春の嵐と恋の風㊺
リアルでは絶対にない恋愛小説にありがちな展開です。
因幡大巳のクリニックで大暴れしたシルヴァス。
さすがに医師の行為は、誉められたものではないので、シルヴァスが罪に問われる事もないが、誰が通報したのか駆けつけた警官隊に取り押さえられ、センター内の警官隊が所有する牢の中に一時、押し入れられた。
因幡医師も自分の非を認め、シルヴァスに慰謝料や弁償代を請求する意はないとの事で、シルヴァスは厳重注意を受けただけで釈放を待つ。
だが、釈放するにあたって、一応、身元引受人が必要だというので、適当な現人神にその役を頼まなければならない。
ちなみにカヤノは成人していたが、まだ学校卒業前なので、身元引受人にはなれないし、医師の施術が中途半端だった為、様子がおかしかった。
その為、シルヴァスが身柄拘束をされると同時に、その場に居合わせてボーッとしていたカヤノも警官隊に保護されている。
警官隊員はシルヴァスや因幡大巳それぞれに事情を聞いて、カヤノが普通の状態ではないと知り、シルヴァスの指定した身元引受人が来て、保護者である彼が釈放されるまでの間、彼女を丁重に扱ってくれた。
☆ ☆ ☆
それから数刻。
シルヴァスが拘束されて…。
警官隊から連絡を受けて、身元引受人として現れたのは、真っ赤で鮮やかな赤毛が目を引く男…サルマンだった。
「スミマセーン!ここで拘束されたらしい元・先輩で教え子の保護者でもある狂暴顔面詐欺野郎を引き取りに来た者ですが!!」
周りにわざと聞こえるほど嫌味たっぷりに声を張り上げて、その男は警官隊本部のカウンターに訪れた。
シルヴァスがなぜサルマンを身元引受人に選んだのかというと、一つには教師という社会的信用のある仕事に付いている為と、カヤノの卒業にあたり、一応、担任には教え子の状況が変わってしまった事を知らせる必要があると判断したからだ。
向こうから現れてもらえば、自分達の方から出向かずに済み、丁度良い…。
つまり、シルヴァスの自分にとって都合の良い理由から、身元引受人にサルマンを指定したのである。
サルマンもシルヴァスだけなら断ったかもしれないが、自分の生徒であるカヤノも一緒に警官隊に保護され、身元引受人を待っているのだと聞かされれば、放置するわけにもいかず、可愛い生徒のいけ好かない保護者を保釈する為に呼び出しに応じたのだった。
そして、相当急いで訪れてくれたらしいサルマンは、息を切らして現れながらも牢から出されたシルヴァスと奥の部屋から連れて来られたカヤノが、目の前にやって来たと同時にマシンガンのようにがなり立てた。
「ったく!アンタ達はもう!!何、してんのよ⁈シルヴァス先輩…アンタ一応、児童保護員よね?警官隊につかまって身柄拘束ってどういう事?しかもカヤノならわかるけど、何でアタシがアンタを迎えに来なきゃなんないの⁈」
シルヴァスの横で、警官隊の一人に淹れてもらったお茶を手にして座っているカヤノは、サルマンを不思議そうにマジマジと見詰めているが、何も言わない。
黄色い声で叫ぶサルマンに、一つ息を吐いたシルヴァスは、神妙な面持ちで口を開いた。
「落ち着け…サルマン。僕だって、君なんかに来てほしかったわけじゃない。センター内に同僚だっているんだ。身元引受人ならば、もっと身近で簡単に頼める相手はいくらでもいる…。」
「じゃあ、わざわざ何でアタシ…。」
「お前に一応、カヤノの担任として…直接、耳に入れる事があるから丁度良かったんだ。僕も保釈されて、一々、お前に会いに行かなくて済む…サルマンに来てもらえば一石二鳥…。」
「何言ってるのか、わかんないけど…少し聞いただけで充分、自己中な理由で呼び出された事が想定されるんだけど…。」
「ふう…実はね…カヤノは、お前のあてがってくれちゃったアルバイトで、蛇系現人神に目を付けられたんだよね…元をただせば、僕とカヤノを引き離してくれたお前と就職課の奴の責任だよね?」
「あん?」
サルマンは片眉を上げて、戦闘的な体制に入ったが、シルヴァスからこの事態に至るまでの経緯を聞き始めると、ギョッとした後に立ち上がって吠えた。
「ぬぅわにぃぃぃっ⁈カヤノの記憶が所々飛んでいるってぇぇぇっ?しかも、その蛇神の事だけ覚えているのか⁈ありえねぇぇぇっ!!んな、野郎は、今すぐ俺が焼酎漬けにしてハブ酒にしてくれるわ!」
「待て…落ち着け、サルマン。警官隊の本部で暴れたらお前もつかまるだろ?身元引受人の意味がない!」
「じゃあかあしいぃっ!放せ、先輩、ソイツはどこだ⁈」
近くで様子を見ている警官隊の男が目を丸くする前で立ち上がり、因幡大巳に報復しに出そうになったサルマンをシルヴァスが押さえつけて言う。
「早まるな!因幡大巳は白蛇だし…ハブじゃない。」
「知るか⁉放せ!!関係ねぇ!俺の生徒の記憶を奪いやがって…一体どんだけ生徒どもの脳ミソに学業知識を詰め込むのに苦労したと思ってんだ⁉畜生!まさか、カヤノ…必死で習得した術も使えなくなったわけじゃないだろうな⁈」
「ほ、ほら…サルマン、いつの間にか男言葉に戻ってるぞ?しかも最大に口が悪くなって…。それじゃ、カヤノが怯える。」
どうどうと言い募るシルヴァスの言葉に、サルマンはピタリと動きを止めて、冷や汗を掻いた。
我を忘れて、地が出てしまった事に焦りを覚えて、サルマンは恐る恐るカヤノの顔を覗き込んだ。
「カ、カヤノ?おほほ…ダメねぇ…生徒の事になると、ついアタシ…男っぽくなっちゃうの。」
今更ながら、取り繕う担任を保護者であるシルヴァスが、線のようになった細い目で見ている。
カヤノに怯えられている事を想定していた担任が、彼女を覗き込むと…何と、カヤノはシルヴァスとサルマンを交互に見ながら、キョトンとして首を傾げるだけだった。
それから、物怖じもせずに二人に向かって、ニコリと微笑む…。
その和やかで邪気のない笑顔に、シルヴァスとサルマンの心は、鷲掴みにされたようにキュンと高鳴った。
「お二人は仲がいいんですか?私、色々、思い出せなくて…不安だったんだけど…二人を見てたら、私の為にこんなに怒ってくれて…笑うのはおかしいと思うんだけど。変なの…フフ。」
今まで以上にあどけない表情で笑みを漏らすカヤノに、二人は固まったように釘付けになる。
それから、二人はお互いの顔を見合わせた。
シルヴァスは、声を落としてカヤノに聞いた。
「カヤノ…君、サルマンが怒鳴ったのを見ても何とも思わないのかい?例えば、そうだな…さっきも警官隊のあそこにいる彼にお茶を淹れてもらったけど…渡してもらう時は怖くなかった?彼、結構ガタイがいいよね?」
カヤノは何の事をシルヴァスが言っているのかわからないという風に、少し目を上に向かせて考え、コクリと頷いた。
「はい…ええと、サルマンさん?…は、大きな声を出されていてビックリしましたけど…警官隊の方は、怖い人なんですか?あと…何か頭がフワフワしてボーッとします…。」
そう言い放つカヤノの普段と違う言葉の言い回しに違和感を覚え、シルヴァスとサルマンはピシリと動きを停止させる。
そして、遅れて二人はそれぞれに呟いた…。
(シルヴァスの声)
「警官隊の男が…怖くないみたいだね…。もしかして、色々忘れてトラウマが治ってるとか?」
(サルマンの声)
「サルマン…さん?今『さん』付けしたわ…アタシの事、マジで絶対覚えてないわね…。」
二人の呟きに、更に可愛く首を傾げるカヤノが急に不安そうな顔をした。
「ごめんなさい…頭の中が白いの。船に乗る前と因幡先生の事は覚えているんだけど…私、前と何か変わっちゃってるの?二人は私の事を知っているんですよね?この後、私はサルマンさんの家に帰るの?」
カヤノの言葉にサルマンはポッと頬を染める。
「サ、サルマンさんの家に帰る⁈ええ、別に…勿論、いいわよ!帰ってらっしゃい!!アンタはうちで暮らしてた方が、こんな警官隊に拘束される男の家なんかより、ずっといいわ。」
乗り気のサルマンに、シルヴァスは『チッ』と舌打ちして、勿論、黙ってはいない。
カヤノはシルヴァスの方にチラリと視線をやった。
「何言ってんだ⁉カヤノの記憶がないのを良い事にだますような事を言うな!カヤノ…コイツは君の学校の担任だよ。現状を説明するのに丁度いいから、呼んだだけ!僕がカヤノの保護者で、今も一緒に暮らしている家族だよ。」
「保護者?えと…シルヴァス…さんが?」
「シルヴァスだよ!!『さん』は付けなくていいから…そうやって、呼んでくれていたのに!他人行儀に戻るのはヤメテ!」
目を見開いて噛みつくシルヴァスにカヤノは、怖気づいたように体を後ろに引いた。
それを見て、『フン!』と笑ったようなサルマンが楽しそうに口を開く。
「ウフフ…先輩、心が狭いわねー。カヤノはアンタの事も覚えてないんだから、仕方がないじゃない!」
「うっ⁉」
「まあ、保護者と言っても、その程度の存在なんでしょー?おほほほほ!」
自分もカヤノに忘れられたのを棚に上げて、サルマンは高笑いをした。
シルヴァスの頭にガアァーンという効果音が響く。
そして、ヤケになって言った。
「うるさいな、サルマン!カヤノ、いいかい?覚えてなくても覚えてても僕の事はシルヴァスって呼んで。さあ、帰ろう…僕らの家へ!サルマンには事情も把握してもらったし、釈放された後は用もない。」
「ちょっと、人を呼び出しておいて、それはないでしょ?感謝の言葉くらい言いなさいよ!!ってか、この後、食事くらいご馳走しなさいよ⁈」
「ああ…悪いね、サルマン。今度、何か送っとくわ…。今日はカヤノも散々で疲れたろうから、家に帰ってのんびりさせてやりたい。悪いけど…じゃあね。」
「ハアァァァッ⁈この、気まま自分勝手野郎!棒読みしたな今⁈何か送って来た事なんて、一度もないクセしやがって!」
「えー、心から感謝してるよー。棒読みじゃないしー、あ・り・が・と・う。」
「キイィィィッ!!」
釈放されて、警官隊本部を出てからも、歩きながら二人はずっと、こんな調子で言い合いを繰り返していた。
二人の後にくっついて歩くカヤノは、どうしたらいいのかわからず、キョロキョロと周りを見回す。
その様子が庇護欲を誘い、すれ違う現人神が『後ろの女の子が困っているよ?』と注意すると、二人はようやく黙って、別れた。
そして、別れ際にサルマンから、明日からカヤノを学校に午前中だけ通わせるように言われ、シルヴァスはそれを了承する。
なぜなら、カヤノが今まで卒業に必要な科目や現人神として学んだ事をどの程度覚えているか、確認しなければならないからだ。
普通なら、問題なく卒業する予定だったが、もしもカヤノが技術や知識を大幅に失っていれば、予定通り卒業させるわけにはいかなくなる。
成人になった年(18歳)に卒業しなければ、一人前の現人神として認められないので、ハグレ現人神の認定を受けてしまう。
しかし、今まで真面目に学校に通っていたのも事実で、このような前例がないので、もしカヤノが卒業できないほどの記憶を失っていた場合は、どう対応すべきかを学園で話し合い、統括センターの指示を受けなければならなくなって来る可能性が高い。
カヤノにもコトの重大さが伝わったのか、弱々しく顔を下に向けている。
先程までは、いささか、ぽうっとしていた節があったが、因幡大巳の不完全な術のせいもあったのだろう。
警官隊本部から外に出て、時間の経過と共に本来の感覚が戻って来たのかもしれない。
それでカヤノ自身、不安な気持ちが、徐々に増し始めているのだ。
サルマンは、元気を失いつつある生徒に、例の如く担任らしく励ました。
「カヤノ、アタシが付いているわ。とにかく、明日以降、アンタの現人神養成学校で身に着けた事を復習して、習得度合いをチェックしてみましょう?」
「ハイ…。」
カヤノはいつも通り、従順な返事をした。
記憶を失くしても、本人の性質はそう変わるわけではない。
相変わらず、サルマンとシルヴァスは、密かにカヤノに庇護欲を刺激された。
「くうぅぅぅっ。」
内心身悶える男二人…。
それから、当面の事を話し合い、サルマンとシルヴァスは別れたのだ。
カヤノは、シルヴァスに連れられて家に着くと、自分の部屋へと案内される。
「カヤノ…ここが君の部屋だった所だよ?全然、見覚えがない?」
「ハイ…シルヴァスさん…あっ、じゃなくて…シルヴァス。」
「そう…警官隊を通して聞いた因幡大巳の話によると、施術というのは、暗示を掛けた状態で効果的に薬を使い、要らない記憶だけを削ぎ落していくものらしいんだ。途中で僕が現れた事で、君が術にかかっている間に情報を与える事ができなかったのが原因ではないかってさ。」
「要らない記憶…?」
「忘れた方がイイ事もあるからね…。因幡医師に要らない記憶を勝手に判断されるのも不愉快だと思うけどね…とにかく、術の途中で君をそのままにしてしまった事が原因なら、その…僕にも非があるって事だ…ごめんよ、カヤノ。」
「えっ?そんな、シルヴァスさん…あの、だって、助けに来てくれたんでしょ?よくわかんないけど、そういう風な流れに見えたし。」
「そりゃあ、そのつもりだったけど…結果的に良くない方向になってしまったみたいだし…。ねえ、それよりもシルヴァス…って呼んで?」
シルヴァスは謝りながらも、カヤノに自分の呼び方をうっかりと間違える度に訂正した。
カヤノはコクリと素直に頷く。
「本当は、何も覚えていないから…抵抗があるんだけど…シルヴァス?」
「うん、なあに?」
シルヴァスは記憶を失ったカヤノを前にして、その日、初めて相好を崩し、ふにゃりとした笑みをカヤノに向けた。
その大人の男なのに、かわい子ぶる様子を目の当たりにし、カヤノもつられて小さく笑みを作った。
しかし、すぐにその笑みは弱々しく消えて、カヤノの表情にはまた不安の色が浮かんでくる。
「私、このまま何も思い出せなかったら…どうしよう。」
「大丈夫だよ。警官隊によると、因幡大巳の術は不完全だったから、ちょっとしたショックや衝撃を受けると、全てを思い出す可能性もあるんだって。君が不自由するようなら、落ち着いてから、現人神統括センター内の大学病院に行って、本格的に診てもらう?」
「それで治るかしら?」
「因幡大巳もさすがにしばらく僕の前に顔を出せないだろうから、大学病院に君のデーターや状況をカルテにして送れって警官隊を通して依頼するよ。そのカルテを見れば的確なアドバイスや施術を受けられる。治るかどうかは、君が落ち着いたら、そこで相談してみよう。」
「ハイ…。」
「万が一、思い出せなかったとしても大丈夫。サルマンなんて頼らなくても、カヤノには僕がいるから。それに君が忘れた事は僕が教えてあげるよ。それに過去より未来の方が大事だろう?」
「過去より…未来?」
「そうさ。失ったものは、取り戻せれば一番いいけど…時には諦めて新しく作って行く方が良い場合もある。これからまた、僕はカヤノに信頼される為に頑張るから…カヤノも新しい記憶を作って行こう。」
シルヴァスの言葉に、沈んでいたカヤノは、目を丸くした。
「シルヴァスはその…保護者だって…言ってたけど?」
「うん、君が学校を卒業するまではね!その後は、一人の女性として接して欲しいと君は僕に望んだんだよ?君が…前に僕の事を好きだって告白してくれてね。」
「私が⁈シルヴァスを…ですか?」
カヤノは更にマジマジと目を見開かせ驚きの表情で口を大きく開ける。
「そうだよー。なのに、君は頑固だからアルバイトを始めたりしてさ…僕はのんびり学生生活を送ってくれれば良いって思ってるのに…ねえ、カヤノ…まだ働きたい?」
「え、ええと…わからないです。自分が前にどういう意図を持っていたか知らないので…。でも、明日から学校に行って…自分のできる事を知りたいです。何もできなくなってたら…どうしよう。」
そこで己の状況を改めて考えるに至り、カヤノは少し目に涙を溜めた。
「うーん、そんなに不安になってもらうと寂しいな…僕はカヤノに頼ってもらいたいのに、記憶がないからって、君にそんな顔をさせたかと思うと…自分が不甲斐なく思えるよ。」
「そんな…シルヴァスは何も…。」
「じゃあ、不安に思ったりしないでくれる?カヤノの事は、僕が面倒を看るから。元々そうだったんだから…何も変わらないよ。」
「元々…面倒を?ご、ごめんなさい!そう言えば、私…シルヴァスを好きだって言ってたって…。」
「うん…勇気を出して告白してくれたんだよ?でも、覚えていないなら、いいよ。」
「え?」
再び不安に揺れるカヤノの瞳に自分の瞳を合わせて、黒に近い緑を光らせると…シルヴァスは甘い笑顔を浮かべて囁くように言った。
「何度でも…僕は君とやりなおすつもりだから。忘れたなら…カヤノ、もう一度、僕を好きになってね。だけど、君の方は記憶を取り戻したいんだろうから…今まで通りの事を再現して行こうね?」
「い、今まで通り⁈」
「うん、手始めに…僕のほっぺにチューして?寝る前にお休みのキスをしてたよね?」
「は?え?」
「色々、思い出したいでしょ?今までと同じ事をしている間に、体が思い出してくる事もあるんじゃない?」
カヤノは『体が思い出す事』とシルヴァスに聞いて、カーッと顔が熱くなるのを感じた。
それって…どういう意味⁈
それにお休みのキス?
本当に私はそんな事をしていたの?
(カヤノ・心の声)
シルヴァスは、因幡大巳の事は許せないが、彼のお陰でカヤノが記憶を失ったのを追い風に感じてもいた。
本来なら、シルヴァスは因幡医師を訴えてやっても良かったのだが…その事もあって穏便に済ませてやったのだ。
シルヴァスに訴えられれば、因幡医師だって無事では済まない。
だが、シルヴァスは因幡医師に恩を売る事で逆にカヤノに近付く事への抑止力として使おうと考えた。
この件に関しても、結果オーライである。
シルヴァスは、カヤノが記憶を失っている事を知り、彼女が面倒な今までの感情を忘れている間に、本気モードで口説いて、そのまま攻め落としてしまおうと瞬時に頭を働かせた。
今まで、押したり、引いたり、甘く接する事にプラスして、時には意地悪に彼女のコンプレックスや弱い部分を攻撃し、あの手この手で精神を弱らせるように揺さぶってきた事が無駄になるのは残念だが、カヤノにとっての悲しみが取り除けるのは悪くない。
そもそも、自分の事をすっぽり忘れてくれたのなら、自分が彼女にしてしまったしでかした事もリセットされる。
恋情を抱いてくれた事まで忘れられたのは残念だが、今の自分はカヤノへの気持ちをきちんと認識し、ロックオンしたのだ。
幸い、僕は誰よりも彼女の身近にいるんだ。
保護者特権を最大限に利用して、自分の手元にいる間に彼女をドロドロに溶かしてしまえば問題ない。
絶対にもう一度、彼女の心を奪って見せる。
そうすれば、仮にカヤノの記憶が戻ったとしても、彼女にとっては手遅れになっているに違いない。
それこそ、自分にとっては望む結果である。
「因幡大巳は医療面の事は全面的に協力すると申し出ていたが、カヤノが言い出さない限り病院には連れて行きたくないから…忘れた振りでもしておくか。記憶喪失って言うのは願ったり叶ったりだし。」
シルヴァスはカヤノを見詰めては、うっそりと笑った。
だから、カヤノの過去の情報もうまい言い方をして、都合よく彼女に勘違いさせ、嘘をつかず小出しにした。
カヤノが自分に告白した事実も嘘ではないが…そこだけ聞けば、カヤノはずっとシルヴァスが好きで、二人の間は保護者と養い子という関係だけではないと思い込むだろう。
ちなみにお休み前のチューは、シルヴァスが一方的にしていたものであり、カヤノからしていたわけではない。
だが、そこは適当な嘘をついて、シルヴァスはカヤノを自分に好ましい状況に持って行く事に成功した。
カヤノは戸惑い、顔を赤らめたものの、いつもしているという風を装うシルヴァスの言葉に疑いを抱かず、言われた通りに彼の頬に口付けたのだ…。
シルヴァスはポワンと蕩けたように両目を一回転させて、ふにゃりとだらしない表情になる。
それから、すぐに上機嫌で彼女の頬に、お返しのキスを贈った。
昨日よりもむしろ幸せ絶頂だと感じる精霊様は、カヤノを部屋に送った後、夕食を作りにダイニングの方へ行く際、所々、スキップまで出てしまう始末…。
シルヴァスは、カヤノと自分が『賭け』の途中であった事も言うのをやめた。
後は、サルマンが変な事を言わないようにとシルヴァスは祈る。
奴に釘をさすのは逆効果で、口留めなどしようものなら、余計にサルマンはその事を言うに違いないとシルヴァスは想定する…だから、あえて奴にはその事を触れずにいようと決めた。
少なくともカヤノの卒業まで、今のままでいさせれば、カヤノとの賭けは黙っていても自分が勝利する。
その時に初めてカヤノに明かすのも良し…その前に自分に堕ちれば賭けの事は、永遠に黙っておいても良い。
カヤノが自分と添い遂げるのなら、自動的に賭けの代償がカヤノから自分に支払われた事になるのだから…問題がないのだ。
シルヴァスは、色々と画策しつつも夕食の支度を終えると、カヤノを呼びに行った。
その日の食事は、カヤノの好きながんもどきを煮付けると、『小さい頃からの好物だったの!』と…両親の事故前の記憶は健在らしく、カヤノは喜んだ。
今まで同様、その日の夜からもシルヴァスは手を抜く事なく、カヤノを甘やかし続ける。
勿論、それはシルヴァスにとっては、当然の事であり、幸せな一時だった。
シルヴァスはカヤノを可愛がる事に、恋情を自覚する前から一種の喜びを感じているのだ。
異性としてもカヤノを好いていると自覚してからは、違う方向でも可愛がる事ができて、更にシルヴァスの心は満たされた。
記憶を喪失した事で、『前もそうしていた』と言えば、それを素直に信じ、以前よりカヤノが従順にシルヴァスを受け入れるので、一層、カヤノを絆す勢いにも気合が入る。
そうしたシルヴァスの普段の溺愛っぷりは、いずれ自分の寝床で思いっきり泣(鳴)かせる為の下準備として、思いっきり甘やかしておきたいという男の性癖でもあるのだから、微妙である。
もっとも、純粋なカヤノにはシルヴァスの内面など、永遠に知る事はない。
本日もアクセスありがとうございました。




