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春の嵐と恋の風㉕

 サルマンの家を出たカヤノは、現人神統括センター伝いで異界出発ロビーの待合室に来ていた。


待合室には、冥界への到着時間を調節する為に立ち寄ったのだが…そこに着いて早々驚いた!



 カヤノは、当初、一緒に行く事になっていた職場の先輩と因幡大巳を断って、ハルリンドに会う為に一人で一足先に冥界に行くつもりだったのだ。


いくら了承を得たからと言って、自分の知り合いの家に寄るのに二人をつき合わせるのは、やはり悪いと考えたからである。


二人は仕事の為だけに冥界に訪れるのだから、自分の私用につき合わせるべきでないと考えるのは、当たり前ではないだろうか。


現に今、カヤノはハルリンドの家に行くのに、統括センター内で早朝営業を行っているショッピングモール区域を訪れ、現世のお土産を買っていたのだ。


 ハルリンドはアイスクリームが好きなのだが…。

今回は季節的な理由で違う物をお土産に購入しようと、彼女の住んでいる冥界の地区では、あまり販売していない餡子(あんこ)の入ったお菓子を買う事にした。


『練り切り』というお菓子は、季節によって色々な種類に姿を変える。

例えば季節が秋であるのなら、柿やもみじといった他の季節にはない物が作られるし、とても綺麗だ。

抹茶や緑茶と共に頂く事で、その芸術性は完成されるのだが…砂糖を入れなければ、コーヒーや紅茶などでも美味しく食べられると思う。


そういうわけで、カヤノはいくつかの小さな練り切りを箱にたっぷり入れてもらい、贈答用に包んでもらった。


初めて自分で稼いだお金でお土産を買うのは、とても楽しい。

だからこそ時間もたっぷりかけて、色々な商品を見て歩いた。


そうした事は、一人で来たからできるのだ。

その為にサルマンの家からも早く出たのである。


職場の二人をつき合わせなければいけないとなれば、行く前にお土産を探しに行ったりはできなかったし…つき合ってもらうにしろ、早急に品物を選ばねばならなかっただろう。



そういうわけで、上司と先輩現人神の二人とは、自分がハルリンドの家に訪問した後に、死者達が最初に通過する冥界の入り口の大きな扉の前で13時に落ち合う予定だった…。



その筈だった。



それなのに…。



センターの異界移動施設の待合室には、なぜか午後に待ち合わせの筈の上司がいたのだ!



「ヒロミ先生?えっ、どうしてここに?待ち合わせは13時だし…直接、冥界で会う事になっていましたよね…。」



目をしばたかせるカヤノに上司は、美しい笑顔を浮かべて答えた。



「フッフッフ。9時、少し前に待合室で時間調整をしてから冥界に入ると、あなたから聞き出して…いえ、事前に聞いていたからね。やはり、一人で冥界に行かせるのは心配なので、私も同行してあげようと思ったんですよ。」


「えっ⁉わざわざ、ここで待ってくれてたんですか?そんな…それは、申し訳なかったです…。」


「あ、気にしないで下さいね。休日にお手伝いを依頼してしまったのは私なんですから。一人で先に冥界入りして、若いあなたに何か事故でもあったら大変です。」


「事故?そ、それは、ご心配をおかけしてしまったようで…スミマセン。」



そう言って、カヤノは眉を下げてから


『自分はそこまで頼りなさそうに見えるのだろうか』

『ヒロミ先生は心配性だなぁ』


と思いながら、チラリと彼の服装に目をやった。



その出で立ちは、すっかり一昔前の登山家のようなスタイルで…帰りには、薬草をたんまり摘んで帰る予定なのか、大きすぎるリュックはペタンコだ。

彼は白いシャツに何故かスカーフを巻き、つばの広いモスグリーン色の帽子と歩きやすい靴に丈の短かめなズボンを穿いているが、長い靴下を履いているので足は見えない…。

そして、さすがにブレザーは着ていなかったが、上質なベストを羽織っている。

日焼けを気にしているのか、紫外線防止用の薄手の手袋までも完備していた。


面白い格好だとも思ったが…普段、三つ揃えのスーツをきっかりと着込んでいる彼の軽装は、カヤノからは少し新鮮に見えた。



「ヒロミ先生の軽装って初めて見ました。どこに行ってもお洒落なスーツを着てそうなイメージだったけど…確かに薬草を採取するのに、スーツ何て着れませんよね…ウフフ。」



カヤノは、上司が山登りでも海水浴に行くのでも、スーツを着込んでそうだと思っていた自分の思考がおかしくて小さく笑む。

その笑顔に少し頬をピンク色に染めた因幡大巳は胸を張って言った。



「ええ。シーンに合わせて服装選びをしていますよ。でも、私も一応、現人神なんでね…あ、どちらかというと私は人間寄りではなくて神寄りなんですが。別にスーツを着て山に登れと言われれば、軽く登る事もできます。」


「そうなんですか?でも、服が汚れちゃいそうですね。」



カヤノは上司が胸を張ってまで、得意気(とくいげ)に言うのがおかしくて、プッと噴き出しそうになるのを我慢しながら彼に返答した。

それに上司は頷いて見せる。



「そうなんだ。だから、汚れてもいい服を着る…本当は()()()()()登れるんですけどね。スーツに汚れが付いたら、みっともないでしょ?それに引き換え、こういう出で立ちなら服が汚れても当たり前に見える!」



スーツでも山に登れる事を強調しながらしゃべる上司を、少し可愛いと思いながら、カヤノは『フフ、そうですね。』と笑みを零して彼に頷いた。


そのカヤノの表情に満足した様子で上司は再び口角を上げた。



二人は、そのままとりとめのない話を続けながら出発ロビーへと歩き出し、冥界へと向かうのであった…。



男女二人で軽装に身を包み、休日に出かける姿は(はた)から見れば、なかなかお似合いに見えただろう。


実際に二人は、とても良い雰囲気だったのではないだろうか。



蛇系の神は、片思いの間はお行儀が良いが、相思相愛の相手にはしつこくて執着が激しいと有名だ。

その事で女性陣には敬遠されがちだが、そもそも蛇というのは利口で人の気持ちには敏感だし、細やかな所が多い。

カヤノは、上司が自分に気があるなどと(つゆ)も思ってもいなかったが、移動中も気遣ってくれる紳士的な態度には心地良さを感じていた。

男性が苦手なカヤノにも、彼は適度な距離を保ちながら、色々と親切にしてくれるのだ。



カヤノはその事に我ながらチョロイと思ったが、女の子は誰でも自分だけを見て、優しく気遣ってもらいたいのだ。


見た目の良し悪しは別にして、カヤノだって例外ではない。


だから、上司の自分の事をよく見てくれているような優しい態度には、嬉しさを隠し切れないし、ほんのちょっぴりだけ自分が物語のヒロインになったような淡い気持ちになってしまう。



カヤノは、子供時代に異国の人間男子から、意地悪な言葉を投げつけられた思い出しかなかったので、王子様のように男性に優しく話し掛けられるだけでも、充分、感動してしまうのだ。

それは、仮に『怖い』と感じる相手であっても、その気持ちとは別に起きるものだった。


因幡大巳に自分がお姫様扱いをしてもらっているように感じて、移動中の短い時間をカヤノは楽しく過ごす事ができた。


そして、カヤノは因幡大巳という現人神が女性には誰にでも、こんな風に優しいのだと勘違いしていた。



そうそれは、勘違いだった…。



なぜなら、カヤノがハルリンドの屋敷に着いて、彼女と会った瞬間に、それがわかるのである。



 ☆   ☆   ☆




 冥界のハルリンドの住むフォルテナ伯爵邸の前で呼び鈴を鳴らし、執事が出て来るのを待っている間、一緒に付いて来た上司の因幡大巳は、口を開けて屋敷を見上げていた。



「大きいお屋敷だねぇ。ていうか、これ…お城だよね?()()()()()の知り合いが、まさか…冥界のお貴族様だなんて知らなかったよ…すごいなぁ。」


「知り合いと言っても、私はお世話になってばかりで…。ずっと会えなかったので、冥界に訪れる機会があれば、是非、立ち寄りたいと思っていたんです。その…冥界に来るにはビザや旅券を買ったり、それなりにお金がかかるので…。」



そのお金も今までは、シルヴァスに全て払ってもらっていたのだ。


だが、今はもうアルバイトもしているのだし…これから卒業を迎えて自立さえすれば、お金に余裕ができた時には、いつでも自分の一存で彼女に会いに来れるのだとカヤノは(ひそ)かに考えていた。



「なるほど…。それにしても現代の人間界に比べると、やはり冥界貴族の家は桁外(けたはず)れに立派ですね。現世では、もはや世界遺産とか観光地になっていそうなレベルの建物ですよ。これ…。」


「冥界には、そういう物を作った人間の巨匠達が死後、たくさん暮らしていますからね。現世では失われた技術や伝統が至る所で見られるんです。といっても、冥界観光をしたわけではないから、私はさほど詳しくありませんが。」



カヤノが上司にそう言い終えた所で、屋敷の扉がゆっくりと開かれ、中から感じの良い執事が顔を出した。

そして、カヤノを見るなり、執事は目を瞠ってから相好を崩した。



「これは、珍しいお客様だ。ハルリンド様が喜ばれます!ようこそ、カヤノ様。どうぞ中に…今、ハルリンド様をお呼びしますので、こちらでお待ち下さい。」



そう言って執事は、メイドにハルリンドを呼びにやらせると、二人を中に入れ、客用の応接間に案内してくれた。



カヤノと上司が案内された部屋のソファに腰掛けると、執事はすばやくお茶を持って来る。

そこでカヤノは、執事に自分の上司である隣に座る男の存在と、今日訪れた理由を簡単に話して時間を潰した。


優秀で聞き上手の執事は、カヤノの会話にも優しく微笑んで相槌(あいづち)を打ってくれる。

そして、話しが終わっても、こちらが手持ち無沙汰にならないように、時折、質問をしたりして気を使ってもくれるのだ。


この伯爵邸の執事は、カヤノに限らず女性に対する距離感を心得ているようで、カヤノの数少ない怯えないで接することのできる男性の一人でもあった。


ちなみに執事は怖くないのだが、ここの伯爵邸の主人であるアステリオス・シザンザス・フォルテナ伯爵に対しては、どうしても体がビクついてしまう…。


ハルリンドの旦那様でもある伯爵が、とても立派な人で女性に乱暴などしないのはわかっているのだが、『アスター』と呼ばれている伯爵様は、何しろ、とても体が大きいのだ。


サメ男とは違って顔の造りはハンサムだが、笑顔を作らずに無表情でいる時などは、近くにいるだけで圧倒され、体が強張ってしまう。

カヤノの事を考えて、伯爵様も気を使ってくれているのだが、どうしても怯える小動物のような態度を取ってしまうので、いつも申し訳ない気持ちになる…。


しかし、伯爵には本当に悪いと思うが、今はそんなことを差っ引(さっぴ)いても、ハルリンドに会いたいとカヤノは思っていた。



最後にハルリンドに会ったのは、彼女と伯爵の結婚式以来だ。


もう何年も前の事だった。


あの時は、さすがに強面(こわもて)の伯爵の顔も柔和で、いつも彼が怖いと思っていたカヤノも、割と自然体で会話する事ができた奇跡の日だった。

おまけにハルリンドの投げたブーケをカヤノが取るという嬉しい事も起きたのだ。


あれから数年経つが、自分には全く春の気配が訪れてはいない。


ブーケは取れたが、それを落とす事なくキャッチできた女性が次の花嫁になるというジンクスは、当たらないのかもしれない。



「それにしても、カヤノ様がお仕事をなさっているとは驚きましたねぇ。もうそんな事ができるお歳になられたというのは…時の流れを感じますよ。少女は、すぐに大人になってしまいますな。」



不意に目を細めて、執事が懐かしそうにカヤノにそう語った。

見た目は、40代くらいに見えるが…冥界の執事なのだ…かなりの年なのだろう。

執事の会話は、たまにお爺ちゃんぽい時がある。


カヤノは執事の言葉を聞いて口を開いた。

上司の方は、執事に簡単な挨拶を済ますと、出されたお茶を行儀よく(すす)りながら、カヤノ達の会話を聞いている。



「そう思ってくれます?私、何をしても人並みの事しかできないから…今一(いまいち)、大人になっている実感が湧かないんですけど。少しはハルさんに近付きたいと思って、アルバイトを始めたんです。」


「ほう、そうだったのですか。」



執事がカヤノの話に注意深く耳を傾けていると、隣りに腰を下ろしていた上司が口を開いた。



「おや、そのハルさんという方が、今日、会いに来た人なのかな?」



カヤノは、上司に向かって笑顔で頷く。

そして、大人しいカヤノらしからぬ興奮した様子で、上司に彼女の説明を始めた。

ハルリンドを慕っているのが良くわかるその表情を見て、執事は微笑ましそうにカヤノを眺めていた。



「ええ、そうなんです!ハルさんは、素敵な女性で私の憧れなんですよ!勝手にお姉さんみたいに思っているんですけど…きっと、会えばヒロミ先生だって、すぐに好きになっちゃいます!!」



カヤノの力説に、上司が呆気に取られている中、突然、応接室のノックと共にメイドを連れて現れた美しい女性が鈴の鳴るような声で語りかけて来た。



「嫌だわ、カヤノちゃんてば。人のいない所でハードルを上げないでちょうだい。部屋に入るのを一瞬、躊躇(ためら)ってしまったじゃないの。」



普段小さな声のカヤノだったが、ハルリンドの話になって興奮したせいか、話声が外に漏れていたのだろう。

本人に聞かれていたとあって、カヤノは顔を赤らめた。



「ハ、ハルさん…それはその、ごめんなさい。だって、本当にハルさんは私の憧れだもの…大袈裟に言ったわけじゃないわ。」


「まあ、フフ…謝る必要なんてある?良く言ってもらえて、怒る人なんていないのに…カヤノちゃんは相変わらずね。会えて嬉しいわ!」



カヤノの言葉に笑いながら、ハルリンドは彼女に向かって、両手を広げて見せた。

カヤノはその姿を見て、嬉しくなって思わず、その両腕の中に飛び込んで行く。

ここは貴族の屋敷で、執事や上司の目の前で、はしたないだとか、もうすぐ大人なのに、だとか…そんな事は何も考えなかった。


ただ嬉しくて、姉のような人との久しぶりの再会に、その優しいオーラに包まれたい一心だったのだ。


そんなカヤノを優しく抱きしめて、ハルリンドは思った通りに優しい女神のオーラでカヤノを包んでくれる。



「本当に久しぶりね。すっかり大人っぽくなったわ。それに前も可愛かったけど、もっと可愛くなった。あなたの事は私も妹のように思っているのよ?だから遠慮をしないで、いつでも頼ってちょうだい。」



そんな優しい言葉を掛けられて、カヤノがハルリンドに甘えるようにくっついていると…しばらくして、背後からの視線に気付く。



そうだ!ヒロミ先生の事を忘れていた!!



と思い、カヤノはハルリンドから離れ、慌てて後ろを振り返る。



すると、ハルリンドを前にして、上司である因幡大巳もソファから立ち上がって、呆けたようにこちらを見ていた。



主に…登場したばかりのハルリンドを!…だ。



カヤノや周りの者からは聞こえていなかったが、たった今、因幡大巳の頭の中では、無数の天使達がラッパを一斉に吹いている音が木霊していた。


そして、頭上から落ちてくるように、教会の鐘の音が『リンゴーン』と共に鳴り響く。



彼は思っていた…。



「美しい!ついに出会ってしまった…。私だけの女神よ!運命だ!!」



と…。



因幡大巳は、まさかハルリンドが伯爵夫人で、フォルテナ伯爵のような(いか)つい旦那持ちとは、知らなかった…。



先程の執事の会話でも、それ以前の会話でも、カヤノからは()()()()としか聞いていなかったし、たまたま立ち寄った際に同行しただけの上司に、細かく色々な事を説明する必要もないわけで、単にハルリンドと呼ばれる女性がこの屋敷の住人であり、カヤノの憧れであるという情報だけが因幡大巳の知っている全てなのだ。



カヤノが因幡大巳をハルリンドに紹介するや否や、この上司は挨拶をしたかと思うと、はちみつ色の目をハート形にして話し始めた。



「ああ、カヤノさんが慕う気持ちはわかります。神秘的な濃い紫色の髪に合わせたような青紫の美しい瞳…声は軽やかで鈴の音のようだし、お顔は何て涼し気で美しいのでしょう。まさに、あなたは冥界の女神に相応しい方です!」



執事とカヤノは、因幡大巳の豹変ぶりに顔を引きつらせた…。

口調などは、カヤノが初めて因幡大巳のクリニックに面接に行った日の何倍も丁寧である。

思えば、上司は初対面からカヤノには、砕けた物言いだったと思う。

本人も『アットホームな職場だから』というくらいで、初対面から『カヤノたん』呼ばわりまでされた。


それがハルリンドを目の前にした途端に、上司は急に完全な紳士に変わり、全身を緊張で張りつめているように神経を行き届かせているのがわかる。


カヤノは今まで、トラウマに関して男性に気を使ってもらった事はあっても、ハルリンドに出会ってすぐの目の前の上司のように、女性として相手に緊張を与えた事などなかった。


むしろ、カヤノといると自然体でいられると、よく言われるのだ。


相手は、それをカヤノに対する誉め言葉のように使うが、裏を返せば気を使わないで済む相手というだけの話だ…。

つまり、それは自分が気を使う程の異性ではないと言われている事に他ならないのだと思う。



カヤノは『ハアッ』と小さく溜息を吐いた。



それでも、この屋敷に来る前。

ハルリンドに出会う前は、確かにこの上司も自分に気を使ってくれているように見えた。


ここに来る間は、カヤノは本当に自分が物語のヒロインになったのではないかと、錯覚するくらいだったのだ。


でもそれは、たまたま上司の周りに他の女性がいなかったからにすぎない。


あの時、彼は女性なら皆に優しいのだと思っていたが…カヤノはそれが間違いだったと今、ハッキリ気付いた。


ハルリンドのように美しい人や意中の相手の前では、男性は他の女性の事など目もくれないのだ。


花屋の美しい薔薇と道端に咲く花とでは、同じように美しいと形容しても、実際は誰もが薔薇を手に取るように…。


そして、自分はその『道端の花』なのだと、上司の態度の変わりようを見て、再認識させられたような気がした(わかっていた事だが)。


どんなに『可愛い』と言ってもらえても、道端に咲くような小さな花など、大輪の薔薇には敵わないのだ。

たった今、『可愛い花だね』と話していても、他に興味の対象が逸れたのと同時に、踏みつけても気にならなくなるのが、そうした花の宿命である。



カヤノの頭の中で、自分がシルヴァスに思いを告げた日が、フラッシュバックする。

こんな事がある度に、幾度も幾度も改めてその日の告白を後悔をするのだ…。



シルヴァスさんがハルさんを、そんな簡単に忘れるられる筈なんてないのに…と。



もし、仮にシルヴァスさんがハルさんを忘れさせる事のできる女性に出会えたとしても、それは私以外の誰かでしかない。

それなのに、シルヴァスさんが好きだなんて…自分は本当に身の程知らずだ!



こんなステキな人(ハルリンド)に心奪われた男神が、自分などに関心を寄せるわけがないのだと、自分の憧れの女性に対する上司の懸命な姿に、カヤノはシルヴァスを重ねて、再び過去の自分の愚かな行動と現実を胸に深く刻みつけた。



そして相変わらず、因幡大巳がハルリンドの気を引こうとして、口角泡を飛ばす勢いで色々な話題を振っている中、カヤノは静かに顔を俯かせていく。


その様子を目敏(めざと)く確認した伯爵家の執事は、そっとカヤノの肩に手を置いて微笑んだ。



「ハルリンド様は美しい方ですが…あなたもとても可愛らしい。人も神も趣味は千差万別。私の中の最上は妻ですが…もし、あなたとハル様のどちらかを選べと言われれば、私には甲乙つけられませんよ?」



誰にも聞こえないように、小さな声でそう言って、執事はカヤノに片目を瞑って見せた。


カヤノには、彼の言っている意味が理解しきれなかったが、自分を励ましているのだという事はわかった。


だから、非常に小さな笑みを彼に向けた…。


だが、彼の励ましの言葉にカヤノは思う。



「そうよね…誰にでも良さはある。でも、甲乙がつけられないのじゃダメなのよね…。」



執事の最上は妻なのだと言ったが…。

シルヴァスも自分とハルリンドのどちらかを選べと言われたら選べないのだと言った。

どちらも同じくらい良いのではダメなのだ…。


要は、自分は誰かの『最上』にはなれないのだろう。


自分はそれでも良いと考えた所で、誠実なシルヴァスはそれではダメだったのだ。


シルヴァスに愛されるには、ハルリンドより自分を選ぶと言ってもらわなければならない。


だが、それは不可能だ。


カヤノ本人が、強くそう思った…。


本日もアクセス、ありがとうございました!


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