春の嵐と恋の風⑩
…その頃、シルヴァスは。
空にキラキラお星さま♪
カヤノがスヤスヤ眠る頃~♬
保護者は家を飛び出してぇ、酒浸りのシルヴァス、ラッチャッチャ♪
…という調子で、おもちゃのチャチャチャのメロディに乗せて、歌を歌いながら『パピヨン』なる酒場で泥酔していた。
「アハハハハ!愉快だなぁ。ママ、相変わらず、美人で聞き上手で一緒にいて楽しい~~。僕、何でこんなに長い間、ママに会いに来なかったんだろう~?僕って、おバカのチャッチャッチャ♪」
店の重厚なカウンターで、糸につるした人形のようにグラグラと揺れながら、上機嫌でグラスを離さず、強めの酒を煽り続けるシルヴァスに店のママは、眉毛を下げながら苦笑して声を掛けた。
「それは、ありがとうございます。でもシルヴァスさんは、そろそろこの辺にしましょうね?たまに飲むと、お酒が回りすぎてしまうのよ。お水を持って来るから、休んで帰った方がいいわ。」
「あー、そんなぁ、ママ。たまに来たんだから、ゆっくり飲ませてよぅ!」
「駄目よ…シルヴァスさん。そんなに強い方じゃないんだから…。ひっかける程度にしておけばいいのに。今日は何かあったんですか?」
「えーないよぅ?何にも無い、無い、無いんだようぅ。むしろ、家に帰っても何もいないのぉ~。」
「あら?おうちに女の子がいるんじゃなかったっけ?前に引き取ったって言ってた…その子が来てから、シルヴァスさんてば真面目になっちゃって、あまり来てくれなくなったのよね?ワタシ、寂しかったわぁ~。」
カヤノの事がママの口から出た途端、シルヴァスは体を硬直させた。
そして、俯き加減だった顔をゆっくりと上げると、目尻に涙を滲ませて、バーのママに向かって口を開いた。
「そうだったっけ?ママ、急に来なくなっちゃってごめんね。でも、しばらく、また遊びに来させて?ママの言った子、今、いないんだよ。自立に向けて頑張るとかで…半年くらいうちを出るんだってさ…。」
「あら、半年も?それじゃあ、寂しくなるわね。もしかして、だから今日もここに来たのかしら?ははぁ~、シルヴァスさんてば、酷い人ねぇ。自分が寂しい時だけ店に来るなんて…。」
「そ、そういうわけじゃないよ!だって、子供一人残して、自分だけ毎日のように飲み歩くなんて…良くないだろう?」
「フフフ…冗談ですよ。わかってます。でも、できれば、お嬢さんが戻って来ても、たまには通って下さいね。それにしても自立だなんて…お嬢さんは、しっかりしているわ。」
「うん、大人しいけど…真面目な良い子なんだ。でも、遠慮しているのかな?ここに来て急に自立したいなんて言いだしたんだよ。もうすぐ卒業だから、社会人になるまでアルバイトをするなんて言うし。」
「まあ!社会人?随分、大きなお嬢さんを引き取っていらしたのね。親戚の子でしたっけ?」
「ん、ああ、まあ…親戚っていうか…知ってる子だったからね。なかなか引き取り先が決まらなくて…つい、僕が引き取っちゃったんだけど…そうだね、小さい子じゃないよ。」
「可哀想に…ある程度の年齢になっていたんじゃ、余計に引き取り先が決まらなかったでしょう?新しい家に馴染めるかとか…色々と難しい問題があるもの。本人だって、意思があるでしょうし。」
パピヨンのママは、悲し気な瞳で憂いに満ちた表情を作った。
けれど、その後すぐに、シルヴァスの隙をついて、すかさずカウンター越しから、水の入ったグラスを差し出し、シルヴァスの握っていた酒の入っているグラスと交換する。
そのままの憂い顔で、ママが再び口を開く。
「お嬢さんが戻るまでの間、通ってもらえるなら、お酒の飲みすぎで体を壊してもらっては困るわ。今日はこの辺にして…明日また、お待ちしてます!」
「ぐっ⁈ママのイケずぅ!!」
シルヴァスが恨めしそうな目を向けると、憂い顔のママがコロリと表情を変えて、今度は片目をお茶目に瞑って見せた。
「うふふ、お客様には健康で末永く通って頂きたいのよ。ごめんなさい…意地悪しているわけではないの。それにしても急に自立だなんて…。もしかして、お嬢さんは結婚が早いかもしれませんね。」
酒を取り上げられたシルヴァスが仕方なく、ママの渡してくれた水を口に含んだ所で『ブフゥッ!』とそれを吹き出した!
「結婚⁈な、何を言い出すの?ママってば…!あの子は、まだそんな歳じゃないよ。驚かさないで!!」
「イヤァダアァッ!シルヴァスさん、水を口から噴かないでよ!!汚いわぁ~。周りのお客様にかかっちゃうじゃない。」
「す、すみません…。でも、結婚だなんて…ママが急に変な事を言うから。」
隣のダンディな年配の紳士が立ち上がったのを見て、シルヴァスは慌てて、謝罪をしながらママに詰め寄る。
「あら、女の子は結婚が早い子は早いのよ?真面目で大人しいお嬢さんなんでしょ?学生時代、そんな風には思えなかった意外な子が、不思議な事に早く結婚するものよ。わかんないわよぉ?」
シルヴァスは目を見開いた。
あまりに衝撃的なママの言葉に、一気に酔いが覚めかかった。
そんなシルヴァスを見て、面白そうにバーのママは話を続けてくる。
「うふふ。シルヴァスさん、女の子はね…男と違って、おませだし…大人なの。いつまでも、子供だと思っていると、あっという間に蝶になって飛び去っちゃうわよぉ?」
「へ、変な事、言わないで!」
「変な事じゃないわ?あなたが良い子だと思うなら、周りの人だって良い子だと思うもの。」
「わーん!!ママの…ママのイケずぅぅぅ。」
酔いの冷めてきたシルヴァスだったが、やはり、完全に酒の力が、効力を失うわけではない…。
シルヴァスは、目に涙をあふれさせて泣き出した。
大の漢の号泣…。
これには、他の客達もドン引きである。
パピヨンのママは慌てた。
そして、叫んだ。
「シルヴァスさん…変な事を言って、ごめんなさい。いい加減に泣き止んでよぅ!泣きたいのはこっちだわ…。ああ、もう!!泣き上戸だったのぉ~~⁈」
バー・パピヨンの夜は、始まったばかり…。
今日も夜の社交や駆け引きが繰り広げられる酒場で、シルヴァスは自分でも何が悲しいのか…カヤノに捨てられるような気持になって泣いている。
「娘に捨てられる父親の気分だ!ああ、今の僕は、孤児だけでなく…全国のどこの誰だかわからない男に娘を取られるお父さん達を保護してやりたい気分で一杯だ!!畜生!」
「もう!まだ、お嬢さんが良い人を連れてきたわけじゃないんでしょ?今度は気が早すぎるわよ…。」
シルヴァスの脳裏には、恋人を連れてきたわけではないが、なぜか、カヤノが家に連れて来たサルマンの姿が浮かんだ…。
それと同時に、とてつもなく苛々した気分になる。
「あーもう、腹が立つ!やっぱり飲みたい!!ママ、僕をお店に泊めてぇ!」
「シルヴァスさん!いい加減にしてちょうだい。」
「待って…ママ、話せばわかる!」
「わからんわ!!酔っぱらいめ…明日また、出直して来な!」
ついにキレたママが男言葉になると、シルヴァスは顔をポッと赤らめて、小声で呟いた。
「ママってば、男らしい。僕、惚れるかも…。」
「ふざけんなぁ!」
シルヴァスはママに引きずられて、店のドアの外に出される。
見慣れている光景なのか、店の客は特に動じず、談笑しながら酒を飲んでいた。
「いいですか⁈今日は、酔ってらっしゃるので、お勘定は結構。次回のツケですよ?」
最後に、強制的にツケを促される捨て台詞をママに吐かれて、家路にトボトボと向かうシルヴァス。
「あーあ、帰りたくないな。帰っても誰も『お帰りなさい』を言ってくれないんだもんな。」
シルヴァスは風の精霊である。
元来、束縛を嫌い、自由気ままな性格だ。
だからこそ、あちこちを飛び回って孤児を保護する仕事をしているのだ。
フットワークが軽いのがウリだが、逆に家でのんびりと過ごすようなタイプの男でもない。
休みの日も話題の店に行ったり、流行りのスポットをチェックしたりと、カヤノが来る前からアクティブな生活をしていた。
家に帰るのは、寝る為か、持ち物を取りに行ったり、逆に置きに行く程度だった。
だが、カヤノが来てからは違った。
教育に悪いからと、食事の支度も自分で熟したし、たまにカヤノと一緒に作る事もあって、今ではカヤノもなかなかの腕前だ。
とはいえ、学生の彼女に負担は掛けさせられないと、今も基本、シルヴァスが全ての家事をやっている。
だからって、それが面倒だという事はなかった。
そもそも器用なシルヴァスは、家事が得意だし、大切にしているカヤノの為だと思えば楽しく、何事も風のように迅速に済ませる事ができる。
それに、確かにシルヴァスは、あちこち飛び回るのが好きだが、帰って来た時に『お帰りなさい』を言ってもらう事も大好きだった。
仕事帰りや長期、家を空けた後に誰かが家にいて『お帰り』を言ってもらえると、とても嬉しかった。
カヤノは、シルヴァスとは逆に、家で大人しく収まっているようなタイプの女の子だ。
農耕系や癒し系の穏やかな神の血が強く出ているという事で、力はさほど大きくないが、現人神としての特性は性格にも影響している。
農耕系や草花に関するの神のかかっている者は、どっしりと土地に腰を据えて、そこに居つくのを好む者が多いのだ。
飛び回る風のようなシルヴァスと大地に根を張って動き回ることのできない植物のようなカヤノ。
二人がそろうと丁度、風に吹かれて揺れる大平原の植物のようなイメージになる。
適性も性格も正反対で大きく違うが、二人の相性は悪いものではなかった。
カヤノと正反対で飛び回るシルヴァスだからこそ、家をしっかりと守ってくれる彼女がいる事で、帰った時に安心して癒されるのである。
いわば、彼女がいてこその我が家であり、彼女がシルヴァスの家そのものと言っても過言ではないくらい、カヤノはシルヴァスの生活に一部になっている。
今日から、しばらく、その『シルヴァスの家そのもの』とも言えるカヤノがいない…。
それはシルヴァスにとって、家の中に潤いや癒しが消えたのと同じだった。
カヤノは、いつの間にか、その存在だけでシルヴァスを癒してくれていたのだ。
☆ ☆ ☆
家に着くとシルヴァスは、暗い部屋のドアを開けて、シルヴァスはヨロヨロとリビングまで歩き、ソファに転がった。
ベッドまで歩く気がしない…。
誰も咎める者もいなければ、手を貸して寝室まで移動してくれる人もいない。
『風邪ひいちゃいますよ⁈』と、カヤノに怒られる事もないのだ…。
もうこのまま、眠りに落ちてしまうのだろうと自分で自分の事を思った。
そして、その前にシルヴァスは独り言ちた。
「結婚かぁ…確かに、もうじき、カヤノが卒業すれば、現人神社会では結婚が認められる歳になる。そんな歳で、花嫁の青田刈りに合う子も少なくないんだよな…。」
でも、うちのカヤノは男が苦手だから、大丈夫…。
他の子ほど、早く虫が付いたりなんかしない…。
卒業したって、まだ当分はうちにいるだろう。
女の子に怯えられれば、現人神の男だって、そう、しつこく求愛は出来ない筈だ。
きっと、相手の男神だって適当に諦める…。
シルヴァスは、どこかそういう風に安心をしていた節がある。
だが、今日からカヤノが自分の手元を離れるとなると、期限が決まっているとはいえ、バーのママの言葉もあり、途端に不安になった。
例えば、もし…自分が現人神の男の立場だったらどうだ?
自分の好みの相手がフリーで、男性恐怖症だとしたら?
それが理由で諦めるか?
例えば、その子に好きな男がいて、そいつとくっついてしまえば、仕方なく諦めるだろう…僕がハルリンドを諦めた時みたいに。
けれど、異性にトラウマがあると言うだけで、特に決まった相手がいないのなら、むしろ頑張ってしまうのではないだろうか?
『真摯に向き合って、心を込めて寄り添えば、いつかは自分に振り向いてくれるかもしれない…。』
『すぐには無理でも、少しづつ、自分に慣れて行ってくれればいい…。』
献身的な神のかかった男なら、確実にそう思うだろう。
それに神様は普段、慈愛に満ちた顔をしていても、どういうわけか性的にはドS気質が多いのだ。
確かに慈愛にも満ちているが、気に入った人間を可愛がるあまり、逆に虐めてしまうというような話しもよく聞く…。
「基本、最後には救うし、自分以外に気に入った者を傷付ける者には容赦ないけどね…。」
現人神だって例外ではなく、確実にS気質が多い。
普段は面倒見良く女性に尽くしていても、ベッドの中では大体の男神が意地悪だ。
実際、他人の濡れ場など見た事がないから定かではないが、レディ達には内緒の男同士のトークでは、大抵、そういう香りのする奴が大半だった。
かく言う自分もそうした傾向がある…。
自分は徹底的にフェミニストだが、ハルリンドやカヤノが嫌がる顔が密かに…結構、好きだったし…。
ここだけの話、泣いている女の子を見ると、正直、下半身に来る。
カヤノは、あまりシルヴァスの前で泣くタイプの子ではなかったが、それでも引き取る事を決めた日に、目に涙を溜めて泣くのを我慢している姿は、正直…良かった。
あれにクラリとした事は否めない。
いや、誤解されたら心外だが、自分はロリコンではない!
その時のカヤノに対して、性的な気持ちがあって、良かったと思ったわけでは決してない!
現に、下半身が元気になったわけではない。
誤解しないでもらいたい!!
単に可愛いと思っただけだ…多分。
とにかく、自他ともに認めるフェミニストである自分でさえ、そうなのだ!
現人神社会はS男の巣窟だ!
Sなら、まだいい!
ドSは最悪!!
そんな奴にカヤノが遭遇して見ろ!
男性恐怖症とか言って、一々、そいつが近づく度に、怯えた表情を浮かべでもしたら…。
そんな奴から見たら、カヤノは『運命の相手かっ?』てくらい、魅力的に映ってしまうに違いない!
これは大変だ…由々しき事態だ!!問題だ!
今更ながらにシルヴァスは、大いに狼狽えた。
そして、寝ころんだ状態で額に汗が伝ってきた。
「カヤノが狙われる!」
唐突にそう思った!
そして、頭に血が昇り、勢いまかせに立ち上がった!
その瞬間…。
「うっ!ぐうぅっ⁈」
シルヴァスは両手で口を押えて、トイレに直行した。
勢いまかせで立ち上がった瞬間、急に『パピヨン』で飲んだ安酒が回って吐き気を催したのだ…。
家に戻って安心したのがいけなかった…。
トイレまで、全力疾走のシルヴァスは、更に酔いが回り、くらくらと便座に顔を落とすと、蒼白な顔で両手を退けた。
「うげぇぇぇっ!!うげっ!おえっ!オエエエェェェッツ!」
深夜、シルヴァスの体内異物(ゲロとも言う…)を吐く音が、水洗トイレを流す音と共に…静寂に包まれたマンションを包む。
「うっ、ぐうぅぅぅ…これだから、生身の体ってヤダ!早く、地上勤務の任期を終えたい!」
涙目のシルヴァスは、ゲロ臭い口で呟いた。
「クッソォ、カヤノちゃんめ…。間違っても、赤毛でひょろっとした無駄にキレイな顔の…ちょっとばっかり名門出で趣味で教師の仕事なんかしてる嫌味なエセおかま野郎になんて、刈られて…僕を捨ててくれるなよなぁ~。そんなの絶対、イヤだよぅ。」
その感情は、パパでもあり、兄のモノでもあるとシルヴァスは考えていた。
そして、その赤毛のエセおかま野郎の学生時代を思い浮かべて、トイレに向かって唾を吐く。
ヘロヘロとした声で、最後の悪態をついたシルヴァスは、そのまま、トイレで…落ちた…。
何か、誤解があるといけないので、補足すると…トイレで眠りに落ちた…のである。
いつも、投稿時間が一定せず、申し訳ありません。
最後までお付き合い願えれば、有難いです。




