幼馴染み
私がヘンリーさんとアルマさんと共に買い物に出かけた日は、幸運にも上天気に恵まれた。このところ空がぐずつく日が多かった。それはそれで水やりの手間が省けて助かるが、やはり外に出る時くらいは晴れていた方がいい。むしろ暑いくらいの日差しの中で、私たちは通りをてくてく歩いていた。
「ボルマンさんに聞いたんですが、今日は旦那様もこの近くにいるみたいですよ」
会話の流れの中で、ヘンリーさんが思いがけないことを言った。
「旦那様が?」
町にいる旦那様というのはあまり想像ができなかった。しかし、そもそもあの人の仕事の内容について、細かいことを私は知らない。
最近、あの人とはそれなりに会話するようになったけれども、その内容は主に、私が屋敷であったこと――ほとんどは庭に関することだが――を語り、あの人がそれに相づちを打つという形がほとんどだった。あの人自身は、自分のことをあまり語ってくれないのだ。
「ええ、大聖堂の方で仕事だそうです」
「大聖堂……? そんなところで何をするんでしょうか」
「詳しく聞きませんでしたけど、見学とかだそうです」
「そういうお仕事もあるんですね……」
聖堂を見学しているあの人の姿を想像しようとしてみたが、上手くできなかった。私の頭の中には、前にちらりとだけ見た屋敷の書斎のイメージが焼き付いている。机の上に、沢山の書類が山積みになっていた。だからきっと宮殿でも、あの人はどこかでずっと椅子に座って仕事をしているのだと思っていた。
「大聖堂ならすぐ近くですね」
アルマさんが言った通り、我々のいる位置からでも建物の隙間から大聖堂の尖塔が見える。数区画歩けばつく距離のはずだ。そんな近くであの人が仕事をしている。それを思うと少し不思議な感覚がする。
「こっそり行ってみるか?」
「バカ、そんなことして見つかったら怒られるでしょ」
アルマさんはヘンリーさんの提案を一蹴したが、ヘンリーさんも冗談で言っただけのようだ。少し舌を出しておどけて見せている。でも私は、
――ちょっと行ってみたい。
と思った。
あの人がいつもどんな顔で仕事をしているのか、興味があった。一人で屋敷の廊下を歩いている時のように、真面目で冷たい視線をしているのか。それとも案外、仕事上の相手にはそつない微笑みを浮かべていたりするのだろうか。遠くから眺められるのなら見てみたい。
――行ってみましょう!
心の中のミアはそう叫んでいるが、遊びに町に来ている私が好奇心であの人の仕事の邪魔になるようなことをするのは、やはりはばかられる。
「そうです。アルマさんの言う通りです。旦那様の邪魔をしたらいけません、ヘンリーさん」
アルマさんに乗っかって、私もヘンリーさんをたしなめる言葉を吐いたが、半分は自分に向かって言ったようなものだ。言いながら、私の視線は民家の屋根の上に見える尖塔の方に引かれていた。
「分かってますよミア様、本気じゃないです」
ヘンリーさんが手を振って笑って、それでその話は一旦おしまいになった。
それから私たちは、今日の外出の目的地である金物屋に入った。この店には結婚する前にも、一度だけ来たことがある。その時は確か、実家の鍋の修理をお願いしに来たのだ。店の内装はその時と代わっていないようである。色々な形の鍋が天井から吊り下げられていたり、壁にのこぎりや金づちなどの道具が架かっていたりする。ヘンリーさんと店の人の助言を受けながら、私はやすりと他に必要になりそうな木工用具を購入し、金物屋を出た。
「新品ってのはいいですね。何だかわくわくするって言うか――」
荷物持ちを引き受けてくれたヘンリーさんの言う通りである。新しい道具には、すぐにでも使ってみたくなるような、それなのに使うのがもったいないような不思議な魅力があるものだ。私も手に入れた新しいのこぎりの切れ味を試したくてしょうが無かった。
「あわない道具を使うのは怪我の元ですから。それにあの金物屋の腕は確かです。きっとよく切れますよ」
「楽しみですねぇ」
私はそう言うと、ヘンリーさんと眼を合わせて悪い顔で笑った。
今まで私が使っていたのこぎりは、屋敷に元からあったものだ。しかしそれは私の手には少し大きすぎるくらいだった。道具は手にあったものを使った方がいい。それもヘンリーさんの言う通りである。
気合いを入れてものを作る時には、できれば道具からこだわりたい。
「私にはよく分からない世界ですけど……、ミア様が満足なら良かったです」
歩きながら、私とヘンリーさんは道具の話に花を咲かせていたが、アルマさんはそちらの方にはあまり興味が無いようだった。
「でも、どうしてお鍋まで買ったんですか?」
そうである。私はついでに鍋も買った。フライパンもだ。それは今、私が抱えている袋の中にある。鍋ならそれこそ屋敷の厨房に沢山あるのにと、アルマさんは首を傾げた。
「あまりフォルカーさんのお邪魔をするのも良くないですから」
私はそう答えた。
色々あって、私が厨房を使う機会も増えた。そのたびにフォルカーさんの道具を使わせてもらうのは、他人の城を荒らすようで好きではない。だからこの機会に、使い勝手の良さそうな料理道具も見繕ったのだ。
というのは建前だろう。
気合いを入れてものを作る時には、できれば道具からこだわりたい。
それが誰かのために作るものなら、なおさらである。
◇
その後も私たちは町を回って買い物を続けた。私の欲しかったものを調達する以外にも、アルマさんとヘンリーさんが行きたいと言ったお店にも寄ったし、ボルマンさんとフォルカーさんへのお土産としてお菓子も買った。
たまの買い物は楽しいけれど、無駄遣いは良くない。良くないけれど楽しい。悩ましいところではあるが、大分時間も経ってしまった。そろそろ帰ろうとした時に、私は思わぬ顔に出会った。
「……ミア? ミアじゃないか!」
大通りを歩いていたところで、そんな風に呼びかける懐かしい声が聞こえた。
「――え?」
声の方を振り向くと、そこに居たのは私の旧い知り合いだ。私は思わず彼の名を叫んだ。
「――テッド君!?」
「……テッド君?」
使用人の二人は、大声を出した私に驚いて顔を見合わせている。彼らだけではなく、周りの人たちも何事かと足を止めた。そうしている間に、私と同い年のその男性は大通りの反対側から駆けてきて、私の前に立った。
「ミア、本当に君なのか! ミア!」
彼は久々の再会に驚きを抑えられないようだった。私の手を握ると、何度も繰り返し私の名前を呼んだ。
「久しぶりテッド君! 元気だった?」
「君こそ……、どうして急に……! この町から……!」
「テッド君、落ち着いて」
通りを全力疾走してきた彼は、少し息を切らしている。彼の言いたいことは不明瞭だったが、相変わらず元気そうだったので安心した。それにしても、さっきから彼は私の両手を痛いくらい握りしめている。別に死んだ訳でもないのに、これ程大げさに喜ばれると気恥ずかしい。
「あの……、ミア様。その方は……?」
アルマさんが恐る恐るという風に声をかけてきたので、私ははっと我に返った。使用人の二人には、初対面の彼が誰かも分からないだろう。それなのに勝手に盛り上がってしまったのは申し訳なかった。
「私の幼馴染みなんです。テッド――あれ? テッド君の本名ってなんだっけ?」
「エドワードだ」
「そう、エドワード・オルディスさんです」
「よろしく」
私がテッド君をアルマさんとヘンリーさんに紹介すると、彼はようやく私の手を離し、後ろにいた二人に挨拶した。