春の嵐と恋の風㊳
肩透かし。
驚きのあまり数十秒間、時が止まったように呆気にとられた顔で動かなくなったカヤノ。
カヤノの呆けた顔は、明らかなマヌケ面だった。
その状態で、時計の秒を刻む音だけが、お互いの耳に聞こえてくるようだ。
そして、ついにサルマンが痺れを切らし、ギリギリと歯を擦り合わせて言った。
「ちょっと…!アンタ、アタシの話を聞いてた?いつまで、フリーズ状態に陥る気よ⁈」
サルマンは、自身の声の音量が大きかった事に自覚してはいたが、ここが職員室だったのに対しては、うっかりしてしまった。
サルマンの荒げた声に、周りの机に座っていた他の教員達がこちらに注目し、一斉に人差し指を立てて、口元に当て『シィーッ!』という姿勢を取る。
先程から、時折、声を荒げていたサルマンと、いつまでも続くカヤノとの会話は、職員室では目立っていたのだろう。
今回は我慢出来ないといった具合に、教員一同から冷たい視線で一斉の意思表示をされてしまった…。
サルマンはさすがに、頭を下げて愛想笑いを浮かべ、周りの教師達にペコペコして見せる。
「すみません、すみません。」
と、満遍なく四方に一通り言うと、今度は定位置に戻って、声をずっと絞り、カヤノに向き直る。
その担任の行動を見ていて、カヤノは謝った。
「スミマセン…サルマン先生。私のせいで、他の先生達に謝らせちゃって。」
「くぅっ!それはもういいわよ…。それより、さっきのアタシの話を聞いてたんでしょうね?」
「えあっ?あ…ハイ。でも、私の聞き間違いだったのかも?」
「何がよ⁉」
「いえ…おこがましいのですが、まるで先生が、私と婚約してくれても良いと言っているように聞こえてしまって…。」
「だから…良いって行ったのよ!間違ってないわよ!!アンタ、その年で耳が遠いわけ?」
声は出さずに息だけで大音量でしゃべるというサルマンに、カヤノは器用だと感じ、話の内容よりそちらに気を取られた。
「ほう…。」
思わず息をつくような声を出すカヤノに…震えるサルマン。
「な、何が『ほう』なのよ⁈人が真面目に話しているって言うのにぃ~。アンタはっ!!」
先程までは息だけで話をしていたのに…サルマンの口からは、今度は普通に大声が出てしまった。
職員室の先生達は、待っていたように勢い良く立ち上がり、一斉に起立したまま、立てた人差し指を顔の前に出している。
慌てたサルマンは、ついに居たたまれず、カヤノを連れて職員室の外に出た!
急いでカヤノを外に追いやったせいか、廊下でサルマンは少し息を切らせている。
「ハアハア、ああ、心臓に悪い…。アンタといると調子を狂わされるわ。アタシこれでも、若手教師の中では出世株なんだからね?」
「え、教頭先生や学園長先生になりたいって事ですか?」
「そんな事、言ってないわよ…。どういう耳と脳構造してるわけ?ただ、周りの教師から注意されるような事なんて、普段はしないって言ってんの!」
「スミマセン…私のせいですね。」
「そうよ!さっきから!!…だから、アンタはアタシの言う事を聞いときなさい。」
「ハイ?」
「ただでさえ、アタシに心配かけてんだから…目の届く所にいて欲しいのよ。これ以上、アンタがアタシに迷惑かけないようにね?」
カヤノは、俯かせていた顔を上げて、サルマンの乙女チックにも見えるピンクの瞳を見詰めた。
サルマンは、その瞳を逸らすように、カヤノの少し後ろの方を見て言葉を続ける。
何だか、サルマンが照れているようにカヤノには見えた。
「見合いで、先着順に会っただけの相手なんかと、うまくやれる自信があんの?幸い、アタシならアンタは慣れているでしょう?アタシもアンタに…好感を持っているわ。」
サルマンはシルヴァスのように熱烈に好きだとは言わず…だが、確かにカヤノに好感を持っていると言ってくれた。
話しをするサルマンは、自分の頬を人差し指で初心な少年のように掻きながら、チラリとカヤノを見ては目を逸らす。
そのしぐさが、どういった意図から来たものなのか…女子部と男子部が完全に別に作られていて、女子校と言って遜色ない現人神養成学校に入り、シルヴァスに大切にされて、箱入り同然に育てられてしまったカヤノには、よくわからなかった。
だから、カヤノは再びフリーズした。
そして、頭の中でグルグルと考えを巡らせる。
先生が…私の婚約者になってくれるって?
確かにサルマン先生なら、シルヴァスさんに比べれば、たまに怖く感じる事もあるけど…他の男性よりは大丈夫だわ。
何より、先生となら自分一人で、どもらずに会話ができるもの…。
それは、嬉しい申し出のように思えた。
しかし、よくよく考えれば、ただの一生徒である自分の為に、そんな事を担任教師にさせてしまってもいいのだろうか?
自分はシルヴァスとの賭けに勝つ為に婚約者が欲しいが、サルマンはカヤノを娶ったって何の得にもならないのではないか?
いくら担任だからって、カヤノは教師を利用するようで嫌だと思った。
サルマンを犠牲にしているように感じたのだ。
実際にサルマンは、犠牲になるわけではない。
本人が言ったように、純粋にカヤノに好感を持っているのだ…きちんと恋愛対象として。
だが、自意識の低いカヤノには、大袈裟なくらいの求愛をしなければ、残念ながら伝わらない節があった…。
例えば、元・外国の精霊系であるシルヴァスくらいの自己表現で丁度いい。
サルマンも異国色が強いが、教師である事が大きなストッパーになっているのに加え…本来は外見とは裏腹の中身を持っており、男性的でナンパではないし、考えもやや古風だ。
その為、カヤノのように派手過ぎず大人しめで、不器用でも頑張り屋の少女に好感を持つのは、当然と言えば当然である。
しかしそれは、サルマンの恋愛表現は遠回しで、全体的に口調以外は『硬い』という事を指し示している…。
つまり、カヤノにはサルマンが自分に抱く感情が、恋愛感情であるとは気付かなかった!
結果、カヤノは、
『先生は自分の為に戸籍すら汚そうとしてくれている!』
という風に捉え、いたく感動していた。
『何という生徒思いの教師なのだろう⁈』と…。
ここまで来るとカヤノは、完全にサルマンの好意を斜めに斜めに…勘違いしまくった。
世間知らずと箱入りというのは、実に性質が悪い生き物だと、恐らく筆者すら思う。
そして、ついにカヤノは…。
『こんなに生徒思いの先生を犠牲にしてはいけない!』
『好意だけを受け取って、お断りしなければ…。』
と、縋りたい気持ちに蓋をして自分に言い聞かせた。
見合いセンターで見ず知らずの現人神であれば、あちらも結婚しなければいけない理由があるのだろうから、お互いメリットがあるし…『見ず知らず』というのが、何より良いのだ。
しかし、サルマンのように、よく見知った者に自分を受け入れてもらうというのは、相手を犠牲にした感覚が半端ない…。
そこでカヤノは、タイムリミットが迫っていれば仕方ないが、できるだけ見知った者との婚姻は避けた方が良いという結論を出したのである。
サルマンの前で硬直する事、一分あまり…いよいよ、心配気に自分を見詰め始めた担任を前に、カヤノはようやく口を開く。
「先生…ありがとうございます。好感を持っているだけの生徒の為に自分を犠牲にしてくれるなんて…サルマン先生は本当にイイ先生です!先生のクラスで良かった!!」
涙を浮か始めながら、自分の両手を握りしめる男性恐怖症の筈のカヤノに、ポカンとした表情でサルマンは目を瞠り、握られている手に目を移す。
自分はシルヴァスの賭けにかこつけて、うまい具合にプロポーズをした筈なのに…カヤノの反応が、少しズレているという事がサルマンにはわかった…。
『なぜ今、カヤノは自分の教師としての技量を誉めているのか…。』
サルマンは、そう思った。
「先生…でも私、先生を犠牲にするのは気が引けます。こういうのは、全く知らない相手の方が良いのです。先生にそこまでしてもらうわけにはいきません!申し出は嬉しいのですが、それは最後の手段にさせて下さい!!」
「さ、最後の手段?…て、何よ⁈ハアァッ⁈えっ…ちょっと、何、何なの?何言っているの⁈」
『意味が分からん』という思いで、サルマンはすぐにうまい言葉を紡ぐ事ができなかった。
確実にカヤノが、何か思い違いをしているのだと教師は確信する。
「いいんです!先生…私、自分で頑張るから。頑張ってお見合いします。シルヴァスだって構わないって言ってるもの…自力で相手を見付けて、彼の鼻を明かしてやります!!見ていて下さい。」
「カ、カヤノ…だから、あの、アタシが…。」
「心配しないで…先生。今日は来て良かったわ。先生に話したら勇気が湧いてきました。来る前は、どうすればいいのか途方に暮れていたの。でも、今はお見合いを頑張るっていう目標が明確になったわ!」
「だ、だから…頑張るとかじゃなくて…アタシが…。」
「当たって砕けろよね!精一杯、色んな現人神さんと出会って、うまく纏まらなかったら…その時、また相談に来ます!その時は…先生にお願いしちゃうかもしれないけど…そうならないようにしなきゃ!」
『言っちゃったわ!』というように、愛らしくサルマンを計算なしの上目遣いで見るカヤノ…。
焦ったサルマンは、何とかスマートに言葉を出そうと、勘違い少女に青ざめて首を振るが、大人しいゆえに、自分の言いたい事をハッキリ言うのが恥ずかしいカヤノは、上目遣いをすぐに伏せて、時折、教師をチラ見するだけだ。
それ以外は、できるだけサルマンの方を見ずにしゃべっていたので、相手の様子を視界に入れてはいなかった。
「えっと…カヤノ、あのね…?」
「ええ、ええ、そうならないように、頑張って来ますから!!」
挙句の果てに、カヤノはトドメとばかりに、一人納得をしながら良い笑顔を顔いっぱいに浮かべ、サルマンに勢いよく振り向いた!
ビームでも放っているのか…カヤノの笑顔は眩しすぎて、サルマンは咄嗟に片手で太陽光を避けるようなしぐさをし、『うぐぅっ!』とうめき声を漏らす。
見ていないようでも、教師は生徒達をよく見ている。
カヤノの事も例外ではない。
サルマンは思った…。
『そう言えば、カヤノの頑張りは…いつだって的外れだった!』…と。
しかし、このまま放置すれば、カヤノはどこの誰かもわからないような現人神と結ばれる可能性もなきにしろあらず。
サルマンは、イラつきを覚え、強めの口調で言い放つ。
「だから、聞きなさい!カヤノ。俺と結婚した方が早いって言ってるんだ!面倒くさい事をしないで、サッサとシルヴァス先輩に俺と婚姻を結ぶと言って、賭けを終わらせちまえばいい!!」
声を荒げたのと、つい感情的になった事で、本来のサルマンの口調が顔を覗かせてしまった。
気付くとカヤノは震えている。
「ご、ごめんなさいね…カヤノ…つい。驚かせちゃったわ。」
慌てて、サルマンが女言葉に戻して語りかけるが、それと同時に何者かの声が割って入った…。
「ストップ!!キュベル…そこまでだ!」
低い男の声に何事かと振り向くと、そこには先輩教師で、数年前、担当したクラスを既に卒業生として送り出しているアレステル・オグマがいた。
彼は、上級女神が多数在籍していた元・Rクラスの担任だった男だ。
細かい世話焼きが過ぎて、彼女ができないと仲間内でも有名だが…教師としては有能だと一目置かれた存在でもある。
その世話焼き男(教師)が一体何だ…?
サルマンの頭に『?』マークが点灯した。
「聞け!キュベル!!お前は自分の立場を忘れたか?彼女は生徒で、お前は担任だ!結婚どころか…婚約だってダメに決まってんだろ⁈卒業後ならまだしも…彼女は今、在学中じゃないか!!」
ギクリとして目を見開くサルマンだが、慌てて先輩教師・オグマに言い募る。
「オグマ先生…だけど、これにはやむを得ない事情があるのよ…。別に教師との婚姻が禁止されているわけではないでしょう?」
「バカ言うな!!卒業後ならまだしも、在学中は道徳的に問題だ!禁止でなければ、女子校など他の教師どもが全員、花嫁の青田刈りに走っちまって、まっとうな教育機関じゃなくなっちまうだろーが!」
「それは…。」
「キュベル…お前は若いから熱血なのもわかる。さっき職員室で会話が偶然聞こえちまったから言うが…(偶然というか大声だったからな。)この件は様子を見ろ。」
「熱血はアンタだろ?オグマ先生…アタシは別に、教師だからとか…そういう理由じゃない。でも、そうね…オグマ先生の言う事も一理ある…カヤノ。」
サルマンは元気なく、カヤノの方に振り返る。
カヤノは先程の事もあり、一度、ビクリと肩を震わせて、サルマンを見た。
そんなカヤノのしぐさも、『守ってやりたくなるのだ』と思いながら…教師として、その感情を押し隠し、サルマンは溜息をついて言った。
「うまく行かなくても行っても、アタシはアンタを助けるし…ちゃんとカヤノが好きだから、結婚はいつだってしてあげる。オグマセンセェが言うから、しつこくしないし、仕方なくアンタの事、今は見守るけど…。」
そこで、サルマンは女性らしく肩をすぼめて、上半身をややくねらせ、ウィンクをして見せる。
その動きは、いつものサルマンだと…カヤノを少しホッとさせた。
「教師だから、見守るのよ?もし、アタシが良くなったらいつでも言いなさい。在学中だって構わないわ…教師を辞めれば済むもの。何なら卒業式の日に婚約するって言うのはどう?それなら、ギリギリ賭けに間に合うんじゃない?問題もないし。」
「そんな…先生…教師を辞めるなんて…簡単に。」
「いいのよ。どうせ実家は、家業を継いで欲しがってたんだから…姉さんもね。」
そこまでサルマンが言うとアレステル・オグマは再び口を挟む。
「おうい、余計な事言うな~。キュベル。簡単に教師、辞めるとか簡単に…なめてんじゃねーぞ?お前、一応、若手で期待の教師だろ?これだから教師経験が浅いうちに担任を持たせるのには反対なんだ!おい、三十木!」
「は、はひ…?」
急に自分に声を掛けられて、カヤノはまともに返事ができなかった。
アレステル・オグマは男性を絵に描いたような教師だ。
どちらかと言うと、良い意味で男性的なハンサムなのだが、カヤノは男臭いこの教師に怯えた。
そして、無意識にサルマンの後ろに隠れた…。
カヤノの気配を背に受け、担任は胸をキュンとさせる。
『アタシ…別に今すぐ職を失っても構わないわ。』
と、うっかり先輩教師の前で内面の言葉を呟きそうになるのを堪えた。
そんな二人を見比べながら、先輩教師オグマは顔を顰めて言った。
オグマの顔が凶悪面に見えて、カヤノは一層、彼から自分が見えないように、サルマンの背にすっぽりと身を隠す。
その態度を見て、オグマは頭を掻きながら言った。
「おい、何か…ちょっと、そう怖がられると…無理矢理、前に出してやりたくなるな…嗜虐心そそられるっつーか。」
「ヤメテ下さい…オグマ先生。うちのクラスの子を怖がらせないでよ。どっか行っちゃって下さい!アンタがアタシを監視しに廊下まで追いかけて来たのはわかりましたから…。」
「ちっ!三十木…聞け。俺はお前を知ってるぞ?俺の生徒だったハルリンドの結婚式でお前を見たからな。」
教師オグマの声にカヤノは、おずおずとサルマンの胸の高さ辺りから、顔を少しだけ覗かせてオグマの方を垣間見た。
カヤノはハルリンドの結婚式の時に、恩師として出席していたオグマがいた事を遠目で見たのを思い出す。
そう言えば、この人は、なぜ自分の名字を知っているのだろうか?
あの時、知ったのかとカヤノは、オグマに怯えを含んだ声で聞いた。
オグマは、『ワハハ』と豪快に笑って、自分はこの学園の生徒全員の名前を憶えているのだと言った。
カヤノも…サルマンもそれには目を瞠る。
教師オグマの方は、飄々としていたが…。
「そんなに驚く事か?教師なんだから当然だ。勿論、自分の担当した生徒が一番カワイイが、この学園の生徒は皆、無関係ではなく、一人一人、良い方向に導いてやりたいと思っている!俺はその為に日夜、闘っているんだ!」
『何と⁈』
『さすがは教師の鑑!(自称)』
と、サルマンとカヤノはそれぞれにツッコミたくなったが、その心意気は大したものだと、拍手を贈りたい気持ちである。
「まあ、全生徒の名前を知っているのは、この学園でも俺と学園長くらいだからな。あの上司と一緒なのは、かなり嫌なんだが…。あっ、そんな事より三十木!」
『学園長先生もそうなのか…』とカヤノは思い、声を掛けられたてもオグマに反応せずに、遠くを見詰めた。
オグマはそんな事はどうでもいいらしく、言いかけた言葉をカヤノに向けて続けた。
「三十木…話を聞いていて思ったが、保護者の思いに応えるのは、そんなに嫌か?彼はお前を大事にしているだろう?誰とでも婚姻を結ぶ気があるのなら、気心の知れた保護者殿の方が良いじゃないか。」
生徒全員の名前を知っていると言うだけあって、オグマはカヤノが男性に対して怯えてしまう事も知っているし、マッド・チルドレンの事件に関わった事も情報として耳に入れている。
だからこそ、苦手意識を持たない相手で、お互い気心が知れているのなら、冒険せずに保護者の元にいればいいとオグマは思った。
それに彼は、カヤノの家庭環境を含め、シルヴァスの事も知っているのだ。
児童保護の仕事をしているシルヴァスは、何度もボランティアや児童がらみの事件で、一緒に活動した事があり、ハルリンドを通しても面識があった。
オグマのシルヴァスの評価は、決して悪いものではなく、むしろ良い。
シルヴァスは自分同様、仕事に誇りを持っているし、本当に子供好きだ。
自身もいつまでも少年のような部分を持っており、自分の気持ちに正直だが、きちんと相手の幸せだって考えられる男だ。(女性に対しては特に。)
その上、非常に利口で仕事が早い。
見た目も女好きするような優しそうな雰囲気だし、中身は別として見た目には自分の様な男臭さがまるでない…。
現人神の性的本性までは知らないから、一概には言えないが、カヤノのような娘には、特に似合っているとオグマは感じていた。
オグマは生徒一人一人の幸せを願ってやまない(戦う)教師なので、後輩のキュベルの事が悪いとは思ってはいないが、直感的にシルヴァスの方が、カヤノを幸せにできるのではないかと考え、黙ってはいられなくなった。
勿論、それは単なる直感だ。
俗に言う、何件もの進路相談を熟す教師の勘という奴である。
生徒にも適性があり、同じカリキュラムを終了しても、仕事をバリバリ熟すのが向いている生徒もいれば、家庭に早くから入って静かに暮らす方が合っている者もいる。
その両方を両立している者もいるし、統括センターの役人、人間に交じって一般企業、自分のような教師、芸術家、医師、店の経営、実家の後継など…進路は様々だ。
そして、三十木カヤノは、シルヴァスの傍で守られているのが『しっくりいく』と感じた。
そこで先輩教師として老婆心ながら、後輩のサルマンの方が要らぬ事をしているように映り、つい口を挟んでしまうのだ。
彼が、首を突っ込んで痛手を負うのも…先輩として見ていられないし、何より軽はずみな行動で、これから有望な教師を失うのも損失である。
だから言った。
「三十木…色々ともがくのはいいが、考えすぎると大事なものが見えなくなる。単純に考えた方が自分が進むべき道や行動の輪郭が見えてくるものだ。お前が一番望む事は、知らない男と結ばれる事か?」
それからオグマは、カヤノに『卒業までによく考えておけ。』と言い足してから、サルマンにも続いて声を掛けた。
「まだ、教師歴が浅いクセに…今から簡単に辞める事を考えるとはな…そんな奴が担任じゃ、お前の生徒達が可哀想だ。キュベル、教師には情熱と生徒を思う心が必要だが、自身の事は別にして考えなければならない。」
サルマンは何も言わず、自分の後ろにいて、カヤノに見えないのをいい事にオグマを威嚇するように反抗的に睨んだ。
オグマはそんな先輩の心知らずの後輩に、聞き取りやすいようにゆっくりともう一度言った。
「いいか?お前はただ…卒業まで生徒達を見守れ。保護者と生徒の間に入りすぎてはいけない。見守るのが今のお前の仕事だ。何をするにしろ、行動はその後だ。」
オグマはそう言ったが、サルマンはカヤノにシルヴァスを進めた事で、この先輩教師に対して面白くない感情を持った。
サルマンからしたらシルヴァスなど、自分の大事な生徒を得体の知れない契約で縛り、狡猾に青田刈りしようとする邪悪な精霊でしかないのだ。
学年こそ違えど、養成学校の在学期間が重なっている二人は、多少は面識があり、お互いの学生時代の顔を知ってもいる。
つまりは普段、女性の前だと急に紳士になり、穏やかな顔を見せてはヘラヘラとしているシルヴァスが、何かのきっかけで同級生にキレた事件などを介し、優しいだけではないと痛感しているのだ。
当時は、怒れる彼の凶暴すぎる報復に他の生徒同様、震撼したものである…。
『あんな顔面詐欺のような男の相手をカヤノに務まるのか⁈』
と、シルヴァス同様、数年間、カヤノを見て来た担任は、オグマと違って不安しか抱けなかった。
だから、おせっかいな先輩教師には、『カヤノに余計な事を言って!』と言うのが、心中である。
反抗的に自分を睨む気の強そうな赤毛の若手に、オグマはカヤノを帰してから『ここにも生徒と大差ない思春期のボンボンがいる』と、内心溜息をついた。
☆ ☆ ☆
カヤノはその日、そのままサルマンとオグマの二人の言葉を胸に、家に帰って行った。
サルマンから言われた事とオグマから言われた事。
二人の言葉の意味を考えようと、カヤノは頭の中で何度もそれを再生させた。
しかし、オグマの言葉の意味は難しくて、カヤノには答えが出せなかった。
「考えすぎると大事な物が見えなくなる?大事なものって何だろう。」
家に帰ってもカヤノは、色々と考えて見たが、そうこうするうちに今日もシルヴァスが早い時間に帰宅した。
本当に優秀なシルヴァスは、今日も定時で夕方に家に戻ったのである。
…しかも、夕食の買い物まで済ませて。
「おかえりなさい…シルヴァス。」
「ただいま!カヤノ。」
カヤノの言葉に相好を崩すと、シルヴァスが買い物袋片手にカヤノの鼻の頭にキスをした!
突然の行動にカアッと顔を熱くするカヤノに、シルヴァスはまた朝と同じセリフを言った。
「フフ…僕ら、人間の新婚さんみたいだね!」
『それから夕食をつくろうか?』と颯爽と着替え、ギャルソン風のエプロンを身に付けたシルヴァスが、カヤノと一緒に夕食の支度を始めた。
いくら箱入りのカヤノだって、夕食の支度くらいはできるのだが、シルヴァスのレシピは数えきれないほど多く、二人いればどうしたってシルヴァスが指示を出して、カヤノは助手程度の働きしかさせてもらえない。
だが、そんな甘やかされる環境に、カヤノは悪い気はしていない。
二人で台所に立つのは楽しく、シルヴァスは何でも愉快に物事を進める事に長けていて、料理すらも遊びに変えてしまうのだ。
そんなシルヴァスの時折覗く視線は、いつになく甘いものでカヤノを戸惑わせ、先程までのオグマの言葉をあっという間に忘れさせてしまった。
今、カヤノは、ドキドキと全力疾走をした時のように胸を打つ心臓を落ち着かせる事以外、何も考えられかった。
☆ ☆ ☆
人間社会もそうだが、現人神社会だって、恋は一筋縄ではいかない。
最初、カヤノの恋情にシルヴァスが気付かず、今度はシルヴァスがカヤノの気持ちに気付くと、カヤノはシルヴァスから離れようと決意した後で、サルマンがカヤノに思いを伝えても、カヤノは気付かずに、まだ出会ってもいない婚姻相手をゲットしようと試みている…。
傍から見たら、皮肉としか思えない恋模様は、至って複雑だ。
入り乱れる三者の思いは、全く持って滑稽だ。
お盆に入るので、今週は更新の曜日が一定しないかもしれません。
来週は元のペースになると思うのですが…。
毎度、ご迷惑、お掛け致します。




