Ⅵ 海のお城
『海のお城』のなかは、いままでみた絵本のなかにもないような、だれにも真似できない不思議でまぶしい世界だった。
壁にはうす桃色の貝がらがしきつめられ、地面は柔らかい砂浜、大広間は子どもが一〇〇人入ってもまだその三倍は入れるほどの広さ。
そこら中にあいた光入れの穴から差し込む白い光線に、貝がらは一瞬一瞬違う表情を見せる。
目の前にそびえる階段は白とピンクと水色と黄色、光の具合でどの色にも見える貝がらでできていた。
天井は巻き貝の中のように上に行くほど狭くなっている。
でもこのお城はいくつもの建物がつながっているため、天井の先が見えない。
もしかしたら、この建物の一番上は、地上なんじゃないか。
りんたが、ふと、そんなことを考えてしまうほど、天井はどこまでも続いていた。
りんたは、万華鏡の眼鏡で夢をのぞいている気分だった。
無性にこのお城の中を走り回りたくなる。それほど魅力的で心をくすぐるお城だった。でも、りんたはぐっとこらえて、考えをどこかにとばすように頭を横に振った。
(ぼくは、ここにいてもいいの? きっとみんなしえるみたいに頭が良かったり、すごい特技を持っているんだ)
隣で感嘆をもらす子どもたちはみんな輝いていて、根拠もなくすごい人のように見えてしまう。
(でも、ぼくにはなんもない)
下唇をかみしめながら、りんたはいましがた入ってきて、いまもぞくぞくと子どもたちが入ってくる大きな入口に向かって歩きだした。
全てが輝いて見えるそのお城は、りんたにはまぶしすぎた。
(プンに言おう、ぼくはやっぱりここに来れる人じゃないんだ。だってぼくは……)
りんたが門から出ようとしたとき、見覚えのある、ラベンダー色が視界に入ったかと思うと、りんたの体が後ろにのけぞった。
手加減を知らないしえるが突撃してきたのだ。すぐにぐいと手を引っ張るしえる。
「りんた! いた! ちょっと、先に行くなんてひどい!」
しえるの表情は焦りにも似ていて、いまにも泣きそうなほどふるえているのに、りんたは気づかなかった。それはりんたが思いっきり目をそらして、握られた手を振り払ったからだろう。
「……ちがう、でもごめん」
顔を少し下げながらあやまるりんた。
しえるはりんたの表情を読み取ることができず、少しの間眉をひそめてりんたのつむじを見つめたが、ふうっと息を吐くと肩をすくめてうなずいた。
「いいよ。でも、もう勝手にどこかにいかないでよね」
何で、と言おうとしたりんたに、ころっと笑顔になったしえるがぎゅっとりんたの手を再び握る。
「じゃあお城探検しよ!」
「いや、ぼくは――」
ガシャンッ
りんたの眼の前で扉が閉まった。一〇回目の歌が終わったのだ。
目を見開いて、扉の前で硬直しているりんたは、焦る気持ちと一緒に、どこかほっとしている自分がいるのに気づいた。
(帰らなくていい……)
そして、そんな自分がまた嫌になった。
(ほら、やっぱりぼくはいい子じゃない)
「ん?」
暗い顔のりんたに、笑顔で首をかしげるしえる。りんたが小さく首を横に振ると、しえるはりんたの手首をつかみなおして大広間の中心へずんずんと進んでいった。
サマー・クリスマス。
それは子どものサマー・サンタクロースが、困っている人や悲しんでいる人を幸せにする特別な日。
一〇〇人のサンタクロースはそれぞれの心を込めた贈り物を送って、人々を幸せにする。
サマー・クリスマスは美しい海の白くじらのなかからその幸せを届ける。
でもそのことは、だれも知らない。
選ばれた子どもたちをのぞいては。
大広間に集まった子どもたちは目を輝かせて、ときに息をのんでその不思議で美しいお城を見回していた。
そのとき、全身をあたたかく包んでいたハープの音が遠のいていった。
子どもたちの声も自然と小さくなる。
それと同時に、お城の中が突然、真っ暗闇に包まれた。
光入れの穴はふさがり、さっきとうってかわって体を芯から凍らせてしまうほど、冷たく暗いハープの音だけが足元から渦を巻くように流れる。
ざわつく子どもたちの声はすぐに消え、心の底までひんやりと冷たく泣きたくなるほどさみしくなると、しーん、とみんな黙ってしまった。
すると、暗闇の中リズミカルに高い音が響く。
それが靴の音と気づくのには時間がかかった。
「ああ、悲しい 心はいつも 光だけではない
ああ、さびしい だれも知らないさびしさ
ああ、暗い 海の底にしずんだ船のように 心は沈むときもあるの」
ハープの音と、まるで透明なガラスをたたいたときにでる綺麗な高い声が、お城の中に響く。
この世の人々の悲しみをいま、子どもたちが心で感じているのだ。
いつもは、あまり感情的にならないりんたも、胸が苦しくなって抑えようのないこの気持ちをどこかにぶつけたくなった。
でも、どこにも、ぶつけられない。それがまた悔しくて、苦しくて、きっとだれもこの気持ちを理解してくれないんだ。
そう思うしかできなくなった。そんな悲しみが心を占領する。
りんたは初めて、解決できないほどの悲しみを味わった。
でもそれはハープと歌声のためだけではない気がした。
(ぼくはいい子じゃない、悪い子なんだ……ぼくはずっと前に嘘をついた。でも、ぼくはどんな嘘をついたのかを覚えていない、どうしても思い出せないんだ。だから、ぼくは……だめなんだ)
どうしようもなく悲しくなって、泣きたくなった、周りには鼻をすすって泣いている子どももたくさんいる。隣にいるしえるはもう号泣していた。
冷たくてかなしい音が止まった。
目前の大きな階段の頂点の光入れの穴が一か所だけ開いた。
真っ暗だったお城に一筋の光が差す。
その先には、いつのまにかプンをもった背の高い女性が立っていた。
「でも、忘れないで あなたたちにはわたしたちがいる
さあ、思い出して サマー・サンタクロースを
ああ、偉大なる海 サマー・クリスマスに舞い降りる」
少しずつ光が差し込んでくる。その光が体にまとわりついた悲しみの氷を溶かすかのように広がり、ハープの音色もあたたかくなった。
「さあ、信じて あなた自身のことを!」
女性がそう声高らかに歌いあげた瞬間、ぱあんっとお城中が光に包まれ、天井からはシャボン玉のような泡や、わたあめのような氷、冷たい結晶からあたたかい雨粒まで、どれもキラキラ輝いて降ってくる。
耐えられそうになかった悲しみが晴れ、心の悲しみ以外の感情が再び動きはじめることに、りんたは心からほっとした。
そして気づいた。頰がぬれていることに。りんたは慌ててそれをぬぐうと、天井からふってくる泡のせいにした。
いつの間にか街で見たタイやパウアたちもお城の中をぐるりと囲むように並んで、それぞれ手を叩いたり、互いに肩を組んでリズムを取って揺れている。
ファンファーレが鳴り響き、うってかわって陽気な明るい歌が流れる。
りんたはもう一生、この光景を忘れることはないと確信した。
「よくぞ私の『海のお城』にいらっしゃいました。私はこのお城の主であり、サマー・クリスマスの主催者でもある、サンタ・マリアです」
マリアは魔女の被るとんがり帽のような巻き貝の帽子をはずし、優雅にお辞儀をした。 マリアはいまにも消えてしまいそうなほど不確かで、幻のようなまぶしさをもっていた。
「そしてこの『海の街』全体を動かし、守っているのは、この国と海の守り神である、白クジラのリングです」
ハープの音が少しだけ強まった。このハープの音はリングが奏でているのだ。
「皆さまには今年一〇〇年目を迎えるサマー・クリスマスの、重要なサマー・サンタクロースをおまかせしたくて、ここに招待させていただきました」
スポットライトのように光がマリアを照らす。マリアの髪はくじらと同じ透けるような白で、その肌も同様だった。
貝がらとサンゴ、純白の見たことのない絹のようなマーメイドドレスをまとったマリアは、少しよそ見をしたらどこか泡のように見失ってしまいそうなほど真っ白だった。
唯一の色は、真夜中の海に浮かぶ満月のような金色の瞳。
「プンの話もあったように、ここの時間はとても短いわ、ここはあなた方の世界とはまた違う場所。あなた方の世界で太陽が出ている十四時間が、ここでの一日です。どうか皆さん、時間を大切に使ってください」
マリアが手を上にあげる。いつの間にかその頭上にはホネガイと氷でできた大きな時計が光っていた。頂点が十四という数字になっている。
「さっそく皆様にはそれぞれのプレゼントを考えていただきます」
マリアが手を叩く。そのとたん、お城の周りに並んでいた魚や貝たちがくるんと回る。すると、魚たちは姿を消して、そこには氷に泡で書かれた手紙が、ふわふわと宙に浮いていた。
子どもたちの声がわあっとこだまする。
「それはこの国の困っている人の心の手紙。皆さんにはその人たちを幸せにしてください。幸せにする相手の手紙が光って見えると思います。さあ、お手に取ってご覧ください」
マリアはりんたたちを子ども扱いするのではなく、大事な仕事を任せる一人のサンタクロースとして扱った。自然とそれを感じとり、子どもたちは真剣な面持ちで、必死に光る手紙を探す。
「あった!」
りんたのとなりで両手を叩くと、ぴょんっと飛び跳ねながらしえるは走っていった。
周りの子どもたちがりんたの前を猛スピードで走って、ときにぶつかりながら自分の幸せにする相手の手紙のもとへいく。
りんたは焦って子どもたちのすき間から手紙を見渡す。
「皆さんにはサンタクロースとしての自覚を持っていただきたいです。サンタクロースは相手を幸せにする大切な役割です。自分の頭脳、能力、想い、全てを使って、どうすれば相手を幸せにできるか、一生懸命考え続けてください」
きゃーきゃーと響いていた歓声はすぐに静まり、みんな真面目に手紙を見つめた。マリアの言葉をしっかりと心に刻む。
いましがた、暗闇のなかで本当の悲しみを知った子どもたち。自分たちがマリアの歌によって救われたように、今度は自分たちが人を悲しみから救い出す番なのだ。
「この手紙はこの国で本当に困っている人、悲しんでいる人の気持ちを、この白くじらのリングが受け取ったものです」
りんたと同じか、それよりも少し年上の子どもたちは自分の手紙とマリアを交互に見つめる。
「皆さんは何万人といる子どもたちの中から選ばれたサマー・サンタクロースです。どうか真剣に、そして気持ちを込めてその人を幸せにしてください。それが、サマー・サンタクロースのお仕事です」
マリアの声は全員の子どもたちの胸の奥底までしっかりと届いた。
いや、一人をのぞいて。
りんたは一人、大広間の中心でぽつんと立っていた。
しえるが首をかしげて、りんたのところまで走ってきた。
「りんた、どうしたの?」
りんたは階段の上にすらっと立っているマリアを見つめたまま、ぽつんと呟いた。
「ないんだ、ぼくの」




