春の嵐と恋の風⑰
シルヴァスの黒い部分が、着々と垣間見え始めました…。
久々にカヤノと水入らずで過ごす穏やかな休日になる予定だったのに!
カヤノと電話で話したのが三日前…。
昨日は、今日になるのが楽しみで…浮かれて、酒を飲みすぎてしまった。
シルヴァスは、膨れそうになる頬を、カヤノに気付かれないように、自分の手でそぉっと押さえて空気を抜き、無理矢理、顔に笑みを貼り付けた。
そんなシルヴァスにカヤノが首を傾げて声を掛ける。
「どうしたの、シルヴァスさん?もしかして、虫歯ですか?まさか、私がいないのを幸いに…お酒を飲んで、そのまま眠っちゃったりしてませんよね?」
カヤノは疑うように目を細めて、少し咎めるような表情を作った。
シルヴァスは、慌てて頬から手を離す。
「虫歯なんかじゃないよ!お酒は…その、少し飲んだりするけど…眠っちゃったりとか…うん、たまにだよ…本当に…勿論…いつもは…してないから。」
というか、現人神と言っても僕の肉体は人間の血を一滴も引いてないし…虫歯になんてならないよ!
シルヴァスは心の中でそう思いながら、カヤノに向かって瞬時に首を振った。
それを正面で見ながら、カヤノは訝し気にシルヴァスに聞く。
「…ちなみに昨日は、どうなんですか?」
「…ええと、昨日は…どうだっけかなぁ?」
「・・・・・。」
カヤノは眉間にシワを寄せて、この上なく冷めた瞳を更に細めた。
シルヴァスは、目を明後日の方向に泳がせて、ソッポを向いているではないか。
「シルヴァスさんてば!何、聞こえないフリしてるんですか?」
確かにカヤノの指摘通り、シルヴァスは昨日もパピヨンに立ち寄り、酒を煽って、そのまま歯も磨かずにソファで眠って夜を明かしてしまった。
しかしそれもこれも、カヤノが家にいてくれれば、しないで済んだ事だ!
普段なら、『シルヴァスさんこんな所で寝ないで下さい』とカヤノが声を掛けてくれる。
いや、そうなる前に『歯を磨いて寝ないとダメですよ』と言ってくれる筈だ。
いや、待て。
そもそも、カヤノがいれば、自分は少なくとも…週末以外は、カヤノの為に早く帰って夕食を作り、規則正しい生活を送っていた筈なのだ!
たまに、飲み過ぎた時に、今のようにカヤノに咎められる程度の事はあるが…。
最近のように連日、酒浸りの生活などしていない…少なくともカヤノさえ戻ってくれば!
そう思うと、シルヴァスはカヤノの方に向き直り、貼り付けていた笑顔を消して、開き直ったように言い返す。
「聞こえているよ…。でも、そんな非難めいた顔をするなら、カヤノちゃんが戻って来て、僕を起こしてくれればいいだろ?」
「そ、それは…まだ…。」
シルヴァスの言葉にカヤノは少し狼狽えた。
そんなカヤノが次に何か言おうとする前に、隣りに座る第三者が先に口を開いた。
「何言ってんのよ…アンタ…いえ、先輩。アンタは彼女の保護者でしょう?保護者のクセして養い子に面倒を看てもらうとかって…逆でしょうが!」
シルヴァスに強い口調を向けてくるのは、カヤノの隣にちゃっかりと、なぜか座っているサルマン・キュベルである。
「…というか、なぜいる?サルマン。」
愛想笑いを消した瞬間、シルヴァスは取り繕うことなく本音を口にした。
先程までは、一応、サルマンの存在には目を瞑っていたのだ。
だが、考えてみたら指摘しないのもおかしい。
カヤノと交わした電話でのやり取りでは、サルマンが同行するだなんて、一言も聞いてはいない。
それなのに、約束の時間にシルヴァスが喫茶店を訪れると、当たり前のようにカヤノの担任であるサルマン・キュベルが彼女の隣に腰かけて…しかも、シルヴァスより先について座っていたのだ。
シルヴァスは、最初に会った時とは打って変わって、ハッキリと面白くなさそうに顔を顰めた。
その不服そうな表情を目の前にして、今度はカヤノが立場逆転といった展開で、慌ててシルヴァスに説明を添える。
「シルヴァスさん…そんな言い方しないで。先生は、私がシルヴァスさんに会って、決意が揺らいで残りの3か月間、我慢できずに家に戻ってしまうのではないかと心配して同行してくれたんです!」
「はっ?心配?意味が分からないな…僕は別に君の自立に反対はしていないが、急かす気はない。決意が揺らぐくらいだったら、焦ってトラウマの克服をする必要はないし、帰ってくればいいんだ。」
シルヴァスは『自立に反対はしていない』と言ったが、それは嘘だった。
今日は、カヤノの職場の話を和やかに聞き出して、今後の対策を練ろうと考えていた。
そして、あわよくば、早々の自立なんて馬鹿馬鹿しいとカヤノに思わせて、丸め込めれば幸いだと思っていたのだ。
カヤノが自立を試み始めたのが、恐らく、告白してくれた彼女に対しての自分の対応のマズさだと知って、シルヴァスはこんな事になるのなら、嘘でも一時的にカヤノの告白を喜ぶフリでもしておけば良かったと後悔していた。
その後、カヤノに好きな男ができた時に、自分が身を引くという体を取れば問題ないし、カヤノが成熟してから、頃合いを見てカヤノの自分に対する感情は『男女の愛』とは違うモノなのだと、教えてやっても良かったのだ。
それなのに、自分ときたら、柄にもなく冷静さを欠いて、馬鹿正直な対応をし過ぎてしまった。
お陰で、カヤノが必要以上にトラウマ克服に向けて頑張り、自立を意識して、寄り好みをしている暇もなく早い者勝ち同然で独身野郎(現人神ども)に捕獲されそうになっているのが現状だ!
それをシルヴァスは阻止したい!
それなのに目の前に、その目論見の邪魔をする男…サルマンがカヤノと共に現れたのだ!
カヤノには咎められたが、『そんな言い方』もしたくなるってものだ。
剣呑な雰囲気を醸し出すシルヴァスの鋭い視線を見て、サルマンがカヤノにはわからぬように、意地の悪そうな笑みを浮かべて口を挟んだ。
その顔は、まるでシルヴァスを挑発するようだ。
「おや、シルヴァス先輩、何をそんなに悠長な事を言ってるんです?カヤノさんは卒業したら、社会人になるんですよ?それとも、どこか嫁ぎ先が早々に決まっているのかしら?」
そのまま二人は、カヤノを抜かして押し問答を繰り返す。
「今時、この年で嫁ぎ先が決まるとかって…ないわ!そんな事を言うサルマン、お前、どんだけ性格悪いの?そんな事になったら…僕、泣くわ!」
「いえ、お言葉ですが…現人神社会ではカヤノさんの歳で婚約者がいても全然、問題ないし、おかしくありません!それにそういう事がないのなら、尚更、社会に出て仕事をしなければならないわ。」
「サルマン、仕事の方も…僕は急がなくても良いと思ってるんだ。彼女がゆっくり自立できるように見守ってやりたい…僕は、その為の保護者なんだから。」
「あのね…そんな事言ってたら、いつまで経ってもトラウマ克服が先延ばしになりますよ?つまり、自立自体できないし…仕事の方だって、卒業後、延々とアンタに養われるのはおかしいでしょ?」
「そんな事ない。僕はカヤノちゃんの事情を知って引き取っているんだ。僕が良いって言っているのに、何でダメなんだよ⁈」
「言っておくけど…先輩はカヤノさんの保護者登録をしているけど、養子縁組はしていないわよね?独身者の養子縁組は、現人神社会では認められないもの。当然よ。つまり、引き取る事が許可されても親にはなれないわけ。」
サルマンの言い出した事に、シルヴァスは咄嗟に口を噤む。
それをチャンスとばかりにサルマンは、シルヴァスに言葉を連ねる。
「単なる保護者登録の意味ってお分かり?基本的に成人するまで面倒を看るのが義務であって、それ以降は養い子と男女の関係にもなれるのよ?」
続けられるサルマンの言葉に、黙ったシルヴァスは、ゴクリと唾を飲み込んだ。
そうした話は、今、カヤノの前では触れて欲しくはなかった…。
「アンタとこの子がそういう関係なら、アタシは何も言わない。でも、お二人は違うでしょ?」
「勿論…僕は、養い子に手を付けるような男じゃない。」
「そりゃそうよ。他の独身保護者だってそんな事しないわ。でも下心のある奴が大半だし…18歳の成人後は、保護者である義務から解放される。すると立場は一変!保護者だった男がを恋人関係を望むのが一般的だわ…。」
「僕はそうじゃない!!」
「…知ってるわ。シルヴァス先輩は学生時代から、そういう人じゃないもの。だからこそ、カヤノさんの卒業後は、一早い自立が必要なの。」
「どういう意味だよ…?」
「成人して卒業したのに、いつまでも、元・保護者と住んでいて養ってもらったら、下手するとカヤノさんが、アンタのお手付きだと思われるわ…。そう思われたくないなら、離れるべきよ。」
「っだが!カヤノちゃんは心理的外傷を…。」
「ストーップ!そうトラウマがある…だから卒業後、半年やそこらアンタに養われていても、トラウマ克服に時間を費やしたと言えば、世間も色眼鏡で見ない。でも、そう長い間は無理ね…アンタと暮らし続ける事は彼女のマイナスになるのよ!!」
「マ、マイナス⁈」
最後の捨て台詞のように吐かれたサルマンの言葉で、シルヴァスの頭の中に『ガアァァァーン!!』という音が鳴り響いた。
その時、今までシルヴァスとサルマンの押し問答を、黙って聞いていたカヤノが口を開いた。
「私、本当はシルヴァスさんと…ずっと一緒にいたい…でも、自分はシルヴァスさんの恋愛対象外だとわかっていますし…お互いの将来を考てもサルマン先生の意見が正しいと思います。」
シルヴァスは目をゆっくりと見開いて、カヤノの顔を見詰めた。
カヤノは、シルヴァスの顔を直視できないでいたが、意を決したように続けて言葉を紡ぐ。
「シルヴァスさんが親切で、いつまでも居て良いと言ってくれるのも、甘やかしてくれるのも、有難いとは思いますが、義親でも恋人でもない…養い親の義務が終わった男性のお世話になるのは嫌です。」
シルヴァスの耳奥では、カヤノの最後の一言が『嫌です』『嫌です』『嫌です』…と、何度もリフレインされたように聞こえている。
カヤノは言い終えても、シルヴァスから目を逸らしたままで、弱々しく苦痛に歪んだ表情を浮かべていた。
その横で、サルマンが嫌らしく手をカヤノの肩に添えて…抱き寄せるような形をとる。
おい!どさくさに紛れて…その手は何だ⁈放せ!サルマン!!
(クワッと牙を剝いたように口を開けたシルヴァスは心の中でそう叫んだ。)
パクパクと言葉にならない声を空気でしゃべりながら、シルヴァスは鋭くサルマンを睨みつけた。
サルマンは、シルヴァスなど無視をして、全く警戒心のないカヤノの耳元で妖艶に囁く。
垂れたピンク色の瞳には、熱情がこもっているように見えた。
「よく言えたわね…カヤノ…頑張ったわ。今日は、やっぱりアンタについて来て良かった。万が一、すぐに自立できなくても…アタシの家なら姉さんもいるし…卒業後、アンタさえ良ければ下宿しなさい。」
下宿⁈何だソレ?
僕の家はダメで、何で独身野郎・サルマンの家に下宿するのは、良い事になっているんだ?
あり得ない!!
(シルヴァス・やるせない心の声)
そう思ったシルヴァスは、そっくりそのまま、その事を声に出してサルマンに伝えた。
サルマンは悪びれなしに、気持ち悪くかわい子ぶって首を傾げる。
正直、僕には、男にしか見えないサルマンのそのしぐさは、ごっついオカマよりキモイ。
色っぽい顔をするな…吐く!
「ふう…愚問ねぇ。アタシは教師で彼女の担任よ?ご存じの通り、当校は永久担任制…困っている教え子に手を貸しても誰も不思議がらないわ。それにうちは、男所帯の先輩宅と違って姉がいますから。」
ニヤリと笑むサルマンの言葉に、シルヴァスは『うっ!』と低い声を漏らした。
せっかく今日は、カヤノをうまく丸め込もうと考えていたのに…このままでは、逆にサルマンによって、こちらの方が間違っているのだとカヤノに刷り込まれてしまう。
現に大人しいカヤノが、自分の『世話になるのは嫌』などと言ってくれたのだ…。
コノヤロー、サルマン…僕のカヤノちゃんに何を吹き込んでやがる⁈
このままでは、カヤノを良くない心証のまま帰してしまう事になり兼ねない。
それでは、わざわざ、直接会った意味がない!
『クソ!何か言わねば…。』とシルヴァスは口を開きかけた。
その直後、『ゴホン』と咳払う音が聞こえてきて、一同はその方向に注目をした。
見ると喫茶店のマスターが自分達の座るテーブル席のやや後ろで立っていた…。
喫茶店内は、白を基調とした明るい雰囲気で、センターに大きな観葉植物が置いてあり、そこから放射線状に並んで座席が配置されてある個性的な空間だ。
壁には抽象っぽい絵がいくつか掛けられており、出窓にはガラスの器の中で浮いているように見える花が一輪、飾られている。
その中央の座席に近い場所に座っている三人は、とても周りから注目を集めやすい位置にいた。
「あのー、お話が取り込み中に…申し訳ございませんが…その、そろそろ注文を~?」
語尾を濁らせて、目線を宙に浮かす喫茶店の主。
他にもギャルソン風の店員がいるが…込み入った話をし続ける客に、オーダーをどうすればいいかと考えあぐね、マスターに相談したのだろう。
そして、目の前マスターも、いつ話しかけていいのやらと、テーブル付近で話の切れ目をずっと見計らっていたのに違いない。
どのくらい長く、脇に立たせていたのかは知らないが、一同が水をもらってから随分と経つ。
既に相当…他の客から自分達は、注目されていたのだろうと想像される…。
先に座っていたサルマンとカヤノも、注文はシルヴァスが来てからするからと断っていたようだ…。
申し訳なくて、三人は『あっ!』と声を出した後、そそくさとメニューを見やった。
三人とも、今更、飲み物を一杯程度注文するのは気が引けて、サルマンが最初に声を上げた。
「もう、こんな時間だし…丁度いいから、ランチを頂きましょうか?ケーキもつけて…。あっ、今日はアタシ…無理に付いて来ちゃったから、奢らせて頂くわね。」
サルマンに奢ってもらうなんてと、シルヴァスは眉を顰めた。
確かにコイツは実を言うと良い所の息子で、上位の現人神家系だったような気がする…金は掃いて捨てるほど持ってそうだが、養い子の教師なんかに奢られるのは、シルヴァスだって保護者としてのプライドが許さない!
「いや、結構だよ…サルマン。お前は一応後輩で、カヤノちゃんの先生でもあるんだから…いつも養い子が世話になっている保護者として僕が奢る。カヤノちゃんも、好きな物を取りな。」
しかし、その事でカヤノも参戦を始める。
「待って下さい。初めてのアルバイトで、私もお金を稼げるようになったんです。お二人には、日頃からお世話になっているんですから…こんな時くらい、奢らせて下さい。今日は私が出します!」
『アタシが…』『僕が!』『私が!』と続けて、加熱する押し問答に決着がつかぬまま数分が経過し…ついに、シルヴァスの自宅付近にある喫茶・CHAOSのマスターが堰を切ったように声を荒げた。
「どなたでも構いません!!それは、お会計の時までに、話し合われたらいかがでしょう?ですが、オーダーは、今、お決め下さいませ!」
三人は声を揃えて言った。
「「「かしこまりました!!」」」
(シルヴァス・カヤノ・サルマンの合唱)
結局、どっちが客だかわからないような、気を使っての注文を済ますと、どこからともなく、周りの客から笑い声が漏れたのが聞こえた。
三人は、今度は口論にならないような、当たり障りのない話題を意識してしゃべるようにした。
そのうちに、その主な会話内容は、カヤノのアルバイト先の話へと転じていた。
シルヴァスもサルマンもそれに興味深く耳を傾けている。
一見和やかにランチタイムを過ごし、三者が食後に頼んでいたケーキとコーヒーを飲み干すと、そろそろ店を出ようかとサルマンが再び切り出した。
サルマンがいると、カヤノと話す内容も限られてくるので、シルヴァスも『そうだな』と同意して席を立った。
今日は少なくとも、カヤノの職場の事もわかったし、サルマンの家での暮らしぶりが見て取れたので、これで良しとするしかない…。
結局、会計はシルヴァスが持つ事になって、レジ付近に移動する際、シルヴァスはカヤノの近くに接近すると『おや?』と目を光らせた。
今日は黒髪にせず、元来の色で現れたカヤノの頭に付いている、前髪を上げる為の髪留めが見慣れない物だったのだ。
女性の外見に目の早いシルヴァスは、すかさずカヤノに聞いた。
「あれ、この髪飾り…前からあったっけ?見慣れない髪留めだねぇ。買ったの?」
シルヴァスの問いにカヤノは顔に柔らかな笑みを作り『ウフフ』と一言。
「これね…サルマン先生が、ずっと前のお休みの日に買ってくれたの。可愛いですよね?」
シルヴァスは一瞬、顔を歪めたが、すぐに満面の笑顔をカヤノに見せて言った。
「そう…サルマンが…。可愛いね。」
それから、サルマンの方に目を向けると、レジ横で会計を済ましながら、彼にも声を掛ける。
「サルマン…うちのカヤノちゃんに目を掛けてくれてどうもありがとう。でも悪いから、今後はこういう事はなしで頼むよ。もし、必要な物があれば僕が購入するし。」
サルマンもシルヴァスに言葉を返す。
「悪いだなんて…そんな物…アタシにとっちゃ、クラス全員にアイスを奢るくらいの感覚ですのよ?一々、気になさらないで?可愛い教え子に何を買おうとアタシの自由ですから。」
「そうだね…フフ、ありがとう、サルマン。カヤノちゃん、可愛い髪飾り…僕にも見せてもらっていいかい?」
シルヴァスがサルマンから向きを変えて、カヤノに笑顔で問うと、カヤノは『勿論です!』と自分の前髪を横で止めている髪留めを取って、シルヴァスに手渡して見せてやる。
サルマンに買ってもらった髪留めは、プラスチック製だがガラス細工のように見える小さな花がついた可愛い髪飾りだった。
シルヴァスは普段から、女性ものの可愛い小物を買い物の際に、カヤノと一緒に見るのが好きだったので、純粋に髪留めを見たいのだと、カヤノは何の警戒心も持たずに、シルヴァスにそれを手渡したのだ。
すると、シルヴァスが髪留めを目の上の高さに持ち上げて、色々な角度で眺めながら感想を述べた。
「いやぁ、本当に可愛いね。小さな花が付いていると、どうしてかカヤノちゃんを連想するよ…サルマンも…いい趣味してるな。」
そう言っていたシルヴァスが、持ち上げていた髪留めの髪飾りにもう一度目をやると、次の瞬間、その指の力によって『バキッ!』と音を立てて壊れてしまった!
「あっ⁉」
カヤノが刹那、少し大きな声を上げる。
すぐに困った顔を作ったシルヴァスは、片手で頭を掻きながらカヤノに謝った。
「しまった…久しぶりにこういった物に触れたんで…可愛くて、つい力が入りすぎちゃった!ごめんね…カヤノちゃん。今度、家に戻ってきたら、僕が弁償して違うのを買ってあげるから許して?」
そう言うと、シルヴァスはカヤノが髪留めに目をやっている間に、サルマンに不敵な笑みを浮かべて見せ、口先だけの詫びを入れた。
「ごめんな…サルマン。君がせっかく買ってくれたのに…可愛かったから、つい力が入っちゃったよ。」
すると、お互い見合った状態で、サルマンもシルヴァスの笑みに対抗するように、片方の口角を上げて見せる。
「構いませんよ…本当に大した物ではないですから…。カヤノさんにはまた、いつでも買ってやれますし。これからも一緒に帰りますからね。」
「そんな…僕が悪いんだから…君に買ってもらうのは最後さ。カヤノちゃんには、もっと似合う物を僕が買ってあげるからね?」
そう言うと、数秒間、男同士は見合っていた。
髪留めの方を見て、薄っすら目尻に涙を滲ませたカヤノが、シルヴァスとサルマンの方に視線を向けると、二人の男は、すぐに爽やかな表情に戻っていた。
「本当にごめんね…カヤノちゃん。怒っちゃってる?」
心の底から申し訳なさそうな演技をするシルヴァスにカヤノは首を振る。
「いいえ…先生から買ってもらったので残念ですけど…わざとやったんじゃないんですもの。シルヴァスさんは、気にしないで下さい…。」
カヤノが健気に小さく笑って見せる姿に、サルマンは彼女の後ろで目を線のように細めた。
そのサルマンに向かって、カヤノの見えない所でシルヴァスが口角を再び上げて見せる。
サルマンは、少しだけ眉をピクリと動かした。
そして、店を出た後、グイッとカヤノの手を引いて、すぐさま、シルヴァスとは反対方向に歩き出して言った。
「それじゃ、先輩…もうカヤノさんの報告を聞いて、安心されたでしょう?アタシ達はこれから買い物をして行きますので…ここで失礼します。残りの3か月間もカヤノさんは、こちらで大事に預かりますから…ご安心あれ!」
と言って、カヤノに有無を言わさず、連れて行ってしまった。
サルマンに、無理矢理のように引っ張られて、目をパチクリしながら歩くカヤノは、何とか後ろを振り返ってシルヴァスに手を振った。
「では、シルヴァスさん!私、帰るまでに…きっと、成果を出しますから…待っててね。失礼します!」
そんなカヤノに、作った小さな笑顔を見せて、片手を挙げるシルヴァスは、彼女が前を向いた瞬間に、ギリリと歯ぎしりをして、どさくさに紛れて手に持っていたままの壊した髪留めを、一層強く握りしめた。
「成果を出して欲しくはないんだよ…まだ…。」
ボソリと呟いたシルヴァスの口からは不穏な言葉が出た。
そして、シルヴァスは心の中で、自分自身に『では、いつなら成果が出ても良いのか?』と問いただしていた。
答えは、どうしても出ない…。
シルヴァスは自分の保護者としての感情を自身で理解する事ができなくなっていた。
カヤノの姿が己の視界から完全に消えた瞬間に、シルヴァスは手の中にある髪留めを磨り潰すように完全に砕ききって、手を開いた瞬間に粉々になった残骸を地面に落とした。
クシティガルヴァスのように、ゴミ袋を持ち歩いていないのか…シルヴァスは、児童保護を生業とする普段の顔とは打って変わった表情で、無意識にも、いつもは決してしないような行動を取っていた。
地面に落ちている砕け散った髪飾りの残骸を、神力で砂に変えるまで、シルヴァスの足が踏み潰していたのだ…。
次回、明日投稿できなかったら、火曜日になる予定です。
本日は、アクセスありがとうございました。




