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春の嵐と恋の風51

今年は、カヤノにとっての厄年かなんかかもしれません。

本日もアクセスありがとうございます。

 その頃、シルヴァスにノックアウトされた上司は、医務室のベッドの上で目を覚まし、涙目で悔しがっていた。



「ちょくしょおぉぉぉっ!!アイツ、昔、冥界出張でも冥王様(女王)の傍にもっといたかったのに…無理矢理、現世に連れ帰りやがって…前にライリーちゃんに甘えてた時も教育委員会の視察を黙って連れて来たんだ。お陰でクレームが入ったんだ!」


「落ち着いて下さい。気絶したばかりなんだから興奮しないで。それに聞く限りじゃ、あなたの方に問題がある気がしますけど?」



医務室の担当医が呆れた目でシルヴァスの上司に言うと、彼はまた口角泡を飛ばして言い募る。



「落ち着けませんよ、先生!いきなり腹、殴って…アイツ凶暴なんですよ!あんな奴が女の子の保護者をやってるって、おかしくないですかぁ⁈」



医務室の医師は、現人神統括センター直属の病院から派遣されていて、日によって担当が代わる為、部外者だと思うと話しやすいのか、上司の男はペラペラとシルヴァスの悪口を吐いた。

すると、医師もシルヴァスを知っているらしく首を傾げる。



医師からしてみれば、恐ろしい部分のある男だとは聞いているが、そこまでこの上司に否定されるほど、普段の評判は愛嬌もあって悪くないのだ。

つい先日も事件があったが、シルヴァスが怒るのには、それなりの理由があった。



「ふうん?でも、あなた…もしかして、その子に手でも出そうとしたのでは?保護者を請け負っているのなら、変な現人神を近付けないようにするのは、当たり前ですからねぇ。」


「変て⁈失礼な!俺はこれでも代々、児童保護の仕事を熟してきた家に生まれてんだぞ!」



あちこちで派遣医をしている本日の医務室担当医は、仕事上、多くの現人神と交流があり、情報は多い方だ。

医師は疑るような視線を上司の男に向けた。


モテないクセにこの男の女癖の悪さは割と有名だった。

すぐに手を出そうとするので、女性現人神には嫌がられているし、人間の女性でもお構いなしに接触して、周りに何度も止められていると聞く。

当然、職場の同僚や部下にも呆れられていた。


このような男がなぜ、児童保護課でそれなりに出世しているかと問われれば、勿論、何代も続く親や祖父のコネに他ならない。

対するシルヴァスは、上層部の要請を受けて精霊界から適任者としてやって来たので、ヘッドハンティングに近く、最初から周りには期待されていたが、これと言ったツテもなく職場での位置や評価も叩き上げのようなものである。


彼から見れば、目の前の上司のような男は、どうしようもなく雑魚に見えるだろう。


家によるが代々世襲制の現代現人神などは、名門一族でも代を重ねるごとに血が薄まっている場合も多く、かつては実力ある神の血を引いていた事で現世での地位が高くても、シルヴァスのような一代目の方が、ずっと力が上という話はよくあった。

この上司とシルヴァスの関係は、絵に描いたような例だ。


有能な彼の事だから、この上司の尻ぬぐいも、それなりにしてきている筈。


医務室の担当医は、冷静に分析しながら、目の前で部下の悪口を吐く男に溜息をついた。


最近、現人神の名門相手がらみで、シルヴァスが先日の事件を含み、問題を起こす事が多い。


週に一度はこちらの医務室を担当している医師は、偶然因幡大巳の事件で、軽いケガを負ったその精神科医師を手当てする為、警官隊の要請で出向いたのだ。

その時に前々から噂では知っていたシルヴァスと因幡大巳に直接の面識ができた。


白蛇の同業者でもある医師は、分野は全く違うが医師としての評判は上々で、目の前の男のように女癖が悪いというわけでも、相手が誰でもイイというわけではないが、自分のクリニックには好みの女性を配置しているらしい。

彼女達は因幡大巳に全員、過去、口説かれた経験を持つが、誰一人として落ちず、今は全員が既婚である。

その後も花嫁募集中ではあるが、蛇は少々…夜の生活がヘビだけにへビィだと知られているので、女性現人神には敬遠されているようだ。

我々は本性を隠すものだが、その点において種族的に暴露されてしまっている因幡大巳を気の毒に思いもするが…シルヴァスの養い子に懸想して忘れ薬を飲ませたと聞いた時は、やりすぎだと医師としての倫理観を疑った。


察するに、シルヴァスが『女の子の保護者をやっているのはおかしい』と主張した所を見ると、この男もも彼女にちょっかいをかけようとしたのだろうと、容易に想像がつく。


曲がりなりにも児童保護員である男がちょっかいをかけるのだから、シルヴァスの養い子は、それなりに妙齢の娘なのだろう。

保護者を請け負っている時点で、シルヴァスもあわよくば彼女を狙っている可能性がある事から、女性現人神を巡って暴行事件の一つや二つが起こっても、頑丈な独身男神にとって不思議ではない。


確かにシルヴァスは、この所、立て続けに暴力的になっているのだろうが、それは独身現人神(男)で将来の嫁候補がかかっていれば、その時期において誰でもありがちな傾向だと言える。



そんな不安定な時期の男の傍に、近寄って刺激する方がバカなのだ。

まあ、自身も同じ女性を狙っているのなら納得も行くが…コイツは多分そういうわけではないだろう。

相手かまわず、ちょっかいを出すのが習性のような男だからな。



そう思いながら、自身は妻帯者である本日の医務室担当医は、男を冷たい目で一瞥する。



『そういえば、この男も因幡大巳も共通しているのは、代々続く現人神の家系だという事か…。』



医師はじっとシルヴァスに憤慨する男を見ながら不意に思った。


そうした家系出身者は、名門な程に周りが婚姻やら後継ぎを期待する傾向が強く、女性現人神に向けるハングリー精神が尋常ではない。

こうした嫁をもらわなければならないという強迫観念が、代々続いて行く事でねじ曲がって、将来のマッド・チルドレン達に繋がるように医師には思えてならなかった。


と言っても因幡大巳は、目前の男とは違い、かなりの高齢で神・濃度も高いので、彼の子孫がマッド・チルドレンに堕ちる可能性はないだろう。

彼の家系は代々蛇神と融合するタイプの現人神なので、代を置いても神力が衰える事はない。

子孫には、神界から同系統の蛇神が降りて来て、魂と融合する合体型なので、子孫が依り代として機能できる器を保っている限りは、神力が損なわれる事がないのである。


対するシルヴァスの上司は、純粋に人間の血に薄まれば、神の血も力も薄まるタイプの現人神だ。

彼が何代目か知らないが、精神状態の方は確実に俗物になりつつあるし、神力も役職の割には…並だ…ただし体の頑丈さだけは、かなりの割合で神に近いらしく『不死身か⁈』というほど、打たれ強くできている。

脳にも、その素晴らしい遺伝子がなぜ受け継がれなかったのか、現人神界の七不思議だ。


こんなお粗末な思考回路を持っている現人神に脅威は感じないとはいえ、一応は名門に位置する家の男に絡まれるのは面倒だと思う。



医師はこの男が上司だという事において、シルヴァスの方に肩入れ気味だった。

因幡大巳にも、いくら妻が欲しいからと言って長寿のクセに切羽詰まりすぎだという感想を抱いている。

だから、つい、シルヴァスにとって親切のつもりで、おせっかいな事を言った。



「あまり、部下の悪口を言うのは感心しません。彼、以前にも養い子の為に白蛇系の男神をとっちめているんです。それだけ彼女を大事にしているのだから、上司として温かく見守ってあげたらどうですか?」


「え?アイツが?ちょっと待ってくれよ。まさか、アイツに結婚を先越されたりしないだろうな?」


「さあ?ただ、そういう事もあって、警戒心が強くなっているのでしょう。あなたの普段の噂と素行を考えたら、腹パンチくらいして牽制しても頷けます。」


「俺は別に素行は悪くないぞ。誰だって彼女が欲しいだろ?だから、声を掛けるだけだし…女の子は可愛いから、どの子とも仲良くしたい…それだけじゃないか。」


「やれやれ。執着しすぎるのは逆効果ですよ?余計、女性達に引かれます。そもそも、あちこちに粉かけようとするのがアウトです。」


「よ、余計な世話だ。それより…その、シルヴァスのとっちめた男神て、先生の知ってる奴?」


「いーえ、知りません。」



医師はとぼけた。

上司の男がシルヴァスのとっちめたという男神を知りたがったのは、単なる興味本位だろう。

だが、この男が小耳にはさんだ情報をベラベラしゃべるのは宜しくないので、因幡大巳の名前は当然、伏せた。

しかし、それ以上は知らないと名前すら伏せておいたにも拘らず、後に医師の発言が面倒を生むとは、この医務室の担当医本人も知る由もなかった。



 一通り、医師にシルヴァスの悪口を言って、少しスッキリした上司の男は、医務室から出て行き、仕事場に戻った。


そして、自分の席について早々、男は大して仕事をしていない事を理由に、部下の職員からお使いを頼まれてしまった。



「部下のクセに、上司にお使いを頼むって…シルヴァスにもフッ飛ばされたし…俺って可哀想だ。」


「何かおっしゃいましたか?」


「今、帰って来たばかりだって言ったんだよ…しかも、優秀な俺が書類届けるだけの仕事なんてなぁ。」



不思議な事に優秀じゃない者ほど、小さな仕事もやりたがらず、愚痴が多い…と部下は思いつつ、上司の男を細めた目で見た後、動じずに書類について説明を続けた。



「この児童が今回、保護対象で精神科のカウンセリングが必要だと思われている子です。調査の結果、クリニックでも充分だと判断されたので、いくつかの現人神精神科医が受け持つクリニックのうち、センター内にある所に回そうと思っています。これが書類です。」


「へえ、そうかい…で?何で俺?優秀な俺がわざわざ、書類運びをする理由は何だ?」


「シルヴァスさんもクシティガルヴァスさんも外回りに行ってしまったので、手が空いているのはあなただけなんですよ。課長代理は急ぎの仕事もないでしょう?あの人達、仕事が異常に早いから手が空くとお使いもしてくれたんですが…。」



いかにも『お前のせいで今シルヴァスがいないんだぞ』というような突き刺さる視線を部下にチラチラと向けられ、窓際族の上司は渋々、書類を受け取った。

現人神界はどこも人手不足で仕事量は多いが、残業を規制されているので時間内に仕事を終えなければならない為、簡単な書類を他部署やセンター内に運ぶだけでも時間が惜しいのだ。

毎回、上司に仕方なくお使いを頼む時は、同じ説明をしているのに、物覚えが悪いのか、面倒なので行きたくないから抵抗しているのか…この男は決まって似たような質問をお使いを頼んだ部下にしてくる。

部下は溜息を押し殺した。



「私もあなたにお願いしたいわけではありませんが、どうしても他に手が空いている者がいないし、こういった書類は本人が訪れるより先に早めに医師に確認して頂かなければならないので、お願いします。」


「ちえぇっ、仕方ねーなぁ。遠いなぁ。精神科クリニックかぁ~。」


「寄り道しないで、今日は書類を渡しにまっすぐ行って下さいよ?帰りも寄り道しないで下さいね?」


「わかってるっつーの!俺、偉いのに、部下に使われてやる立派な上司だなぁ。それなのに…お前、口の利き方ってないよなー?」



子供のように部下に言い聞かされて、実を言うと課長もその下の部下も優秀で、大してやる事のない課長補佐というこのフロアには不要の謎の役職を持っている男は、自画自賛の後、文句を垂れながら室内を出て行った。



 残念な事に、こうして、気まぐれな運命は、このトラブルメーカーを偶然にも因幡大巳のクリニックへと誘うのであった…。



 それに並行して、今、カヤノはというと?



 ☆   ☆   ☆




「サルマン先生、コレって何でしたっけ?」



今日もカヤノは、ほぼマンツーマンで放課後の教室内でオグマ式・プログラムに沿った担任のスピード授業を受けていた。

レトロな神様モードの容姿で学校にいる生徒がほとんどの中、一応、存在している制服で、現在通っているカヤノ。

(※制服=指定の式典以外は着ても着なくても自由。主に課外授業先で着用する事が多い。)


本日、フリル系ブラウスを貴族のように着こなしている赤毛の美人系教師と、二人きりで教室にいる姿は背徳的で耽美な空間に傍からは見える。


そう意識しているのは、主に自身で美人教師とか思っちゃってるサルマンであった。


サルマンは、カヤノとの個人授業に酔いしれていた。


そして、酔いしれながらも酷く苦しんでもいた。


シルヴァスと同じ理由で…。



本来は一度習得している授業だからか、カヤノの学習速度は以前と比べて、数段に呑み込みが早く、サルマンはホッとしており、喜ばしく思っていた。


また、この休日以外は毎日続くカヤノと二人だけの授業は、彼にとって待ち遠しい時間になっていたが、同時に地獄のような時間でもある。



「ああ…これね。これ、解除の記号よ。ほら、人間に使うのは禁止だけど、動物とかの力を借りる時に簡単な従属魔法をかけるでしょう?洗脳みたいな…。そういう時の解除の仕方を記号にしてるのよ。」


「そうなんですね!覚えておきます。」


「ええ、一時洗脳は…まあ、基本だから。高度なものは難しくて一般現人神じゃ無理だし、アンタの場合は軽い知識だけ持ってれば充分よ。」



サルマンはチラリとカヤノを窺った。

まさに、その高度なものを薬と併用して応用したのが、精神科医の十八番でもあり、因幡大巳がカヤノに未完成にかけた忘却の施術である。

人間どころか、現人神相手だって、本人の同意なしで行えば犯罪だ。

それを酷い目には合わせたものの、罪に問うまではしなかったのだから、シルヴァスもやらかしたとはいえ、一応、高位の神懸りでもある因幡大巳に多少の敬意を払っているのかもしれない。



いや、本当の所は違うのだが…それはサルマンには知る事のない事実だ。

そんな事より、今、サルマンにとっての大きな関心ごとは、カヤノのこの態度である!



「うふ!先生を独占できるなんて、私って幸せね。一人でつきっきりで勉強を見てもらえるなんて、すごい贅沢!!先生、ありがとう。」



そう言って、トラウマの落ち着いたカヤノは、今までにないくらい真っすぐな瞳で自分を見詰め、どもったり躊躇する事なく、素直に自分に感謝を示した。

以前のカヤノなら、ここで自分を非議する言葉を吐くのだが、記憶を失くして以来、そこまでのいじけ根性は見られなくなった。

何事も前向きにとらえ、素直に喜びを受け入れて表す。

そんな態度と自分に向ける笑顔が…それはもう、元々、控えめで可愛かったが…更に可愛い。



サルマンは、カヤノにクラッときそうになるのを何度も堪えた。


生徒とは言え、好みの成人女性と時折様子を見に現れるオグマや学園長以外は、二人きり…。


机で直接、教える際は至近距離で座り、カヤノは何も警戒なしに自分の傍によっては可愛く微笑み、自分の指導力を褒めたたえ、キラキラと尊敬の目で見詰めてきて、時には猫のようにすり寄って来る事さえもある。



それも純粋に!!下心なしに!親に甘えるような感覚でだ!



ここでもカヤノの天然な可愛さが炸裂していた…。



「死ぬわ!アタシの下半身、窒息死するわ!!」



カヤノには、内緒で少し上向きかける己の下半身に潜む息子を座った姿勢で机の下に隠しながら、不自然な恰好で横を向いて、カヤノの質問に答える赤毛の美人は、心の声を大にして叫ぶ。



「下半身が辛い!痛い!少し離れて!可愛く目詰めるな!!ああ、天然娘が憎い。」



サルマンはそれなりにモテる現人神だが、向こうから寄ってくる女には興味がなかった。

赤毛を持つ者は、神々の間でも裏切る事なく、情熱的な気質の者が多い。

従ってサルマンも、女性のようなきれいな顔で肉食系には見られないが、本来は情熱的だ。

迫られるよりも迫る方が好きだし、女に追われるより女を追う方が本能が刺激される。


見た目の特徴とは裏腹に男性的な部分を持つ内面を好みのカヤノを前にして、抑え込むのは至難の業だ。


今まで、トラウマにより、シルヴァスや自分を含め周りの者に真綿に包むように接せられて来た彼女は、箱入りで純粋に育ちすぎて、無意識にサルマンの雄を責め立てる。

それに加えて、急にトラウマが消えたものだから、警戒心もなくなって、カヤノの自分に向ける距離感が近い…それが辛い。


今のカヤノは、一部の男にとって、破壊的な可愛さなのだ。



『襲いかかりてぇ!』

(サルマン・既に男に戻る心の声)



それをサルマンは、教師である事を理由に(すん)での所で押し留まり、何事もないようにいつも通りに勉強を教えなくてはならないのである。


何の香りか…カヤノから漂う温かい日差しの爽やかできつくない太陽と花のような微かな香りは、サルマンの理性を麻痺させる麻酔のようだ。



サルマンは『くっ!』と歯を食いしばって目を瞑った。

すると、カヤノが心配そうにサルマンに片手を縋るように握って、小鳥のように首を傾げる。



「先生、大丈夫?どうしたの?今日は疲れてるの?ごめんなさい…私がお仕事増やしてるから…。」



お仕事…?

お仕事か…いかにも女子な言い方…可愛いな。

そう、アンタが仕事増やしてるんだ…報酬をもらいたい。



教師のクセに報酬とは…シルヴァスさながらの図々しさである。



「疲れているなら、今日は自習でも平気ですよ。早く帰って、休んで下さい…先生が体を壊したら、私、すごく悲しいもの…。」



おいおい、心配してくれるのか?

体、壊したら、悲しいって?

参った…ヒヨコが自分の体を心配してくれるとか…家に欲しいな。

って、一家に一台…家電じゃないか…。

いや、ヒヨコだから…飼いたい。



カヤノは量産品ではない…欲しがり方がおかしい。

飼うのもNGだ。


サルマンの脳は完全に熱に浮かされ始めた。

独身男神なんて、こんなものだ。



「先生、何か汗かいてるし、顔が赤いわ…。もしかして熱があるの?」



バカ!額に触れるな!!

今、ガチガチなんだよ!

刺激すると、俺のマグナムが火ぃ、噴くぞ⁈

熱があるのは、()()じゃない!!

いや、マグナムとか…俺も古いな…若手と言われても…ヒヨコと歳の差、イタイわ。



心配するカヤノの手が、退ける瞬間に不意にサルマンに頬を撫でるようにかすった瞬間。


ついにサルマンは我慢の限界に達したように、椅子をガタリと勢いよく立ち上がった!



「もう、ダメ!我慢できないわ。カヤノ!!」



カヤノは驚いて、自分の椅子に尻もちをつくように腰掛けて、サルマンを見上げて体を後ろに反らせた。

サルマンはガバリとそのまま前方に覆いかぶさるようにカヤノの方に自分の上半身を倒したその時…。



「ガラリッ!」



教室のドアが開いた!



「おーい、やってるかぁ?今日も遅くまで頑張っているな、三十木!F組の保護者に差し入れで大量のシュー・ア・ラ・クレームをもらったから、お前らにも持って来てやったぞ~。」



いきなり、何の前触れもなしにデリカシーのない低音ボイスが響き、カヤノはそちらの方に目を向けて、サルマンは前かがみの中腰のまま、凍り付いたように立ち止まる。



「ん?何やってんだ、サルマン…。」



サルマンが青い顔でゆっくりと振り向くと、そこには青みを帯びた灰色の髪の男前…アレステル・オグマが来客用の皿にシュー・ア・ラ・クレーム、略してシュークリームとご丁寧に盆に紅茶まで淹れて参上した。



「オグマセンセ…。シュークリーム…そう、アリガト。わざわざ、持って来てくれたのネ…。」


「あ、ああ…?お前、どうした?顔色、悪いぞ?(片言、カタカナだし…。)」


「ウフフ…今、カヤノにも心配されてたトコなの…さっきから気分が悪くって…今日はもう帰って休む事にして立ち上がったらカヤノの方によろめいて…危うく押し潰しちゃう所だったわ。丁度、その時、センセが来て下さったんだけど。」


「何⁉それは大変だ…お前、風邪を引いたりしたら…生徒にうつしちまうじゃないか!」



おい、俺の心配は0.1ミクロンもなしかよ⁈

お前の頭は生徒の心配だけか⁈

カヤノとは偉い違うな!!よぉ。



と、心の中でサルマンはオグマにツッコミながら、具合が悪そうに額に手を置いて言った。



「来て下さって良かったわ。オグマ先生が平気なら、カヤノに残りの指導を頼んでもいいかしら?アタシは風邪だったら()()()()()()といけないから。今帰って、ぐっすり眠れば、明日はきっと治っていると思うけど。」


「ハハ、何だ。任せろ!三十木、今日はこの後、俺がじっくりとアホでも卒業させられる極意の裏技指導法で勉強を見てやるからな。サルマンの数倍、年季の入った指導を堪能するとイイ!!じゃあな、サルマン!お前はさっさと帰れ。三十木の事は任された!安心しろ、俺は実にできた教師だ。」



『あ、自画自賛スイッチ入った…。』とサルマンとカヤノは、瞬時にオグマにぬるい視線を送る。


『アホでも卒業させられるって…サルでもわかる指導法みたいな事だろうか?』

と、カヤノは思考した。

そして、アレステル・オグマに元祖、そう称された、実際存在したであろうアホでも卒業できた生徒とは…一体どんな生徒なのか見てみたいものだ。



「じゃあ、カヤノ…オグマ先生もそう言ってくれてるし…今日はもう帰るわね。ごめんなさいね、心配させて。明日、またね。オグマ先生、宜しくお願いしますわ。」


「ワハハ!ああ、帰れ!!じゃあな…サルマン、あ、と…それじゃ、このシュー・ア・ラ・クレーム、お前の分、俺がもらってもいいか?それとも三十木、食うか?」


「ええ、どうぞ…具合が悪くて甘い物は食べられそうにないので…。」



散々、カヤノの甘い香りのせいで、お腹一杯だっつーの。

(溜息含むサルマン・心の声)



サルマンの返答の後、カヤノも続いてオグマに二個目のシュー・ア・ラ・クレームを辞退した。



「美味しそうですけど…これすごく大きいから、やめときます。家に帰って夕飯が食べれなくなると、シルヴァスが心配するので。」


「そうか、わかった。じゃ、俺がもらうぞ?俺は既に職員室で自分の分を食ってきたから2個目になるが…この程度なら10個は食えちまうタチなんだ。サルマン、ちゃんとお前の分の紅茶も無駄にせず飲んでおくからな!!心残りなく成仏しろ。」


「はぁ。いや、成仏って…死ぬわけじゃないんだけど。帰るのは家で、あの世に戻るのとは違いますから。」



サルマンは、魂の抜けたような声で返事をした。

すぐにオグマは、サルマンの態度など気にもとめず、カヤノに向き直って盆を机に置いた。



「よし、三十木!じゃあ、選手交代で指導員が俺に変わる区切りに休憩しよう。イチゴ味とチョコ生クリームミックス、どっちがいい?」


「え?あ、と…うーん、チョコ生クリーム?かな…。」


「ああ、失敗したか!お前ならイチゴのイメージだったんだけどな!俺の神眼も曇ったか!!」


「あ、オグマ先生がチョコ生クリームの方が良ければ、私はイチゴも好きだから、どっちでもいいですよ?」


「バカ、遠慮すんな。俺は二個目だって言っただろう?ちなみに一個目は王道のカスタードを喰ったんだ。俺が勝手にお前がイチゴちゃんでサルマンがチョコって思っただけだ。好きな方、食え!」



それを聞いて、サルマンはゲッソリとした。

オグマの登場で火を噴きそうだった自分のマグナムも、既にクールダウンし、心の声もいつも通りの言葉遣いに戻っていたが、いかんせん不発に終わった燻りが、体内から消えてなくなったわけでもなく、本当に発熱しそうな勢いで辛い。



アタシのイメージがチョコ生クリームって…。

随分、クソ甘そうでゲロ吐きそうなのをセレクトしてくれたわね。

わざとかしら…この男。

甘い物は食べれるけど…アタシもどちらかというと、普通の甘さが好きなカスタード派なのよ。

ここのチョコ生クリーム、しつこくて、かなりヘビィな甘党じゃないと無理って評判な奴じゃないの。

カヤノ…大丈夫かしら。

まあ、この子は見るからに、甘いのが好きそうだものね。



サルマンは力なく肩を落とした状態で、『それではこれで…』と言い残し、フラフラとよろめきながら教室を後にした。



本当はカヤノと一緒にいたいが、色々とエネルギーを奪われて疲労感が半端ない…。

欲望解放の邪魔が入ったせいで、寸止めを余儀なくされ、理性の残存レベルが一瞬にして消費された。



「あと少しで、忍耐の上限がMAXに達し、倒れそうよ…。」



サルマンが教室を出た後、オグマは自分で『10個はイケる』と宣言した通り、そのシュークリーム(イチゴ)を三口で間食し、カヤノがまだ一口目をモグモグとやっている間に、涼しい顔で紅茶を啜りながら

サルマンの前かがみの姿を思い出して、ほくそ笑んだ。



「まだまだ青いよなー。あいつ、風邪ひくようなタイプの現人神だったっけか?」


「?」



オグマの独り言に首を傾げるカヤノは、小動物のようにシュークリームを頬張りながら、以前は自分が怯えていた相手だとも知らずに目が合ったオグマに笑顔を作る。



「このシュークリーム、美味しいですね!私、かなリの甘党なので感動します。先生、生徒なのに私の分までもらっちゃっていいんですか?でも、得しちゃった!えへ、今日も勉強しに来て良かった。」


「ハハ。俺もお前の分、持って来て良かった。」



今まで見せなかったカヤノの爆弾スマイルに、オグマも目尻を自然に下げる。

少し威圧感があると思っていた教師の顔が、少し可愛かったのは、カヤノの目の錯覚ではないだろう。

カヤノもオグマのいつも引き締まっている顔が、想定なしに緩んだのを見て癒されていた。



 二人はしばし、穏やかなティータイムの末、最終下校時間まで、奇跡の秒速習得勉強法に取り組んだのであった。

次回も当初の予定通りを目指して頑張るので、引き続き遊びに来ていただければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] オグマ先生の神憑り的フォロー。 流石です(´▽`) サルマンの行動が完遂されていたら、それは犯罪以外何でもない。 両想いでもないですし。 [一言] オグマ先生、意外と甘いもの好きなんです…
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