春の嵐と恋の風⑬
おいおい、全く何なんだ…この状況は?
シルヴァスは心の中でそう思っていた。
自分はただ、女の子達とおしゃべりをしたり、彼女達に食事を御馳走して飲んでいただけなのに、店内にいた二人組の男が、いきなりやって来て胸ぐらをつかんできたのだ…。
「ええと、君達…僕が何かした?とりあえず、彼女達から客じゃないって聞いたんだけど…。店の者なら、客にこんなマネするのはマズいんじゃない?」
とりあえず、喧嘩する気はないと伝える為に、シルヴァスは両手をあげて落ち着いた声を出し、男二人組に問う。
すると、胸ぐらをつかんでいる顔に穴をあけまくっている男が、鼻息を荒くしながら口を開いた。
「うるせぇ!さっきから聞いてりゃ、テメェみたいにキザったらしい野郎はどうも好かねぇ。さっさと金払って帰れ。」
男の大声と共に唾が飛んだので、シルヴァスは顔を顰めて横に背けた。
その態度に余計腹を立てたのか、ピアス男は顔を更にシルヴァスに近付けて、歯ぎしりをしながら睨みつけている。
だが、シルヴァスの方は、相変わらずマイペースな声を出して、それは嫌ぁ~な顔をして男に言った。
「ゲッ!汚い…唾が飛んだ。顔にかかったじゃないか。彼女達は今、食事中だぞ⁈少しは考えろよ!可愛い子に来てくれって言われて来店したのに…今度はムサイ男に唾飛ばされて、帰れとか…忙しい店だね。」
シルヴァスは、男に胸ぐらをつかまれながらも店内を一望した。
そして、細めた目で男に一言。
「だから、お客さんが来ないんだよ。」
今、自分の胸ぐらをつかんでいる男と連れの男の二人が客でないのなら、先程からシルヴァス以外、店には一人も客が来店していない…。
そんな覇気のない静寂な店内で、男が大声を出しているので、フロアには怒声が響き渡った。
店の奥で料理をしていたであろう人間や、ママらしい中年の女が騒ぎを聞きつけて、奥から出てくるとシルヴァスに声を掛けた。
「まあまあ、お客様を締め上げるんじゃないよ。それじゃ、お会計ができないじゃないか!失礼致しました…うちの若い者が。」
そう言って、中年の女がピアス男の手をシルヴァスから離させる。
それからチラリと若い女の子達の方に目を向けてから、シルヴァスの方に笑顔を向けた。
三人娘は、揃って視線を落とす。
最初にシルヴァスを連れて来店した子は、そこで一層、目に涙を溜めた。
それを見たシルヴァスは、カヤノを引き取った日の事を思い出した。
『そういえば、こんな風にカヤノちゃんも泣くのを我慢していたっけ…。』と。
シルヴァスは、ポケットからハンカチを取り出すと自分の顔を神経質そうに拭きながら、わざとらしく男の唾を拭っているようなしぐさをして、ピアス男を睨んだ。
ピアス男と一緒にいた、冷静そうなもう一人の男が、シルヴァスのしぐさを見て腹を抱えて笑っている。
「ギャハハ、兄ちゃん、アンタ、おもしれーな!結構、根性が据わってるみたいだし…俺は気に入ったぜ。飲み代とあっちの方の料金も特別、安くしてやるよ。」
「おい⁈アニキ、おかしくねーか?コイツ、スカしてんじゃんか。」
「うるせぇな。俺は物怖じしない紳士も好きだぜ?なあ、兄ちゃん、さっきから見てたけど、その女が気に入ったんなら少し貸してやるよ。3万でどう?コイツ、初めてだぜ?わけーし、安い買い物だって請け負うよ。本当は10万くらい吹っかけてんだ。」
そう言うと、ラフなジーンズにピアスだらけの男とは対照的な、白い太枠眼鏡をかけた人工的な茶髪のダブついたスーツを着た男が、シルヴァスが最初に出会った少女を下衆な目で見た。
彼女は、体を硬くさせて下を向きながら、涙を見せないように目を瞑り、自分の膝の上で両手をキュッと握りしめていた。
シルヴァスは男に嫌悪感を感じながらも、そっと緊張で固まった彼女の両手を取って、力の入りすぎた手を開いてやる。
「そんなに力を入れたら、爪で手が傷ついてしまうよ…。」
シルヴァスが優しい言葉を掛けると、ピアス男と眼鏡男が揃って口笛を吹いて、はやし立てた。
「お熱いねぇ!王子様気取りかぁ?」
「お兄さん、やっさしー!空き部屋は店の奥にあるぜ。」
シルヴァスは彼らの方を向き直して立つと、呆れたような視線を送り、店のママらしき中年の女に尋ねた。
「ねえ、ここは違法売春宿なの?この子達…どう見ても未成年っぽいけど。」
シルヴァスの質問に、女は神経質になっているのか、笑顔を引っ込めて醜く顔を歪ませた。
「そんなの、あんたに関係ないだろ⁈この子を買うか買わないか聞いてんだよ!言っておくけど、外で余計な事を言ったら承知しないからね?買わないなら、ほら…飲み賃払って、さっさと帰りな。これが、請求書だよ!」
女は、シルヴァスに向かってぴらりと一枚、紙きれを差し出した。
それをチラリと一瞥するなり、シルヴァスは眉間にシワを寄せて、自分の両隣の女の子と目の前にいる少女に声を掛ける。
「全く、この店は接客業として、既に成り立っていないような客への口利きだねぇ。君ら、こんな店、やめた方がいいよ?どうしてもこういう業界で働きたいなら、僕がもっといい店を紹介してあげる。」
そこまで言った所で、店の男どもがシルヴァスを取り囲んで、にじり寄った。
「黙れ!この野郎!!変なこと、ガキどもに吹き込むと痛い目にあわせんぞ?そんなことより、テメェは金を払えばいいんだよ。」
「念の為、勤め先教えろ!ほら、財布出せ。」
「抵抗すんじゃねーぞ?よし、鞄ごと渡しな。中身見せろや!」
シルヴァスは、すっかり冷えた瞳の色を浮かべ、中年女に差し出された紙きれを男どもにピラピラとチラつかせるように見せると、口元だけで薄く笑みを作って言った。
「下衆だな…くだらない人間同士で寄せ集まって、若い女の子を汚して金儲けか?本当、最低だな。この請求書、おかしいだろ?一杯頼んで、料理数品…長居したわけじゃないし、サービスは最低。店の都合で出て行けと言われて、10万?」
それからシルヴァスは、
「高い酒を頼んだわけじゃないし、水割りは薄くて安酒の味だし、女の子達の料理は大した数を取っていなくてレトルトっぽかったのに…。」
と、更に付け加えてから、急に自分で言っていておかしくなったらしく『クック』と不穏な雰囲気を纏わせた笑い声を上げた。
すると同時に、店内のどこからか風が吹いて来た。
爽やかな夜風が扉の閉まっている筈の店内に吹いて、店の中の人間は、どこかが開いているのかと視線をあちこちに向ける。
「風?一体どこから⁈」
ピアス男が呟くと、シルヴァスは先程の続きとばかりに、しゃべり始めた。
「生娘を客に捧げるのが3万でここの飲食代がその4倍って…どういう計算?頭、悪すぎだよ。それにしても…売春を斡旋してきたり、ぼったくるとか…。」
いよいよ、シルヴァスは『アハハ』と声を上げて笑い始めた。
すると、先程から噴いている風が強くなって、店内に渦巻き始める。
「な、何だコレ⁈」
眼鏡男が尋常ではない現象に気付き、慌てて外に出ようと店の扉に手を掛けるが、扉は鍵をかけたわけでもないのに開かない。
「ど、どうなってんだ⁉テメェ…何しやがった⁈」
半狂乱気味に騒ぎ始めた男達を放って、シルヴァスは口角を上げて女の子達に話しかけた。
「ねえ、君達…おうちにお帰り?こんな所にいても、決して幸せにはなれないよ。こんな人間とは、付き合っちゃダメだ。僕が送ってあげるから…一緒に帰ろう。」
シルヴァスが少女達に声を掛けている隙に、背後に回ったピアス男がヤケクソを起こして殴りかかってきた。
「畜生!ふざけやがって。何が帰ろうだ⁈そいつらに帰る場所なんかねーんだよ。親にも社会にもシカトされてるクズばかりなんだから!!」
「背後を狙うとは、バカな上に卑怯な男だな…。」
シルヴァスは、男の攻撃を振り向きもせずにかわすと、次の瞬間、顔面に拳を軽く叩き込んだ。
男は鼻血を噴きながら、目を回したように黒目を一周させて、地面に倒れ込む。
「そんなに殺気を出したら、嫌でも動きが読めるよ…。軽くお返ししただけなのに、気を失うとか…粋がってる割に脆弱だね。まだやるって言うなら、全員纏めて、お相手するよ?」
シルヴァスの言葉に焦った眼鏡男と、奥にいた料理担当とは思えない強面の男が、口々に負け犬の遠吠えを始める。
「この野郎!暴力をふるったな⁈慰謝料払え!!警察に突き出してやる。」
「営業妨害だ!!」
シルヴァスは大袈裟に両手を上に向けて溜息をついた。
「ハアッ、警察に突き出すって…君らが言う?それに先に手を出したのはそっちだし…正当防衛って知らないの?営業妨害も何も…他に客なんていないじゃない。さあ、もういいだろ?僕は家に帰るよ。」
「クソ!そうはさせるか。」
悪態を吐く眼鏡男の言葉を無視して、シルヴァスは少女達に声を掛ける。
「それから、彼女達も連れて行くからね。おいで!」
シルヴァスは、少女達に笑顔を向けて手を差し出した。
少女達は、その優しい笑顔に、フラフラと吸い寄せられて行くように歩き出した。
「あっ!こら、アンタ達…何を勝手に…戻れー!!」
中年女が叫んだが、シルヴァスが手を振ると強風が起り、女を後ろに弾き飛ばす。
女はどこかに頭を打ったのか、意識を失ったようだったが、少女達は熱に浮かされたように、シルヴァスの事しか見えないようだった。
いよいよ、残りの男達は青くなって硬直した。
シルヴァスは自分の元に到達した3人の女の子を連れて、扉の方に向かって歩いた。
シルヴァスが開けると扉は開き、その後、また扉は閉まった。
「さあ、これから僕は、君達が幸せになれる場所に連れて行ってあげる。目を覚ましたら今日の事も、今までの事も、夢を見ていたように忘れているからね。もうこんな所に戻ってはいけないよ。」
シルヴァスはまた、『それだけは心に刻んでもらおう。』と言い添えて、柔らかく微笑んだ。
少女達がシルヴァスに連れられて扉を閉め去った後の店からは、暴風が吹き荒れるような音とその風で店内が打ち付けられていくような、何やらすさまじい音が鳴り響いている…。
しかし、少女達の目は、ボウッとシルヴァスを見ているだけで、店を振り返る事もなかった。
「ああ、碌な店じゃなかったからね!今までの事は全て忘れるんだから…この店は不要だろう?僕は君達にも誰にとっても、こんな店はいらないと思うんだよね。」
小さな声でシルヴァスはボソリと呟いた。
その後、少女達の目の前は暗くなった。
どうやら、意識を失ったのだと少女達が気付いた時には…勿論、何も覚えていなかった。




