春の嵐と恋の風⑭
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目が覚めると、昼間の光が眩しくて…シルヴァスと夜の街角で最初に出会った少女は、自宅のベッドの上に自分が仰向けでいる事に気が付いた。
「あれ…ワタシ?ここは?」
もう随分、自分の家に戻って来ていなかったような気がした。
そういえば、自分が家にあまり戻らなくなったのは、いつ頃からだったのだろうか?
確か…初めは、誰でもあるような些細な事だった。
自分は、クラス替えが行われた初日に、風邪で数日、学校を欠席しただけだった。
それまでは、普通の学生だった。
しかし、熱が引いた後に初めて訪れたクラスでは、既に友人関係が形成されていて、遅れてクラスの一員になった自分は溶け込めず、友達をうまく作れなかった。
そのうち、素行の良くない同級生から声を掛けられて、断れずに嫌々つきあうようになると、学校の成績も落ちてきて、担任からも家に電話が鳴るようになり、母も父も自分を遠巻きに見るようになった。
最初は、うるさいくらいにされていた注意も…段々と何も言われなくなり、両親は出来の良い妹ばかりを構うようになった。
それと比例して、自分も家に戻らない日が続いた。
気付いたら、いつの間にか帰らないのではなく、宜しくない仲間達とのコミュニティの中から抜け出る事ができずに帰れない状況になり、両親は自分を探してもいないのだと人伝えに聞いた。
どうすればいいのか…自分は誰に助けを求めるべきかも見当がつかなくて、誰も自分の事を心配してくれていないと思うと、ただ寂しさと今までの行いに対する罪悪でいっぱいで、いつの間にか心が死んでしまったように動かなくなった。
もう、どうなってもいい…。
生きる為には、ここで言われた事をしなければならない…。
自分の自我などいらない…。
そう思ったが、言われるままにさせられていた行いには、酷く心が苦しかったのを覚えている。
それがどんな事だったかは、どうしてか、いくら考えても思い出せない。
…そこまでは覚えているのに…その先は?
「ワタシ…そのまま…どうしてたんだっけ?」
喉が渇き、恐る恐る部屋を出て、階段を降りると、彼女は何となくダイニングの方へ入って行く。
いつ模様替えをしたのか…久しぶりに入ったその空間は、見知らぬ模様のカーテンや真新しい家具が少しだけ増えていた。
すると今日は、休日だったのだろうか?
家族全員の姿があり、自分を見ると皆が目を見開いた。
そして、母が自分の名を大きな声で呼んだ後に、飛び出してきて私に怒鳴り始めた。
「バカ!今まで、どこに行っていたの⁉心配したのよ?」
それから、自分を心配してない筈だった母が、『心配した』と何度も繰り返しながら、彼女を苦しいくらいに抱きしめた。
彼女は小さな声で母に聞いた。
「お母さん…悪い子のワタシなんて、心配してないんじゃなかったの?」
「バカ!あなたをどうしていいか…わからなかっただけで、心配しないわけないでしょ⁈そっとしておいた方が良いと思ったのよ。普通の親なら、良い子とか悪い子とか関係なく、どんな子でも愛してるわ。」
「愛…?本当に?私の事も…今も愛してる?」
「当たり前じゃない!!何でわからないの?ずっと探してたのに…どこへ行ってたの⁈」
そう言いながら、母親は泣き崩れた。
「わからないの…目が覚めたら、家に戻ってたの…。でも、ずっと、一人で寂しかった。」
そういえば、母が自分を心配していないというのは…一体、誰が言った言葉だったっけ?
探してた?いつ?
そんな事は知らなかった…。
親には何も言わず、出て行ってからの記憶は曖昧だ。
立ち上がった父親は、いきなり彼女の頬を打った。
妹は、彼女を父親からかばったが、その後、罵った…。
けれど、彼女はその一つ一つの出来事に血が通ったような熱を感じていた。
なぜか、怒っている家族の言葉が温かかった。
家族が自分を見ている…自分に腹を立てている。
けれど、泣いている…。
ワタシに会えて泣いている。
父に殴られた頬の痛みは、生きているのだと自分に強く痛感させた。
父は黙って、泣いていた。
今まで、父に思い切り怒鳴られた事すらない…寡黙な父には、無視されたような記憶しかない。
両親が今までどういう意図で、自分に無関心のようだったのかは知らないが、堪忍袋の緒が切れるとは、この事なのかもしれない。
しかし、皮肉なもので、その事が彼女に深く幸せを感じさせた。
腹の底からの怒りをぶつけられて、心配をしたという言葉をぶつけられて、彼女の魂が体に戻るような感覚がしたのだ。
その後、母も父も妹も、大きな声を上げて泣き出して、なぜか自分に何度も謝っていた。
その時、不意に彼女の耳に男性の優しくて柔らかな声が聞こえた。
『約束通り、君が幸せになれる場所に送り届けたからね…。』
彼女には、その声がどこから聞こえたのか、誰のものだったのかはわからない。
けれど、少女は次の日から、真面目に学校に行き直し、勇気を出して気の合いそうな生徒に話し掛け、生まれかわったように、普通に生きる事を初めたのだ。
それと同様な事が、もう一人の少女にも起こっており、更に一番年かさの少女には母親がおらず、残りの父親も蒸発しており、気付いた時には彼女は人間用の保護施設で目を覚ました。
しかし、しばらくすると、連絡を受けたという彼女の親戚が数人現れて、父親が現れても縁を切るのなら相談に乗り、力を貸すと申し出てくれた。
元より、父親などに可愛がってもらった記憶は無かった為、彼女は首を縦に振った。
彼女は今、その親戚に紹介された場所で働きながら、資格を取るための勉強をしている。
その後も幸せな出会いに恵まれ続ける事になるのだが…彼女もまた、不思議な声を聞いていた。
「もう大丈夫だよ。君には僕の加護があるから…一生懸命、生きさえすれば、明るい道を歩いていける筈だよ。」
彼女は周りをキョロキョロと見回したが、誰の声だったのかわからない。
それどころか、保護施設に来る直前までの自分の生活がハッキリ思い出せずにいた。
だから、一生懸命生きることしか考えられなかったのだが、結果、それが彼女を幸せに押し上げていく。
「きっと私は、神隠しにでもあっていたのかもしれないわ…。」
彼女は、そう思う事にした。
彼女を導いてくれているのは、きっとそこで出会った精霊の類に違いないと…。
なぜか、彼女にはそう思えた。
一方、三人の少女が働かされていた店の方は…?
騒音で苦情が出て、訪れた第一発見者が警察を呼んだが、店内は家具を含め、洗濯機を回したように滅茶苦茶で従業員は全て行方不明になっており、その後も次の借り手がつかないビルの地下の一室となった。
☆ ☆ ☆
現世・生活用の肉体を持った事で、使用できなくなってしまった精霊の力の中から、人神として使う事のできる範囲の力を駆使して、シルヴァスは少女達を安全と思える場所に運んだ後、自宅に帰って行った。
彼女達の方には、目覚めた後に、ちょっとした細工をしておいて…。
途中、太陽が昇り始めたのでシルヴァスは、
『今から帰っても着替えと入浴を済ませたら、また出勤の準備だな。』
と、思いながら欠伸を噛み殺す。
「でも、まあ…あのまま家に帰ってもつまらなかったし…僕、良い事をしたよね。お陰で今日の夜は、パピヨンに寄らなくても良さそうだ…きっと、すぐに眠くなるな。」
そう思いながら、シルヴァスは最初に会った少女の泣きそうな顔を思い出した。
「自分が保護する現人神の子供達も、最初は皆、あんな顔をする子ばかりだったよね…。でも、時間や出会いが少しずつ子供達を良い方向に変えてくれた。」
そして、しみじみと空を見上げる。
「見守るのが慈悲深い現人神の大人達だから、保護した子供達がある程度、立ち直っていくのは当然なのだけど…あの人間の子達もこれから良い方向に成長してくれればいいなぁ。」
独り言ちながら、家に戻ったシルヴァスは、風呂に湯を張りながら、カヤノの昔を思い出す。
最初に会った時などは、昨晩、助けた人間の少女達なんかより悲惨で、カヤノは口も利けないような状態だった…。
今思えば、良くここまで回復したのではないかと思う。
「あんな状態だったカヤノちゃんが、今は立派に学校に通って卒業も間近なんて…信じられないよね。あの時はまだ子供で僕が引き取った時は、丁度、あの客引きをしていた子みたいに泣くのを我慢していたっけ…。」
客引きの子も他の二人も、10代半ばから後半くらいの少女だった。
シルヴァスは、今のカヤノと同じくらいの年頃の少女達に、『ただの人間であったなら』とカヤノの姿を重ねてしまう。
店で働かされていた子の中には、記憶を消しておいたが、実際に客を取らされている子もいた…。
シルヴァスを店に案内した少女は、まだ未遂に終わっていたが、あの日、自分と出会わなければ、処女を喪失していたであろう。
出会った客によっては、彼女達がいずれ、カヤノのように男性恐怖症やトラウマを抱える事になったかもしれない。
そう考えると、無性に腹ただしく、シルヴァスは店の従業員全てを地獄に送った。
手にかけて殺したという意味ではない。
その言葉の通り、吹かした神風に乗せて、現世にもいくつか停留所を持つ死神の運行するバスに乗せてやったのだ。
死神は時に死後、彷徨う魂を迎えにあらゆる手段を取るが、死神のバスは生きている者でも連れて行く事ができる。
精霊だった頃は自在だったが、現人神になってしまったシルヴァスが、地獄に行くにはビザや旅券を現人神統括センターで取得しなければならないので面倒だが、街で時折見かける死神に頼めば、生きている人間でも容易に死者の国に連れて行ってくれるから便利と言えば、便利な存在だ。
今回は行先を地獄に指定して、その門を通過させた。
死神は『地獄行きの人間は収容しても単価が安いんですよね』と渋ったが、シルヴァスが『何人かいるかいるから』と薄利多売の売り込み方式で頼むと、請け負ってくれた。
死神のバスに強引に連くされた連中は、何か叫んでいたが…死神の鎌で『ザクリ』とやられると、スイッチが切れたように、静かに倒れ込む。
そのままバスは走り出した。
地獄は一度、足を踏み入れた人間を返しはしない…。
「閻魔様の裁きとか…フッ飛ばしちゃっても構わないよね?彼らはどちらにしろ、死後は地獄行きだったろうし、時期が早まったのは自業自得さ。」
処女を喪失してしまった少女の方は、綺麗な体に戻してやる事はできないが…酷い記憶だけは消したので、これからは前向きに幸せをつかんでいける筈だ。
その為のバックアップは、自分の加護を与えたので充分だろう。
そして、シルヴァスはまた、カヤノに思いを馳せた。
「それに引き換え、カヤノちゃんは…。」
人間の少女とは違い、こちらの一存で記憶を消してやる事ができない。
一応、現人神である彼女の記憶は、未成年であり、相当酷いものと認められるものであっても、再起不能なくらいに体が損傷していて、本人が自分で意思を示せない場合以外は、勝手に記憶を操作する事が許されていないのだ。
勿論、例外はあるが、カヤノはその例外には入っていなかった。
カヤノのダメージは、マッド・チルドレンによるもので、自分で招いたものではなく、そうした事件を招くに至ってしまったのは、現人神統括センターの失態でもあるので、本当ならば彼女が望めば、記憶の削除もケガを消滅させる特殊医療も受ける事が可能だった。
しかし、カヤノはそれを断ったのだ。
トラウマや男性不振に陥るような記憶は消した方が良いと、どんなに周りの現人神施設の医療関係者達が勧めても、肝心のカヤノがそれに対して同意しなければ、記憶の削除は認められない。
未成年なので保護者が強く望めば、協議の結果、削除が実行されたかもしれないが…当時のカヤノは保護者を失ったばかりで代行する里親もおらず、本人の意見が『絶対』とされた。
カヤノは、大勢の施設関係者の前で怯えながらも、長年自分が苦しむ事になっても、記憶を消さないで欲しいと強い意志を示した。
救出されたばかりで、施設関係者でさえ信用できず、自分の記憶や体を預ける事に、もしかしたら不安を抱いているのかもしれないと誰もが思った。
だが、カヤノは『その記憶は、確かに辛いものだが、たくさんの仲間達が犠牲になったというのに、自分だけが忘れて何事も無かったように生きるのは嫌だ。』と言い放ったのだ。
更に、傷が残るとわかっていながらも、現人神の高度医療を使わず、自然完治を選び、あえて古傷を残す事を選択した子供の凛と胸を張った神々しい姿に、胸打たれた大人達の中で彼女に物申せる者は誰もいなかった。
カヤノの背中には、今も魔獣の爪痕がくっきりと四本、痛々しく残っている。
だからなのか、彼女は公衆浴場などに行きたがる事は無かった。
そして、カヤノが記憶を消さないで欲しいと言った理由は、もう一つあった。
マッド・チルドレンが関わった事件に巻き込まれたカヤノは、そのせいで自分の両親を亡くしている。
両親の最後の記憶は、カヤノにとって辛く悲しいものだった筈だが、彼女は自分の両親の記憶をどうしても失くしたくはなかったのだと、後々、シルヴァスに話してくれた。
「私の父母は最後まで立派だったの…。私は両親のように戦闘系の現人神ではないけど、二人の勇気を見習う為にも最後の姿を忘れたくないんです。」
カヤノの両親はマッド・チルドレンの引き起こした事件から人間を守る為に命を落としている。
マッド・チルドレン一派の一件を記憶から削除すると、カヤノの両親の最後の記憶まで消えてしまうと彼女は考えたのだろう。
医療部に己の記憶操作を依頼すれば、辛い記憶は全て消すのだと、カヤノは事前説明を受けていたのである…。
「もし、当時、僕が既に彼女の保護者になっていて、彼女の記憶を消す選択権利が少しでもあったのなら…迷わず消す事を医療部に依頼しただろうな。それが正しい事ではなく、彼女が嫌だと言ってもね。」
勝手な事だがシルヴァスは、カヤノに幸せでいて欲しいのだ。
カヤノと暮らしていて、シルヴァスは幾度となくカヤノの笑顔も見てきた。
その笑顔は、儚そうだが、とても可愛らしい。
あの笑顔をずっと見ていたい。
あの笑顔を守りたい。
あの笑顔を壊したくない。
あの笑顔を曇らす原因を削除したい。
その為には、辛い記憶など無い方が良いとシルヴァスは思った。
「僕と暮らし始めてから、彼女に少しずつ幸せな笑顔が増えた。ずっと一緒にいれば、やがて辛い記憶も薄れるだろう…それでも、消し去れるというのなら、最初から彼女の傷を消してやりたい。」
そして、始めるのだ。
幸せだけで彼女を包みこむ毎日を。
悲しい顔なんて、忘れさせたい。
「その上で、嫁に行くなりすればいい…そうすれば、純粋に自分の好きなタイプの男と一緒になれる。そう思うんだけど…。」
そう思うけど、シルヴァスはカヤノの将来の夫になるであろう男を想像できずにいた。
それどころか、どんな男なら良いのかと考えを巡らせば、不愉快な気持ちになる。
シルヴァスは、ふと、そもそもカヤノ自身の好みのタイプはどんな男なのだろうと考えた。
トラウマが最初からなければ、もしかしたら、男っぽい現人神が好みだったのかもしれない。
あんなに可憐なカヤノなのだ。
逞しい男神に守ってもらいたいという願望があっても不思議ではない。
だが、実際の所、男らしい男がカヤノは苦手だ。
これは、恐らくトラウマの影響なのだから…記憶操作で本来のカヤノに戻してやれば、恋愛の幅はずっと広がる筈である。
「そうすれば、僕なんかを好きだなんて…言い出さなかっただろうに。」
シルヴァスの見た目は、男らしい方ではない。
明るい印象を与える髪や気さくな物言いに優しい表情。
顔立ちは、綺麗な方だし、愛嬌のある大きすぎず良く動く瞳は、あまりわからないが黒に近い濃い緑色だった。
時々、光線の加減で深緑色の目が黒ではなく緑なのだとわかる程度の色だが、その濃い瞳の色だけが、あやふやでつかみ所のないとされるシルヴァスの軽いイメージを、どっしりと落ち着けてくれる役割を果たしているのだ。
体形は細身だが、脱げば案外筋肉質で、俗に言う細マッチョだが、筋肉隆々というのには程遠い。
全体的に、どこか少年ぽいイメージのあるシルヴァスには、『男らしい』というものは、内面は別として、外側を見れば縁の薄い言葉に思われる。
シルヴァスはいつの間にか服を脱いで、湯を張った風呂につかっていた。
そのまま、頭から熱いシャワーを浴びて、髪についた雫を振り払うと、自分の言った言葉に舌打ちをした。
男らしい現人神と手を取りあうカヤノを、頭の中で想像してみたが、それが面白く無くて仕方がなかったのだ。
「これじゃ、堂々巡りだな。そんな男と手を取りあわれるくらいなら、カヤノちゃんの心の傷なんて、一生、癒えなければいいなんて…思えて来ちゃうんだから…。」
シルヴァスは『父親や兄の感情をいうのも、どうにもドス黒いものがあるのだな…』と、随分と見当違いな思いを抱きながら、湯船の中にブクブクと泡を出しながら、息が続くまで沈んでいた。
次回は、金曜日に更新予定です。




