Ⅷ ぼくの幸せにするひと
マリアはリングの瞳を思いおこさせる金色の瞳で、まっすぐりんたを見つめていた。
「え、ないって、どういうこと?」
「手紙、光ってる手紙が見えない」
しえるにはりんたが焦っているようには見えない。でもりんたの心は嵐の時の大波ように揺れていた。
「うそ、そんな……マリアさんに聞いてきたら?」
「え、でも……」
周りを見渡すと、広間にはあふれんばかりの子どもたちがいる。こんなにたくさんの子どもたちの前で、大声でマリアに話しかけるのも、階段を上るのもりんたにはためらわれた。
「行きなよ、じゃないとわたしが聞きに行くよ?」
「……行くよ」
しえるは不安そうに、ゆっくりと階段を上っていくりんたの丸い背中を少しの間見つめたが、我慢できなくなって自分も一緒に階段を上った。
「一緒についていってあげる、わたし一人でいるの嫌だし」
「え、いいよ、べつに」
そう言うりんたの背中をばんっと叩く。
「そういうときは素直にありがとうって言うの!」
りんたは眉を下げ、少し痛かった背中をさすりながら、ぼそっと呟いた。
「ありがとう」
しえるはにかっと笑ってうなずいた。りんたはどうしていいかわからず、ただうつむく。
マリアはプンを両手で持ち、目の前の階段を上ってくる二人を優しく見つめていた。つい手を伸ばしたくなるような透ける純白の髪が、貝がらのように白い肌に似合っていた。
マリアはこの世の人とは思えないほど若々しく、それでもしっかりと年をとっていた。
(きっと魔法使いなんだ。何歳になってもきっと生きているんだ)
りんたは絵本に出てくる魔法使いを思い出した。
「ねえりんた、きっとマリアさんって魔法使いよね」
こっそりとりんたの耳元でささやいたしえる。
マリアの全てを包み込むようなあたたかいほほえみも、いまのりんたの不安を和らげることはできなかった。
「こんにちは、海色りんたさん」
マリアはかがんでりんたと目を合わせた。
りんたは緊張しながら小さく首を引いた。りんたなりの挨拶だ。緊張と人見知りと不安でりんたは声が出せそうにない。
なにより、りんたが嫌なのは階段の下にいる九十八人の子どもたちがみんなりんたを見ていると感じることだ。それはとなりにいるしえるも同じようで、居心地が悪そうにそわそわしている。
「あなたが言いたいことは分かるわ」
マリアの声は水よりも透き通っていて、どんな硬い貝がらよりも芯が通っていた。
「……どうすればいいの?」
りんたはなんとか声を絞り出した。その声は小さく震えていた。
(ぼくはやっぱり間違えて連れて来られたの? ぼくは悪い子だから、嘘つきだから……)
「りんたさん、心配しなくていいわ、あなたは来るべくしてここに来たの。安心して、あなたのやるべきことはたくさんあるわ」
マリアは、りんたの心をくみとって優しく語った。
「なにを、すればいいの?」
「まずは思い出すことよ」
「え?」
「あなたは心の底に、大切なことをしまっている。それを引き出すこと」
りんたはその言葉が何を言っているのか、なんとなく分かった。いつも心のどこかで罪悪感を覚えていたからだ。
それは、お父さんとお母さんについた嘘。
でもりんたはその嘘がなにかを忘れてしまっていた。
「……どうやって?」
マリアは首を横に振って、りんたの頭をなでた。
「それは、あなたが見つけるの」
今度こそりんたの顔が不安にくもった。マリアはふーっと息をはくと、一つだけうなずいて、みんなには秘密よ、と人差し指を口元にあてた。
「しょうがないわ、ヒントを少しだけあげる。りんたさん、あなたがここに来るまでに、どこか心の奥が揺さぶられたときがあったはず、それを思い出してみて。それは難しいようで、とても簡単。すこし辛いかもしれないけれど、それがあなたを、そしてある人を幸せにするの」
それだけ言うと、マリアは真っ直ぐ立ち上がった。頭上の時計はもう十四時を指していて、氷を落としたような高い鐘の音がお城に響いた。
「さあ、サマー・クリスマスまではあと六日、この『海の街』は朝も夜もないわ。皆さま、自分の幸せにする相手は分かったかしら?」
(幸せにする相手……?)
りんたがマリアを見つめる。
「この街を自由に使っていいわ、最高のプレゼントを考えてくださいね」
それだけ言うと、マリアは現れたときと同じように、かつん、かつんと高い音を響かせてかすんでいった。
「まって!」
りんたは小さな、でもすがるように声を出した。
「ぼくの幸せにする相手って?」
マリアはただほほえんで、泡になって消えてしまった。
しえるはとなりであっけにとられている。
「やっぱり魔法使いだ」
あきっぱなしになった口を、自分でしめると、
「りんた、どうするの?」
しえるは少し気まずそうに聞く。りんたは何も答えず、階段をかけ下りた。
(なんで、ぼくだけなにも教えてもらえないの? ぼくが悪い子だから?)
周りの子どもたちがりんたを見つめる。
りんたにはその目がみんなりんたを責めるように、場違いな子どもがいてはいけないと怒っているように感じられた。
りんたは見られるのも、いまこのお城の中にいるのもいやになって九十八人の子どもの間を走り抜け、お城を出た。無意識のうちに足は海に向かっていた。
りんたには、逃げ道は海しか思いつかなかったのだ。
息が切れ、苦しくなってきたとき、
「ねえ、りんたってば」
しえるが、けろっと走ってついてきた。しえるがかけっこが得意な子だったのを忘れていた。
(一人にしてほしいのに……)
ため息をつくと、何も答えずに、ただ海に向かって歩いた。しえるは走らないの? と不満げな顔をしながらも、りんたの横をのんびり歩く。
「りんた、なにか見つかりそう?」
りんたはこれにも答えず、ただひたすら歩いた。
「なにか、思い出せそう?」
(ぼくが心の奥で何かを感じた時……)
りんたはここに来るまで、プンと出会ってからのことを必死で思い出してみる。
プンにサマー・サンタクロースに選ばれたと言われたとき、初めて見たあい色の海を見たとき、そして、いつも心に引っかかる、海が怖い理由、でも今回海の中を歩いたときは怖いと感じなかったこと、ハープの音を聞いたとき、そして、あの白くじらのリングを見たとき。
(リングを見たときの……あのときの小さな不思議な感情はなんだったんだろう? その初めて感じる感情は……さみしさと…・・・なつかしさ?)
やわらかい砂浜は、りんたとしえるの二人だけがぽつんと立っていた。
「わたしはお手紙と、さっきお店でみたチェーンを作ることにしたんだ。わたしの幸せにする相手はね、つい最近大切な人を亡くしちゃったおばあさんなんだ」
「え?」
もうプレゼントまで決めているしえるの考えの速さや決断力に、りんたは息がつまった。
しえるは、少し考えるように海を見つめ、そして底抜けに明るい声をあげた。
(りんたが少しでも元気になるように、楽しもう!)
「わーい、虹色の海に戻ってきたわ! 歌も素敵!」
口を開けたまま力なく立ち止まってしまったりんたに気づかず、両手をばんざいして海の中に走り出した。
「もう……決めれたの?」
波の泡のようにすぐに消えてしまうようなか細い声は、しえるには届かなかった。
(しえるみたいな子が、サマー・サンタクロースなんだ……明るくて元気で、プレゼントもすぐに決められるような、すごい子が)
海からただよう懐かしい甘い香りが鼻をくすぐる。
りんたはその香り正体をもう思い出そうとも思わなかった。