春の嵐と恋の風㊱
カヤノにとって、嵐はまだまだ過ぎ去らない模様。
「賭け…ですか?」
唐突な事で一瞬、ポカンとした後に、カヤノはシルヴァスに聞き返した。
カヤノに視線は向けず、食後の後片付けで鍋を洗っているシルヴァスが彼女に答える。
「そう。僕は愛する君と結ばれたい。君は僕が好きだと言ったクセに、僕の傍から離れたいと言う。だからさ…このままだと、平行線だろう?」
「…そうですね。」
カヤノは少し警戒した。
精霊の持ち出す賭けは、昔から何か裏があると相場が決まっていると思ったからだ。
それは、おとぎ話の世界での話だが…。
ここでカヤノが普通の人間の少女だったら、簡単にシルヴァスの話に乗ってしまうのだろうが、あいにくカヤノは、曲がりなりにも現人神として成人を迎えた。
そう易々と首を縦に振ったりなどは、断じてしない。
学校ではかじった程度だが、精霊や精霊系・現人神についても習ったのだ。
疑い深い目を向けるカヤノの視線に気付いたのか、シルヴァスは鍋を洗い終えて振り向くと、カヤノの顔を見るなり、おかしそうに言葉を続けた。
「アハハ、何?その顔。僕が何かズルでもすると思っているの?」
目を線のように細めて、眉にシワを寄せるいるカヤノの顔を見て、耐え切れずと言った風にシルヴァスが吹き出した。
そんなシルヴァスにカヤノは、表情を変えずに眉間をヒクつかせて言った。
「そういうわけでは…。でも、私は賭け事が好きではないですから。」
「そう?僕は結構、好きなんだけどね。」
それはそうだろう…。
精霊系の者は皆、本当に賭けが好きだ。
特にシルヴァスのように、風の系列の外国から帰化したような精霊は、ソフトで優しい部分もあるが、本来がイタズラ好きな上に遊び好き。
『それはもう…人間化して体現した後も、賭けだって息を吐くように自然にやるのだろうな…。』
と…カヤノは思い、シルヴァスがたまに仕事帰りに、酒場でべろべろに酔って帰って来る姿を想像しながら、細い目を更に線にした。
途中、シルヴァスに『それ、見えてんの?』と揶揄られても、細い目を開かせる気にはなれない…。
うっかり賭けに乗らないようにしようと、依然、警戒するカヤノに、シルヴァスはもう一度、声を掛けた。
「でもさ…カヤノ。さっき、僕は言ったよね?もう僕なしで外出したらダメだって。僕、昼間仕事だし…一人の外出を禁じられたら暇だろう?君が僕の特性を知っているせいで、賭けについて否定的なのなら…僕が禁じる事も、絶対だっていうのもわかるよね?」
そう、精霊の約束は絶対だ。
ちなみに『契約』は更に厄介で、なお一層確実に『絶対』である!
一度、結んだら、滅多な事では破れない…。
シルヴァスが絶対に外出禁止だと言ったのなら、それは恐らく、守らなければ何らかのペナルティを科されるのだろう。
一方的に放たれた言葉でも、先程のシルヴァスの言葉には『呪』が含まれていた。
正直、精霊は気まぐれで気の良い部分もたくさんあるが、本人が言うように怒らせれば、怖い存在でもあるのだ。
(それは、大和皇国の元からいる神々の系列の者よりも、時に残酷な所があるのだという事までは、学校でかじった程度の知識しかないカヤノには知る由もないが…。)
カヤノはシルヴァスに問われた事に対して、反抗を示す事は得策ではないと考え、おずおずと返事をした。
「勿論、わかっているわ。シルヴァスが言うのなら、勝手には外出しません。」
カヤノの言葉に、満足そうに口角を上げたシルヴァスは、話を続けた。
「フフ、わかってるみたいで良かった。カヤノを信じるよ。僕の言う事を聞かないと代償を伴うからね!それと…僕が君を絶対に逃がさないって言った事に関してはどうする?」
「え?」
「僕は君を逃がさないし、外出も勝手にさせないんだよ?君だって、精霊の言いつけを守らない養い子がどうなるのか…知りたくはないだろう?どうせ、碌な事にならないんだから!」
『アハハ』と笑うシルヴァスに、カヤノは今まで、決して見る事のなかったシルヴァスの本質を垣間見た気がした。
「大和皇国でも言霊って言う概念があるだろう?精霊も言葉にある種の呪を込める事ができる。普段は滅多に発動したりしないんだけどね…今回は特別。君を失いたくはないからさ。僕はもう、先程の君への言葉に呪を込めてしまったよ。」
「やっぱり!」
大いに引きつるカヤノをよそにシルヴァスは、いつになく楽しそうだ…。
言葉の端々に呪を込めて来るなんて…。
これからはシルヴァスとの会話には、細心の注意を払わなければならない…。
小さな言葉の一言一言に制約や契約が生まれるなんて…本当に精霊の力は恐ろしい。
この手の力は、精霊がお気に入りの人間に大昔から、よく使う常套手段でもある。
精霊は何の気なしのおしゃべりの中で、相手が知らず知らずのうちに気に入った人間を自分のモノにする為に言葉の契約でがんじがらめに縛ってしまうのだ。
そして、交渉や駆け引きが大好きな連中なのである。
現人神化したシルヴァスが、そうした精霊臭さを出した事はあまりなかったが、なぜかここに来てカヤノに固執し始めた保護者様は本性全開だ…。
カヤノは、シルヴァスに気を許さぬように、改めて気を付けなければならないのだと、気を引き締めて自身に言い聞かせた。
今までのシルヴァスは、現人神と言われるような能力を持ったフワフワした優し気なだけの過保護で気の利く、子供好きな人間味の強いお兄さんだった。
でも今のシルヴァスは、精霊の顔を全開にした自分との駆け引きを楽しむ妖しい人外そのものである。
それでもカヤノは、他の男性に感じるような恐怖心をシルヴァスに抱く事はなかった。
その事について、複雑な感情を拭えないでいる…。
だが、その代わり、人外らしいシルヴァスの雰囲気には、ゾクリと背筋に駆け抜ける感覚があり、心が落ち着かなくなってしまう。
その為、シルヴァスが次の言葉を掛けようとカヤノに一歩近づいた所で、カヤノの体はビクリと揺れてしまう。
シルヴァスは、怪訝に眉を顰め、肩をすくめた。
「そう怯えないでよ…君が言いつけを守れば、今まで通り怖い事なんてないんだから。話を元に戻すだけだよ?」
カヤノを安心させるように、少しだけ人間らしい表情を作り出して、シルヴァスは詳細について話し始めた。
シルヴァスの言い分はこうである。
自分の言いつけを守る事は、とても窮屈なので、さすがのシルヴァスも気が引ける。
本来、自分はカヤノを閉じ込めたいだけではないし、末永く仲良く暮らしたいので、嫌われたくない。
そこで賭けを思いついた!
賭けをして、負けた事で相手の条件を呑むのなら、お互いがフェアだし、その方が互いに諦めがつくというものだ。
賭けにより、カヤノにシルヴァスの思いを受け入れさせれば、カヤノ自身も仕方がないと納得するだろう。
その代わり、カヤノが勝てば、彼女の望み通りにシルヴァスの元を去る事ができる。
シルヴァスにとってはリスクになるが、賭けにリスクは付き物だ。
要はシルヴァスは、自分が勝てばカヤノに文句を言わさずに従わせる事ができ、無理矢理に自分の思い通りにするよりも得る者が大きいと判断したのだ。
リスク覚悟でそんな事を言うシルヴァスは、余程、自信があるのだろうと…カヤノはシルヴァスに向けて不審そうな視線を送る。
そんなカヤノの視線を誤魔化すようにヘラリと保護者様は笑った。
そして、シルヴァスは、賭けをすれば先程の言葉の呪により、精霊にこれから先、軟禁同様の生活を強いられる可能性を回避できると巧妙に付け加えて、カヤノを誘惑するように囁いた。
賭けの条件は、カヤノが勝てば、彼女には『自由』を与えるものなのだから!
そう話しながら、その賭けがどういうものなのか、シルヴァスは次に内容についても語る。
それは…これからカヤノが現人神養成学校の卒業式を迎えるまでの間。
カヤノと結婚したいという現人神をシルヴァスの前に連れてくれば、『カヤノの勝ち』というものだった!
その為には、センターのお見合いを利用する事も許可するとシルヴァスは言った。
それに伴いシルヴァスは、その賭けを行っている間の門限を20時とし、それまでは危険と判断される事のない範囲でカヤノに自由を与えると約束もした。
その代わりに、勝手に外出をしないという約束だけは守るようにと念を押す。
自由だけど…行先はきちんと自分に示すようにというわけだ。
その代わり、行先さえ示しておけば、どこに行こうと一般的に危険な場所でさえなければ、シルヴァスは今までと同じように自由にさせるし、『止めたりしない』というのである。
そして、その賭けの間にシルヴァスは、カヤノを全力で誘惑すると宣言した。
「もう一度、君の心を取り戻して、その間違った認識を変えてもらう。僕が本気で君を愛してるって知ってもらいたいし、自信を持って僕の傍にいてもいいって事を君にわからせてみせる!」
シルヴァスの方からすると、自分がカヤノを落とした時点でも、賭けは終了するのだそうだ。
カヤノがシルヴァスの思いを受け入れれば、卒業を待たないでも、その時点でシルヴァスの勝ちというわけだ。
だから、その間、シルヴァスがカヤノにアプローチを掛けるのは自由という事になった。
その代わり、夜の9時を過ぎたら、シルヴァスは自分の部屋に入って、その日のアプローチを終了すると誓う。
話を聞いて、カヤノは考えた。
シルヴァスが言う通り…その賭けに乗らなければ、彼は自分を決して離さないし、自由に外出もさせないと呪いを込めた精霊の言葉を吐いた。
それならば、カヤノの今後の自由は存在しないではないか。
それは、シルヴァスに恋するカヤノからすれば、甘美な呪いだとも思ったが…現実を考えたカヤノは、大好きなシルヴァスには幸せになってもらいたいし…その為には自分は相応しくはなく、自身がハルリンドと比べて悲観しない為にも、この恋に終止符を打って離れるという判断を貫かなければならないと考えていた。
しかし、自由な外出ができなければ、これから先、シルヴァスから離れる事など不可能だし、決して離さないと言われてしまえば、精霊の甘美な檻に閉じ込められる可能性も想定される。
シルヴァスに自由を奪われた所で、カヤノの知り合いは学校の友人くらいしかいないのだから、彼女達がカヤノが顔を見せない事で心配して訪ねて来ても、保護者が会えないと言えばそれまでだし、卒業後もカヤノの動向を細かく気に掛けるほど親しい付き合いをしているわけでもなく、学外でもそのような知り合いや親戚もいない。
カヤノは就職しないし、体調が思わしくないとシルヴァスが周りに説明すれば、誰にも怪しまれる事なくシルヴァスはカヤノを閉じ込める事ができてしまう。
つまり、このままだと、カヤノはせっかくセンターのお見合いに登録しても、お見合いの為に外に出られないのだ!
それでも、シルヴァスなら飄々と『僕は何も君に登録を辞めさせたわけじゃないからね!』と悪びれずに笑うような気がする…。
実質上は利用できないのだとしても…。
考えれば考えるほど、カヤノにはシルヴァスの賭けに乗る事しか選択肢がないように思えて来た…。
賭けに勝ちさえすれば、自分の思い通りの道に進めるし、勝機が見えなくても、卒業までの間、自由が失われるよりはずっといい。
賭けに応じれば、その間、先程までの言霊はほぼ無効になる同然だ。
門限である20時までの自由時間があれば、お見合いに行く事もできるし、その間に誰かに助けを求めて自分の現状を相談し、対策を練る事もできる。
すっかり食器洗い乾燥機にシルヴァスが、二人分の汚れた器をセットし終わるまで、カヤノはあれこれ考えて、ようやく彼が持ちかけて来た賭けに乗る事を決めた。
カヤノが長い時間をかけて決断をすると、シルヴァスは苦笑いをして言った。
「随分、長く思案していたね。カヤノは慎重で疑り深いなぁ…。さて、それでは契約と行こうか!」
「け、契約ですか?」
「勿論だよ。賭け事に契約は付き物だろう?そうでなければ、お互いに反故にする可能性があるからね!さあ、ここにサインしてくれ。」
シルヴァスはそう言って、何もない空間に手をかざし、魔法のように、いきなり紙と羽ペンを出した!
一見すると、何も書かれていない白紙のようだったが、シルヴァスがその用紙の下の方を指差し、食堂のテーブルの上に置くと、ここに署名をするようにとカヤノを促した。
シルヴァスが指し示した場所の上には、既に彼の名前が記入されており、その下にカヤノのサインを書く欄が現れる。
カヤノは白紙に、何の疑いもなく自分の名前を書いた。
魔神の時は嫌々、させられたサインだったが…現人神に体現するほどの高位の精霊の契約ならば、それほど邪悪な内容を取り扱ってはいないだろうと思ったのだ。
それに契約内容は、今、シルヴァスが教えてくれたばかりだ。
シルヴァスはカヤノが署名を終えると、『フフ』と上機嫌に笑みを零し、テーブルの上にあった用紙を取り上げて、瞬時にペンと共に消し去った。
「これで契約は完了だね。今から賭けが始まるよ…。」
カヤノはゴクリの喉を鳴らした。
シルヴァスはその様子を見て、カヤノに優しく囁いた。
「とはいえ、今日は君にとって散々だっただろうからね…。もう夜の9時になるし、今日は僕のターンは終了。君は、お風呂に入って寝るといいよ。賭けは明日からのスタートにしよう。」
シルヴァスの申し出にカヤノはホッと息を漏らす。
いきなり、賭けが始まったと言われても、カヤノはどうしたらいいのか戸惑うばかりだ。
1日置いて、次の日からだとわかっていれば、心の準備もまだしようがあるというもの…。
シルヴァスは、そんなカヤノの心中を、察したように優しく微笑んだ。
「さぁて、明日からは、僕も君の事を今まで以上に蕩けさせて、この手を取ってもらうように頑張るからね!覚悟して?」
シルヴァスは、そっと小さなカヤノの手を取ると、掌に唇を寄せた。
「じゃあ、今日はゆっくりおやすみ…僕のお姫様。」
カヤノは、カアァッツと顔を熱くさせて、手を引っ込めた。
そして、思った…。
『賭けは、明日から始まる筈じゃなかったの⁈』と…。
それからカヤノは、少しどもって、
「お、お言葉に甘えて…お風呂に入ってきます!!先に入らせてもらってスミマセンが…明日は、シルヴァスが先に入って下さい。それでは、おやすみなさい!」
と、言い残すと…すぐにシルヴァスから背を向けて、自分の部屋の方に一目散に着替えを取りに行った。
その後、風呂から上がったカヤノは、ベッドの中でシルヴァスの唇に触れられた掌を眺め、今日あった出来事を思い出す。
そして、そっと指先で自分の唇をなぞった…。
「シルヴァスに…キスされちゃったわ…。」
ボソリと呟くカヤノは、掛け布団を被り『キャアァァァッ』と黄色い声で叫びたい衝動を我慢した。
思い出されるのは、今まで知らなかったシルヴァスの男性の顔…。
少し怖かったが、シルヴァスに触れられるのはドキドキするものの、魔神や他の男性に対する恐怖とは違うものだ。
そして、甘い言葉を吐かれる度に、自分は彼から離れるべきだと言い聞かせ、切なくなる。
何度も、彼の言葉に頷きそうになるが…カヤノは一度決めた事は、そう簡単に覆すべきではないと歯を食いしばった。
シルヴァスは嬉しい事に、自分の駄目な所を好きだとさえ言ってくれたが、そんな事に甘えられない。
彼の思いに応えれば、彼が自分を好きでいてくれようが、自分はこれから先ずっと、ハルリンドに対して卑屈な思いを抱きながら生活して行かねばならなくなるかもしれない。
カヤノはシルヴァスが自分を好きなのは、ハルリンドに振られた後に、たまたま自分がいただけにすぎないのだと思っている。
もしも、シルヴァスが彼女と結ばれていれば、自分など彼の目にも入らなかったに違いない。
仮定の話をし始めたらキリがないというのに、カヤノはシルヴァスの傍にいる限り、自分がいじけた気持ちの嫌な子になると感じていた。
「何とかして、シルヴァスとの賭けに勝たなくちゃ。お相手なんて、もう誰でもいいわ。シルヴァス以外なら!私でもいいって言ってくれる人(現人神)でさえあれば…。」
カヤノは半分、ヤケになっていた。
とにかく自分と結婚しても良いという現人神を見付けて、シルヴァスに会わせねば、自分は自由になれないのだ!
明日から始まるシルヴァスとの賭けの事を考えて、悶々とし始めたカヤノにとって、本日の夜は長いものとなった…。
私用で投稿時間がやや遅れ気味になりました。
土曜日は午前中に更新できたらと思っています。
本日もアクセス、ありがとうございました。




