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春の嵐と恋の風㉘

 カヤノ達が薬草摘みに出かけた後…。



飛んできたシルヴァスが、タッチの差でフォルテナ伯爵邸に、ようやっと辿り着いたその時。



丁度、妻にサプライズのつもりで、早く帰って来た当主のアステリオス・シザンザス・フォルテナ伯爵(コト)アスタ―と玄関の扉の前で、鉢合わせしてしまう!



「シルヴァスか⁉」



アスターは久々に会う友の姿に、目を丸くして開口一番、叫んだ。

急に掛けられるアスターの大きな地声に、シルヴァスも驚きで体を震わせてから口を開く。



「ゲッ!アスターじゃないか。屋敷の中じゃなくて、外で会うとは…奇遇すぎるな。」



正直、アスターとは親友だったが、ハルリンドを取られた件でシルヴァスは彼に対して、胸にしこりのようなモノを抱いていた。

表面上は、今まで通りに接していても、当然、面白くなかったのである。


その思いは、失恋の傷跡と共に長く続いていた。


シルヴァスとしては、心を寄せていたハルリンドには幸せになって欲しかったし、彼女を悲しい気持ちにはさせたくはなかったので、彼女の手前、今まで通りの態度を取っていたが、自分達の関係が未だギクシャクしているのは、お互いにわかっていた。


お互いに今まで通り親友だと思い込んで振舞ってはいても、心の底から完全に滞りを消すというわけにはいかず、シルヴァスが割り切れない思いを抱けば、アスターにもそれが伝わってスッキリしないという状態が続いていたのである。


だから、どうしても顔を合わせなければいけない時は、普通にしていても会わないで済むならば、できるだけ触れ合わないようにと、お互いに暗黙の了解で距離を取っていた。


会えば『気まずい』…それは、アスターも同じ気持ちだったと思う。

親友だった事で、相手の気持ちが余計にわかってしまう為、更にお互いの接し方は微妙になった。


カヤノを引き取ってからも、しばらく、そうした思いはくすぶっていたが、そのうちにカヤノがフォルテナ伯爵邸に行きたがらなくなった為、シルヴァスも滅多に冥界に行く事もなく、いつの間にかハルリンドやアスターの事が頭から消えていた…。


その代わり、日々、引き取った少女との暮らしに夢中になっていたのである。


根が子供好きな上に、フェミニストなシルヴァスには、カヤノの世話を焼く事が楽しかったのだ。


しかもカヤノは大人しくて、本人には言えないが…何事も要領良く熟すシルヴァスとは違い、不器用で一生懸命だ。


シルヴァスは、そんなカヤノを応援してあげたくなってしまう性分で、いつも気長に見守ってやっていた。

おまけに彼女は、不幸な事件に巻き込まれ、精神的にも傷を負った事で男が怖くなっていたのだ。


自分は、そんな彼女に唯一、怯えられないのだと思うと、シルヴァスの中では優越感のようなモノが芽生えたし、自分にだけ懐いて来る少女が一層、可愛くて、守ってやりたくて大事にした。


時にはカヤノ本人から、過保護だと指摘された事もあったが…シルヴァスは、カヤノを放っておく事ができなかった…。



 そこまで考え、シルヴァスはカヤノの現在の状況を思い出し、咄嗟に目の前のアスターの両肩をつかんだ。



「そうだ!アスター、ボヤボヤしている暇はないんだった!!聞いてくれ。」



いきなり、肩につかみかかられたアスター=伯爵が、驚いてシルヴァスに問い返す。



「お、落ち付け!シルヴァス…どうしたんだ?私にできる事なら、力になるから話してみろ。」



そう言って、玄関の扉を開け、中にシルヴァスを招き入れる。


シルヴァスはもう、過去の自分の思いなどを考えていられるような状態ではなかった。

今は、そんなもの、どうでも良かった。



そんな事より、早くカヤノの無事な姿を確認したい!!



シルヴァスはその一心で、アスターにカヤノに対してわかった事と過去のマッドチルドレンの所業を話した。

邸内に入った事で、慌てて迎えに出て来た執事も一緒にシルヴァスの話を聞きながら、マッド・チルドレンの行いに目を三角にしている。


そして、シルヴァスが話し終えた後、執事が早々に口を開いた。



「それは、大変です!シルヴァス様、カヤノ様は既に薬草取りに当家を出ています。アスター様、実はハルリンド様もそれに同行しています。終わったら、一緒にランチを取ろうとカヤノ様を屋敷に招いていましたから。」

(執事の声)


「何⁉ハルも行っているのか?せっかく驚かせようと思って、早く帰って来たのに!!」

(アスターの声)


「やっぱり、もう屋敷を後にしていたのか!こうしちゃいられないや。」

(シルヴァスの声)


「とにかく、早くカヤノ様を連れ戻しましょう!馬の用意を致します。」

(執事の声)



三人は三者三様の声を上げて、玄関から飛び出した!

執事の言う馬というのは、冥界ではシルヴァスがレンタルしたドラゴンの事を指す。

馬車を引くのは大きな馬で、冥界にも地上より巨大な馬が存在するには存在するが…ドラゴンに乗る事も総称して『馬』とも呼ぶのだ。


執事は急いで、既に帰ってしまったレンタル・ドラゴンの代わりにシルヴァスの分の馬代わりのドラゴンとアスターの愛馬であるドラゴン二匹を馬丁に言って準備させた。


アスターとシルヴァスは、馬丁がドラゴンを連れて来るのを待ちきれずに、自分達からドラゴン舎に出向いて、そこから直接、隣の領地に向かって飛び出した。


執事は飛び立つ主と客人のシルヴァスに、地上からハンカチ片手に手を振って、上空に向かって叫んでいた。



「いってらっしゃいませえぇぇぇ!お二人とも~、お気を付けて~~!!」



アスターは執事に向かって空から片手を挙げたが、その先を飛ぶシルヴァスは、執事に振り返る事もなく先を急いだ。



『どうやら、全く余裕を持てないらしい…。』

とアスターは、親友の姿に苦笑する。



以心伝心と言う言葉があるが、前回に会った時までは、アスターはシルヴァスが自分の愛するハルリンドへの気持ちをどうする事もできないのに気付いていて、友人として腫れ物に触るような居たたまれない気持ちになっていた。

シルヴァスが自分に対して考えている事が、手に取るようにわかったので、アスターの方も前のような気の置けない接し方ができないでいたのだ。


しかし、今、全く余裕を持てないシルヴァスを前にして、純粋に友として力になってやりたいと思っているし、シルヴァス本人が自分に真っすぐ『聞いてくれ』と言ってくれたのが嬉しかった。


こんな時だが、わだかまりのあった親友に頼られるのは、今まで自分の心にあった霧が一気に晴れていくような気分だったのだ。


今のシルヴァスの目には、自分の事もハルリンドの事も映っていない。

数年前に保護した少女の安否だけが、彼にとって重要な事なのだと伝わってくる。


友の目に全く自分達が映っていないというのも複雑な気持ちだが、それほどまでにシルヴァスが大事な存在を持てたというのは、アスターとしても嬉しい事だった。

その関係性までは、はっきりとわからないが…これほどまでに、懸命に彼女の為に動くのだから…『これはもしかしたら?』とアスターは淡い期待を抱いた。



『彼女は親友にとって、唯一の女性なのかもしれない…。

だとしたら、こんなに喜ばしい事はない!

もしそうなら、長年に及んでいた自分とシルヴァスとの関係性も変わって来るだろう。

うまくいけば、昔のような親友同士に戻れるのではないか?』



アスターはそう考えて、その為には、とにかくカヤノの安全を確保しなければならないと、シルヴァスの後を懸命に追った。



そして、シルヴァスのドラゴンを追い抜いた…。



アスターとて、一刻も早くカヤノとハルリンドの元へ到着しなければと思ったのだ。



すると、シルヴァスは追い抜かれた事に腹を立てたのか…今度はドラゴンを急かして、再びアスターのドラゴンの先に出た。

前方に出たシルヴァスは振り返り、ジロリとアスターを見ると当然のように言った。



「おい、順番を守って飛べよ。僕が先頭が好きだって事は、知っているだろう?」



シルヴァスの主張にアスターは不敵に笑う。



「何言ってんだ?早く着いた方が良いだろう?私は自分の好きなように飛ぶ。先に行きたければ、自分の実力で先に行けよ。」


「抜かしたな⁈」



二人は言い合いを繰り返しながら、互いに前を取り合うように飛行を繰り返した。


アスターのドラゴンが前に出ると、すぐにシルヴァスのドラゴンが隣に並んで、その場所を奪い返す。


二人のドラゴンは上空を絡み合うように、優雅な飛行で先を争った。


しかし、地上でそれを目撃した冥界の市民達には、二匹のドラゴンが空で踊るように絡み合って、楽しく飛んでいるように見えるのだった。



 シルヴァスとアスターの目は、いつしか、お互い競い合って楽しく過ごした昔のように、力強い輝きが宿っていた。



 ☆   ☆   ☆




一方、カヤノは、少年の後を追って、ハルリンド達の(そば)から離れていた。



足を痛めているので、ゆっくりと岩場を移動して完全に海辺まで出ると、少年が海の近くで立ち止まりカヤノの方を振り向いた。



「こっちだよ…お姉さん。」



カヤノは海しかない場所で、自分を呼ぶ少年に声を掛ける。



「ダメよ…そんなに海の傍に行ったら危ないわ。落ちたらどうするの?戻って来なさい。」



冥界の海は場所や時間によって、異界に繋がる事があると現人神養成学校で習った。

だから、海に入る時は冥界神の管理下にある海水浴場を利用しなければならない。

釣りやマリンスポーツの際も同様だ。


冥界神の知らぬ所や許可のない所で、うっかり冥界の海に入るのは危険以外の何者でもない。


ましてや、謝って落ちでもしたら大変だ。

自分は泳げないのだから、すぐに海浜公園に常駐している冥界神を呼びに行かねばならない。

だが今、自分は足を痛めているのだ。

ゆっくりなら戻れても、急いでハルリンド達に所に行って、冥界神を呼んで来てもらうようにお願いするには、時間を要してしまう。


カヤノは、少年に向かって、もう一度言った。



「早く、戻って来て!海は異界に繋がりやすいのよ?下の階層の亡者にでもつかまったら、あなたもこちらには簡単に戻れないの。」



冥界より下の界はいくらだってある。


魔界のみならず、罪人の集まる地獄や仏教の六道だけでも修羅や畜生道などがあるのだ。


いきなり天道に行かれなくとも、冥界で過ごせるなら、その方が良いに決まっている。



焦ったカヤノが、必死に自分の為に戻って来いと言ってくれているのが、少年にも伝わっているのだろう。


少年は、カヤノの声に体を少し揺らせて、一歩だけ彼女の方に踏み出した。


しかし、そこで停止して震える唇を少しだけ開いて呟くようにカヤノに言った。



「でも…でも、おか…お母さんがぁ…。」



まるで、怯えているかのような口調で、切れ切れに言う少年の言葉を耳にして、カヤノは聞き返した。



「えっ、お母さん?やはり、一人で来ていたわけではないのね?お母さんがどうしたの?もしかして、海に落ちてしまったの?だったら、大変だわ!早く、冥界神に知らせなくちゃ…。」



カヤノが焦って言うと、少年は首を激しく振った。



「違うの!違うの!冥界神に言ったら、お母さんの魂が食べられちゃうからダメなんだ!!」


「食べられる⁈」



少年の言う事が理解できずに、目を見開くカヤノがもう一度、口を開くと少年は言った。



「お姉さんを連れて来ないと、お母さんを食べちゃうって言われて…ごめんなさい。」



少年は、そこまで話した所で小さく泣き出した。

カヤノは、ただ事ではないと感じたが、とにかく少年を海辺から離そうと自分もそちらの方へ近寄りながら、声を掛け続ける。



「わかったわ…何か理由があるのね…でも、お願いだから、まずは私の方に来て。海の近くから離れてちょうだい…。こっちよ。」



カヤノの誘導に少年も一歩、二歩とカヤノの方に歩み寄った…その瞬間!



「バシャアァァァン!」



海面から爆音とともに何か巨大なものが姿を現したのだ!!



少年は、水しぶきと共に()()()()()の起こした爆風と飛び散る水の衝撃に、前につんのめって転びそうになる。

もう少しでカヤノの方に到達する所だった為、カヤノは思わず自分の痛む足を忘れて子供に駆け寄り、その体を支えようと抱きしめた。

しかし、足の痛みと思いの外、少年の体重があった事で、大柄とは言えないカヤノの体はバランスを崩し、少年を何とか守ったものの、自分の体を下敷きにして岩場に打ち付けてしまう。

(たま)らぬ激痛の中、カヤノは少年だけは守ろうと水しぶきの上がる大きな岩盤の上で、子供の体を自分の腕に覆い、ギュッと抱きしめた。


しばらくカヤノは、そうして少年を強く抱きしめながら、丸くなって倒れていた。


最初、仰向けに近い状態で体を岩盤に体を打ち付けたので、眉間より後ろ側の側頭部と右肩から背にかけて、カヤノの体は数十秒遅れの激しい痛みに襲われ始める。

全くの仰向けでなかったのは、不幸中の幸いだ。

もし、カヤノの体が少し横向きで体勢を丸めていなければ、後頭部を強く殴打していた事だろう。

肩や腕の方が先に地面に着いた事で、頭への衝撃が減ったのだ…。


しかし、それでもカヤノは痛さのあまり、少年を抱きしめる手も汗ばんで、『大丈夫か?』と安否確認の為の声を掛けてやる事もできなかった。


そんなカヤノの状態を確認した、海面から飛び出した()()が、笑いを含んだような薄気味悪い声帯を震わせ、カヤノに向かって言葉を放つ…。



「久しぶりだな…グフフ。」



聞き覚えのある低すぎる無機質な音に、カヤノは恐る恐る目を開けて、そちらの方向を見た。



そこには、地上では見た事もないような巨大なサメが、冥界の海から体半分ほどを出して、カヤノ達を覗いていた。



「サメ…⁈」



子供を抱えて倒れたままの姿でカヤノは言った。

ズキズキとするほど頭を打っても、思考は無事だし意識はクリアだった。


カヤノのその声が聞こえたのだろうサメは、クワッと大きな口からギザギザな歯を剝き出して、少し大きな声で反応を示した。



「俺はお前の亭主だぞ⁈()()呼ばわりするな!はるばる、迎えに来てやったというのに。魔界から接点のある冥界の場所を探るのには、この姿の方が都合が良かったんだ!!」


「サメじゃないの⁉」



カヤノが再び驚いたような声を上げると、サメは『ドロン』と音を立てて煙幕に包まれた!



次の瞬間。



煙の中から現れたのは、海から上がって、見知らぬ女性を片手で拘束しながら、こちらに歩みを進めている…あの…今朝、夢に出て来たばかりの()()()だった!



カヤノの息が、ヒュッとなって、止まる…。



「あなたは…魔神の…。」



カヤノの言いかけた言葉にサメ男は、笑いながら答えた。



「グフグフ。そうだ…俺はお前と契約した魔神様だ!約束通り、迎えに来てやったぞ?お前の成人前に儀式を行い、18歳を迎えた日…俺はお前を頂くのだ。」



魔神の言葉にカヤノは心底凍った。



今更、そんな契約を言い出されるなんて…あの契約は無効ではないのだろうか?

サインこそさせられたが、実際に契約を結んだのは、自分ではなくてマッド・チルドレンなのだ!

あの時は怖くて、何も言う事ができなかったが…カヤノはもう、あの時のように無力な子供ではない。

あと少しで成人を迎える現人神なのだ。

大した神力を要さないとはいえ、このまま大人しくサメ男に言われるがまま、従うわけにはいかない。



巨大なサメが人型のサメ男に姿を変えたと同時に、男に拘束されて現れた見知らぬ女性を見るに、多分彼女が今、自分の腕の中にいる少年の母なのだろうとカヤノは推測した。


サメ男は、何らかの方法で自分の動向を探り、薬草取りに来ていた人間の魂である冥界市民の親子の母親を海辺に近付きでもした時に攫い、少年にカヤノを呼びに行かせたのだろう。


男は種族的にサメそのものなのだから、陸より海の方が得意に違いない。

それに、海から遠くへ離れれば離れるほど、冥界神に男は見つかりやすくなる。

魔神が勝手に冥界に侵入する事は許されないのだから、男は冥界神に見つかるわけにはいかないのだ。

カヤノとは違って、冥界神は魔神を簡単に拘束したり、追い払うくらいの戦闘能力を兼ね備えている。

見付かれば、サメ男はただでは済まない…。


だが、万が一、冥界神に見付かっても、海にいればすぐに魔界へ逃げ帰れるのだ。

ここにサメ男が現れたという事は、恐らく一時的に魔界の海とこの冥界の海が繋がっているのだから…。

このサメ男がなんらかの魔術で、一時的に空間を繋げたのかもしれない。

どちらにしろ、サメ男の魔術では空間を繋げるのも長くは続かないだろうから、即効でカヤノをとらえて魔界に連れ帰らなければならない筈だ。


だからこそ人質を取って、少年にカヤノを海辺付近まで連れて来させた。

こうすれば、一瞬のうちにサメ男がカヤノを収容して、海から魔界に帰る事が可能なのだ!


それならば…サメ男がすぐに自分を攫えないように時間を稼げば、何とかなるのではないだろうか?


長時間、魔界とこちらを繋ぐ術で冥界にアクセスしていられるほど、男は上級魔神ではなさそうだし…異界と繋がった気配がすれば、直にこの地の主である冥界神が気付くだろう。


ハルリンドや上司がカヤノがいない事に気が付いてくれるか、冥界神が気付いて駆けつけてくれれば、逃げ切れる!



そこまで、瞬時に頭を働かせて考えたカヤノは、キッと男を睨みつけて、ゆっくりと抱きしめていた少年の体から手を離し、痛む体を悟られまいと顔の表情を殺して上半身を起き上がらせる。

そして、言った。



「迎えは結構です。契約は破棄して下さい。私は無理にサインをさせられたのだし…元来の契約者であるマッド・チルドレン達も離散しているのだから、この契約は無効でしょ?」



カヤノの言葉にサメ男は、表情の読み取れないサメの顔に不機嫌な声を出して、首とは思えない体と直結している頭を傾げるように動かして見せて言葉を返す。



「バカ言うな。名前を自分で書いた時点で、お前は俺と契約を結んだ!魔神は契約を守る!さっさと俺の所に来い。」



そう言って、ゆっくりと片手の女性を引きずりながら、魔神がカヤノ達の方へ迫ってくる。


カヤノとサメ男との会話に顔をゆっくりと上げた少年は、母の姿を目にして、岩盤からカヤノより先に起き上がった。



「あ、お母さんだ⁉お姉さんを連れて来たんだから、お母さんを放して!」



少年は衝動的にサメ男の元に走って近付いた。

カヤノは咄嗟に声を上げて、少年を停止させようと手を伸ばす。

だが、負傷の相次いだ体は、すぐには言う事を聞かない。

手を伸ばしたものの、足は立ち上がるのに時間を要するのだ。



「待って!ダメよ…戻って。」



カヤノの声が響いたのも虚しく、サメ男は近寄る少年を大きな足で、いきなり蹴り上げた。



「ギャアッ!」



少年の体は、短い悲鳴と共に宙に舞い、元来たカヤノの方向に戻って飛ばされてしまう。



驚いてカヤノは、少年に近寄り『しっかりして』と声を掛けて、子供の体を抱き起す。

間髪入れずに、少年の母親が叫び声を上げた。

ついで、子の安否を思う母親が、サメ男の片手に拘束されながらも暴れたが、男の太く大きな片腕はびくともしていない…。



「イヤアァッ!私の子供に何をするの⁈放して!!」



そんな母親の声に、サメ男は怒声を上げた。



「黙れ!!人間風情が!そのガキは、俺が姿を現す前に花嫁に母が拘束されている事をバラそうとした。黙って花嫁を海まで連れて来いと言ったのに!あと少しの所で約束を守らなかっただろう⁈」



サメ男に蹴り飛ばされた衝撃で動けない少年は、何も言い返せずに痛みで歯を食いしばっている。

肉体は喪失していても、冥界での生活は魂に直に衝撃を与える。

サメ男の攻撃は少年の魂に下手をすれば傷をつけかねないものだ。

戦闘能力は皆無だが、カヤノは小さな治癒の力を持っている。

即席ではあるが、養成学校で習った呪文を口の中で小さく唱え、カヤノは少年に手をかざした。

一瞬だけ子供の体が光り、少年が少し楽になった顔で息を吐いた。


それを見ながらも、怒りが収まらないというようにサメ男は、続いて口を開く。



「花嫁よ!そんなガキに神力を使うとは…愚かな事をするな!いいか?約束を守らない奴がどうなるか教えてやる。約束通り、俺はそのガキの母親を喰らってやるぞ!」


「ヒッ⁉」



サメ男の腕に力が入ったのか母親は顔を歪めて小さく怯えた声を出した。



「ヤメテ!お母さん!!」



カヤノの力で痛みが和らいだ為に少年は、再び立ち上がって母親を呼び、近寄ろうとする。

そこでカヤノは、少年の手を強く握り言った。



「ダメよ。もう、あの男に近付いてはダメ…あなたの魂が消滅させられる。お母さんは私が何とか守るから…あなたはさっきの場所に戻って、私と一緒にいた人達に知らせて来て!!」



そう言うと、カヤノは少年を元来た道の方に追いやるように背中を押した。

少年はハッとしたような顔で頷くと、岩場を勢いよく走り始め、大きな岩を飛び越えながら行った。



「ぬあっ⁉待て!ガキ!!」



それに気付いたサメ男が、少年に何か攻撃を放とうとしたので、カヤノは地面に手をついて、昔、戦闘ショーで用いたように硬い岩肌から地面に神力を注ぎ、一瞬にして岩場の隙間から蔦のような植物を出現させて、サメ男の手足を拘束した。

その蔦よりも太い(つる)を払いのけようとして、サメ男は少年の母親から手を離していた。



「あっ…待て、人間の女!ぐぉっ⁉何だこりゃ?畜生!やめんか!俺はお前の夫になる男だぞ?夫の邪魔をするのか?生意気な小娘が…クソッ!こんなもの…。」



サメ男が自分の夫だと主張するのを聞き、カヤノは顔を顰めた。

この男に嫁ぐくらいなら…センターの選んだ男神に嫁ぐ方が数億万倍、良いに違いない!

サメ男の手を離れた少年の母親は、カヤノが人でありながら神の端くれだと知ると、慌てて彼女の後ろに避難するように逃げて来た。


少年の母親だと思われる女性の体は、やや小柄のカヤノよりも10センチは大きい。

逃げ隠れた所で、カヤノの体の後ろでは、すっぽりと姿を消す事はできない。

それでもカヤノは、優しく彼女に呟く。



「大丈夫…きっと、あなたの息子さんが助けを呼んでくれるわ。それくらいの間なら…私があなたを守るから。」



もし、今、自分が大人しく魔界に行くから、この女性を助けてくれと懇願しても、サメ男が彼女を見逃してくれるという保証はない。

既に自分も男の手足を拘束したりして、反抗を示したのだ。

仮に口では女性を見逃してくれると言ってもサメ男はきっと彼女を殺すだろう。

それは肉体ではなく魂の死だ…魂を殺されれば輪廻転生への道は途絶えてしまう。

そんな事はさせられない!!


マッド・チルドレンから多くの人間達を守った両親のように、戦う事はできなくても…自分はその両親の娘なのだ。



たった一人の魂くらい救えなくては、先に寿命を終えて神界に逝ってしまった両親に顔向けなどできないとカヤノは思った。


正直、カヤノは怖かった…。


『神』と名が付いた所で、カヤノは人間でもあり、その要素が濃い。


おまけに戦闘能力もない。


戦闘ショーに共に出された少女達ならば…きちんと訓練を積み現人神養成学校を卒業すれば、魔神に勝てるほどの能力を発揮できただろう。


あの時は、当時の自分同様、まだ神力に目覚めていない段階か目覚め切っていない子供で、神力コントロールの訓練や学習もまだしていない状態だった。


だが、もし今の年齢できちんと学校で履修をし、ある程度の能力を使い熟せるようになっていれば、戦闘系の少女が魔神を撃退する事は一人でも十分可能なのだ。


もしくは、神力がカヤノのように薄く人間寄りだったとしても…戦闘系でさえあれば、少年が助けを呼びに行っている間の時間くらいなら稼げる筈だ。

だからこそ、マッド・チルドレン達は、密かに手に入れたハグレの中で、戦闘系の少女達だけをショーに出場させ、体の一部などを損傷させる事により、将来育った後の神力や身体能力をある程度削いでから、売りに出す事にしているのだった…。


しかし、そんな事をしなくても、カヤノには戦闘用の攻撃能力が全く備わっていない。

だから、傷跡や精神に疾患を負ったものの、五体満足のままでサメに提供される事になったのだ。



カヤノは、逆に戦闘系の者が苦手とする癒しや育成能力を持っているのだが、現段階でサメ男から女性を守る為に必要な力は、戦闘能力とそれを実現させる戦神の神力である!



少年の母親を安心させる為に『大丈夫』だと言ったが、カヤノは少しも大丈夫ではなかった。



体が震える…。



頭の中では、トラウマになったシーンが再生された。



だが、女性を守らねばならないという思いで、カヤノは体を引きずりながら、ゆっくりと立ち上がった。



戦闘能力のないカヤノが誰かをサメ男から守る方法…。



それは助けが来るまで、何としても戦闘以外で彼の気を逸らして、時間を稼ぐ事。



つまり、自分が可能な限り、サメ男との婚姻に抵抗を示す事に他ならない。



自分が駄々をこねる事で、少年の母親からサメ男の気を逸らさせるのだ!



易々と攫われる事を許可すれば、サメ男はすぐに自分の後ろで怯える女性を、あのサメの姿で丸呑みしかねない…。

サメ男に限らず、魔神は人間の魂を喰らう。

自分の事も、いずれはサメ男なら、喰らうつもりなのかもしれない…。



カヤノは女性を振り返ると、前かがみで彼女の耳に可能な限り小さな声で『隙をついて逃げなさい』と耳打ちして、自分はサメ男の方に向き直した。



女性は震えながら頷いて、同時にカヤノの震えにも気が付いた。

彼女は少年が消えた方向の岩陰を、サメに気付かれないくらいの瞬時にチラリと確認した。

そこで、少しずつ体勢を整えて、いつでも走れるように隙を窺う準備をする。


カヤノは、震える体とは裏腹に、サメ男に一際(ひときわ)大きな声で嘲笑するような言葉を浴びせかけた。



「魔神の花嫁なんてお断りです!サメ顔の夫なんて嫌よ。それに契約がどうのって…お可哀想に。妻を買わなければならないほど、あなたはモテないのね!」


「何だと⁉」



カヤノの声にサメ男は怒り狂い、同時に大声を出して魔力を込め、己を拘束していたカヤノの神力で現れた蔦を…引きちぎった!


次回、金曜更新の予定です。

時間が一定しないで申し訳ありません。

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― 新着の感想 ―
[良い点] こんばんは(^^) 凄い。カヤノちゃんが、抵抗して対峙している。 予想外でしたが、守らなくては、と思う存在のためにカヤノちゃん、必死ですね。学校で勉強した努力が窺えます。 またアスターの思…
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