかった…わかりましたよ…(仕方ねぇなぁ)。」
男は因幡大巳に言われて、面倒だと思いつつも、同じ課で勤めている者として、仕方なく請け負った。
児童保護課に在籍している者が、まだ養成学校在籍中の半人前現人神について無視する事はできない。
彼も能力的・オツム的・一部人格的に難があろうと、その辺はよく理解しているし、全く適性がないわけではないのだ。
だが、今回の件は、丁度男がシルヴァスにフッ飛ばされたばかりだったのでタイミングが悪かった。
タイムリーに男がシルヴァスにジェラシーを燃やしていたのが災いしたのである。
男は、直帰で帰宅する予定のシルヴァスが今日は職場に戻らない事を知って、最初、次の日に渡す事を考えたが、段々と因幡大巳の話を思い起こして、普通に渡してやるのも親切すぎるのではないかと嫌がらせを思いついた。
「薬の事を理由に医師に緊急だと指示されたと言えば、俺の方が上司だし…人事でアイツの住所を聞き出せる。仕事終了後に急に訪問して、養い子を見に行ってやろう!」
上司の男は、仕事中にも拘わらず一人でほくそ笑んだ。
「わざわざ行って、恩を売るのもいいが、アイツ、因幡氏の話を聞いただけでも随分と養い子を大事にしてるみたいだから、俺が接触したらどんな顔するだろう?へへ…からかってやろう。」
嫌がらせ…と言っても実に小さい…というかくだらない…彼らしい報復であった。
そこが男の憎めない所なのかもしれないが。
正直、子供レベルである。
「題して、シルヴァスのお宅、勝手に押し掛けてやる!の巻~。」
元来、シルヴァスも男のようなノリは持っているが…さすがに女性現人神や養い子などがからみ、男神の婚姻関係に関わる事情は普段の精神状態ではないので、普通の現人神達だったら、自分が同じ相手を好いているわけでもないならば、遠巻きにして拘わらないように努める所が、いかんせん男は空気が読めない…。
シルヴァスが養い子を以上に大切にしているであろう事は、ここ最近の彼の奇行とクシティガルヴァスの話により、大方職場の者達は察しがついていた。
クシティガルヴァスから話を聞かないにしろ、養い子の話をしただけでこの上司の男は一度、フッ飛ばされたのだ。
多少、察してもいい筈なのに…彼は、自ら皆が触れずに避ける場所へとツッコんでいく傾向があった。
そして、その夜…あえて夕食時間帯を狙って、男はシルヴァスの家に訪れたのである…。
☆ ☆ ☆
「ピンポーン!」
コンシェルジュの案内で、オートロックにシルヴァスの住むマンションの部屋の番号を押すとチャイムが鳴った。
「はい、どちら様でしょうか?」
しばらくすると、大人しそうな若い女の子の声が聞こえて来た。
この子がシルヴァスの養い子だとすぐに思い至り、男は猫なで声を出した。
「こんばんはー、シルヴァス君の職場の者でぇす!」
「えっ⁈仕事先の方?すぐにドアを開けます。自動ドアを入ったら左側のエレベーターが直通なので、乗って頂いて…下りたらまた左端の部屋です。」
インターフォン越しで慌てたような少女の声に説明を受けると、男は上機嫌で言われた通りエレベーターに乗り、一番左の部屋のドアの方に歩いた。
「へえ、シルヴァスの奴、なかなか良いマンションに住んでるな。エレベーターも最上階、直通で近所さんも同じフロアに3件だけとか…部下のクセに稼いでんじゃん…アイツ。」
残念な事にシルヴァスに職場の評価を付けるのが、直属の上司である自分だけでないのが、不服だと男は思った。
自分がいかにシルヴァスの評価を『下』にした所で、周りは高評価をしているのだ…あんまり違った評価を付ければ自分の方が人事に呼び出されて理由を聞かれてしまう。
それでも、ヤケになって実際に散々な評価を付ければ、当のシルヴァスからどんな報復を受けるかわかったものではない。
そもそも自分の仕事をかなりの比重で請け負ってもらっているので、機嫌を損ねられたら仕事が滞って、自らの評価が下がってしまう事が確定である。
故に、シルヴァスの評価を下げる事もできず、彼は恐らくかなりの高給取りである事が想定された。
上司なので、内容を知らされていても良さそうなものだが、どうやら自分にはその権限がないらしく、シルヴァスの給料額を知らされる事はない。
「あー、何か、色々、腹立つなぁ~畜生。アイツ、他の課の手伝いとか、出稼ぎめいた仕事までやっているからなぁ~。どこも人手不足で向こうからオファー来るみたいだし。」
丁度、男がブツブツ言いながら、端の部屋の前に着くと、待っていたかのようにドアが開かれて可愛らしい少女が顔を出した。
そのまま男は少女に玄関へと招き入れられるように中に入る。
因幡氏から話に聞いていたが、少女は優しい静かな色合いの髪と目を持った大人しそうな子だったが、自分に挨拶をしてから恥ずかしがり屋なのか照れくさそうに笑ってくれた。
何というか、人慣れしていないその素朴な印象がとても…。
「可愛いなぁ…君がカヤノちゃん?」
ほんの少し二人だけで玄関口にいたら、奥から普段の何倍にも増して鬼の形相の部下、シルヴァスが何やらおぼつかないような足取りで現れた。
どうしたんだ?一体…。
シルヴァスの歩き方は、ちょっと不自然だったので、一瞬、男は訝しんだような表情をしたが、すぐに近づく部下の鬼の形相が凄まじく酷すぎて、思わず『ゲッ!』という声を出してしまった。
しかし、こちらに到達する間、ずっと鬼の形相だった男は、自分の養い子の隣りに立ったシルヴァスは、彼女が振り向いた拍子に女性にしか向けない例のキラキラした表情に作り変えた。
相変わらず、凄まじい早業(技)だ!
シルヴァスの域に達すれば、もはやこれは『顔芸』である。
「ああ、カヤノ…残念だねぇ…せっかく二人の貴重な時間を…こんな奴に邪魔されて。」
シルヴァスは養い子に顔を向けるなりに、上司に向かって普通なら絶対言えないような失礼な物言いをした。
「こんな奴とはなんだ⁉いい加減、失礼だな!!」
男も勿論、頭にきて言い返す。
そこにシルヴァスの養い子であろうカヤノちゃんが、健気にも二人の仲裁をするように間に入ろうとして口を言開いた。
「す、すみません…シルヴァスは悪気があったわけじゃないんです。」
一生懸命、シルヴァスの印象を損なわないようしようとして…可愛い。
養い子、いいなぁ!
ズリィ、シルヴァス!!
俺も女の子に懐かれて、こんな風に庇ってもらいたい!
男はウネウネと足をよじって無言で少し悶えた。
シルヴァスが無表情の軽蔑の眼差しを投げつける。
シルヴァスの口は、声を出さずに『キモイ』という形を描いた。
そして、間もなくシルヴァスは、この仕様がない上司から引き離そうとして、彼女に少し冷たく奥に行くようにと指示を出した。
カヤノと呼ばれる養い子は、何となく叱られた子猫のようにそそくさと奥のドアに向かって、シルヴァスの上司に背を向けた。
そこで男は彼女を呼び止め、因幡大巳から渡されていた茶色い小瓶を鞄の中から取り出して見せる。
「じゃじゃーん!」
男が因幡大巳の事を話し、薬の事を説明すると、シルヴァスと少女は驚いたように目を見開いていた。
その様子を見て、上司の男は優越感に浸っていた。
「へへ、どうだ?これが欲しいか?」
カヤノの状況に合わせて生成した薬はオリジナルブレンドである。
恐らく、因幡大巳か因幡大巳の指示を仰いだお薬剤師か医師にしか作れないだろう。
男がニヤリと不敵に笑い、シルヴァスに挑発するような言い方をすると、シルヴァスは更に瞳を冷たく凍らせたような色を宿して、(それはもう極寒の地の緑色の海のような瞳の色で…)口を開いた。
「欲しいも何も…アンタのじゃないだろう?それを僕らに渡すようにと因幡大巳から預かっただけだ。別にアンタが渡さないなら、直接、因幡大巳に連絡するからいい。ご苦労だったな…帰っていいよ?」
「ちょ、ちょっと待てよ!こんな所まで急いで持って来てやったんだぞ?労いの言葉やお礼とかないのか?夕食くらい出せよ!!」
「じゃ、明日、昼でも奢りますんで…今日はアリガトウゴザイマシタ。」
「棒読み⁈いやいやいや、昼はイイから、今、少なくとも茶の一杯でも出せよ!」
そう言って、男が靴を脱ぎだして室内に上がろうとする。
それをシルヴァスが阻むように前に立つ。
男はそれを横に避けて室内に足を踏み入れようと片足を上げる。
その瞬間に、シルヴァスが男の前に体をズラして、また前に立ちはだかる。
男はまた、反対側に避ける。
シルヴァスが再びそちら側にスライドして前に立つ…。
二人はその繰り返しを延々とやりだした…。
シルヴァスもいい加減、大人げないが…上司の男もかなりしつこい…。
カヤノはすっかりと呆れた顔で二人を離れて見ていたが、このままでは一時間でも二時間でもやっていそうな気がして、おずおずと口を開いた。
「あのぅ~、シルヴァス。せっかく来て下さったのですから、やはり、上がって頂いたらどうかしら?ご飯はシルヴァスより上手じゃないけど…私が何か作るから二人でお話でもしていればいいと思うの。」
そういったカヤノに対して、シルヴァスがいつもは見せない険しい顔で彼女を見たが、その拍子に上司の男はシルヴァスの壁をする抜けて、あっという間に猿のように素早い身のこなしで玄関に上がり、カヤノの傍まで走って来た。
「わあ、ご飯作れるのー?男神に引き取られた子は甘やかされて、家事が全般できない子が多いのに!偉いねーカヤノちゃんは!!俺、君の手料理、楽しみだなぁ。」
目を輝かせた男の至近距離からの勢いづいたしゃべりに、トラウマがかなり改善されていた筈のカヤノは、悪寒を感じて凍り付いた。
シルヴァスは、ハアッと息を吐きながら頭を片手で押さえ、家の中に上がってしまった上司のクビ根っこをつかむとカヤノから引き剥がし、『仕方ない』とリビングの方に引きずって行った。
「カヤノの手料理を食べさせる必要はないよ(てゆーか食わせたくないから)…何か取ろう。おい、上司だからって図に乗るな。夕飯食べてサッサと帰れ!明日は遅刻ギリギリに出勤するなよ?」
シルヴァスはそう言って上司に凄むと、客ではなくて自分の養い子に向かって、表情をおもむろに柔らかく変えた。
「で、カヤノは何が食べたい?カヤノの好きなものを取るからね。寿司?ソバ?ピッツア?釜めしもいいね。近くに新しくできた店も配達やってたっけ?」
「おい⁉普通、ソレ…客に聞かないか⁈」
男の声は無視して、シルヴァスは出前用のメニュー数種をカヤノの前でトランプのババ抜きをするようにかざして見せる。
カヤノは顔を引きつらせて、男とシルヴァスを見比べていた。
結局、近くの寿司屋でにぎりを注文する事になったが、シルヴァスは無言でカヤノに特上を取って、上司に『梅』のにぎりを注文し、また不況を買っていた。
そして、この事で男がついにヤケを起こし、シルヴァスにとって向かい風の吹く事態に転じてしまうのであった…。
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