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春の嵐と恋の風㊾

両親と暮らしていた家に訪れます。

 シルヴァスは歩きながら、ムカムカしていた。


カヤノが記憶を失くしてから、ほんの少ぉーしだけ、素直になってきたのは良かったと思う。


だが、男に怯えなくなったせいで、周りの奴らがカヤノに簡単にちょっかいを掛けてくるようになるのが容易に想像でき、穏やかな気持ちでいられなかったのだ。


今日一日だけでも、ちょっと連れ出しただけなのに、カヤノはタクシー運転手(現人神)に好意を抱かれ、クリスティアンなる人間の男にも迫られている。



「全く、油断も隙もない…虫がつくのが早すぎる。」



この調子では、正式に養成学校を卒業して、社会に出した途端に大変な事になるのではないだろうか?



なんとしても、結婚という形でカヤノを自分のモノにしなければ、いつ他の現人神に奪われてもおかしくないのだ。

シルヴァスがこんなにも心を乱しているというのに、肝心のカヤノは相変わらずである。

それも彼の苛立ちに拍車を掛けた。



道徳に反する事になるが、卒業を待たず、強引に彼女を奪ってしまおうか?



そういう考えがシルヴァスの頭をかすめるが、自分の持ち出した賭けを思い出して踏みとどまる。



「小さな約束を破っても痛手は少ないが、賭けの最重要規則は必ず守らないといけない。今回の場合はカヤノの身柄が対象になっている…破れば、僕だってペナルティを被る。最悪の場合は、うんと力を奪われて精霊界に戻されかねない。」



シルヴァスは、いっその事、もう一度、カヤノがトラウマになってくれないかと考てしまう。

記憶なんて戻らなくても良いという気持ちの方が強かったが、男どもが彼女に気安く寄って来るのなら話は別だ。



「僕だけを見詰めたままで、他の男が獣か何かに見えてしまえばいいのに…。」



シルヴァスの瞳に不穏な光が灯る。


しかし、この穏やかでないシルヴァスの苛立ちが、長く続く事はなかった。


なぜなら、それからすぐに、カヤノの()()()()()()()に辿り着いたからである。



 ☆   ☆   ☆



 シルヴァスと二人、カヤノが昔、暮らしていた家に辿り着くと…そこには思いもよらない光景が広がっていた。


せめて、リニューアルされて誰か住んでいるとか、店になっているとかだったら、訪れた甲斐もあった。


しかし、カヤノの唯一の家と呼べた場所は…更地にされた後、廃材置き場になっていたのだ。


カヤノはこの家を出た後に両親を亡くしている。


その後は、シルヴァスを含む現人神達に保護され、施設に引き取られた。


だから家族で暮らした家と呼べる場所は、過去、『ここにあった家』だけなのだ。


 今のカヤノには、施設にいた時の記憶もないが、響きからして両親と暮らした場所に比べれば、自分にとって施設を『家』と呼ぶ気持ちにはなれなかった。


本人も言ってくれたように、今はシルヴァスの家こそがカヤノの家でもあるが、それでも親の家がなくなっているのを目の当たりにすると、言い知れぬ不安感に襲われる。


しかもその跡地に山のようにつまれている壊れたり、無造作に目に入って来る物は、カヤノからはガラクタにしか見えず…いや、誰が見てもガラクタに見えるだろう。


自分にとっての家だった場所が、ガラクタ置き場になっていれば、深い喪失感と寂しい気持ちで胸が押し潰されそうになるのは仕方のない事ではないだろうか?



『いくら何でも…廃材置き場だなんて!』



シルヴァスの家は保護者の家で、保護者であってもカヤノはシルヴァスの養女というわけでない。

つまりは、シルヴァスには悪いが、彼とは現在、仮初めの家族とも言える関係なのだ。


恋人同士だと言っても、カヤノはまだシルヴァスと結婚しているわけではない。

妻と恋人では違う…。


常識的に考えれば、学校を卒業すればカヤノは、自立をしなければならない立場で夫でもないシルヴァスと一緒にいるのには限りがある筈だ。

そこで思う。



シルヴァスは恋人だと言ってくれているが、婚約などしているのだろうか?

もしくは、多少婚約を意識してくれる気はあるのだろうか?

彼がどの程度、自分に本気なのか、わからない。


もしただ、お試しでのお付き合いをしているだけの仲だったら?


今から、卒業後の単位を取る間は、少なくともお世話になければならない…。


でも、お試しでお付き合いしている相手の家に、卒業後何年も居続けるわけにはいかないわ。



シルヴァスは、その間、自分を本当の家族にしてくれるのだろうか?



正式に結ばれているわけではないのならば、やはりシルヴァスの家はカヤノにとって、親の家とは少し違うのだ。


そう思うと、急にカヤノの目から涙が溢れ出した。

彼はとても優しいが、一見すると軽い感じにも見える。

見た目で判断はできないが、悪い方に考え始めると、真実とは違って物事は見えて来るものだ。


記憶を失った事が手伝って、彼女は急速な不安に揺れ始めた。


生家の現状を見て、自分の将来の見通しが明白ではない事に、カヤノは突然、気付いてしまったのだ。


記憶があった頃にカヤノは、この手の葛藤を既に散々して来ており、その為にお見合いセンターに登録までしているのに…今のカヤノはそうした過去の自分の積み重ねが、まるでなくなってしまった状態なのである。


いわば、右も左もわからない。


今まで、プロポーズなど、とっくにシルヴァスが何度もしていたというのに…。

しかも、自分がそれを頑なに断り続けていた事など考えもしない。



無言で立ち尽くすカヤノの目には、後から後から涙が溢れ出した。


彼女の実家の現状を共に見たシルヴァスも、何も言う事ができず、ただ彼女の涙が止まるまで、じっとその体を優しく抱きしめた。


それからようやく、カヤノの涙が枯れた所で、シルヴァスは彼女を連れて本日、予約したホテルに向かう。



「本当はどこか見て回ったり、食事をしようと思っていたんだけど…今日はもうホテルでゆっくりした方が良いでしょ?ルームサービスを頼もうか。カヤノは何が食べたい?」



早々にチェックインを済ませて部屋に入ると、シルヴァスがルームサービスのメニューをカヤノに手渡して、優しい声を掛けてきた。



「一応聞くけど、記憶がなくなって、読めなくなっちゃった字とかある?もしあれば、言ってね。」



細やかな気配りをしてくれるシルヴァスに、カヤノは首を振ってから小さく返事をする。



「大丈夫だと思います。一応、学校でも字は読めましたから。それにこの国の方が住んでいる時間も長いんです。」


「なら、良かった。この、『お部屋でシェフの気まぐれディナー』っていうのはどう?メインは何だろう?」



シルヴァスは、カヤノに手渡したメニューを逆側から指差して、彼女に勧めた。



「シルヴァスがそれにするなら、一緒で。それより…この、お部屋…随分、広いんですね。」



メニューなど今は考える気力がないとでも言うように、カヤノは気のない言葉をシルヴァスに返すと、ホテルの室内を何気なく見回した。

部屋の広さなど、カヤノ本人は、至って当たり障りのない話題を振ったつもりだ。

シルヴァスも特に意識せずに答えた。



「そう?一応、セミスイートだけど、リビングもあって広々してるし、カヤノもベッドルームが二つあった方が良いだろう?うら若き女性だからね。」


「・・・・・。」


「ん?どうしたの、カヤノ?」



カヤノは、シルヴァスの『うら若き女性発言』に微妙に反応すると、少し黙ってから重たそうに口を開いた。



「シルヴァスは私に何でも言っていいと言いましたよね?それって、今、質問するのも可ですか?」


「うん、勿論だよ。」


「じゃあ、聞きます。私とシルヴァスは…その、一緒のベッドで寝ては問題だったりするの?あ、私はこんないいお部屋でなくて、スタンダードのお部屋でも全然構わないんです。」


「は?」



カヤノから何を言われたのかわからず、シルヴァスは一瞬、マヌケに口を開けて顔で固まった。



「だって、恋人だって言ったから…。ベッドルームが2つって、恋人同士なのに…別にするものなのかなって思ったの。」



ようやく彼女の疑問を呑み込んで、脳の到達させると、シルヴァスの顔に一気に血が昇った。

そして、慌てたように両手を己の顔の前に出して、高速で左右に振る。


その取り乱しようは、漫画のようだ…とカヤノの気持ちは、シルヴァスとは真逆に冷静になる。



「ぼ、ぼかぁ、一応、現人神養成学校を割と優秀な成績で卒業した…上級騎士なんだ!つまり紳士だよ?卒業前の君に手を出したりなんてしないから…安心して。」



それは、多少、やせ我慢の入った偽りも含むが、とりあえず手を出すつもりがないのは嘘ではないと、シルヴァスは自身の心の中で言いわけをした。



あくまで『今はまだ』…だけど、と。



だから、語尾が近付くにつれて、声が少々小さくなっていくのは許して欲しい。



「そうなんですか…。」

(カヤノ)


「そう~なんです!」

(シルヴァス)



自分は、そういうポ〇〇トモンスターみたいだなと自身でツッコミながら、シルヴァスはカヤノに即座に答えた。

言いながらも、つい片手で額をパシッと叩く。

さすがに嘘臭いから、『てへぺろ』みたいな顔は、やろうと思ったけど…ヤメテおいた。


クシティガルヴァスが聞いたら、『やろうとしたのかよ⁉』と怒鳴られそうだ。


しばらくシルヴァスは、カヤノの質問に乙女のように心臓をドキドキと鳴らしていたが、落ち着き始めると彼女の不安そうな顔に引っ掛かりを覚える。

両親の家がなくなっていた事で受けたショックとも違う何かがあるのではないかと、シルヴァスは直感し、いつもの自分のペースを取り戻すと、優しいお兄さん風な態度でカヤノに問いかけを試みる事にした。



「お父さんとお母さんの家がなくなっちゃってたのは残念だったね。何だか、辛そうだ。何か思う事があるなら、何でも言ってごらん?スッキリした方が楽になるから。」


「・・・・・。」



何か彼女が話すかと思い、シルヴァスは反応を待っていたが、いつまでも黙っているので、彼女の家について少し自分の見解を話して探りを入れる。



「前にこの国に連れて来た時、そういえば君は、生家に行きたいと言わなかったんだ。僕は帰る時間がきてしまったからだと考えていたけど…もしかして、家が既にない事を以前の君は知っていたのかもしれないね。」


「え?私が?」


「君は船の事故に遭った後、統括センターの担当者からその事を説明され、言い渡されていたのかもしれない。今はその記憶をごっそり失ってしまったから覚えていないだろうけど…。君のご両親の帰郷は、この国での仕事が終了したからだったのでは?」


「ハイ…本当はもっと早く帰国したかったのですが、後任が決まらず、結局、任務完了まで両親が請け負いました。それでようやく帰れる事になったんです。」


「なるほど。じゃあ、後任が来る予定はなかったんだね?後任の誰かが来ていれば、君達の家は新しく来た現人神がそのまま使っていた可能性があったと思うよ。」


「ええ…。」


「けれど、任務が完了してしまえば、海外派遣の場合、人間社会に僕ら現人神の痕跡を残さないのが望ましい。特に一時的な任務は終わればすぐさま痕跡を消して、その後の僕らを辿られないようにしなければならない。」


「そういえば…そうでしたね。」


「だから、わざと君の家は残されなかったんじゃないかな?君らの事を周辺住人が少しでも思い出さないようにする為に。それでも、ああしてクリスティアン君みたいに、しつこく君を思ってる奴もいるけどね。」


「そうね…心の中でクリスティアンみたいに私の事を覚えててくれる人がいるように…私も自分の家は自分の中に残しておけばいい。最初にどうなってても、気を落とさないって約束してたのに…泣いたりしてごめんなさい。」



シルヴァスは片方の眉を上げて、おどけたようにカヤノに言う。



「あれぇ?さっきは、()()()()()が君の家だって言ってくれてたのにぃ!ご両親の家と思い出は、君の胸の中に大切にしまっていて欲しいけど、自分の中だけに家を作らないでよ。僕と二人の家を忘れないで。」


「確かに…言ったけど…でも、やっぱり私、両親の家とシルヴァスのおうちをどうしても同じように考えれないの。だって、シルヴァスと私はまだ恋人で…その、結婚したわけじゃないもの。」


「そりゃ、君は少し前に成人したばかりだし…まだ保護者の義務が残っているうちに婚姻届けを出したら違法で訴えられちゃうもの。」


「それに私…シルヴァスとの時間を悔しいけど覚えてないから…その、こんな事を聞くのもどうかと思うんだけど…シルヴァスと私の関係がどんな状態かわからないから…不安なの。」


「カヤノ…。」


「あなたは記憶のない私にも良くしてくれたし…きっとその前も私を大事にしてくれてたのはわかる…でも、私達は…将来、どんな風になる予定だったのかしら…って。今日、両親の家がなくなったのを見てシルヴァスのおうちを…奥さんでもないのに…自分の家って思うのは、何て言うか…。」


「カヤノ、君、もしかして、将来が不安になっちゃったの?僕の家を自分の家って思ってくれるのは嬉しい事だよ。勿論、今、君は奥さんじゃないけど…その事で、悲しくなったってコト?」



カヤノはシルヴァスと目を逸らしてコクリと頷いた。



「私…シルヴァスと何か約束とかしてたのかな?って、思ったら…もし、おつきあいしてても将来の約束とか何もしていないなら、いつまでもシルヴァスの家にはいられないって考えてて…。」



シルヴァスは驚きのあまり、一瞬、口を開けなくなった。

そして、部屋に入るなりに淹れた紅茶を一気に飲み干すと、気を落ち着けて思考する。



待て待て待て!

自分が妻でもないのに、家にいるのは違うと思うって…その事で悲しくなったって所までは、ずっと僕のうちに居たいんだと思って嬉しかったのに…。


だから、僕の家にいてはダメって思考…記憶を失っても、この流れって前と同じじゃないか⁈


このまま放置したら、記憶があった以前のカヤノと同じ行動に走りかねない!


今、確認して良かった!

本当に良かった!


だって、彼女が何を思っているか知らないままで過ごしていたら、きっとカヤノはまた、『自立しなきゃ!』とか意固地になって考え出すに違いない。


そうはさせるか!!



シルヴァスは以前のカヤノの思考傾向を考え、『前と同じになるのでは?』と大いに慌てて彼女に言い添えた。



「君の思っている事を正直に話してくれて良かったよ。カヤノ…君が覚えていない事で知りたい事は、何でもいいからこれからも言って!君が不安にはなるのが一番悲しい。」


「シルヴァス…。」


「僕の口が足りなくて、ごめんね。色々、忘れちゃっているから不安だっただろう?僕の態度で、君には伝わっていると思ってたんだ…僕はもう、とっくに君にプロポーズをしてるんだよ。」


「え⁈」



シルヴァスの言葉にカヤノの目は、ゆっくりと開いて行く。



「嘘じゃないよ。君の誕生日に君の部屋に置いてある家具…全部新調したんだよね。元からあった物をそのまま使っても良かったけど…子供用だったし。学校卒業後、いつお嫁さんになってもらっても良いように嫁入り道具を揃えたのさ。」


「よ、嫁入り道具⁈」


「うん、もし、同じ家にそのまま暮らすのは新鮮味がないって言われたら、君さえ良ければ、一軒家に引っ越しても良いと思ってね。そのまま持って行けるようなグレードの家具にしたつもりだったんだけど。」


「じゃ、じゃあ、私とシルヴァスは…その、卒業後は結婚も意識してのお付き合いをしていたの?」


()()、君から返事をもらってはいなかったけどね…。()()そのつもりだったよ。」



君は、頑として首を縦に振ってはくれなかったから、困っていたんだよね…。



カヤノの方はつき合っているつもりはなかっただろうに…シルヴァスは『自分は嘘は一切ついてないよ』と内心、舌を出した。

いい大人なのだが…。



カヤノの方は、今までショックで俯きがちだった顔を瞬時に赤らめた。



「どうしよう…シルヴァスと結婚なんて…気持ちが追いつかないわ。」


「カヤノってば、可愛いなぁ。ねえ、カヤノ…僕は本気だからね?」


「…そう言ってもらえて安心しました。おつきあいしてるって聞いても、どのくらいのつきあいなのかわからなかったから。」


「酷いな…可愛いカヤノに、とりあえず的ないい加減な気持ちで交際するわけないだろう?当然、真剣なつきあいだよ。」



良く言えば親しみを感じやすいシルヴァスの見た目は、人から軽く見られやすい傾向があるので『本気の好き』を信じてもらい辛いのには慣れっこだが、好きな相手にまで軽いと思われるのは心外である。



「ごめんなさい…あなたを疑ったみたいになって。でも、それとは別なんだけど…シルヴァス、私を可愛いって言わないでちょうだい。私、少しも可愛くないから恥ずかしいの…。」


「そう言われても困るなぁ…そんな事で恥ずかしがっている君も可愛いんだから。プロポーズの返事はね…君が卒業するまで保留になってたんだよ。」



(はた)から見れば、二人の会話はバカップルにしか見えない。


シルヴァスは、嘘をつかないように言葉を選んでうまい事、話をして行く。

内心『卒業後、賭けの勝敗で結果が決まるまで保留ってだけなんだけどね。』

と思いながら。


しかし、こんな風に微笑ましい掛け合いが何度か続いた後、カヤノはまた沈んだ顔になる。



「んん?カヤノ…今度は、一体どうしたの?」


「いえ、安心したら何か涙が出そうで…私、シルヴァスとずっと一緒にいて良いんだって思ったら…安心して、それなのに…。」



シルヴァスは今更、カヤノが自分とは結婚したくないとでも言い出すのではないかと、眉を顰めた。

…が、それは取り越し苦労だった。



本人が言うように、カヤノは再び涙を流し始めた。

歯を食いしばっているが、記憶のないカヤノは涙を堪える為の努力をしてはいない。


正直な涙もまた、可愛らしい…とシルヴァスは思う。



あーあ、泣かないで欲しいなぁ。

本当にヤメテ欲しい。

泣かれると、興奮して来ちゃうよ。。。

でも、この泣き顔もいいけど…トラウマ抱えてた時のカヤノの涙を我慢しようとする姿も可愛かったんだよなぁ。



シルヴァスは、カヤノの涙の理由が、分の意に添わぬ事だったら、どうイジメてやろうかと考えつつも、それに伴うちょっとばかり変わった性癖を封印する方に意識を向けた。


そんなシルヴァスの心境などあずかり知らぬカヤノは、泣きながらも強く結んでいる唇を時折解いて、一言、二言としゃべりだした。



「今ので安心したのに…それでも、もう、お父さんとお母さんがいないんだって思ったら…。わかっている筈なのに…時間だって何年も経っている筈なのに…泣きたくなっちゃったの。」



シルヴァスはハッとした。


今まで、カヤノが両親の事で泣いた姿を、シルヴァスは見た事がなかったからだ。

カヤノの事は、保護されてから担当して来たので、当然、12歳の頃から知っている。

それなのに、彼女は失った両親について、自分や恐らくセンター内の現人神の前で泣き出したりしなかった。

保護した当初のカヤノは、凍ったように心の動きを鈍らせているようで、無表情で多くの音を発しない状態だった。

それは自衛の為だったのかもしれないが…普通の少女ならば、両親を失ったら毎日のように泣きじゃくるだろう。


だが、マッド・チルドレンにつかまり、酷い目にあったカヤノは、保護したばかりの時、恐らくそれどころではなかったのだ。


本来ならば身内を失っただけでも充分ショックな筈なのに…カヤノは現人神相手にも怯えきっていて、他者であれば、女性相手でもビクビクとしていたのだ。

そう考えれば、両親を失った事以上に受けたショックが、どれほど大きなものだったのかわかる。

彼女は、父母の為にすら、泣けないほどの状態だったのだ。


記憶を失い、トラウマの原因を忘れた事で、落ち着いて来た今、彼女の中で両親を失ったという事実に、長い時間を経て、初めて向き合えたのかもしれない。



「おいで…カヤノ。今まで、ずっと一人で耐えてばかりいたんだろうね。今は好きなだけ泣いてしまうといい。でも、これが最後だよ…その後は、僕が君を必ず守るから…。」



シルヴァスはそういうと、カヤノを強く抱きしめて、彼女の頭に軽いキスを落とした。


『これを最後に君を泣かせるのは僕意外に許さない』

と心の中で付け加えながら…。


抱きしめながらもカヤノの柔らかくて小さな体のぬくもりを感じ、自分の胸で泣く彼女にあの冥界で落石から助けた瞬間と同じくらいの切なさと愛しさを募らせる。


体にも心にも傷を負ったのに…マッド・チルドレンにつかまっていた他の少女達に対して責任を感じ、親の死にも泣けず、不器用なのに…それでも立ち直ろうと頑張って来たカヤノ。


考えてみれば、男性が怖いというトラウマも、カヤノが経験した辛い日々を思えば、男どころか他者全員に怯えて口もきけない状態から、よく男が怖いだけのレベルまで回復したものだ。


か弱く見えても、カヤノは芯の強い娘なのだ。


だが、彼女は少しも器用ではないし、自分に自信を持っているわけでもない。

ハルには、どうやらコンプレックスも抱いていたようだ。

そうさせた原因は僕なのだが。


僕を好きだと言ってくれたカヤノ。

僕がいつまでもハルを好きだと思っていたカヤノ。


だからこそ、自分と彼女を比べて、どんなに己を非議したのかしれない。

だって、ハルはカヤノよりもずっと上の階級の女神なんだ。

努力したって、最初からスペックが違うものを克服なんてできるわけがない。


それなのに、そんな身分違いな彼女を、いつまでも女々しく思っていた僕に、カヤノは数か月前、告白してくれた。


クシティガルヴァスが前に言った通り、どんなに勇気がいった事だろう…。



そう思うと、シルヴァスは胸を締め付けられたと同時に、健気なカヤノが可愛くて仕方がない。



そんな彼女に僕は、薄情にも告白を流し…要するに彼女を誠意なく振った。



『本当の恋ではない』なんて…彼女に対して、どれだけ失礼な言葉だっただろう。


相手の気持ちの本気度合など、形で見えるわけではなく、疑ってかかるなどもっての他だ。

見る事ができないのであれば、偽りだという確証などないのだから、カヤノでなくても思いを伝えてくれた女性には、相手の気持ちを受け取った上で、ハッキリと自分の気持ちを伝えるべきなのだ。


なかった事にされて、カヤノはきっと傷ついただろう。

僕に女性扱いされていないと考えたのだから…早々に別の相手を考え、忘れようと思ったのは悪い事ではない。

とても前向きな考えだ。


常識的に考えれば、自分を振った相手と暮らすなんて辛くてできない。

どう考えたって、カヤノが自立を目指すのは当然だ。


僕は、何でそれに気付かなかったんだろう?


最初は、僕の元からカヤノが巣立つなんてできないと高を括っていたのだ。


何て、おこがましいんだ。

クーガの言う通り、一般的に保護者を務めた男神が、養い子を振るなんてあり得ない。

にも拘らず、僕がカヤノを振ったという事は、著しくカヤノを貶めた結果になる。



自分がカヤノを振るという事が、どれほど彼女に打撃を与える事なのか自分は考えるに至らなかった。


カヤノは孤児なのだ。

普通の家庭の現人神のお嬢さんを振るのとはわけが違う。

保護者を務めた僕に振られれば、追い詰められる。


カヤノに対して、ずっと、児童保護員の気分でいたから…そういう事実にも疎かったのだ。


これじゃあ、相棒にフェミニストを疑われて当然だ。


僕は、ちっとも女の子の気持ちを理解していない。


信じられない事だが、あの口の悪い粗野なクーガの方が、ずっと女性に優しい男に見える…。



彼女の過去を振り返れば、カヤノの両親と暮らした家がなくなった事でショックを受けるのは、仕方がない話だとシルヴァスは思った。


ただ、カヤノが記憶を失ってくれていたのは、やはり幸いだった。


もし、カヤノが記憶を失っていなかったら、こうして今、抱きしめているだけでは、僕の元にいる事を両親の家と同様に考えてはくれないだろう。


今のカヤノだから、僕が将来、彼女と婚姻を結び、本当の家族になるつもりだと知っただけで安心して腕の中で縋ってくれているのだ。



 もしかして、数か月前にカヤノが告白してくれたのは、彼女が自分の将来を考えて、不安になったのも影響しているかもしれない。


だとしたら、好意を抱いてくれているのは確かでも、最初に僕が彼女に指摘した通り、カヤノの僕に対する恋情が男女のソレかどうかは謎という事になる。


学校を卒業して、あやふやな関係でいれば、家を失うかもしれないという気持ちが無意識に働いて、僕と結ばれたいという風に錯覚した可能性があるからだ。


だが、仮にそうだとしても…今となっては、それでいい。


できる事なら、カヤノが僕に恋をしていると、勘違いでも何でもして頂きたい。


僕は今、腕の中で震える傷だらけの少女を手放したくないのだから。


僕の手で幸せにして、一生、ドロドロに甘やかしながら、幸福という檻に入れて囲い、永遠に僕の『家』になってもらう…。



シルヴァスは、今なら自分の故郷の国の話に出てくる風の精霊の感情が、心底理解できた。



奴が何度も求婚するのは、彼女の為なんかじゃない。

自分を何度も受け入れさせる愉悦に浸る為。

愛を乞うのは自分の愛を植え付ける為。


城のバルコニーに時折精霊が愛する人を連れて降りるのは、そうして愛されるのが、本物のお姫様じゃなくて、彼女こそが自分の姫だと大切なものを周りに見せつける為だ。


そして、人間界に定期的に大切な人を連れて行くのは、普段彼女に自由を奪っていると思わせない為。


精霊界に閉じ込められているのではないと、彼女に思い込ませる為に優しいフリをする狡猾な精霊。


本当は閉じ込めているクセに…自分以外は求める事ができないように。



記憶を失う前のカヤノに聞かせてやった物語の精霊に親近感を覚えつつ、シルヴァスは悲痛めいた表情を顔に貼り付け、カヤノに囁いた。



「こんなに不安がってたなんて…かわいそうに。僕ほど君を()でられる者はいないよ?君は安心していいからね。」



シルヴァスに抱きしめられる事で心地良くなっていたカヤノは、涙に濡れる瞳をあげて、そっと頷いた。



「シルヴァス…私が邪魔じゃない?ずっと、傍にいてもいい?」


「君が望めば…。」


「寂しいのは嫌…傍にいさせてくれるなら、ずっと私の事を見詰めて欲しい。」



 カヤノと暮らし始めて以来、初めて口に出される彼女の本音に、シルヴァスは相好を崩した。

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