春の嵐と恋の風㊲
魔法使い並み(?)のシルヴァス…。
朝、目が覚めて…。
昨日のシルヴァスとの出来事を思い出しながら、今日の予定をどうしようかと、カヤノは思いを巡らせた。
しばし、布団の中で考え込み、どうせなら担任に相談してみようかとサルマンの顔を思い浮かべ、本日は久しぶりに学校に登校しようと思い至る。
最終学年である自分達のクラスには、恐らく生徒はまばらにしかいないと思うが、サルマンは通常通り、休日以外は学校内に待機し、数名の生徒の相談に乗ったり、何かしらの仕事をしている筈だ。
生徒の誰かに困った事が起きて、自分のように相談しに行く場合でも、先生達は担任を通じて、常にバックアップ体制には余念がない。
そうと決まれば、カヤノは、すっかりと良くなりつつある足をもみほぐしてから、ベッドを降りて制服に着替え、顔を洗いに部屋を出た。
時刻は午前6時きっかり。
ドアを開けた瞬間に、リビングの方からコーヒーの良い香りが漂ってくる。
どうやら、シルヴァスは、とっくに目覚めて活動をしていたようだ。
元々、朝の早いシルヴァスだが、カヤノが目覚めるまでは、大体私的に何かしている事が多く、コーヒーや食事の準備はカヤノの起床時間に合わせて、6時を回ってから始める事が多い。
それなのに、この時間に既にコーヒーの香りがこれだけ濃厚に漂っているというのは、早めに食事の準備に取り掛かったという事で、今日はもしかしたら、いつもと何かが違うのかもしれない…と、カヤノは身構えた。
そして、自分の気配を悟られぬように、廊下沿いの自室から、そ~っとマンションの浴室の隣りにセットで付属されている洗面所へと足を運び、とりあえず、静かに顔を洗って歯を磨いた。
学生なので、特に化粧や肌の手入れなどはしておらず、化粧水をつける程度の身支度だが、まだ若く現人神であるカヤノの肌は、張りがあり、今は黒すぎず白すぎない色が健康的で美しい。
カヤノは、神として本性を現しても、髪の色や目の色が大人しいせいか地味だと思われがちだが、別に顔立ちが悪いわけではなく、全体的に華美ではないが可愛らしい顔をしている。
クリッと大きくはないが、アーモンド形の少し下がった形の良い瞳。
鼻はちょこんとしていて、小ぶりでも鼻筋が通り、愛嬌と品がある。
口元は、薄いピンク色の唇で小さくてふっくらとしており、赤めの主張するような色ではないが、官能的な厚みのわりに清楚に見える。
これらが揃って、全体的に大人しいイメージの配置になってはいるが、誰が見ても好感を持てる顔立ちでもある。
そこに付けて淡く白っぽい黄土色の髪は、本人は気に入らないようだが、見る者に安心感を与える優しい色合いだ。
誰もが目を引くような鮮烈な美少女というタイプではないが、カヤノは、自分でコンプレックスを抱くような必要などない容姿をしている。
しかし、思い込みというのは恐ろしいもので、現人神社会の美しい女性達に囲まれていると…どうにも自信というものを持つには、全く繋がらなかった。
それどころか、決してそのような事はないのに、カヤノは自分の事を恐ろしく冴えない娘だと思い込んでいる。
そのお陰で、本来ならば女性が少ない神・社会において、カヤノに思いを寄せられるシルヴァスの方が、幸運に他ならないにも拘らず、カヤノは自分がシルヴァスにとって不足だと考える勘違いまでしていた。
運の悪い事に、冥界で美しすぎる女神・ハルリンドに、目をハートマークにしてしまった上司の豹変を目の当たりにしてしまった為、余計にその勘違いを確実にしてしまったのかもしれないが、アレは単に上司である因幡大巳が惚れっぽく、しっとり美女に特別弱かっただけである。
だが、人生(神生)経験が少なく、箱入りすぎるカヤノには、そんな判断ができるわけもなく、周りがいくら、カヤノを良く言った所で、自分は男性に注目してもらえるような娘ではないという考えを一段と深めてしまった。
もうここまで来ると、意外にも頑固なカヤノには、自身が告白をしてしまった相手であるシルヴァスに対して、恥ずかしさと居たたまれなさから、早々に離れる事しか考えられない。
彼から離れたい理由が、最初から比べて微妙に変化してきたものの…その思いに変わりなどない!
しかし、ようやく自分の養い子への思いが定まったシルヴァスからしたら、そんなカヤノを組み敷いて彼女の思いを聞き、自分から離れようとしていると知っても、それすらも可愛くて仕方がなかったのである。
特に彼女の泣き顔は、堪らなくイイ…。
(と、後日シルヴァスは語る。)
だから、瞬時に頭を働かせて、彼女に『賭け』を持ち出したのだ。
一般的に人間との賭けの勝率は、遊びで行う場合が多い為、五分五分だが…シルヴァスは賭けの勝敗など考えていないし、正直どうでも良かった。
現人神と言えど、カヤノに賭け事で負ける気などしない。
確かに賭けの勝敗によってはメリット・デメリットがあるが、そんな事はシルヴァスにとっては、カヤノへの表面上のパフォーマンスでしかなかったのだ。
そう…シルヴァスにとって重要なのは、この『賭け』を持ち出した事で、少なくとも勝負がつくまでの間は、カヤノが強引に自分から逃げる為、留守中にサルマンの元やセンターに助けを求めるような大胆な行動に踏み切る可能性がなくなる事だ。
シルヴァスは考えた。
無理に閉じ込めれば、カヤノは逆に、自分から逃げる事で、毎日、頭をいっぱいにしてしまう。
かと言って、彼女の自立を承認する事はできない。
だが、自分の知らない所で、コソコソと見合い活動や外出をしたり、良からぬ事を画策されるのも面倒だ。
保護者という立場上、彼女が卒業するまでは、本格的に手を出す事は控えなければならない。
サルマンの電話の件もあるし、むしろ、自分は自由だと錯覚させて泳がせた上で、秘密を減らさせる状況に持って行くのが一番良い…。
賭けをしている間は、カヤノは夢中になって、自分に紹介する為の夫候補を探すに違いないが、自分のテリトリーから、少なくとも卒業までは出て行こうと小細工する事もなくなるだろう。
プラスして、カヤノがうまく行かずに夫探しを諦めれば、なお良いし…その間は自分も全力を出してカヤノにアプローチをすると自然の流れで宣言し、本人にもそれを了承させた。
男性恐怖症がぶり返しつつあるカヤノが、夫探しを諦める可能性は充分あるし…仕事で自立する件に関しては、今の所、サルマンの申し出以外は絶望的だろうとシルヴァスは思い量る。
サルマンはもしかすると、シルヴァスを無視して教え子の為に仕事先を斡旋してくるかもしれないが、カヤノが冥界から戻ってから訪問してもらっていた医師から、精神面の観点を持ち出してドクターストップをかけてもらう約束を既に取り付けている。
その医師を経由して、シルヴァスは現人神統括センター認定の病院から専門医の診断書も入手してあるのだ。
それをつきつければ、卒業しても向こう1~2年は保護者関係の延長が求められ、シルヴァスの養い子に勝手に職を斡旋しても撤回させる事ができる。
そもそも、今はカヤノにはシルヴァスと始めてしまった『賭け』があるので、就職活動などする暇もなくなったのだが、賭けを持ち出す前にシルヴァスは既に速攻で予防線を張って回ってたのだ。
今後もサルマンは邪魔だが、これに関しても敵が一点に絞れたようなものだから、排除しやすくなったとプラス思考で捉える事にする。
「さあ、遠慮なく彼女を落としに行こうではないか…。」
シルヴァスは心の中で、そう自身に語りかけ、仄暗く笑んだ。
結果的に卒業を機に、カヤノが賭けに負けてくれれば、自分のものになる事を認めさせられるし、仮にもカヤノが勝つなどという事はありえないとシルヴァスは絶対的な自信を持っている。
既にシルヴァスは、『賭け』に関して手を打っているのだから…。
☆ ☆ ☆
そうとは知らないカヤノは、洗面所から出ると、意を決してシルヴァスが既にいるであろうリビングに足を進めた…。
「カチャリ。」
廊下の正面にあるLDKに続くドアを開けると、カヤノが思っていた通りシルヴァスは既に待機していた。
「おはようございます。」
カヤノは、いつも通り朝の挨拶を口にした。
…が、同時に目を丸くした!
「シ、シルヴァス⁈」
上ずったカヤノの声を聞きながらも、シルヴァスは女性なら老いも若きも、うっとりするような甘い笑顔で彼女を迎える。
「おや、お目覚めですか?僕のお嬢様。」
どこの乙女ゲームか、夢見がちでイタイ恋愛小説かというようなセリフを口にするシルヴァスの格好は、どう見ても執事服姿だ!
その執事服も…よく執事喫茶やコスプレのソレではなく、かなり本格的な…いや、本物の…いやその上を行くような上質の誂えで…シルヴァスが身に付けるとクオリティの高さから鼻血を噴きそうで直視できない…。
しかも、髪型も昨日までのフワフワ、ユルカール系の左右対称カットから、現代風アシンメトリーヘアに変化しているではないか!
「何コレ…?パーマなの?ストレートパーマでもかけてるの⁈フワフワクルクルしてないわ!!」
どこまでも人間思考の…というか神の血や力をかろうじて受け継いでいても、カヤノはシルヴァスと違って完全な人間である事にも代わりなく…容姿の変化が即・美容院に辿り着くあたり、神様観点で全くモノを考えられていない現人神とは名ばかりの少女である…。
朝の挨拶から、絶句して次の言葉の出ないカヤノに、シルヴァスは近付いて手を取り、そっと朝食の席までエスコートしてくれる。
いつの間にか四角いダイニングテーブルが円形に転じて、中央にはむせかえる程の花々が花瓶に飾られていた…。
その甘い香りに、カヤノはクラクラとする。
「部屋まで迎えに行こうと思っていたのに…。可愛いカヤノの寝起きの顔が見られなくて残念だな。今日もとっても可愛らしいよ。さあ、今、朝食を準備するから…イイ子で座っていて下さいね?」
言葉遣いも所々、丁寧になっているシルヴァスに、パクパクと言葉にならない言葉を出そうと口を開くカヤノは、案内されたダイニングセットの椅子に腰を掛けながら、リビングダイニングの様子に驚きを隠せない。
なぜなら、部屋が一夜にして、すげ変わってしまったように別世界になっていたのだ…。
昨日までは、爽やかな白を基調としたアーバンスタイルのマンションの一室だった筈なのに…ドアを開けた瞬間に、執事服のシルヴァスに合わせたようなヴィクトリアン調の家具と照明器具に室内は埋め尽くされ、絵画や食器までもが入れ代わっていた。
「一体…どうやって⁈」
思わず口をついた言葉は、その一言である…。
シルヴァスは、跪いてカヤノの指先にキスをすると、優雅に立ち上がりウィンクして言った。
「恋する男は魔法使いさ。カヤノは僕のお姫様だからね。僕がいる時間は君の世話は僕がするよ。世話をするのに王子様の格好ってのも変だから、今時、古いけど執事に扮してみた。早速だけど、今朝は何が飲みたい?」
シルヴァスは確か風の精霊だよね?
いや、それは間違いで、実はランプの精だったとか⁈
「えっ?あっ…私は別に、何…でも…。」
「僕は先にコーヒーを飲んだけど…室内の雰囲気的には紅茶が合っているから、宜しければ淹れて差し上げる。他にもフレッシュジュースやミルクもありますよ?」
「じゃ、じゃあ…。」
と言いかけて、カヤノは一瞬、脳裏に本物の執事さながらに、自身の前でティーポット片手に紅茶を淹れるシルヴァスの姿を思い浮かべた…。
そんな姿で、『どうぞお嬢様』などと、かしずかれながら紅茶を口にするのは、正直、刺激が強すぎるのではないかと気付き懸念する。
ダメだ!紅茶はダメだ!!
きっと、私は冗談ではなく、鼻血を噴くに違いない!
カヤノはそう思って、急いで首を横に振り直した。
「いえ、フレッシュジュースでお願いします!」
カヤノは考えた…。
ジュースならきっと、台所でミキサーにかけて、グラスに入れた後に運ばれてくるだけだろう。
その方が、彼との接触時間も少なくて済む!
(少なくとも紅茶のように、セット一式ワゴンで運んできて、目の前で淹れてくれたりはしない筈!)
カヤノのオーダーに頷いて、シルヴァスは『かしこまりました』と爽やかに微笑み、キッチンへ向かう。
それから、シルヴァスが仕事に向かうまでの間。
カヤノは拷問じみた甘美の世界に翻弄され続けた…。
目の前の給仕は勿論、魔神の件でケガが酷かった時のように、シルヴァス自らの手で食事を食べさせられそうになったり、フレッシュジュースを口移しされそうになったり…膝の上に乗せられそうにもなったし、とにかく尋常ではない糖度の奉仕を朝っぱらから受けるのだ。
『もう、ここはどこだ⁈あなたは誰だ⁉』と叫びそうになる。
一々、どこかの店のそういうサービス並みの行為が施されるのだ。
カヤノは危うく、シルヴァスにお金を渡さないといけないのではないかと、錯覚すらした。
彼が仕事に行く際、この執事ごっこが終了するに至っては『お会計お願いします』と口にする所だった。
しばらく、シルヴァスの尋常ではない接客…いや、本気のアプローチに責められ続け、カヤノの精神状態がピークを迎えそうになる頃に、ようやく彼の出勤時間が近づいて、カヤノはシルヴァスの腕から解放されたが、それまでは美形でなければ、セクハラだと訴えられそうなくらい、抱いたり撫でられたりと体に接触され、カヤノの理性は崩壊寸前で、終始、目を白黒させ続けるハメになった。
彼がやっと『時間だ…』と呟いた時には、心底ホッとしたものである。
シルヴァスは、一瞬にして人間の会社員さながらのスーツに身を包み、髪型だけ直し忘れたのか、そのままで、カヤノの顔を残念そうに見詰めて、頬に淡いキスを落とし『行ってきます』と耳元で囁いた。
そのしぐさが実に、今までの上を行く甘さで…カヤノは冷や汗を掻いた。
『こんなのが…毎日、続くの⁈』
シルヴァスはドアの前で狼狽えながら見送るカヤノに、
「そういえば、今朝は制服なんて着てるけど、早速学校に行くのかい?」
と、まるで行動を呼んでいたかのように、余裕の表情で聞いて来た。
カヤノは、カチーンと固まったようにカクカクした動きで頷いている。
「へえ、そう。わかりやすくていいね。」
何となく、一瞬、雰囲気が変わったような気がしたが、すぐにシルヴァスは、元通りの甘い表情を浮かべてふにゃりと笑う。
「何だか、人間の新婚さんぽいよね…僕ら。えへ。」
最後にそう言い残すと、きっとかなり年上だと思われる保護者様は、お茶目に手を振った。
「新婚さんだからって、朝から執事ごっごする夫婦ばかりいないと思うわ⁈」
カヤノは心中で叫んだが、年齢不詳なのに妙に子供っぽいその行動が…またカヤノの心を刺激する。
「私を萌え死にさせる気かしら⁈」
ドアが閉まった途端のカヤノの第一声はそれだった。
シルヴァスが朝食の支度をしながら、カヤノの姿を見て、今日の予定を察するのはわかったが、カヤノは約束通り、出がけに問われると正直に学校に行く事を告げた。
あんなに出掛けると心配していたシルヴァスも何も反対はしなかった。
賭けのルールは早くも守られている。
「宣言通り、朝から糖度が増して、異常に甘やかされた…。」
カヤノはシルヴァスが去った後も、しばらく、変わり果てたリビングのソファに腰を下ろしたきり、何かする前から精神的に疲れすぎて動けずにいた。
シルヴァスから受けた衝撃は大きく、カヤノのやる気を削ぐものだ。
「もうこのまま、彼に甘やかされて、されるがままに囲われていたくなる…精霊、怖い。」
カヤノの脳内では、朝から養い親様に受けたサービスシーンの数々が再現されている。
一人呆けること数十分…部屋を所在なく、ウロウロと行ったり来たりして数十分。
このままでは午後になってしまうと午前8時を回った頃に、予定通り学校に繋げてある異世界転送扉を開けて、異空間に設置されている学校へと、ようやく足を運ぶ。
☆ ☆ ☆
カヤノが自分のクラスに顔を出すと、学級委員の子と単位が少し足りない同級生の二人がいるだけで、他には誰もいなかった。
カヤノが二人に声を掛けると、サルマンは今さっき、職員室に戻ったと教えてくれた。
彼女達に礼を言い、職員室のサルマンの元に訪れ、現在の状況を急に初対面に戻ったように、ポツリポツリと担任に話すと、サルマンは職員室内で人目も憚らずに大いに慌てた。
「な、何ですって⁈アンタ…それで、シルヴァス先輩と賭けをしているって言うの?」
「はい…。」
サルマンの荒げた声に、カヤノは委縮した。
いくら慣れた担任で女性っぽいしゃべり方をしても、背の高いサルマンに声を張り上げられると、怖いような気になるのだ。
それを見てサルマンは、『しまった』というようなしぐさをして、今度は声を殺しながらカヤノに言葉を掛ける。
「まさか…アンタは…今度は精霊と契約をしたって言うの?魔神の次は精霊?ついこの間、冥界で酷い目に遭ったばかりなのに…いくら何でも、軽はずみよ。」
「で、でも…シルヴァスは魔神と違うし…精霊は邪悪ではありません。」
「邪悪ではないけど…奴らは融通が利かない所があってね…昔話では人間に一杯食わされるようなマヌケな奴もいるけど…基本は賢くて、賭けには負け知らず…遊び感覚で人や現人神を翻弄するわ。」
「遊び感覚…で、ですか?シルヴァスはずっと…私の保護者だったのに?」
カヤノの頭の中では、駆け引きを楽しむような昨日のシルヴァスの顔が思い出されて、サルマンに擁護めいた事は言えなかった。
「彼の腹なんてアタシは知らないし、全くそうではないかもしれないけど…精霊が楽しい事が大好きなのは事実でしょ?」
「そうですね…。」
「それより、シルヴァス先輩が教えなくても学校で習ったわよね?むやみに書類にサインしてはダメだと…いくら信頼する相手でも即座のサインはいけないと、去年、アタシが教えたの忘れた?アンタ、これは人間社会だって同じだからね。」
担任の指摘にカヤノはキュッと下唇を噛んだ。
サルマンは、カヤノの言葉の中でシルヴァスに対する敬称が消えている事に、瞬時に気付いて片方の眉を上げる。
「アンタの話じゃ、先輩は賭けに負ければアンタを自由にすると言っているみたいだけど…アタシはそれがしっくりいかないわ。あの男がそんなに簡単にアンタを諦めるのかしら?」
「きっと…シルヴァスは、私なんかに求婚してくれる現人神がいないと思っているのかも…。」
「バカね…カヤノ。そんな事は絶対ないわよ。というか、それよりアンタ…結婚相談センターに見合い登録したってのは、本当なの⁈」
「あ…ハイ。そうでなければ、私に結婚なんて無理ですから…初対面の男の人には、今、先生に話しているみたいに普通にしゃべれないですし。」
サルマンは手で額を押さえて、いつもより深刻に溜息をついた。
「ハアァァァッ。カヤノ…アンタは本当にバカな子ね。何かあったらアタシに相談しなさいって、あれほど言ったのに!変な契約してから、知らせて来るんですもの。」
シルヴァスにも連呼されたバカ呼ばわりを、サルマンにもされて、カヤノは目尻に涙を溜める。
孤児院施設からシルヴァスの元で暮らし始めてからの間、シルヴァスにもサルマンにも『バカ』などと言われた事は、今まで一度もなかったのに、ここに来て急に二人が同じように自分をバカだというのだ。
『なぜ、二人は揃って、こんなにも自分をバカ、バカ、と言うのだろうか?』
カヤノは全く意味が分からず悲しくなる。
しかし、カヤノがそんな表情を浮かべても、普段とは違う今日のサルマンは、何もフォローの言葉をくれなかった。
何か言い返せるような雰囲気ではないが、それでも弁解をしなければいけないような気がして、カヤノは昨日の自分の状況と考えた事を口にした。
「先生、ごめんなさい。でも、シルヴァスは怒ってたし…このまま逃がしてくれないって言うから。賭けに負けても今と状況が同じなら、やった方が得だと思ったの。私が勝てば自由にするって約束だし。」
「それでも…アタシに相談してくれれば…。先輩には保留にしてもらって、彼の留守にでも、電話してくれたら良かったじゃない。何事も結論を急ぐのは得策でななくてよ?」
サルマンは、完全にカヤノがシルヴァスにうまく言いくるめられたのだと悟り、眉間にシワを寄せた。
「シルヴァスは保護者なのに…先生が間に入って、何かできたりした?」
無知で純粋なカヤノの素直な疑問の言葉に、サルマンはグッとなる。
確かに養い親が養い子にアプローチをする事は認められているし、むしろ、優先的にその権利があるのだから、担任が出て行った所で、暴力を振るわれたり、無理矢理、体でも奪ってない限りは、文句のつけようがない。
「いや、在学中は無理ね…。」
だが、卒業後、カヤノがハッキリとシルヴァスを振り、センターに保護者の求愛に応える気がない事を訴えれば、シルヴァスから完全に離す事も可能になる。
元々、成人して学校さえ出れば、現人神として一人前と認められるのだ。
養い親の元にいるのもいないのも、自分の意志が最優先になる。
現時点でネックなのは、カヤノの場合、自立が難儀な事だが、保護者の求愛に応えられない事を示せば、それを考慮して統括センターから、何らかの保護を受けられるだろう。
きっと、カヤノにはそこまで頭が回らなかったのか…知らなかったのか…だが。
『だから、自分に相談をしてくれれば、保護者不要になる卒業を機に、シルヴァスとの間に入り、助け出す事が出来たのだ!』とサルマンは心の中で声を大にした。
卒業するまでの辛抱だった。
そういう事情があり、自分にカヤノが接触する前にシルヴァスは、この賭けを持ち掛ける事にしたのだろう…相変わらず抜け目のない先輩だ。
奴の思惑に思いを馳せれば、本人の言うように賭けをした方が得どころか…むしろ、ちょっとした精霊の脅しを鵜呑みにして、賭け』をしたせいで、負けたらシルヴァスを受け入れるなどというデメリットを背負い込んだのだという事実に、カヤノは気付きもしない…。
サルマンから見れば、本来は逃げ切れる筈だったものを…何らかの契約にサインをしたのだと想定される事から、カヤノは賭けに勝たねばシルヴァスから逃れる事ができなくなったのである。
『賭け』はカヤノへの足枷以外の何物でもない…。
カヤノは知らぬ間に精霊に枷をつけられて、その中で逃げようとしている状態なのだ。
逃げ出す為の条件は、十代後半そこそこで卒業までに誰かと婚約をしなければいけないという、精霊の遊びそのものの悪質なものである。
どう転んでも、精霊以外、賭けた相手には大したメリットなんてないように見える。
サルマンは、自分が受け持ち、何年もかかって一人前にする為に指導して来た生徒の一人を、卒業間近早々に間引かれるのは、非常に不愉快だと感じていた。
おまけに教師でありながら、自分はカヤノを生徒としてだけではない理由でも、気に入っているのだ!
このままではカヤノは、意に添わぬ相手と婚姻を結んでしまう。
サルマンにとっては、それがシルヴァスか…単に他の男神かの違いで、どちらでも大差ない。
だが、カヤノにそれら一連の事を説明する気にはなれず、サルマンは頭痛がしてくるのを堪えながら彼女に言った。
サルマンには、それしか彼女を救える方法が思いつかなかった。
「とにかく、アンタが保護者の元を離れる為には、何が何でも賭けに勝たないといけない状況になったわけだから…アタシがアンタの相手になるって言うのはどう?」
「え?」
カヤノはサルマンの言葉に、みるみる目を丸くした…。
「仕方ないわ…カヤノ。アタシは、もう少しアンタには社会に出て、色々経験してもらいたいと思ってたけど。先輩以外の相手なら誰でもいいって言うのなら…アタシにしなさい。」
次回更新は火曜日予定です。
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