春の嵐と恋の風㉒
カヤノを引き取る前は、家にいついた事などないシルヴァスだが…。
今は、仕事以外は完全に自宅に引きこもっていた。
理由は、彼が心底、悩んでいるからである。
二週間近く前、シルヴァスはおでんの引き屋台で、相棒・クシティガルヴァスと飲みながら、カヤノについての現状と自分の気持ちを語った。
そこで、自分自身では、どうしてかわからなかったカヤノに対する感情の正体を、おでん屋とクシティガルヴァスに『ズバリ』と指摘され、思いも寄らない事実に衝撃を受けたのだ。
クシティガルヴァス達の分析によると、どうやら自分がカヤノを『異性として好き』になってしまったのだという!
『そんなバカな⁉』と思ったものの、言われれば言われるほど、その通りの相棒らの言葉に、シルヴァスはぐうの音も出なくなった。
そんな衝撃的な事実を、相棒やおでん屋に扮する刑事課エリートにつきつけられ、シルヴァスは自分がどうしていいのかわからなくなってしまう。
いや、どうしていいのかも何も…シルヴァスは、既にカヤノがせっかく勇気を振り絞って、自分にしてくれた告白をうやむやに流してしまったのだ。
それも、しっかりと『自分はまだ過去の恋を忘れる事ができないのだ』という断りも入れて!
余計な事を言ってさえなければ、まだ、自分の気持ちを確かめる為に保留もできた筈だが…。
シルヴァスは、クシティガルヴァス達から、カヤノに対する自分の心無い言葉と行動…それに、己が早まってしまった事に関して色々と指摘を受け、あらゆる後悔と動揺をした。
それにより、余計に自分がどうすればいいのかわからなくなり、身動きが取れず…あれほど、無理矢理、理由を探しては訪れていたカヤノのアルバイト先にも、顔を出せずにいる。
カヤノの事が心配でないかと言えば嘘になるが、もしかすると自分の思いが保護者としての心配ではなく、カヤノへの恋情かもしれないと思うと…一度は断ってしまった自分が、今更、カヤノに好意を抱く男達を追い払っていいものか迷いが生じてしまう。
自分がもし、カヤノを異性として好きなのだとすると、今、カヤノに好意を寄せている現人神の男どもとは、同じ穴の貉という奴だ。
それならば、一度、カヤノの思いを受け取らなかった時点で、自分には、この同じ穴の貉達を蹴散らす権利がないのではないか?
自分の今までの行動を、おでん屋や相棒に咎められたのは、仕方がなかったのだ。
また、シルヴァスが仮に、本気でカヤノに恋情を抱いていると自分で悟っても、ハルリンドへの思いを未だに否定できないのも事実で、その事はシルヴァスがカヤノへの思いを主張する為のネックになっている。
カヤノを異性として愛していたとしても、この数年、保護者として彼女の成長を見守って来た自分が、彼女に幸せになって欲しいというのも本心であり、そんな彼女と結ばれて欲しい男は、二人の大事な女性を目の前にしても、迷わずカヤノの手を取り、選んでくれる男なのだ。
自分は、そういう岐路に立たされた時、一瞬、迷うと思うし…どちらを選ぶかも…その時になって見ないと、今でもわからないのである。
そんな優柔不断な自分だからこそ、カヤノには相応しくないと思っていたのだと、改めてシルヴァスは思い返す。
シルヴァスは、その雰囲気からして、軽く見られがちだか、好きになった女性には誠実だ。
だから、自分がハッキリとカヤノを選び守るという確証が得られなければ、彼女の思いに応える事も、自分の気持ちを告げる事も、不誠実なように思えてしまうのだ。
だが、だからと言って、カヤノの事を少しでも考えると、エセ患者や因幡大巳…サルマンの顔がチラついて、気が気でなくなってしまう。
それなのに、カヤノの思いに応えられないのなら、それらの男達を妨害する行為は、カヤノにとって宜しくないと、おでん屋にまで釘を刺されてしまった。
思い悩み、カヤノの元にめっきりと訪れなくなったシルヴァスに対して、先日、職場の昼休み中にクシティガルヴァスが見兼ねて声を掛けて来た。
「いいか?シルヴァス…悩んだって、お前らしくないし、時間の無駄だ。どうしていいのかわからないのなら、先輩現人神である俺が教えてやる。この問題の選択肢は二つだけだ!」
そう言って、クシティガルヴァスはシルヴァスに二つの項目を上げて聞かせた。
「まず第一に、お前は彼女の告白を断った事に対して謝罪し…離れてみて、自分が彼女をいかに愛していたか気付いたのだと、少しでも早く伝えろ!そうして、周りを牽制するんだ。」
そう述べた後、クシティガルヴァスは、万が一、彼女の心が少しでも既に離れてしまっていたのなら、彼女が成人するまでの時間を最大限に使って『必死に押しまくれ』とアドバイスを付け加えた。
「第二に、お前が失恋相手に踏ん切りがつかないのならもういい!彼女の事はきっぱりと忘れろ!他の男に手を出されても耐えて、彼女が自立をするのを待て。気になっても、彼女の事を考えるな…。」
相棒は、最後の語尾を弱々しくいった後、再び付け加えるように言った。
「だがな…シルヴァス。考えるなと言っても、考えてしまうのが恋なんだ。その自分の心に歯止めが利くというのなら、それを恋とは呼ばないだろう。それでもまだ、お前がその思いに確信が持てないというのなら、きっと…それが答えだ。もう彼女に極力、関わるな。」
それから相棒は、
『お前は、自分の思いに気付かずに、一度、間違った。
だが、お前は俺やおでん屋の指摘で、自分の恋情の可能性に気付いた筈だ。
今なら、まだ間に合うかもしれない…相手もまだ、お前に気持ちが残っているだろう。
お前は彼女を大事に思うあまり、自分の恋情に疑問を抱き、過去の恋愛を引きずり、思いきれないようだが、迷えば、その分、彼女との距離ができてしまうし、その間にライバルは増えるだろう。
そうわかっていて、思い悩むなら…先ほども言ったように、それが答えだ。
このまま、彼女を手放すんだ。
お前が言うように、迷わず彼女にアプローチしてくる男の方が彼女にとっては、お似合いの相手だ。
そして、二度と彼女の行動や周りに関わるな…。
例え、彼女にお前の気に入らない男が寄ってきても、お前は将来の彼女には必要のない存在だ。
彼女が自立したら、彼女の前から潔く消えろ!』
とシルヴァスに強調して言い聞かせた。
シルヴァスは、固まったように相棒の顔を見詰めた。
クシティガルヴァスは、優しく笑んで言った。
「俺は二つのうち、一つを選べと言った。彼女に謝って、恋敵を蹴散らすか…彼女の人生から消えるか…だ。そう言われてしまえば、非常にシンプルで、思い悩む必要なんてないだろう?」
「クーガ…君の言う通りだ。それなのに…。」
「ああ、わかってる。お前、本当は答えが出てるんだ。」
「だけど…僕は…。」
「頭でわかっていても、心が別の方向に行こうとする…それも恋だ。」
「だから、悩むんだ…。」
「だから…悩むな。お前の心が、お前の頭で考えている事を負かす事ができなかったから、お前は今、彼女の元に行けないでいるんだ。それが答えだと言っただろう?」
「それが…答え…?」
「ああ、諦めろ。女の子は皆、お姫様になりたいんだ。愛を語るのに悩まれるなんて…お前なんか相手じゃ彼女が可哀想だ。フン、フェミニストが呆れるぜ!」
「どういう意味だよ…僕だってカヤノちゃんが大事だから…こんなに苦しんでるのに。」
「そういうのエゴだろ?女一人の思いにも応えられない…過去の恋愛を引きずった女々しい野郎なんざ、一生、独り身でいやがれ。告白までさせといて…断って…彼女の周りにうろつくなんざ最悪!」
「なっ⁉」
段々と、最初は、慈愛に満ちていたクシティガルヴァスの表情と言葉が豹変して行く。
雲行きが変わると…相棒のあまりの自分への物言いに、シルヴァスは体を震わせた。
そこにすかさず、クシティガルヴァスがシルヴァスに言葉でパンチをくらわせた。
「悩むなら、諦めろと言っているんだ!何度、言ったらわかるんだ⁉現人神社会じゃ女が足りてないんだぞ?お前が振ったって、代わりなんてすぐに現れるさ。ほら、俺とこうして話している間にも…。」
そこで言葉を切ったクシティガルヴァスに、シルヴァスは目を鋭くさせて睨みつけた。
「こうしている間にも、彼女を他の男が狙っているかもしれないぜ?最悪の場合、早い子は卒業前に…就職する子は、一年持つかどうか…持っても三年だ。すぐに誰かのモノになる…。」
「くっ!」
何も言えず、シルヴァスの口からは、歯を噛みしめた音しか出なかった。
そんなシルヴァスに、吐き捨てるように相棒は、無情な事実を告げる。
「お前だって、毎年、職場に入って来る新入りの女性現人神を見て知っているだろうが。今、一年前に来た子の中で…独身の子がいるか?いたとしても、婚約者持ちの挙式待ちだ…。」
ああ、そうだ…。
何で自分は、カヤノが卒業しても大丈夫だと思っていたんだろう?
確かに自分は甘かった…。
当初、彼女はトラウマを抱えているし、自分の傍に就職させて、寄ってくる男を追い払おうと思っていたが…それはすべき事ではないのだと気付かされた。
だが、そうしなければ…。
全て、クシティガルヴァスの言う通りになるだろう。
シルヴァスは、それだけ聞くと、ヨロヨロと立ち上がり、クシティガルヴァスから離れて姿を消した。
その日、シルヴァスは早退して、家に帰ってしまったのだ。
☆ ☆ ☆
シルヴァスが早退した日から…最初の休日がやってきた。
早朝。
『クシティガルヴァスが、自分に言った事は相変わらず正しかった。』
『だからこそ、自分はもう迷うべきではない!!』
『自分のするべき行動…それはわかっているのだ。』
だというのに、クシティガルヴァスの声を散々聞いた事で、また迷ってしまうという堂々巡りをシルヴァスは繰り返していた。
相変わらず、ろくに家の外にも出ないでいる…。
「クーガは正しい!僕はカヤノちゃんに接近してはいけない男だ。それが答えだ!だから、この所、クーガの言う通り、悩まず…(?)彼女に接触をしない事に決めたし、会いにも行っていない!」
相棒の言う通りに、シルヴァスは、頭でわかっている事を実践していた。
「もう自分のすべき事はわかった!あの口の悪い、憎らしい相棒のお陰でね。」
その為、外に出た方が気が紛れるような気もするが、シルヴァスは『忘れろ!』と言われた事に関して、それだけは実践できず、今も当初通り『思い悩む必要のない事で悩む』という…理解しがたい精神状態に陥っていた。
その為、結局は外出を控えているのである。
なぜなら、外に出た瞬間にシルヴァスはカヤノの元に、今にも駆けつけてしまいそうな衝動に駆られていたからだ。
あれから、カヤノの事を忘れようと会わずにいたが、それが余計に精神的・末期状態のような症状を作り出している。
「このままじゃ、僕ヤバイかも…。もし、カヤノちゃんが僕の元から出て行って、すぐに結婚するって言ったら…どうしよう…。」
ハルリンドの時も苦しくて、心の底から祝福できなかったが…今のシルヴァスの状態は、あの時の苦痛が忘れられなくて、怖がっているというようなモノではない。
そんなものの比ではなかった。
祝福できないどころか…挙式にも出席できないし、相手の男の顔を見る事もできないかもしれない。
クシティガルヴァスの厳しい言葉は有り難く、自分のすべき事がハッキリすると『どうしたらいいのかわからない』件に関しては解決したが、今度はその事がにより、余計に胸のモヤモヤが発生したように思う。
今度は、すべき事をしたくないけど、しなければならないというジレンマに陥ったのだ。
全く救いようがない精霊である。
思うな、悩むな…と言っても、それが恋…。
ならば、自分はやはり恋をしているのだ!
だが、自分はカヤノに相応しくない!
そう思うなら耐えなければならない…。
それが辛い…。
おい、しかし…恋しているのに耐える必要なんてあるのか?
いや、じゃあ、僕は彼女だけの王子様になれるのか?
ハルリンドへの思いは…?
少しでもそんな風に他の女性の事を考える自分は、彼女に相応しくない…。
そこまで考えて…endless。
→クシティガルヴァスの言葉を回想
→割り切れない!
→また悩む…(振出しに戻る)。
もうやってられない!
頭が狂いそうだ!!
そう思って、シルヴァスが室内で一人、悶絶したように苦しんでいると…。
「ジリリリリリッ!」
弱るシルヴァスの元に、一本の電話が鳴った。
旧型の電話音にシルヴァスが一瞬、体をビクつかせて、ゆっくり受話器を取って耳にあてると、電話の相手は…。
ただの…。
おでん屋だった…。
一瞬、『もしかして』と、カヤノからの連絡を期待してしまった自分が悲しい。
「もしもし、シルヴァスさんですか?」
おでん屋の野太い声に、カヤノの小さく可愛らしい声を比較しながら、シルヴァスは気怠そうに応答をする。
「何?君さ…今、何時かわかってるのかな。朝の6時37分だよ?普通さ、平日でもないのに…せめて、9時過ぎてから、電話ってしない?」
「スミマセン…人間界の仕事の都合上、週末は客も多いし、仕事上がりが明け方近くになってしまったんです。で、それから統括センターからの報告を受けたものですから…。」
「報告ぅ~?こんな早朝~?」
「刑事課では、年中無休で深夜スタッフが交代で常に在中してますからね。依頼していた検査結果や、情報の更新、報告業務などでワタシもおでん屋の仕事上がりや早朝に、必ずセンターに寄るんです。」
「へぇ。で、報告を受けて何かあったの?僕、刑事課と関りはないと思うんだけど…。しかも、その用事って、急ぎ案件なわけ?関係のない僕にさ…。」
生真面目なおでん屋の事だから、非常識にも何か用事ができると、すぐさま連絡を寄こしたのだろうと、内容が大したものではないと考えていたシルヴァスは、呆れたような声を出した。
それはその筈だ…シルヴァスは刑事課などには、普段、全く関わりがない。
おでん屋から連絡を入れられるような間柄でもないし、彼が自分の電話番号を知っていたのは、前に休日に調査協力をした人間の少女に売春斡旋をしていたクズの店の件で、連絡先を書類に記入したからに違いない。
ん…?
とすると、その件で何かわかった事でもあったのだろうか?
だとしても、部外者の自分に朝一で、電話を入れるってどうかと思うぞ?
調査協力をしてやったからって…自分としては、次回、会った時…おでん屋に行った際にでも、ついでに教えてくれるくらいの義理で全然、構わないのだ。
いくら真面目だからって…早朝ではなく、昼や夕食前あたりに連絡を入れたって充分だろう。
そんな…一々、わかってすぐに、朝の6時37分に連絡入れて来なくたって…生真面目すぎだろ?
シルヴァスは、電話越しで見えないのをいい事に、思いっきり渋い顔をした。
そんなシルヴァスの表情が見えなくても、思っている事がわかるのか、電話越しのおでん屋は申し訳なさそうな声を出した。
「本当にスミマセン…。あなたにとって重要でなければい良いのですが…万が一という事もあったので、急ぎの連絡をさせてもらったのです。前回、人間の悪質店について調査協力をしてもらいましたよね?」
「うん…やっぱ、その事か。」
「ええ、その事であなたが地獄に送った人間達を確認してもらった後、我々は閻魔様から許可を頂き、独自に彼らの魂に刻まれた記憶や関わった者の調査を進めたんです。結果はワタシの睨んでいた通りでした。」
シルヴァスは『僕も思っていた通りだったよ』と電話越しで舌を出して、相手をおちょくるような変顔をした。
無論、見えていないからしたのだ。
しかし、おでん屋の次の言葉を聞いて、途端に真顔に戻る。
「奴らはマッド・チルドレン達と関わっていたのです。」
シルヴァスは、先程の気怠い態度を一掃して、受話器に耳を押し付けた…。
次の更新は、明日になります。




