ⅩⅢ いまを
「……んた、りんた?」
つんつんと、倒れているりんたのぷくっと膨らんだほおをだれかがつつく。
夢から覚めたような気分で目を開けたりんたの視界に、一番に入ってきたのは黄金色の瞳だった。
驚いて上体を起こすと、そこは虹色の海の砂浜だった。
「え、なんでここに?」
全てが夢だったのではないかと思った。
それほどまでに、身体は長い間眠っていた後に似た気だるさと、疲れがあったからだ。
でもその不安は一瞬で消えた。
「わたしが、メルと一緒にりんたを助けにいったの」
虹色の海で、小さな白くじらが金色の水しぶきを上げる。
「メルって、あの白くじら?」
りんたを過去を見ることのできる海まで連れて行ってくれた白くじらは、りくが命を救ったメルだった。
うん、とうなずくしえる。
「……そっか」
色々なものがつながった気がして、りんたはほうっと息をはく。
長い間見つからなかったかたい氷がすうっと溶けていった気がした。
「そう、りんたを探しにいったら、連れて行ってくれたの」
えっへんと、やっぱり自慢げに話すしえるは、どこか不安げだった。
そんなしえるとメルを交互に見つめると、りんたは立ち上がり、しっかりおじぎをした。
「助けてくれて、ありがとう」
あのまま一人で海のなかにいたら、きっともうここにいることはなかっただろう。
りんたはしえるの目をしっかりと見つめた。
「ごめんね、どなっちゃって」
ずっと昔のことのように感じる出来事。
でもりんたはしっかりと気持ちを伝えたかった。
海の中で様々なものを見て、お父さんはもどらないこと、過去は変えられないことを知った。
しえるは驚いてりんたの頭をこつこつと軽く叩いてみせた。
「なに、するんだよ」
「なんか、人が変わっちゃったみたい」
そう言って笑う。
「わたしもごめんね、りんたのことちゃんと考えてなかった。りんたは本当は、わたしにないところをたくさん持ったすごい人だったんだね」
にかっと笑うしえる。これで仲直り、というように手を差し出す。
りんたはそれを恥ずかしがりながらも、しっかりと握った。
「ぼく、きみと友だちになりたい」
りんたの言葉に、しえるは満面の笑みでうなずいた。
「もちろん! まあ、わたしはもう友だちのつもりだったけどね」
くすっと笑いを含んで言うしえるに、りんたは申し訳なさそうに頭をかいた。
そのとき、二人の周りに風が吹き、ハープの音が強まったと思うと、目の前にマリアが現れた。
「マリアさん!」
しえるが驚きながらも誇らしげに声を上げる。
「しえるさん、りんたさん、よくここまで戻ってきてくださいました。お二人のご健闘、本当に感動しました」
しえるがにかーっと笑って、親指をぐっと突き出す。
「わたし、自分の世界とこの世界をむすぶものの秘密を解くことができたわ!」
りんたが首をかしげて状況に追いつこうと必死に考える。
「それは桃草!」
マリアが口元に優しい笑みをたたえてうなずく。
「サマー・クリスマスの一週間前から咲いて、太陽が出ているときにしか葉っぱを広げない。その広がっている時間が、ここの時間。この虹色の海一面に咲いている桃草も、どんなに暗い場所へ行っても葉っぱは広がっていたわ」
りんたはお父さんの言っていた言葉、元の世界に戻りたいときに食べるものを思い出した。口の中にはまだ桃草の甘味が残っている。
この世とそうでない世界をつなぐもの、海と陸をつなぐもの。
それがサマー・クリスマス草とも呼ばれる桃草の正体だった。
「わたしが自分で考えて、りんたに桃草を食べさせたのよ」
しえるが誇らしげに、嬉しそうに腰に手を当てる。
りんたはその堂々と自慢する姿にふっと笑いをこぼした。
「ありがとう、しえる」
しえるはほおを赤くして、満面に笑みを広げてりんたの手を握る。
「はじめてしえるって呼んでくれたね!」
くるくると鈴のように笑うしえると、嬉しそうに笑うりんた。その二人を見つめ、マリアは安心したようにうなずくと、気づいたら泡のように消えていた。
「そうだ、それで海の中はどうだった?」
しえるがやっとりんたの手をはなして聞く。
りんたは、自分が逃げるために海に入ったのを思い出して、少し恥ずかしくなった。
でも、砂浜に座ると、虹色の海を見つめ、ゆっくりうなずいた。
いまはもう、さっき起きたことも長い夢を見ていたような気分だった。
思い出すことのできた、五年前についた嘘と、リングとの約束。
(ぼくは五年前にリングに会っていたんだ。だからなつかしかったんだ。そして、ぼくのついた嘘は、お母さんとお父さんに、プレゼントが本物の貝がらじゃないってこと。ぼくは、約束のプレゼントを届けるために、ここに来たんだ)
じわっと瞳に熱いものが浮かぶ。
(それが、ぼくのサマー・サンタクロースの仕事、ぼくにしかできない仕事なんだ)
「どうしたの? なんかわかった?」
りんたは小さくうなずくと、うつむいた。
(お父さん……)
大好きで、そして憧れだったりくを思い出し、りんたは自分のひざを抱きかかえた。
「全部思い出したんだ、死んじゃったお父さんのこととか、全部」
ぽそっとつぶやくように、でもしっかりしえるに伝えた。自分が海で見た全てを。
話さないと、きっとりんたの悲しさはしえるには伝わらない。
だから、りんたはしっかりと時間をかけてしえるに伝えた。
その目には涙があふれていた。
(悲しいよ、辛いよ……会いたいよ)
全ての話を聞き終わると、肩のふるえるりんたの姿を見つめ、しえるはそっと隣に座った。
自分のほおに流れたあついものをしっかりとぬぐうと、深く息を吐いた。
「わたし、手紙はこう書こうと思うんだ」
しえるは足元の砂浜に手紙の絵を描く。
「こんにちは、わたしはサマー・サンタクロースです。あなたに幸せを届けに来ました」
優しいハープの音が流れる。
「あなたはいまとても悲しいかもしれません。その気持ちは簡単には消えないし、だれにもわかってもらえないかもしれません」
しえるはりんたの前にも手紙の絵を描く。
「でも、心配しないでください。みんなあなたのことが大好きです。いま近くにいる人は、だれにも変わることができない、あなたのお母さんだったり、親友だったりするんです。時間はいつか悲しみをうすくしてくれます。でも、いまはいましかありません」
しえるはりんたの前に描いた手紙と、自分の前に描いた手紙を線でつないだ。
りんたが少しだけ顔を上げる。
しえるはにかっと笑ってりんたを見つめた。
「となりにいる大切な人をどうか、幸せにしてあげてください。どうかいましかない時間を大切にしてください」
りんたがはっとして、しえるの瞳を見つめる。
海が本当に太陽と調和して、ときたまにハーモニーを奏でているような美しい時だけに見ることができる黄金色の瞳を。
りんたのなかで何かが変わった気がした。
やっと気づけた、ずっとうそをついていると悩みつづけていた心のもやが晴れたこと、今するべきこと。
そして、大切な人がいる幸せに。
しえるは春の太陽のような優しいほほえみをうかべる。
りんたはしえるをじっと見つめると、ため息をついた。
「しえるは本当にサマー・サンタクロースだね」
不思議がるしえるに、りんたは初めてほほえんだ。
「ありがとう、元気になったよ」
りんたを見てしえるは自然と笑顔になった。
(楽しいこと、幸せなことはちゃんと相手に伝わるんだね)
しえるは砂浜で自分が楽しめる方法でりんたを元気づけようとして失敗してしまった。だから、りんたの気持ちをよく考えてみた。
(伝わるってこんなにも嬉しいんだ)
しえるはこみ上げる嬉しさに、こぶしを握った。自分の苦手な「相手のことをよく考える」ことを少し克服できた気がした。
「そうだ、りんた、幸せにする人、わかった?」
しえるが首をかしげると、りんたはゆっくりと立ち上がってうなずいた。
りんたの心が五年ぶりに晴れた気がした。
「うん、ぼくのお母さんだ」
しえるは驚きながら立ち上がり、喜んで両手を合わせた。
「素敵! 応援するよ!」
「ありがとう」
そのとき、『海の街』全体に、四度目の高い鐘のような音が響いた。
サマー・クリスマスまで残り三日となった。