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春の嵐と恋の風52

シルヴァスは言いたい。

「サルマン、辛いのは君だけじゃないよ。」


 その日もカヤノが18時を過ぎて帰宅すると、タッチの差で仕事を終えたシルヴァスが家に戻って来た。



「あっ、お帰りなさい、シルヴァス!今日はほとんど同じくらいの帰宅だね。私も丁度今、帰って来たばかりだよ。」



そう言って、着替えを済ませたばかりのカヤノは、リビングに入って来たばかりのシルヴァスに迷いもせずに飛びついた。



「ただいま。あっ、カヤノ…こら、危ないから…。」



グラリとよろめきながらもシルヴァスはしっかりとカヤノを支え、自分の首に抱きついている娘の手を丁寧に解く。

あの、小旅行以来、カヤノの中でシルヴァスとの距離は随分と縮まったようだ。

すっかり彼を自分の恋人だと認めたカヤノは、口調も気安くなったし、疑いなく彼に接触するようになった。

今までになく、自分に懐くカヤノの態度に、シルヴァスの方は狼狽えるばかりだ。


『カヤノって心を許した相手にはこんなにも可愛かったのか!』


と、毎度、理性の面でノックアウトされそうになり、忍耐を試され続ける日々に下半身事情の苦悶に悩んだ。


本日の昼もクシティガルヴァスに、自分の胸の悩みを打ち明けたばかりだが…結局。


『惚気てんじゃねーよ!』

『ゼータクな悩みだ!』

『好かれてんなら、結構じゃないか!少しくらい我慢しろ!!』


と、反対にどやされてしまった。

相棒からしたら『贅沢な悩み』は、試練だから甘んじて受けろと言われたのだ。



だが、そんな事言ったって、辛いものは辛い…。



あと、数週間…。



カヤノの卒業まで一ヵ月を切っている…わかっている。

やっと、ここまで来た。

あと少し…。

あと少しの辛抱だ…。


だが…。


わかっているが…こんな風に帰ってきた途端に可愛く抱きつかれてみろよ!

ただでさえ、色々と我慢してるんだぞ?

いきなり、先制パンチを浴びて、既に昇天寸前で立っているようなものだ。



これから、カヤノが『お休みなさい』を言って、眠るまでの数時間…。

彼女から怒涛に押し寄せられる無意識なラブラブ攻撃を受け続けねばならないのだから、シルヴァスにとっては堪ったものではない。


既に、このまま自分の部屋に連れて行って、泣くほど可愛がってあげたくなる衝動に耐えながら、シルヴァスは何とか紳士的な体面を保っているのだ。



欲望を試されるにもほどがある!

何だ、コレ⁉

コレがもしかして、神仙どもの言う天劫ってやつか⁈

(※天劫→神様のレベルを上げる試験みたいなモノ)



元々は、自分の方が全力でカヤノを落とす為に誘惑する予定が…今は、自分が全力でカヤノの誘惑にあがなわなければならない立場になり、シルヴァスは頭を抱えた。


自分から迫って、カヤノを動揺させるのは楽しくて慣れていたものの、自分がカヤノに誘惑されるとは露も思っていなかったのである。

これほど彼女の方から積極的に抱きつかれたり、自分に恋人として疑いなく接して来るとは思わず、完全な形成逆転は想定外だった。



だから、当然…こうした状況には弱い。

(想定外だ!)


いや、カヤノに実はこんな破壊力があったとは知らなかった。

(想定外だ!)


本当は、僕がカヤノを落とす為に執事服および、他にも色んな制服を用意してスタンバイしていたのに…全部おじゃんだ…とシルヴァスは思った。

(想定外だー!)



袴姿、軍服、白衣に学ラン、ポリスにアリスの兎コスから吸血鬼まで他、諸々…のバラエティー豊かなラインナップだったが、着れなくて残念だ…。


だって、考えても見ろ!


うっかり、今のカヤノにコスプレ・ご奉仕などして…。

反対に乗って来られたりでもしたら、大変だ!!


太刀打ちできる自信が、まるでない。

僕はまだ、賭けを含めて、カヤノを食べてはいけないのだ。

保護者の立場を解除されてもいない…。


いずれ、コスプレ衣装に袖を通すにしても、今はまだダメだ!




「ああ、早く、お嫁さんにしてしまいたいな…。」



うっかり漏らしてしまった言葉を耳で拾ったカヤノが瞳を輝かせる。



「嬉しい!そんなに私の事を求めてくれるなんて。私も早くシルヴァスのお嫁さんになりたい。」



何の気なしの一言に、カヤノが返した言葉を聞いて、脳内葛藤で独り言ちていたシルヴァスは驚いて我に返る。



「え?僕…もしかして、今思った事を口から出しちゃってた?」


「ねえ、それ…プロポーズみたいなものよね?シルヴァスからは、前に既に求婚してくれてたって聞いてたけど、記憶がないから…初めて聞いたのと同じくらい感動しちゃう!」



カヤノは、キラキラした瞳で興奮気味にシルヴァスに言った。

今まで散々、求愛の言葉を並べたのに、前の彼女がそれに応えてくれた事は一度もない…。

それなのに今のカヤノは、嬉しくて仕方がないと言うような顔を自分に向けて来る。



「早く、卒業単位が取れるように頑張るわ。あなたの為に!」



シルヴァスは目を点にして思った。



今カヤノは何と言ったか?

まず第一に、自分からハッキリと僕の『お嫁さんになりたい!』と言ったのではなかったか?

それに…『あなたの為に』とか?



シルヴァスは、自分の耳で聞いた事を疑うように、驚愕した表情で彼女に問い返してみる。



「ソレ…本当?カヤノは永遠に僕のモノになってくれる?僕に愛を誓ってくれるの?確かに、僕はとっくに君に申し込んではいたけど…君の返事は…その…いや、いいや。卒業したらすぐに結婚してくれる?」


「ええ、勿論。だって、私、シルヴァスが大好きだもの。あなたといると幸せで…楽しいし安心するの。私の方こそ、お嫁さんにして下さい。」



カヤノの言葉にシルヴァスは、思わずぶわっと涙を滲ませた。

そして、カヤノには聞こえないように口の中でモゴモゴと小声の呟きを繰り返す。



「うう…まさか、ここに来て、不意打ちのように簡単に結婚を了承してもらえてしまった…嘘だろ?あんなに拒否られてたのに記憶がないって恐ろしい…じゃなくて素晴らしい。いや、どうしよう…嬉しい!」



だって、記憶なしで僕と結婚したいってカヤノは言ってくれた!

僕の事を大好きだって⁈

幸せだって!


それって、多分、本当のカヤノの気持ちだろう?

つまらないしがらみや画策や考えを抱いていなければこそ思う、純粋な気持ち…。

大きな傷を受けていないカヤノは、正直になれば、そんな風に思ってくれるという証なのだ。


トラウマがなくても、他の男が怖くなくても、僕と結婚する事を選んでくれたんだ!


ヤバイ…マジでこれは嬉しい。



シルヴァスは、何度もカヤノに甘い言葉を捧げて来たが、自分の考えなしで彼女の告白をうやむやに流してからは、当然ながら記憶を失う前の彼女の方から、一度だってそういう言葉をもらった事がなかった。


前にタクシーでカヤノの暮らしていた国に赴き、一泊した日に、既に彼女に自分が結婚を申し込んでいるのだと告げたら喜んでくれていたから、もしかして、今、申し込めば、良い返事が聞けるかもしれないと頭の中では考えてもいた。

けれど、実際にこうして、何の迷いもなく言ってもらえると、思った以上に感動してしまう。


あの時はまだ、記憶の一部がない事で、彼女が自分との関係に不安を抱いていて、僕がとうに結婚を申し込んでいるくらいに本気のつきあいをしていたと思い、安心してくれただけにすぎない。


彼女に自分が遊びや軽い気持ちでつきあっているわけではないと理解してもらい、卒業後、すぐに僕の元から出て行かなくてもいい立場なのだと思わせられた事で良しと考えていた。


実際の婚姻の返事まで、急かして彼女を追い込まないようにと配慮したつもりである。


どうせ、卒業後はカヤノを頂くつもりだったが、あまりに急ぐのは良くないと考え、少しずつ時間をかけて、徐々に彼女の中に浸食していく予定だったのだ。


だから、もしあの状況で、カヤノに結婚してくれるか聞いても、今のような答えが返ってきたかもしれないが…卒業後にきちんとしたプロポーズをしようと計画していた事もあり、あの段階では全く彼女に求婚の返事を問う気などなかった。



だけど、今ハッキリとカヤノは、自分がつい漏らしてしまった独り言に応えてくれた…。


『うれしい』とも『お嫁さんにして下さい!』とまで言ってくれたのだ!



シルヴァスは、思いの(ほか)、感激で胸がいっぱいになった事で動揺し浮かれた。



自分が特に意識せずに漏らした独り言で、思いもよらず、カヤノから嬉しいお返事をもらってしまったのだ。



今、返事をもらう予定はなかったけど、何の気なしだったとしても、カヤノから嬉しい返事を聞かされると、思っていたよりずっと冷静ではいられなくなっている自分にシルヴァスの頭は整理が追いつかない。

信じられなくて、手が震えそうになり、持っていた鞄を思わずリビングの床に放った。



「カヤノ…嬉しいけど、こんな所でお嫁さんにしたいなんて、君に言っちゃって…僕ってばバカだよね…。申し訳ない気持ちなのに…それでもやっぱり嬉しくて、顔がにやけちゃう…ごめんね?」


「どうして、謝るの?私も嬉しいって言っているのに?」


「だって…女の子は、もっとロマンチックに結婚を申し込まれたいだろう?記憶を失う前に君に申し込んだって告白しちゃったけど…さ、口で言っただけで返事も貰ってなかったし…ちゃんとしたのをもう一回、やり直すつもりだったんだ。もっと素敵な場所で。」



そんなシルヴァスの話を聞いていたカヤノは、たった今、彼から解かれたばかりの腕に、再びくっついた。

カヤノにギュッと胸を押し付けられた形になり、シルヴァスの体に必要以上な力がこもる。



「もしかして、色々企画してくれるつもりだったの?素敵!だから返事は卒業後の予定だったって言ってたのね!でも、そんな事しなくても…私はいつでもシルヴァスのお嫁さんになりたいから大丈夫。」


「カヤノ!!今の、今、自分で言った事…忘れないでよ⁈僕、君の事、絶対に一生放さないからね!」


「うん。放さないで、シルヴァス。きっと、私はシルヴァスしか好きになれない気がするもの。」



邪気なく自分をうっとりと見詰めて笑うカヤノに、シルヴァスは思わず可愛すぎて、血を吐くような衝撃をくらったが、表面上はいつも通りの姿を何とか保った。


そう、コミカルに血を吐く衝動を堪えた。

ここに来て、いい雰囲気を台無しにしてなるものか…と堪えた。

かなり必死に堪えた。


そして、綺麗な顔を必死に作りながら、色っぽく彼女に囁き返した。



「僕もだよ…こんなに好きなのはカヤノだけだから。こんなに愛しくて、僕の手元に置いておきたくて、可愛いって思ったのは君しかいないよ。」



シルヴァスの本心だった。


今まで、自分から狙った恋のお相手はカヤノだけではないが、ここまで本気で萌えたり、大事にしたのは彼女だけだ。

初めての本気の恋だと認識したハルリンドにさえ、ここまで愛おしいと感じた記憶はない。

そもそも、彼女に『カワイイ』というような感想を抱いた事があったのかも思い出せない。

そこで彼女への気持ちは、カヤノへのものとは明確に違うのだと気付く。


ハルリンドには多分、一人で立とうとする気高さのようなものに惹かれたのだ。

自分の境遇や辛さからも立ち上がろうとする美しさ…そして、それを実現するだけの能力と生まれながらに備わった気丈で崇高な精神…それらが自分を惹きつけてやまなかった。


そして、自分はカヤノに対しては、少し違う思いを抱いている。

カヤノも今まで、ハルリンドのように頑張ろうとしてきたが、それは気高さというより健気さを感じるものだった。

ハルリンドのような特殊な能力も高貴さも感じないが、素朴で空回りで不器用な努力は、ハルリンドに向ける、この崇高な女性を守らなければいけないという感覚ではなくて、守ってやりたい、庇護してやりたいという感覚なのだ。


ハルリンドに対して恋していた時は、アスターに取られたくないと思ったものだが、カヤノを他の男が狙っていると思うと、彼女に対しては取られたくないどころか、相手に殺意すらよぎるのだ。

しかも、彼女を他の誰かに見せたくもないし、外に出したくもないという感情が沸き起こって来る。


そもそもハルリンドに対しては、その成長が微笑ましくて応援していたのに、カヤノの事は自立も含め、応援なんてしていなかった。

二人に対して、同じように『一人で頑張らなくてもいいよ』と声を掛けてやったとしても、ハルリンドには純粋に支えてやろうという気持ちもあったが、カヤノには支えるも何も全く頑張らせる気がなかった。


口でこそ応援しているような事を言っても、深層心理では失敗して僕に泣きつけば良いのに…と意地悪な気持ちを持っていたような気がする。

今のような可愛さを発揮するとは想定外だったので、異性へのトラウマの件でも、ずっと治らなければいいとさえ思っていた。

僕から離れようとして、サルマンの所で頑張っている時などは、カヤノが二度と立ち上がれないように、思いっきり叩き潰してやりたいというフェミニストだと周りに豪語していた自分としては、ありえない凶暴な気持ちになった事もある。

(どれもこれも保護者失格な感情だから、誰にも言えないが…。)



そこでシルヴァスは、カヤノとハルリンドに対して、自分の感情の温度差を目の当たりに感じた。


自分は、既にカヤノをハナから自分のモノとして認識しているのだと…。


ハルリンドへの他人に取られたくないという感情は、まだ自分のモノとして確定していない感情も含むが、カヤノに対しては、恐らく恋情を意識する前から、自分の居住に住まわせて、無意識に外に出す気がなく、一生、一緒にいられるような感覚を持っていたのだ。


勿論、頭では一応、僕の元から巣立っていくのだとわかっていたが…そう思ってはいても、実際はそれが耐えられず、一時期、あの冥界での魔神事件の前には、引きこもるほど悩んでもいた。


 精霊は自分の宝物を隠す習性がある。


そう考えると、カヤノを家に閉じ込めておきたい感覚に合点がいった。


自分の宝物であるカヤノを自分の住処に隠しておきたかったのだ…つまり、習性で。

誰にも触れさせず、自分だけが眺めて堪能する…時に精霊や妖精は、その宝に触れた他者に手酷い報復をしている。

それでいて、その宝を時折、他者の目に晒しては見せびらかせたがるのだから、性質(たち)が悪いと世間からは思われている。



ああ、自分は無意識のうちにでも、カヤノを自分のモノだと認識していたのだから、手放したくないというのも当たり前だ…。


それは、今まで会ったどの女性に向けるものよりも、自分勝手で強い独占欲…。


そう考えれば、疑いようもなく、彼女は運命の相手であり、僕のとっておきのスイートで特別な相手。


僕の大切な…お嫁さん。


きっと、引き取った瞬間から、カヤノを手放すという選択肢は存在していなかった。



「確かに、この出会いは運命だなんて言い出す男には、(ろく)なのがいないな…。」



僕を含めて…。


でも、きっと運命なのだろう。



 その数秒後、とろんとした目でシルヴァスは、王子様のようにカヤノの手首にキスを落とした。


だが、頭の中は王子様どころか葛藤でいっぱい…甘いセリフとは裏腹にムラムラして仕方がない。

己の今までのカヤノへの気持ちが、完璧に最上級の愛だったのだと知って、彼女への愛おしさが一層強いものになって行く。


魔神事件で彼女が自分にとって『現在の最愛』であるとは気付いたが、過去に恋したハルリンドへの思いと比べて、更に特別なものであるとまでは、今の今まで…こんなにもハッキリ気付けなかった。

カヤノは『現在の最愛』などではなく、自分にとって最初で最後の『()()()()最愛の女性』だったのだ。



ハルリンドへの失恋で苦しみはしたが、今ならそれで良かったのだと思えた。

もし、仮に彼女と自分がくっついていたら、カヤノと一緒になる事など望めなかった。

ハルリンドがアスターを選んでくれたお陰で、彼女以上に自分にとってピッタリの相手と縁を持てたのだ。

きっと、ハルリンドへの恋愛は、来るべくしてくる自分の運命に対するトレーニングのようなものだったのかもしれない。


運命の神々は、そういった類の試練をチョイスしがちな傾向にある。

そうした事を乗り越える事で、本物の愛が約束されるのだ。

今までの過去の恋愛こそ、偽り…カヤノこそが自分にとって本物のお相手だった!



と、考えるシルヴァスは、そこまでかろうじて、まともな思考をしていた。


しかし、カヤノを『そうか、そうか。運命だったのだ!』と認識しつつ、すぐに夢心地に戻り、危うい思考がむくむくと再び湧き上がってきたのである。



もうダメ!

ヤリタイ!

我慢できない…してもいいよね?

今、相思相愛になったんだから…賭けは僕の勝ちってコトで処理してもイイよね?

だったら、もう、頂いちゃっても良いんじゃないかな?

少なくとも卒業式までとは思っていたけど…2、3週間の差…大して変わらないだろ?


運命だと思うし。


よし、押し倒そう!

うん、押し倒そう!

次、首筋にキスしてそのまま、色々キスして、そっと抱き上げて…キスしながらベッドに連れ込んじゃおう…。



今やシルヴァスにあるのは、お飾りの理性だけ…。

それも半分以上、飛び掛かっている状態だ。


可愛らしいカヤノは、そうとも知らずに手首や指に落とされるキスに頬をピンク色に染めて、されるがままになっている。



ああ、まさに据え膳!!

いただきまー…。



シルヴァスが脳内で『いただきます』を唱えようとしたその時…。



「ピンポーン!」



お約束のように、玄関チャイムが鳴った…。


シルヴァスは、途端に慌てて玄関の方に行こうとするカヤノに振り払われて、思わず前かがみになり、数十秒静止した。

昼間のサルマンに似た行動をする保護者を目にして、カヤノは首を傾げたが、すぐに彼女は玄関チャイムの方に気を取られたようで目線をシルヴァスから外した。


それから床に視線を落としたシルヴァスの耳に、玄関に急ぐカヤノのパタパタというスリッパの音が遠のくのが聞こえてきて、彼は目を瞑った。



「クッ!何て間が悪い…色々途中なのに。一体、こんな時間に玄関の呼び鈴を鳴らすのはどこのアホだ?場合によっては、吹き飛ばしてやる…ぅ。」



ズボンの中身が苦しくて…生理的な理由で、すぐには動けない状態のシルヴァスは、青筋を立ててプルプルと震えていた。


そして、一言。

玄関の方で聞こえてくる知った声を耳にして、すぐに動けず、置き去りにされた状態にやるせない気持ちで、クワッと口を開き一人で叫んだ。



「クソッ!あいつか?ありえない!接点なんぞない存在の登場って…何だコレ、恋愛ドラマ のお約束かよ⁉」



その後、少しずつ体の中心部、やや下にあろう一部の立ち上がりを何とか抑え込み、先に駆けつけたカヤノの後を追うべく来客のある玄関の方にシルヴァスは足を進めた。


その顔は、誰が見ても最大の不貞腐(ふてくさ)れた顔だった…。


が、しかし…玄関チャイムを鳴らした犯人の姿を改めて見止めると、アレはまだ、それほどでもなかったのだと錯覚するくらいに、なおの事、酷い顔になった。


それはもう…キラキラ、ホカホカ、フワフワが売りの春風の精霊とは思えないゴキゲンナナメの形相だ。

ちなみに、シルヴァスは玄関にやって来て、すぐにカヤノの横に並んだので、その顔は彼女には見えなかった。


けれど、やって来た客は、玄関先でカヤノの横に遅れて並ぶシルヴァスの形相を見て、『ゲッ!』と咄嗟に声を上げた。

それほど、眉間のシワと青筋の浮かぶ顔は酷いものだった…。


客がドアの方に後ずさったので、何事かと思ったカヤノがシルヴァスの方に顔を向けると、シルヴァスはタッチの差でいつもの顔に戻っていて、すぐに悲し気な表情に作り変える。



「ああ、カヤノ…残念だねぇ…せっかく二人の貴重な時間を…こんな奴に邪魔されて。(いい所を邪魔しやがって…昼間は机の上じゃなくて、月までぶっ飛ばしてやれば良かった!)」


「こんな奴とはなんだ⁉いい加減、失礼だな!!」



来客が声を荒げるのを聞いて、カヤノは慌てて間に入った。



「す、すみません…シルヴァスは悪気があったわけじゃないんです。あの、それより用件を…。」


「あー、君が()()()()()()だよね?いいよいいよ、彼の事はわかっているよ。一応、部下だからね。いや、それにしても、シルヴァスなんかに引き取られたなんて可哀想に。君、可愛いのに。」



玄関チャイムを鳴らしたのは、昼間、シルヴァスが殴り飛ばした問題上司だった…。

彼は早速、カヤノにだらしない顔を向けて、ヘラヘラと笑っている。

シルヴァスはピクリと眉を動かしたが、カヤノの前なので一度は黙視(もくし)した。

カヤノの方は、目の前の男がシルヴァスの職場の上司だと聞いて、目を瞠る。



「えっ、職場の偉い方?じゃあ、上がってもらって…。」



カヤノが言いかけた所に、シルヴァスはそれを遮って止めた。



「カヤノ…いいから、向こうに行っておいで。職場の人間の対応は僕がするから。で?こんな時間に急にやって来て何の用ですか?連絡なら電話で十分でしょう?勤務終了後にプライバシーの侵害ですね。」



カヤノを奥の部屋に追いやるように促してから、シルヴァスが用件を上司に確認しようとすると、男は脂下がった顔でカヤノが後ろに向かって歩き始めるのを呼び止める。



「うわぁ、『職場の偉い方』だって…話し方が可愛いなぁ~。あー、待って待ってぇ、カヤノちゃぁん。僕は君に用があるんだよー。」



自分の名前を甘ったれた声で呼ばれて、カヤノは振り返り、なぜか、一瞬、ゾッとするのを感じた。



何だろう?気持ちが悪い…。



カヤノは、シルヴァスの上司という男に不快感を感じて固まった。

見兼ねたシルヴァスが、カヤノを男の視界から庇うように前に立って、イラついた声を出す。



「何でアンタがうちのカヤノに用があるんだよ。それにしたって、連絡もなしに家まで来て非常識だ。大体、どうやって僕の家を調べた?上司の職権を乱用して人事で無理やり聞き出したのかよ?」



シルヴァスの声に一応な上司は、動揺を見せずにニヤニヤとした笑みを浮かべた。



「僕の同意もなしに…押しかけるなんて、軽く犯罪だぞ?まあ、こんな時間に急いで部下のうちまでやって来る理由にもよるけどね。」



冷静に話してはいるが、シルヴァスの目は鋭利な刃物のように鋭かった。

鈍い男は、その視線にも気付かずに、相変わらずもったいぶりながら本題に入る。



「上司の来訪に玄関先とはね…普通、家に上げて茶くらい出すだろ?まあ、いいや…それより、ほれ、これを見ろ!」



上司の男が仕事帰りのスーツのままでカバンから取り出したのは、謎の瓶。

シルヴァスはそれを見止めてから上司の男の顔に視線をやり、説明を促した。

男は話を続けた。



「じゃじゃーん!これ、何だかわかるか?」


「知るか!サッサと言えよな。」


「へへへ…お薬だよ。お薬!」


「は?」



シルヴァスは一瞬、『お前の頭の薬か?』と言いそうになったのを一応上司だという事で言い留めた。



「そこのカヤノちゃん…記憶を失っているんだって?これはなぁ、シルヴァス。彼女の記憶喪失を治す薬なんだ。」



上司の言葉にシルヴァスの目は、大きく見開かれて行く。

去り際で振り向いて話を聞いていたカヤノも、驚きの表情を浮かべていた…。

本日もアクセスありがとうございました。

更新時間、不定期でいつもスミマセン。

次回もどうぞ宜しくお願い致します。


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― 新着の感想 ―
[良い点] こんにちは(^^) ちょっと間が空いてしまい、すいません。 せっかくのシルヴァスの夢ごこちを壊す、何だかゴキ並みの上司。ちょっと、いただけませんね~。 こういう人は、近いうちに何らかの痛…
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