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春の嵐と恋の風㉗

 冥界行きの出発ロビーを目指して、旅券片手に猛ダッシュしたシルヴァスは、丁度、冥界へと繋がるゲートが開いたばかりなのを確認すると、ゲートをくぐる列の最後尾に到達して息を切らした。



前を行く優し気な冥界系の男性現人神が振り返って、『ゼイゼイ』と息を切らし続けるシルヴァスを心配して声を掛ける。



「だ、大丈夫ですか?冥界行きの扉でしたら…割と短い間隔で繋がりますから、今はロビーで休んで次回を待ったらいかがです?それとも、お仕事か何かでお急ぎなのですか?」



シルヴァスは息を切らせながらも、走ったせいで音量が上がりがちな声で相手に返答した。



「へ、平気です…それより、急がないと…僕の…大事な子の、一大事なんで…す…。」



シルヴァスの返答に『彼には緊急の事情がありそうだ』と、前に並ぶ現人神は道を譲るようにシルヴァスを列の先に行かせてくれた。



「何だか、よくわからないけど深刻そうですね。宜しければ、私の先をお行きなさい。」


「あっ、ありがとう…ござい…ます!助かり…ま、す。」



まだ、息も切れ切れな状態で礼を言って、シルヴァスが彼の前に進むと、その前の現人神も話を聞いていたようで、シルヴァスに順番を譲ってくれた。

そして、その先に並ぶ現人神も、いつもより音量の大きな声でしゃべったせいで、シルヴァスの声が聞こえたらしく、(はじ)に寄り無言で列を通過させてくれる。


それに倣って、前に並ぶ現人神達が次々に急ぎであるシルヴァスの為に、列の前に彼を送り出してくれた。

中間地点くらいにまで前に押しやられた後も、誰かが『おーい、緊急なんだってよー。』とシルヴァスの為に叫んでくれて、列に並ぶ前の現人神達に知らせてくれる。

こういう所は、大和皇国の現人神らしい…。


最終的に一番前まで行ったシルヴァスは、ようやく呼吸も落ち着いてきて、順番を譲ってくれた現人神達にできるだけ聞こえるようにと、声を張り上げて礼を言い、ぺこりと会釈をすると、扉をくぐって、また走り出した!



「皆さん、ご協力に感謝致します。ありがとうございました!」



通過した扉の向こうは、冥界の異界一時入場者入り口になっており、人間の利用する飛行機の空港さながらに統括センター同様、到着(入界)ロビーがあり、外に出ればタクシーや鉄道、乗り合い馬車など…冥界のそれぞれの地区に適した移動手段が用意されている。


冥界は、テーマパークのようにいくつかの世界が広がっており、冥界神が貴族に扮するヨーロピアンと呼ばれる現在の東洋の大昔のような世界や、最近は廃れている古い冥府の神が統べる世界、黄泉の国、またそれぞれが生きた時代の普通の日常に模した第二の現世のような世界や大和皇国風な現代的世界などがいくつも存在しており、服装や容姿もその場所、場所で、それぞれに合わせた格好をしている。


様々な地区の領地を管理する冥界神の出で立ちも、場所によって違い、ハルリンドのように冥界貴族という名称で呼ばれている者もあれば、現代風の地域であるなら、その地区の上位の冥界神は社長や会長などと言う名称で呼ばれ、人間の魂を管理しながら、現代人間界の会社のように地区運営を行っている所もある。

いずれも、死後、そこを訪れた人間の魂のニーズに応えた姿と対応を実現させる為だった。



そこでシルヴァスも冥界に入ると同時に、今まで人間界や現人神統括センター内で着用していた人間用の服から、本来の姿である精霊系ナイトの格好へと転じた。



「うえぇっ、久しぶりにこの姿をとったけど…これ、現代の大和皇国だと絶対に浮く奴だよね。ゲームとかアニメとかラノベの世界の登場人物っぽいもんなぁ…。」



久しぶりの自分本来に恥ずかしさを隠せない…すっかり人間らしい感覚を学習しているシルヴァス。


勿論、現世と同じスーツ姿や、本日家から飛び出した際に着て来たスウエットのままで、冥界に入ってはいけないというわけではないのだが、カヤノを探すにあたり、こちらの方が能力を生かしやすいので早々に自分本来の姿を現したのである。


それに慌てていたとはいえ、たった今、死んで冥界に辿りついたばかりの人間と見紛うようなスウエット姿は…さすがにないと思った。

(スーツなら問題なかった。冥界にはむしろ現世の職場姿(スーツ)でいつもなら入界していたんだから…でも、スウエットは別だ!カヤノに会った時に休みの日だからって、朝からダレていたのがバレバレになってしまう!!)



朝、家を飛び出してからは、シルヴァスが緊迫して取り乱し、焦っていたので、周りの者は緊急に違いないと誰も指摘しなかったが、現世のマンションから現人神統括センターに至るまで…シルヴァスの出で立ちは、財布をズボンの今にも落ちそうな浅いお尻のポケットに突っ込んだだけで、寝間着代わりに使っている紺のスウエットだった。


そのままの格好でカヤノを探しに行くのは、見ため的にあまりにもショボすぎる…というか、貴族のハルリンドの元に行くのもマズイ。


いくら自分が気ままで自由な風の精霊系現人神と言えど、モノには限度があるように、許される範囲というのは存在するのだ…。


この場合、ナイトの格好に転じるより他、シルヴァスに道はない…。

この姿なら、冥界でも神界でも精霊界でも浮かずに済む…ある意味万能ファッションだ。

(人間界では確実に痛い目で見られるだろうが…。)



 こうして、正式な精霊騎士の姿に転じたシルヴァスは、その能力を使いやすくなった事もあり、冥界の異界連絡ゲートを出てから、冥界原産のドラゴンをレンタルして、とりあえずハルリンドの住むフォルテナ伯爵邸へと向かった。



もしかしたら、カヤノはまだ伯爵邸にいるかもしれない。

既に、薬草を採取しに行っているとしても、そちらの方に先に行けば、執事やハルリンドに協力を仰ぐ事もできる。

薬草を摘みに行く場所は、サルマンの電話で確認した…。


カヤノが既にフォルテナ邸を出た後ならば、急いでそちらに直行しよう。



そう自分の頭に浮かべて、シルヴァスはレンタル・ドラゴンに(またが)ると、冥界の空へと漕ぎ出した。


大きな馬より大きいくらいの小型ドラゴンは、あっという間に冥界の大地から飛び上がり、フォルテナ伯爵領へと向かう。




 ☆   ☆   ☆


 

 シルヴァスがようやく冥界に着いて、ハルリンドの住むフォルテナ伯爵領に向かった矢先、カヤノは上司と共に、その屋敷をまさに出ようとしていた…。



すると、ハルリンドがカヤノに自分も同行する事を申し出た。



「せっかく久しぶりに会ったのだから、お昼はうちで食べて行って欲しいわ。薬草摘みの場所は隣の領地でしょ?私は何度かその場所に行った事があるから、案内ができると思うの。採取の手伝いもするし…人数が多い方が早く終わるわよ?」


「で、でも、急に押しかけておいて、お昼を御馳走になったり、ハルさんに手伝いをさせるなんて…悪いです。」



カヤノが断ると、ハルリンドは首を振った。



「何も悪くないわ。私、今日は暇だし、お昼の時間には遅くなるかもしれないけど…今から皆で摘めば、二時間もあれば必要量を集められるわよ。その後、うちに戻って遅めランチをしましょう。帰りは馬車で異空間扉の現世行き付近まで送ってあげる。」


「だけど…。」



遠慮がちなカヤノが口を開き始めると、すぐに上司がハルリンドの申し出に強引に同意してしまう。



「それは、助かります!!ハルリンドさんにお手伝い頂けるなんて光栄だなぁ。冥界神に同行してもらえるなら、我々もスムーズに仕事が済みそうですよ!是非、お願いします。」



因幡大巳の強引な図々しさと喜びように、カヤノは呆れて口を開けて彼を見たが、ハルリンドは花のような笑顔で応えた。



「それなら決まりね!すぐに見合った服に着替えて来るから待っていて下さい。その間に移動用の馬車を用意させますので、お二人は先に乗っていらして?」



『薬草摘みの場所まで、馬車まで用意して連れて行ってくれると言うのか⁈』

と、カヤノはそれでは、自分がハルリンドを頼るのを目的に来たように見えると考え、何とか断れないものかと声を出した。



「けど…ハルさん、私達、もう一人の職場の先輩とも、待ち合わせをしているんです。」


「あら、何時頃?」


「ええと、最初、私は一人で、午前中にハルさんと会ってから、お(いとま)して…どこか冥界の店で軽い昼食を済ませた後に、待ち合わせ場所に行く予定だったんです。薬草摘みも午後から行う筈でしたし…。」


「午後?では、午前中の間に私と薬草摘みに出かけて、彼女との待ち合わせ時間には執事に言って、代わりの家の者にその職場の女性を迎えに行ってもらいましょ?薬草の採取が終わっていれば、先に彼女を屋敷に招待してもらっておくわ。せっかくだもの…彼女にもご馳走したいわ!」



優しくて気の良いハルリンドは、どうあっても実姉のように、カヤノの職場の人間を接待して妹分の印象を上げ、仕事先での妹分の話をもっと聞きたいと考えているらしかった。


それはカヤノにとって、くすぐったくてありがたい事だが、やはり、どうしても申し訳ない気持ちが先に立ってしまう…。


カヤノの感情など、気にも留めぬ現金な上司は、少しでも長くハルリンドと一緒にいられる事が心底嬉しいようで、既に足が地面から浮いているように見える。



ヒロミ先生に、こんな浮かれている姿を見せられたら…ハルさんの申し出を断り辛いわ。

だけど、ハルさんに旦那さんがいるって、ヒロミ先生はわかっているのかしら?



と、カヤノは少し心配になった。


ハルリンドが魅力的な女神である事はわかるし、単純に素敵な女性に上司が憧れるのは構わない。

自分だって既婚だとわかっていても、トラウマさえなければ、好みの男性と共に行動できる機会があれば心が弾むに違いない。

だが、その感情は憧れとしてで、相手の女性から夫を奪うだとか、自分をその人より良く見てもらいたいとか…そういう気持ちがあるわけではない。

目の保養的な要素が強いものだ。


しかし、自分の上司の場合は、彼女に夫がいるとわかったら、どう思うのだろう?

もしかして、ヒロミ先生は、少しハルさんに期待したりしては、いないだろうか?


職場の先輩は、前にヒロミ先生が『独身男神だから花嫁募集中』という話をしていた…。


自分はその辺の事を良く知らないし、現人神養成学校では男子部で教えられている事も、女子部には教えないという内容があるらしいので、花嫁募集中の男神が、積極的で強引であるというよう話を聞いた事はあるが、実際にどんな風になるのかや細かい内容に関しては不明だらけだ。



うっかり、ヒロミ先生がハルさんを本気でお嫁さんにしたいなんて思わないと良いのだけど…。

考えてみれば、ヒロミ先生にとって、ハルさんは、今回一度だけしか会う予定の無い相手なのだから、深い説明は不要だと思っていたのよね。

だから、そういう話を省略しても問題が無いと思っていたんだけど…。



カヤノは、まさか上司が出会ったばかりの女性を前に、目をハートに変えるとは思わなかったのだ!



「とにかく、今は言い辛いけれど機会を見計らって、ハルさんが伯爵夫人だという事を告げてみよう。」



それからカヤノは、その機会について考えた。



「薬草摘みの最中に、自然な感じでフォルテナ伯爵の事をハルさんに聞いたりしながら、ヒロミ先生にはハルさんの立場や状況を知らせてあげるのがいいかもしれないな…。」



そう自分の中で独り()ちて、カヤノは『うん、それがいい!』と自身の考えに頷いた。




 それから、上司と馬車に移動したカヤノは、二人で何の気ない話をしながら、ハルリンドが着替えて来るのを待っていた。


数分遅れて、軽装に着替えたハルリンドが馬車に乗り込むと、冥界の大きくて立派な黒馬が引く馬車は、(またた)く間に薬草摘みを予定していた隣の領地の現場に着いた。


三人は馬車から降りると、ハルリンドが御者(ぎょしゃ)に馬車の待機場所を指定して大体の迎え時間を伝えた後、薬草の生える現場に向かって歩き始めた。


ハルリンドの夫が治めるフォルテナ伯爵の領地は、職人などが多く住んでいる地区で、街中は色々な工芸品を扱う店も多く、冥界の技術面を支える中枢でもあり、賑やかな場所が多い。


そして、今回、薬草を摘みに来た隣の領地は、フォルテナ領と少し離れただけで、岩場の多い冥界の海辺に面し、小高い山もそこそこ見られる海と山に囲まれた地域だ。

その山間には、時に大きな工場も見られるが、過酷な冥界の自然が多く点在しており、薬草が多く生息している事でも有名である。

当然、その薬草を利用した薬の研究所や工場、化粧品、香水などが地場産業として多く出回っている。


また、今回のカヤノ達のように、異界から薬草を求めてやって来る者も後を絶たない。


カヤノの上司の因幡大巳のような医療関係者も、今回のように上からの命令で、こうして定期的に必要な薬の原材料を採取にやって来る。

それは当番制で、今回は因幡大巳が請け負ったが、次回は別の薬草を別の者が順番で採りに来るのだと、上司本人は教えてくれた。


なので、今回、因幡大巳は採取を終えれば、次に薬草を摘みに訪れなければならないのは、数十年先くらいなのだという。


『現人神も組織化していて、持ちつ持たれつ何だなぁ。』

カヤノは、初めてのアルバイトで現人神社会に触れて思った。


ちなみに今回、上司が当番で採取せねばならないのは、忘れ草と腐草という植物だ。


忘れ草は、その名の通り、白か薄紫の花を咲かせる植物で、その花の香りを強く嗅ぐだけでも、一瞬、記憶を失ってしまうのだとか…。

だが、一般的にそれだけでは、数分前まで考えていた事を忘れてしまう程度の効果しかないし、一時的な記憶障害であり時間が経てば、すぐに忘れた事を思い出す。


採取した忘れ草から取り出した大量の成分を濃縮させる事で、完全に記憶を操作する薬を作り出すのだ。

忘れ草で作り出した薬は、因幡大巳のように精神科の医師が中心に利用する事が多い。

辛い過去のせいで心に傷を負った者などに限り、本人の意向により過去の記憶を消し去る為に使われるのだ。

または上からの命令で、人間が現人神の存在を知りすぎてしまった時などに、支障をきたすと判断された場合に記憶を消すのに使われる事もあるし、犯罪を犯した者の記憶処理に使う場合もある。

いずれも精神科の医師が軽い催眠術のような力を発動させながら、効果的に消したい記憶だけを消すという熟練の技術が必要になるので、薬を飲んだだけで簡単に扱えるというわけではない代物である。



腐草の方は、素手での採取は無理で手袋をはめて触れなければ、手が焼けただれたようになってしまう危険な植物だ。

この植物が恐ろしいのは、手折(たお)った瞬間から、そうした毒を放ち出す事で、しかも即効性がなく、触れてからしばらくしてから症状が出て来る点だ。


そして、これも忘れ草と同じく名称通りの植物で、乾燥させて煎じれば、あらゆるものを腐らせる成分を持っているのだ。

これに加工を施し、スプレータイプや塗り薬のような形の薬にして使用するのが一般的だ。


塗り薬は、手術などを嫌がる子供の現人神に適用される事が多く、民間では塗るだけでイボが取れると有名で、改良を重ねて開発された腐草を原料としたこの薬は、塗った部分の場所にできた異物だけを消滅させてしまうので、すこぶる評判が良い。

うっかり薬に触れてしまった手も、すぐに手を洗えば問題がないくらいに安全に加工されている。


他にも腐草は、医療だけでなく廃棄物の処理などにも使う事ができる為、採取に注意を伴うが利用頻度が非常に高い。


人間界にも生えていれば、こんな所まで来る必要もないのだが…やはり、こうした不思議な効能を持つ植物は地球では現世の人の住む場所には存在しなかった。


忘れ草は他の界にもあるのだが、効能が高いのは、やはり魔界や冥界のもので、腐草の方は天界や人間界よりも上の界には一切、生える事ができない植物だ。

魔界や地獄界などにもあるが、さすがに魔界は魔神が治めている為、安全性に問題があり、こうした闇属性の高い植物の採取は、冥界を利用するのが一般的である。

冥界の中でも、瘴気の発生しやすい場所の物は良いとされるが、瘴気がどこに発生するかピンポイントでわかる筈もないし、瘴気の濃い所に現世や天界の神々が長いするのは、とても体に良くない事だった。


なので、現人神が冥界で薬草を採取するのに訪れるのは、瘴気の強い場所の次に濃度の高い薬草が取れる場所である岩場をセレクトするのが一般的だ。

だから、そう言った場所は、各界から多くの者が訪れるので、薬草の名産地としても観光スポットとしても有名なのである。


そして、今回求めに来た薬草は、どちらも特に岩場を好んで生えるのだ。

しかも二種類の植物は、山で採取するよりも海辺の岩場に根を下ろしていたものの方が、特殊な成分が強い上に大きく育つ。


従って、三人の採取隊はハルリンドの案内で、この地区の薬草摘みで有名な海浜公園横のなだらかな岩場の崖に出向いた。



 現場に着くとハルリンドが口を開いた。



「ここから海辺近くに下ればいいわ。崖と言っても、下りやすいように足場ができているし、あまり上の方で採取すると、足を滑らせた時、危険なの。」



すると、彼女の言葉に目尻を下げた上司が首をコクコクと上下に小刻みに振って同意した。

御用聞きのように、手を前に擦り合させた彼は、ちょっと面白い…。



「なるほど、さすがハルリンドさんですね!頭が良くていらっしゃる。それでは、早速下に向かいましょう。海に近いほど、潮風の影響か薬草の成分が濃くなるようなので一石二鳥です!」



特に薬草の事など知らないカヤノは、二人の会話を聞くだけで、『そうなのか』と黙って後に従った。


途中、岩の大きな場所があると、上司はすかさず貴族の女性であるハルリンドを気に掛け、当たり前のように手を差し出した。

彼は、その後、紳士的にカヤノにも手を貸してくれようとしたが、何となく二度目に手を貸されるのは、自分の性格が卑屈で悪いのかもしれないが…『限りなくついで』のように思えて、首を振って断った。



「私は、手を貸してもらわなくても大丈夫です。育ち(じょう)、こういうのには慣れていますので。それより、ヒロミ先生はハルさんを見てあげて下さい。」



自分で言っておいて、何が慣れているのか、よくわからないが、カヤノの言葉を聞くと因幡大巳も安心したように、ハルリンドだけに手を貸すようになった…。


だが、実際の所、貴族女性の方が幅広い教育を受けており、鍛錬されている部分は多い。

加えて、ハルリンドは現人神養成学校出の異例の冥界神で、学校の成績もすこぶる良かったと聞く。

全てが『並み』かマイナスのカヤノとは、スペックがそもそも違う存在だ。


カヤノは庶民出で孤児になる前は、両親から甘やかされて、人間同様の暮らしをしていた。

ハルリンドも地上ではそうだと聞いたが、彼女の母親は冥界貴族出身で、他界するまでは冥界貴族として、できるだけの教養を彼女に教え込んだのだという。


カヤノ両親のように、娘を真綿でくるむようにそうっと扱うのとは、また違った愛し方だと思う。


カヤノはどちらかと言うと、体を動かす事が好きではなかったので、外で駆け回るような子供ではなく、部屋で本を読んだり、お人形さんごっこをするようなタイプの子供時代を送った。


両親は戦闘系現人神で、体力はカヤノの比ではなく、恐らく戦闘系ではない娘を無理につき合わせたりするのは忍びなく思っていたのか、常に彼女の体力には気遣っていて、カヤノをハードな場所に連れて行く事もなかった。

だから、むしろ戦闘系ではない現人神の親以上に、カヤノの親は彼女を過保護にしていたのだと思う。

結果、カヤノのアウトドア経験は皆無に等しかった。

下手をすると、人間用の初等学校の水泳授業や、遠方の泊りになる授業なども欠席させられた事だってあるのだ。

両親は一人娘だった事もあり、自分達より弱いカヤノを大事に思うあまり、少し神経質になっていたのだろう。


孤児になってからも、年齢的な問題で施設には、ほんの一時しか世話になっておらず、すぐにシルヴァスに引き取られてしまった。


そのシルヴァスがまた…フェミニストが過ぎる所があり、両親同様、彼女を必要以上に大事にしてくれたのだ。


カヤノが外でハードに動き回る事が苦手なのだと知ると、シルヴァスは穏やかな道の続くピクニックや温室が評判の植物園、薔薇園などには連れて行ってくれた事もあるが、岩場を登ったり下ったりするような場所にカヤノを連れて行ったりは絶対にしなかった。


仮に、そういう場所に行く機会があったとしても、シルヴァスは常にカヤノを気遣い、そんな場所を歩かせないようにしてくれる。

それでも行かなければならないような事があれば、下手をすると抱き上げられていた可能性すらある…。


だから、シルヴァスに引き取られた事で、カヤノは更に普通の同年代の子より、海で泳いだり山に登ったりするような経験がなく、ひ弱に育ってしまったのだ…。



 つまり、因幡大巳には大丈夫だと言ったが、実を言うとカヤノこそ、この岩場が大丈夫ではなかったのだ!



それでも、ハルリンドと上司が振り返ってカヤノに『大丈夫か?』と確認すると、言ってしまった手前、意地を張ってしまう。



「大丈夫ですから…自分のペースで下るので、先に行って下さい。」



そう言いながら、カヤノは強がって笑顔を作った。


ハルリンドは心配しながらペースを落としてくれたが、上司はカヤノの方を見ておらず、ハルリンドの方に見とれながら前を進んでいる。


ようやく、下の方について、薬草を摘み始めた頃にはカヤノは、岩場の間にうっかり足を挟んだのと、少しだけ靴擦れを起こしてしまっていた。

それでも、その事を悟られないように、カヤノは平気な顔を装い薬草摘みに励んだ。


そのせいで当初は、フォルテナ伯爵の話をハルリンドに振って、彼女が既婚である事を遠回しに上司に悟ってもらうという計画をしていたが、この際、どうでもよくなった。


今はそれより、足の痛い事を悟られないようにと、カヤノは二人から距離を作って、主に忘れ草を摘んでいた。

二人の方は、上司がひっきりなしにハルリンドに話かけているので、こちらを注意深く見る暇はないだろう。



「早く、摘んで…さっさと終わらせよう。足は、ハルさんのお屋敷に戻ったら、こっそり執事さんに言って、手当てをしてもらえばいいわよね?」



歩く度に少し痛むので、走る事はできないが、我慢すれば歩く事はできる。

足首が少し()れているようだが、もしハルリンドに歩行の不自然さを指摘されたら、彼女は心配性だから靴擦れの事だけを言おう。



「ハルさんに足が腫れているってバレたら、シルヴァスさん並みに心配されて、世話を焼かせてしまうのが目に見えるわ…。」



カヤノは誰かに世話を焼かれた時点で、自分には自立など無理だと、認めてしまうような気がした。



「異界への扉までは、ハルさんがまた馬車で送ってくれると言っていたし、現世に到着してヒロミ先生と別れた後、後から来る先輩にタクシーを呼んでもらおう。そうすれば、サルマン先生の家に帰れるわ。」



カヤノはそう思っていた。


サルマンが腕組みして説教してくる姿が頭に浮かんだが、カヤノは今更、足を岩場に挟んで痛めた事をハルリンドや上司にだけは言わないと心に強く誓い直した。


だって、そんなのは、恥ずかしすぎる!


恥ずかしがり屋で変な所が忍耐強いカヤノは、さっさと負傷した事を告げて休めばいいものを…たまに、つまらない見栄を張るのであった。



そんなカヤノが二人から距離を取りながら、薬草取りに熱中していると、一人の少年が同じように薬草摘みを装いながら、カヤノの傍までやって来た。



「お姉さんに…お願いがある。」



年の頃は6つか7つか…初等学校に入ったばかりくらいの人間の子供だが、少年はカヤノに話しかけて来た。

カヤノは首を傾げて子供に理由を聞く。



「お願い?それより、あなたは一人なの?」



こんな所で一人で薬草摘みだなんて…冥界の子供が妙だとカヤノは思った。

人間界のどこかの国では、今も貧しい国が存在しているので、生活の為に子供が働いていても不思議ではない。


しかし冥界は、生前、人間がやり残した事や悔いを残さない為に、その思いを叶えて魂の浄化を進めるのを手助けをする所でもある。


子供が保護者なしで薬草取りなど…あり得ない。

両親より先にこちらの世界に来た子供だって、大概は先に逝った祖父母や生前可愛がってくれた伯叔父、伯叔母…先祖などの身内と一緒にいる過ごしている事が多く、そうした者が面倒を看れない場合は、冥界貴族が引き取ったり、生前子供を欲しがっていた優良の魂の人間が子供の冥界での親になる。

その子の両親がいずれ生を全うして、冥界に訪れるまで親代わりを務めてくれるのだ。


だから、このような危険な所に子供一人で行動しているという事は違和感があった。



不審に思うカヤノの問いに、子供は悲し気な顔をして、言い辛そうに口を開く。



「ここでは言えない…ちょっとだけ、こっちに来てもらってもいい?」



カヤノは、不可解に思ったものの、子供の悲痛な表情を放っておく事はできず、少年の言うままに痛い足を庇いながら、ゆっくりと促される方向に移動して行った。


 

 気配を殺すように、少しずつ岩場の陰まで行く少年とカヤノの二人に、因幡大巳の世間話に耳を傾けながら、薬草取りに集中していたハルリンドも、その話を続けている上司本人も気付かないでいた。



確かにカヤノが少年といた事は、上司もハルリンドも目撃していたが、次に意識して振り返った途端に、その姿は既に消えていたのである…。


次回は火曜日更新予定です。

本日もありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] こんにちは(^^) 来るぞ、来るぞ、と、ドキドキしながら。 やっぱり来た~!と、消えたカヤノちゃん。 駆けつけたシルヴァスの猛追に期待(^_^) [一言] 留守番かと思ったら、担任まで。 …
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