春の嵐に恋の風④
三十木カヤノ、当時12歳。
カヤノがまだ孤児院に収容されていた時の事である。
この日は、朝から施設のスタッフに呼び出されて、面会人がいるので面会室に来るようにと促された。
そこでカヤノは、面会人の元に行くと、部屋には自分を施設に保護してくれた現人神の男性がおり、向かい合って座らされる。
<12歳・当時カヤノの心の声>
今日、お世話になっている孤児院に、私を保護してくれた孤児の保護を専門に担当している統括センターのシルヴァスさんがやってきた。
シルヴァスさんは、優しい笑顔で、金髪交じりのフワフワと柔らかい茶髪がトレードマークでもある『風』の精霊系現人神だ。
いつも笑顔のシルヴァスさんは、お土産を持ってきてくれる事も多くて、施設の子供達にも人気があり、唯一、自分が緊張したり怯えたりしないでしゃべれる『男の人』である。
そんなシルヴァスさんが、今日、この孤児院に訪れたのは、恐らく自分が原因だろう…。
ここの孤児院には普通の人間の子供は収容されていない。
『現人神』の孤児のみを専門に収容している施設なのだ。
現人神の子供達は、12歳までは人間に紛れて普通の初等教育学校に通っている事が多く、自分自身でもちょっと特殊な能力を持った、ただの人間だと思っている子供も少なくない。
しかし、13歳になると、普通の人間の子供とは別の現人神養成学校という現人神専用の学校に通う事が義務化されており、この学校を卒業しないと『現人神』として認めてもらえず、一人前になる事が出来ないのだ。
だが、稀に親が亡くなって、自分が現人神である事を知らない場合。
現人神の知識がない普通の人間の親戚に引き取られたり、人間の施設に収容され、現人神統括センターに長い間、発見されず、定められた年齢の間に現人神養成学校を卒業できない事がある。
また中には、先祖返りの現人神なども、同様の理由でセンターへの登録や発見が遅れてしまう。
これらが原因で、現人神養成学校を卒業できなかった者は、他の現人神から『カクレ現人神』や『ハグレ現人神』と呼ばれる存在になる。
そうなると、正規の現人神の権利を主張できなくなるし、だからと言って、現人神の神力を宿している限り、自分の勝手で普通の人間として生きる事も許されないのだ。
こうした『カクレ』や『ハグレ』の現人神が、最終的にどうなるかというと…現人神統括センターが選んだ現人神に嫁がされてしまうのである!
『男子』の場合は、逆に人間との婚姻を強制されるのだが、その相手も自分の好きな人間というわけにはいかない。
血の薄まりにより現人神の資格を失った一族の中で、相性の良い相手の家に婿入りをさせられるのだ。
現人神社会は人手不足ゆえ、もしかして、生まれるかもしれない『先祖返り』を期待しての婚姻である。
こうして、男女ともに指定された者との婚姻を受け入れる事で、現人神養成学校を卒業していなくても現人神社会の一員と認めてもらえるというシステムになっているのだ。
ただでさえ、人手不足の神様社会は、現人神に限らず、特に女性が少ない為(慢性的女神不足)、現人神と呼べる女性の需要は高く、ハグレ現人神のような者でも、充分、名門の現人神の家に嫁に入れる。
だが仮に、決められた相手との婚姻を結ぶ事になっても、現人神統括センターは、適当に相手を押し付けるわけではなく、血統や能力、性格などを考慮して相性を判断し、最適だとマッチングした相手だけを探し出してくる。
その上で、嫁ぎ先や婿入り先の意向もきちんと確認し、条件があった者のみを指定してくるのだ。
このようにセンターが慎重に吟味して結婚相手を指定してくるので、強制とはいえ統計的にハグレになった現人神が嫁いだ家で、夫婦としてうまくいかなかったという例は滅多にない。
だから、強制結婚といっても、酷く悲惨なものではないのだ。
それでも女性としては、恋愛の末、望まれて花嫁になりたいという夢がある…。
それは男子のハグレ現人神だって同じだろう。
自分の情報をカタログを見て買い物をするように、センターの担当者の案内で『あの子はどうだ?この子はいかが?』などと、勧められて一方的に向こうが気に入ったからと選ばれ、『この人と婚姻を結べ』と言われれば、選んだ方はそれでいいかもしれないが、選ばれて婚姻を結ばされる方のハグレ現人神としては、ロマンスも何も感じるわけがない。
それが最良の選択だとわかっているし、強制なので断る事もできないが、そんな繁殖の為だけにするような婚姻は、誰だって避けたい筈である。
それに、現人神社会では『ハグレ』以外の正規・現人神の男性は、独身が認められているのに、数が少ないという理由で、『ハグレ』にならなくても、女性の独身は認められていないのだ。
決まりにより、女性の現人神は、60歳までには同じ現人神か異界の神と結婚をしなければならない。
現人神は、人間よりも長生きで、年を取っても見た目もあまり変わらない場合が多い為、女性にも多少の自由を配慮し、60歳までという多めの期限が設けられているが、一生独身でいるという選択は特例以外に許される事はない。
60歳を過ぎると、ハグレやカクレ現人神と同じように、センターから強制的に婚姻先を決められてしまうのである。
だから、現人神達は皆、『ハグレ』には、極力、なりたくないし、何としても現人神養成学校を卒業して、少しでも長い間、自由な時間を手に入れ、その間に最良の相手を探しておこうとするのだ。
そう、まずは、何はともあれ、現人神養成学校に通う事が先決である!
現人神養成学校の卒業年齢は18歳。
それは、同時に現人神社会での成人の年齢でもある。
つまり18歳までに、現人神養成学校で卒業資格を取らないと『ハグレ』や『カクレ』現人神として処理されてしまうのだ!
しかし…。
今の所、私にとっては、それがとても難しい事なのだ。
恋愛結婚…私だって、そういう事に憧れや夢がないわけではない。
けれど…。
私達のように孤児になった現人神の子供が通常通り、現人神養成学校に通うには、一般的に養い親の存在が必要なのである。
その為には、どこか現人神の家の養子や養女になってもいいし、正式に引き取られるわけでなくとも、成人するまで面倒を見てくれる里親や保護者を探す必要がある。
とにかく、後見人がいないと現人神養成学校に通う許可が下りないからだ。
これは、現人神社会では、子供に対して色々な面倒を見たり、責任を取ってくれる人物が重要だと見なされている事の他、実際に現人神という特殊な性質の存在が一人前になる為には、家庭でのフォローが必要不可欠であり、学校教育だけでは補いきれないという現実から、そのような取り決めになっているのだそうだ。
現人神社会は人間社会と違って、一般的には里親を探す事も、そう難しくはない。
通常、博愛的な部分を持つ現人神は、容易に養子縁組をするからだ。
それに現人神は子供好きが多く、血の繋がりが無くとも、引き取った子供を本当に可愛がる…。
しかも、女の子ならば、独身男神が花嫁候補に引き取りたがる場合も多かった。
勿論、成人してから本人にその意思が無ければ、花嫁にはならなくていいという契約だが、センターの方ではそうした相手よりも、純粋に子供を希望する夫婦を優先して紹介するので、実際は独身男神に引き取られるケースは非常に少ない。
こうした現状の中、孤児院に入っても、現人神養成学校入学前には、既に大体の子供の引き取り先が確定してしまうのだ。
余程の理由でもない限り、引き取り先が決まらない子供は滅多にいなかった…。
それなのに、私はまだ引き取り先が決まらない!
つまり、私は…その滅多にいない『引き取り先の決まらない子供』だった。
だから、私を最初に保護したセンターの担当者だったシルヴァスさんが、孤児院の担当者に呼ばれたのだろう。
ハグレ現人神になってしまうかもしれない…私の今後を心配して、もしくは相談の為に…。
もしかすると、ハグレ現人神になってしまった場合を想定して、既に先行して嫁ぎ先の家をいくつかマッチングして用意しておく準備をするという話し合いかもしれない…。
私の胸は、不安でモヤモヤとし、心臓の音が早くなった。
どちらにしろ、良い話でシルヴァスさんがここに来ているのではないのだろうと思ったからだ。
ちなみになぜ、私の引き取り先が決まらないのかというと…。
私は男の人が苦手だ…。
特に体の大きな、男性らしい人が怖いのだ。
頭では良い人だとわかっていても、傍に近付くだけで、体が震えだし、酷い時など涙と汗が滲み出て、言葉もまともにしゃべれなくなってしまうのである。
しかし、私も元からそうだったわけではない…。
男の人が苦手になってしまったのにはある理由があった。
私の両親はマッド・チルドレンが起こした事故で亡くなった…。
マッド・チルドレンとは、かつて私達と同じ現人神だったにも関わらず、人間の血が濃くなって、現人神として機能しなくなった時に、普通の人間として生きることを否定し、神の力にこだわり、それを得る為に犯罪や良からぬことを始める者達の総称である。
元は神の御落胤などとも呼ばれていたが、昨今の彼らの犯罪は、神とはかけ離れすぎて、むしろ悪魔や魔神の域に達しており、もはや狂った神の血を引く者と言った方がしっくりいくことから、マッド・チルドレンと呼ばれる方が主流になっている。
そのマッドチルドレンが起こした事件に、施設で保護されるまでの間、私は巻き込まれていた…。
まず、両親が彼らの起こした船の事故で亡くなり、同じく船に乗っていた私は彼らに攫われた。
両親が戦闘系現人神だった事から、攫われた先で私自身もそうだと思われ、しばらく魔神や他国の邪神、高位の悪魔の前で凶悪な魔獣と私同様に攫われた女の子達(戦闘系現人神)と共に生死をかけた戦闘ショーをさせられていたのだ。
そこで、私は体にいくつもの傷を負った。
戦闘に敗れると、体の一部を取られたり、ショーを観戦していた魔神に気に入られて売られる事もあったが、私はそのショーの途中で現人神の力が目覚め、戦闘系現人神ではない事が判明し、戦闘ショーではなく現人神の女性専用人身売買のルートに変更してのせられた。
それにより、どこかの人外に売られるかもしれない恐怖と戦闘ショーに参加させられた時に見た荒々しい魔神や邪神の姿がどれも筋骨隆々の男性だった事が相まってか、すっかり男性恐怖症になったのだ。
加えて、監禁されていた時に接触したマッド・チルドレンの男達は、冷酷で自分達の神力を確保する為ならば、どこまでも卑怯だった事も作用しているのだろうと思われる。
とにかく、その辛い体験のお陰で、相手が『男の人』というだけで条件反射的に恐ろしくなってしまうのだ。
自分でも何とかしたいとは思っているが、保護されてから、もう一年近く経つのに、どんなに自分自身を暗示にかけて言い聞かせてもダメだった。
今までの経緯と現在の自分を考えて、カヤノは俯いた。
このままではいけないと思っても、自分ではどうしようもなかった…。
☆ ☆ ☆
そんなすっかり落ち込んだ様子のカヤノに、面接室で向かい合って座ったシルヴァスが、明るく声を掛ける。
「久しぶりだね、カヤノちゃん!」
人好きする優しい笑顔が眩しかった。