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春の嵐と恋の風㊷

カヤノの小さなトラウマ解消につながる人が声を掛けてきました。

 海辺をシルヴァスと歩くカヤノに、いきなり人間の男性が声を掛けて来た。



「もしかして、君、三十木カヤノ…じゃないか?」



カヤノは反射的に身構えた。

そして、声の主から三歩は下がって、そちらの方を見る。

ゆっくり目の前の男性の胸元から視線を上げていくと、どこかで会ったような顔が覗く。

カヤノは顔を顰めた。



誰だろう?

でも、どこかで会った事があるような…。



考えながらもカヤノは相手に返答をした。



「は…い…。そうですけど…あなたは?」


「やっぱり!絶対、そうじゃないかと思った!!その髪の色に瞳…小柄でこの国の顔立ちとは違う所も…昔の面影があるし。」



カヤノが借りてきた猫のような弱々しい態度で、相手に返答をすると、目の前の男性は満面の笑顔を作って、カヤノに抱きつこうとした。


後ずさる速度が追いつかず、想定される男性との接触に顔を青ざめさせるカヤノ。

そこにすかさず、シルヴァスが間に入った。



「はい、そこまで。オタクはどちら様?いきなり、女の子に抱きつこうとするのはマナーがなってないよ。勝手に彼女を触らないでくれる?この子、男が苦手なんだ(僕意外はね)。」


「えっ⁈あっ、悪い…でも、懐かしくって。そうか…そうだよな、わからないか…俺だよ、俺。カヤノ、クリスティアンだよ。覚えてないか?」



男性の言葉にカヤノはピクリと反応を示す。



「クリスティアン?あ、あの…?」


「覚えててくれた?カヤノ!久しぶり…懐かしいな。国に帰ったって聞いてたから…まさか、会えるなんて思わなかったよ。何年ぶりだろう。」



クリスティアンだと名乗った男性が、嬉しそうな表情を浮かべてカヤノに再び近寄ったが、間に入っているシルヴァスが片方の眉を顰めて相手を阻む。



「で?クリスティアン君だっけ?君、カヤノと知り合いみたいな口ぶりだけど…また、寄ってこようとしてるけど…あまり近付かないでくれるかな。彼女が怯えるから。」



シルヴァスの声にクリスティアンは、怪訝な表情でカヤノを見やる。



「怯えるって…カヤノ、もうガキの頃じゃないんだから何もしねーし、言わねーよ。もしかして、昔の事、ずっと怒ってるのか?確かにあの頃、俺はカヤノに嫌われてたって自覚あるけど…。」


「昔の事?」



シルヴァスは聞き捨てならないと、片眉を上げ彼の言葉を繰り返して言う。



カヤノはクリスティアンの事をマジマジと凝視した。

クリスティアンと言う少年の名前は知っている。

自分がまだ、この国にいた頃、散々意地悪な事をしたり言ったりしてきた少年の筆頭であり、ウ〇コ色の瞳と自分を笑ったのも、その少年だ。


カヤノはその少年が苦手であり、会えばちょっかいや意地悪をされるので、嫌いだった。

目の前の男がクリスティアンであるというのなら、もしかして、成長した自分にまた何か言ってやろうと声を掛けたのだろうか?



カヤノは本能的に身構えた。

だが今、目の前にいる男は、カヤノに対して好意的に見える笑顔を向けて、意地の悪い事を言い出すようなそぶりはない。


クリスティアンの少年時代を思い出すと、当時も体の大きな子ではあったが、すっかり成長した姿は更に身長が伸びており、いつもムッツリとしていた感じの悪い顔も、今では随分と感じの良い甘いマスクに転じたようだ。

元々、クリスティアンは焦げ茶色の髪にミルクチョコレートの色の瞳の少年で、カヤノよりも大和皇国に近い色を持っていたが顔立ちは彫りが深く整っており、当時のおしゃまな女子からは人気があった。

カヤノの方は、意地の悪い事ばかり言われるので、彼に憧れる少女達の気が知れなかったが…。


当時のクリスティアンとは、何か違ったのだろうかと、カヤノは彼の顔を恐る恐る見上げる。

すると、やはりクリスティアンは感じの良い笑顔でカヤノを見ていた。


どうやら今日は、自分を攻撃する気はないらしい…。



もう、子供の頃とは違うんだし…クリスティアン本人もそう言っていたもの。

彼はただ、子供の頃、故郷に帰ってしまった自分がいじめていた少女そっくりの女を見付けて、興味本位で声を掛けただけなのよね?



咄嗟の出会いで取り乱したが、ようやく冷静になって考えれば、そのように思い至り、カヤノは密かにホッとして息を吐いた。

依然、体は強張ったが、シルヴァスがそっと自分の手を握ってくれた。


すると、その様子を見ていたクリスティアンが頭を掻きながら、怯え気味のカヤノにまた声を掛けた。

まさか、こんな風に感じの良い青年に成長していたとは思っていなかったカヤノは、クリスティアンの態度を本当に同一人物なのかと訝し気に見ていた。



「もしかして、その一緒にいる彼は、カヤノの恋人?」


「えっ?あ、いえ…。」



クリスティアンの質問に口を開こうとしたカヤノが、どう答えようか言い淀んでいる隙に、シルヴァスが先に返答をしてしまった。



「そうだよ。今、カヤノが子供時代ご両親と過ごした国を案内してもらっている所なんだ。」


「ああ、やっぱりそうか!そうだよなー、カヤノは可愛いから、仕方ないよな…彼氏がいるのも当たり前だよな。」



シルヴァスがカヤノの許しなく勝手に自分は恋人だと肯定してしまったのを聞き、なぜかクリスティアンは納得して頭を抱え、ガッカリしたしぐさをすると、カヤノが可愛いなどと耳を疑う発言をした。


カヤノは、クリスティアンがもしかして、嫌がらせで逆の事を言うつもりなのかと、見開いた目で怯えがちに覗く。

その様子にクリスティアンは大きく(こうべ)を垂れながら言った。



「ちょっと…待ってくれよ、カヤノォ~。そんな警戒した顔しないでくれ。確かに俺はお前からしたら嫌なガキだったけど、あの頃は恥ずかしくて、普通に接せられなかっただけなんだよ。」



カヤノは依然、警戒をしながらも、おずおずと首を傾げた。

そのしぐさを見て『畜生!成長したら余計にカワイイなぁ~!』とクリスティアンは小さく口の中で叫んでから、また言葉を続ける。

警戒して身を強張らしているカヤノには聞こえなかったが、シルヴァスの耳には彼のくぐもった小さな叫びが届いており、おもむろに機嫌が下降していた。



「だからさ、俺。カヤノがずっと好きだったんだ…。お前が知らない間に、故郷に帰ったって聞いた時はショックで後悔したんだぜ。何で俺はお前に酷い接し方しかできなかったんだろうって…。」



そこまで聞いて、思わずカヤノは、クリスティアンの言葉に口を挟む。



「嘘よ。クリスティアンは、いつも私の髪や目の色が汚いって言っていたじゃない…私、凄く悲しかったわ。」



カヤノの言葉にクリスティアンは、狼狽えながらも声を大にして言った。



「そ、それは…逆の事を言っていたんだよ!俺はガキで素直に女の子を誉められなかった。本当はカヤノの髪と目が好きで、いつも見惚れてた。だから、遠くからでもカヤノを見付けると思わず追いかけて…その後が問題なんだけど…嫌な事ばかりしたな。ごめん。」



第一声の大きさに少し驚いたカヤノは、ビクリとまた後ろに下がろうとし、いつの間にか後ろに移動していたシルヴァスの胸元にぶつかった。

シルヴァスは、そっと支えるようにカヤノの肩に手を置いたので彼女の動きはそこで止まり、目の前のクリスティアンを見詰めるに留まる。


見れば、両眼を瞑ってクリスティアンは頭を下げて謝っていた。

カヤノから何の返事もないので、クリスティアンはそうっと片目だけを開けて、上目づかいでカヤノの動向をチラリと見た。

クリスティアンの想定外の行動に、カヤノは驚いて口を開ける。



これがあの…意地悪で活発なガキ大将だったクリスティアンかと思うと、カヤノはちょっとした衝撃を受けたのだ。

そして、あの意地悪だった彼が何を言っているのか…理解しがたく、謝罪の言葉を一度では飲み込みきれずにいた。



『やだ…謝ったように見えるけど…やっぱり…何か、企んでたりしてないわよね⁈』

(カヤノ・咄嗟の思い)



クリスティアンはカヤノがまだ警戒心を持っており、自分に疑いの目を向けていると感じ、続けて口を開いた。

先程は声に怯えていたように見えたので、彼は今度は小さな声で様子を見ながら、少し弱々しい雰囲気を演出して見せた。



「うまい言葉も使えなかったから、カヤノに意地悪をして関わろうとしたんだ。嫌われるってわかっても、お前にちょっかいを出したかった。少しでもカヤノの目に入りたかったんだ。許してくれ。」



ハッキリとした謝罪の言葉を聞いて、カヤノは少しだけ気持ちが落ち着いて来た。

この状況に一人ではなく、傍にシルヴァスがいてくれた事も大きい。

それから、クリスティアンの言った事を頭の中で何度か繰り返し、整理し直してみる。

突然の昔の苦手な知人との遭遇で、先程はすっかり取り乱してしまい、彼の言葉がまともに頭に入りきって来なかったのだが、それでようやく、カヤノは彼が何を言ったのかを本当の意味で明確に理解した。

クリスティアンが本気で自分に謝ってくれているのだと…。


『許してくれ…』


クリスティアンは何度か真摯にそう言って繰り返す。



謝ったフリして、何か嫌な事をしてきたりするつもりはないみたい。

どうやら、クリスティアンは本気で悪いと思っているようだわ。

それに私の事を嫌いでイジメていたわけではないんだって?



カヤノがそう自分に問いかけると、彼への緊張感はかなり解けていった。

だから、今度はクリスティアンに向かってゆっくりと口を開く事ができた。



「許すも何も…もうすごい前の事だもの。クリスティアンは私の事が、ずっと気に入らないと思ってたから…ええと、その、嫌われていたわけではないって知って…驚いたけど。」


「気に入らないもんか。お前、結構、男子から人気あったんだぜ?可愛いし、優しいし、他の女子どもみたいにギャンギャンしゃべらないし…。でも、今更だよな…カヤノには、恋人がいるんだもんな。」



クリスティアンはカヤノの傍で守るようにして立つシルヴァスを一瞥した。



「えっ、恋人じゃ…。」



カヤノがクリスティアンの言葉を否定しようとすると、横に立っていたシルヴァスの手に口を塞がれる。



「カヤノ…あんまり他の男としゃべって、僕を焼かせないでくれる?クリスティアン君だったっけ?残念だね、今更、謝ったって手遅れだよ。」



シルヴァスは甘い声でカヤノにそう言ってから、シュンと肩を落としたクリスティアンに、犯してしまった過ちは取り返しがつかないのだと釘をさす。



「わかってる。ただ、偶然カヤノが成長した姿そのものの女性が歩いていたのが目に入って、声を掛けただけです。もし、カヤノに会えたら、謝って気持ちを伝えたいと思っていたから…人違い覚悟で…でも、声を掛けて良かった。」


「そう…それはどうも。カヤノに気持ちも伝えられたし、もういいね?」


「うわぁ、カヤノの恋人は辛らつだな。もう少しくらい、奇跡の再会をしたんだから寛容に思ってくれてもいいだろう?ガキの頃の淡い思い出なんだから!」


「淡い思い出なのは君だけだろう?カヤノにとっては、君は苦い思い出だったんじゃないか?それに君に寛容に接するほどの義理もないしね。」


「チェッ…あんたの言う通りだ。カヤノ、会えて良かった…じゃあ、俺は行くよ。お前の恋人が怖いしな。それにしても、お前はあの頃にも増して可愛いな。カヤノと再び会うのが遅すぎたのが悔しいや…。」


「クリスティアン?」



首を傾げるカヤノに、片手を挙げて踵を返しながら、シルヴァスの鋭い視線から逃げるように、数メートル離れた所で振り返ったクリスティアンがカヤノに最後の言葉を投げかけた。



「いつか会えたら、本当はカヤノに…今度こそ、男らしくアタックするつもりだったんだ!」



たった一言、そう言い添えるとクリスティアンは逃げるように速足で消え去った。

彼は絶えず、シルヴァスの視線を気にしているようだった。

カヤノは呆然とクリスティアンの姿が消えるまで見送ると、ハッと気付いてシルヴァスを窺った。



「シルヴァス…私、クリスティアンにずっと嫌われていると思ってたから…私も嫌いだと思っていたの。恥ずかしいから意地悪をしたって…天邪鬼よね。でも、ずっと会えば怖い相手だったのに…不思議と彼に何も思わなくなったわ。」



カヤノも知っている作り笑顔のシルヴァスは、体を少し縮めてカヤノの身長に目線を合わせながら、小さな声で囁いた。



「そう…子供だからって女の子に意地悪するなんて許せない。カヤノは、彼に何も思わなくなったって?それは良かった。例えば()()()という感情だって、君がアイツに意識を向けるのは我慢がならないからね。」


「え、それは…どういう?」



いくら何でも、シルヴァスの言っている事は極端のように聞こえて、カヤノはつい聞き返してしまう。



「カヤノにアタックしようと思っただなんて図々しい人間の男だ。カヤノが心の中にアイツへの感情を住まわせていたと思うと、例え嫌いという感情でも憎たらしくなるんだ。何も思わなくなったって事は、アイツの本当の気持ちを聞いて、カヤノは彼を嫌う気持ちが消えたんだよね?」


「多分…そういう事だと思うわ。」


「それが正解だ。好きな子に無関心でいられるのが一番辛いからね。アイツはカヤノにとって、嫌われる以外は無関心な男だったって事だ。ざまあみろ。」


「シルヴァス…何言ってるんだか…。」



カヤノは頭を押さえた。

シルヴァスの発言が子供っぽく聞こえたのだ。


クリスティアンのカヤノへの行為は、子供時代の嫌な記憶を占めていたし、彼の気持ちを聞いたからと言って、早々相手を好きになるなどあり得ないが…カヤノの心を長年蝕んでいたとは言え、あれから何年も経ち、当時はお互いに子供だったのだ。

クリスティアンに実は好かれていたという事実は、とても意外だったが、嫌だとも嬉しいとも思えない。

それほど過去の残像なのに、一々クリスティアンへのカヤノの心の在り方に『ざまあみろ』と思うなんて、シルヴァスはあまりにも狭量ではないかと思う。


それに、人から嫌われていると思うのは、気分的にいいものではなかった。

心に暗い影を落とすほど、意地悪をされたとはいえ、ずっと自分が気に入らないからそう言った行為をされているのかと思っていたカヤノは、それが好いた感情からなのだと知らされるだけで、クリスティアンの意地悪が違う風に感じられるような気がした。

今までの子供時代の重々しかった思い出が、妙に晴れた気分で軽く見えるようになったのだ。

心の持ちようとはよく言ったものである。


そう考えれば、改めてクリスティアンに対しては、今まで彼を嫌いだったという事以外、カヤノは何の気持ちも持っていなかったのだとわかる。


だからこそ、クリスティアンもカヤノの気を引こうと意地の悪い行為をしたのであり、シルヴァスにはその男の感情が良く分かった。


そんなシルヴァスにしてみれば、相手の気持ちがわかるだけに、カヤノに思いを寄せていた男の存在などは面白いものではない。


嫌われるからこそ、自分は多くはしないが…実を言うと、シルヴァスだって彼のように、好きな子には意地悪の一つもしたいのだ。

カヤノにはわからない感情だろうが…。


クリスティアンを通して持ったシルヴァスとカヤノの心情は、お互い全く違うモノだが、カヤノにとっては嫌な思い出の多かった国が、数年ぶりの訪問によって、クリスティアンと再び会った事で消化され、大きな収穫となった。


単純なカヤノは、クリスティアンと会う前の意地悪な押し問答など綺麗さっぱりと忘れ、今日ここに連れて来てくれたシルヴァスに素直に感謝の念を抱いた。



「シルヴァス…今日はありがとう。クリスティアンに会ったせいか、何だかスッキリしたわ。両親とこの国を出て、今回、初めて戻って来たけど、私の中では当時のまま時間が止まっていたみたい。今、やっと色々な事が浄化されたがするの。」



いきなり感謝の意を表されるとは思わなかったシルヴァスが、キョトンとカヤノを見詰める。



「シルヴァスは、いつも私が嬉しくなる事ばかりしてくれるのね。」



礼を言われる筋合いはなかった…。

シルヴァスはカヤノの心を自分に落とす為に、ご機嫌を取ったり、揺さぶったりする意図で連れ出しただけである。


しかしカヤノは、シルヴァスを狭量だと思いながらも、偶然クリスティアンに会う機会を作ってくれた事に関して純粋にありがたく思っているのだ。


シルヴァスは、低く呻く。



「カヤノ、そんな事で感謝とか…君は本当に、何でそんなに可愛いの?無自覚が辛いよ。あの男に少しだけ同情する。」



そう、来られるとクリスティアンの登場で、斜めになっていた機嫌も急に上に向いて行くというものだ。

精霊だってカヤノに負けず劣らず単純なのである。



バカなカヤノ…好意を向けられるとすぐに相手を許しちゃうし、それすら僕のお陰だとか思っちゃうんだから…天然お花畑思考には参るよ。



そんな事を思いながらも、無意識に口角が上がってしまうシルヴァス。

そして、クリスティアンについて思う。



アイツも余程カヤノに振り向いて欲しかったのだろう…。



「カヤノは、ハルを姉と慕うだけあって鈍感だしな。」



シルヴァスは、クリスティアンに対して『憎らしいから消し去ってやろうか』と思う一方、多少の同情をする部分もあった。

シルヴァスだって、自分の思いを受け入れてくれない強情なカヤノに対して、意地悪な気持ちがわき上がるのだから同じだ。


だが、こうしてカヤノが小さな事に喜んだり、自分に感謝したりされてしまうと嬉しくもなり、意地悪だけではない気持ちが噴き出しそうになるのだ…それと同じくらい可愛がりたいという。


カヤノは宝石を欲しがるわけでも贅沢をしたがるわけでもないのに、いつだって小さな事を宝物のように喜ぶ。

今回も土産物屋を通ろうが、何一つだってシルヴァスに強請らなかった。

そんな彼女にワガママを言わせてみたいとシルヴァスは躍起になりそうになる。



少し前まで、クリスティアンの登場で、不機嫌オーラが漂うのを押し隠していたシルヴァスだったが、今は心がホカホカして、カヤノのお願いを聞いてあげたくて仕方がない衝動に駆られていた。

カヤノは無意識にそんなシルヴァスに近付く。



「ねぇ、シルヴァス?タクシーの運転手さん、待っているんでしょう?時間は大丈夫?」



コテンとシルヴァスに顔を傾けて聞く純粋なカヤノに、恋情以外の何者でもない熱を刺激されて、下半身に血が行くのを隠しながら、シルヴァスは目を逸らして言った。



「そうだね…忘れてた。じゃあ、そろそろ行こうか?急に思い立ったもので…出て来たのが遅かったから、時差でこちらは明るいが、大和皇国に戻ったら夜半過ぎになる。」


「そうなんですか?じゃあ、帰りましょう。」


「ああ、本当は何かお土産を買ってあげたいんだけど…。」


「必要なものは、いつもシルヴァスが用意してくれるから、何もいらないわ。こうして色々見て回れただけで、心の中にたくさんのお土産ができたもの。運転手さんを待たせるの可哀想だし、行きましょう。」


「じゃあ、帰ったら今度は埋め合わせに君のお願い、何でも叶えてあげる。考えておいて?言っておくけど、僕から離れること以外でね!」



カヤノはシルヴァスの過保護発言に首を傾げた。

実を言うと、シルヴァスの急な過保護発言は引き取られてから、結構頻繁だ。

精霊は気を良くすると大変気前がいいのだと、カヤノはシルヴァスで学んだ。


だが、何でも叶えるという程、何かしてもらう理由がない…。


そこで、瞬時に頭を働かせ、カヤノは『思いついた』とばかりに早速、シルヴァスにお願いをしてしまう事にした。

そういう約束めいた事は、サッサと解消してしまうに限る。



「じゃあ、今度とか…考えられないかもしれないから…やっぱり今、お願いしちゃってもいいですか?」


「うん、勿論!何かあるの?何だい?」


「帰り道に、何か飲み物がテイクアウトできるお店へ寄って下さい。」


「は?」


「長く待たせちゃったから、運転手さんに差し入れをしたいです。時間がないのに、寄り道させちゃうんだから、ワガママしちゃうけどお願いします。」


「それだけ?」


「ハイ!お願いします。」



シルヴァスは肩透かしを食らったような顔をした。


だが、そう言ってカヤノが待っている運転手を気遣うように自分の服の袖を引っ張って、タクシーの方向に促してくるのを見ると、シルヴァスは小さく息を吐きながらも、眉を下げて小さく笑んだ。



「仕方ないな…。」



そして、二人は同じ家へと帰っていくのだ。


カヤノは密かにシルヴァスの家に帰る事にホッとして、いつまで帰る事が許されるのか考えながら胸に切なさを覚えていた。


シルヴァスは、カヤノと共に戻るからこそ、家は良いものなのだと再認識していた。

カヤノがサルマンの家に行ってしまっていた時は、自分の家に帰らないで済む事ばかり考えていたのに、カヤノと帰る家路は愛おしくなるのだ。



 ☆   ☆   ☆ 


 

 タクシーに戻ったカヤノが、車内でゲームに興じる運転手に気遣いから買った飲み物を渡すと、彼はなぜか照れていた。

シルヴァスの目は相変わらず、狐のように細くなっている…。


タクシーは夕焼けになりつつある空を後にして星の輝く方向へと向かっていった。


カヤノの差し入れに頬を薄っすら染めて気を良くした運転手が、途中、サービスだと回り道して絶景の景色の上を飛んだ後、ロマンチックな雲海の上をユラユラと幻想的に飛んでくれたので、カヤノはすっかり景色に酔った。

無意識につかんだシルヴァスの肩に顔を傾けて、無数の星を窓から仰ぎながら、ユラユラと揺れる車内でうっとりと…いつしかカヤノは目を閉じた。



「眠ってしまったんですか?」



バックミラーでカヤノの寝顔を目に止めた運転手がシルヴァスに声を掛ける。



「ああ、知り合いに会ったりしたし、今日は急に連れて来ちゃったからね。疲れたんだろう?この子、あんまり外に出してないから、体力ないし。」


「じゃあ、方向転換して、本格的に飛ばして帰りましょうか?雲海をゆりかご走行する必要もなくなったし…。」


「ああ、頼むよ。カヤノの為にゆっくり走ってくれてたんだろう?それにしても普段より、サービスが良いじゃないか。こんな穴場の景色の上を走行したり、せっかちな君が星船に乗ったような走行をしてくれたりさ…。」



口を尖らせたシルヴァスの言葉に運転手はフッと笑う。



「そりゃ、野郎にサービスしても張り合いないですから。お嬢さんに喜んでもらうと、運転しがいがあるってもんだ…可愛いお嬢さんですね。」


「そりゃあ、もう、手塩にかけて大事にしてきたからね。これからもだけど…やらないよ?」


「わかってますよ…お客さん、殺気出すのやめてもらえます?ただ、お嬢さんには同情しますね。あなたみたいのにつかまっちゃうのかと思うと…可愛いのに可哀想で。」


「客に対して失礼だな。タクシー会社にクレーム入れようか?」


「公私混同ヤメテ下さいよ。純粋な意見でしょ?お客さんみたいなオールドタイプの精霊に本気で色々されたらと思うとね…オタク、自分はフラフラしてるクセに相手には、自分以外、見るのも許さないでタイプでしょ?」


「当然だろう?好きな子には自分だけを見ていて欲しいなんて…誰でもそうさ。それとオールドタイプって言わないでくれる?現人神になってからは…まだ若いんだから。」


「まだ若い?図々しいなー。精霊の起源は古いんだから…体を持ったのがここ数百年前後ってだけで、お客さんは大昔から存在しているんでしょ?ソレでそんな若い子をもらおうなんて…嫌らしい。」


「お前の発想が嫌らしいよ…ヤダねぇ。女気が微塵もない下級現人神の男は、さ。」


「ほっとけ!」



カヤノが車内で眠る中、シルヴァスと運転手は、互い憎まれ口を叩きあいながら、大和皇国への帰路、暇をつぶす。



「よし、本気でフッ飛ばしますよ!」



運転手の掛け声に、眉を顰めたシルヴァスはカヤノを横にしてじ分の膝に抱き直す。



「彼女が目を覚まさない程度の揺れで頼むよ?」


「ラジャー!」



そう運転手が了承するとともに、アクセル全開でシルヴァスは前につんのめる。



「おい⁉危うくカヤノを落とす所だったじゃないか。」


「スイマセン…言い忘れていましたが、シートベルトを装着して下さい。」


「言うの、遅いんだよ!!」



賑やかな空の旅は続く。


 結局、カヤノとシルヴァスがマンションのバルコニーの上に戻るのは…0時を過ぎていた。


土日のどちらかに更新します。

本日もアクセスありがとうございました。

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