命令
かねてから執り行っている大聖堂の修築工事の視察に、財務畑から人を出すことになった。ジェラールがそれを知ったのは、一片の命令書が彼の執務室に届けられたからだ。その命令書には、宮宰である公爵の印が押されている。
「……なぜ私に?」
ジェラールは不機嫌を隠さない顔でつぶやいた。それもそのはず、命令書の宛先は彼ではなく財務長官になっている。これをジェラールが受け取るいわれはなかった。
「それが伯爵は今、領地に戻っていらっしゃるので」
「何をしに?」
「狩りだそうです」
命令書を運んで来た宮宰付きの事務官がそう言うと、ジェラールは大きくため息をついた。
現在の長官は伯爵位にあるが、宮廷にはほとんど出仕してこない。そのくせ夜会や舞踏会への出席は欠かしたことがないという、ジェラールとは対極に位置する人間だった。実務はほとんどジェラールがこなしていて、恐らく長官自身は、部下の役人たちが扱っている計算書の意味すら理解できないだろう。家柄によって役を与えられたが、己の仕事の内容には関心が無い典型的な事例と言えた。
ジェラールは考えた。仮にこの命令書を突き返しても、多分宛先が自分になって戻ってくるだけだ。こういうことは年に何度かあるから間違いない。ならば素直に受け取った方が、手間が省けてましだろうと。
「……分かった」
「そう言っていただけると助かります」
渋い顔ながらも子爵にうなずいてもらえたので、事務官はほっとした様子で辞去していった。
――だが、町に出るのは久しぶりだな。
ジェラールは一人になってから何となくそう思った。基本的に仕事中のジェラールは、常に椅子に縛り付けられている。特殊な用件でもなければ、外出することなどほぼ無い。実際今も、この前町に出たのがいつだったか思い出せないほどだ。
それにどうも最近の陽気のせいか、執務室の中にも眠気を誘うけだるい空気が漂っている気がする。気分を変えるには、こんな仕事もたまにはいいのかもしれないと、彼は前向きに考えることにした。
◇
「その日は奥様も町に出られるとうかがいました」
「そうなのか?」
夜、ジェラールが執事に大聖堂の視察の話を聞かせると、そのような報告を受けた。
彼の帰りが遅かったので、ミアはもう夕食を済ませて自分の寝室に戻っている。二人はまだ、二日に一度はこんな風にすれ違った生活をしている。――逆に言えば、二日に一度は夕食を共にするようになったということだが。
「お買い物をなさりたいということです」
「……買い物?」
字面だけなら、子爵夫人としては一般的な行動に聞こえる。しかしミアの事だから、服や装飾品を買いに行くのではないのだろう。恐らく花か野菜の苗か、でなければ肥料でも欲しいと言っているに違いない。彼女の行動にも慣れてきた子爵はそのように推測した。
「やすりが欲しいと言っておられました」
「……やすり?」
「物を削ったり磨いたりする道具でございます、坊ちゃま」
「それくらい知っている」
しかし、そんな物を彼女が欲しがるはさすがに想定していなかった。ジェラールは知らないが、やすりというのは庭造りのために必要なものなのだろうか。
「今度は大工にでもなるつもりか?」
ジェラールは呆れてつぶやいた。そしてそんな彼を見て、ボルマンが何もかも分かっていると言いたげな顔でうなずいた。
「ご安心下さい坊ちゃま」
「何をだ」
「完成したら、坊ちゃまにも使っていただきたいと言っておられました」
「……使う?」
一体自分は何を使わされるのだろう。ジェラールは疑問を込めた目でボルマンを見たが、執事は直接ミアに聞けと言うばかりで、彼には何も教えてくれなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
テーブルと椅子を作るためにのこぎりで切った材木を、私は雨に濡れないように裏庭の物置に隠しておいた。ここなら目障りにならないだろうと思ったからだ。
この物置は、少し前に裏庭の開拓を進めている途中で発見したもので、見つけた時にはほとんどツタで覆われていた。こぢんまりとした煉瓦造りで扉はない。これも長い間使われていなかったようだが、結構しっかりとしている。簡単に物を置く分には十分だった。
この物置を見つけたお陰で、私の寝室はかなりすっきりとした。何しろこれまで調達した色々な庭道具を、私はずっと寝室に置いていたのだ。
――それに、ここもかなり片付いてきたかな。
両手についた埃をはたきながら、大分視界が通るようになった裏庭を見て私は思った。ちょっと感慨深いものがある。繁茂していた茂みを取り除いて、ツタを切り払って――。暇を持て余している私でも、一人でここまで整備するのは大変だった。
「やすりですか? そんな物あったかなぁ」
屋敷の中に戻った私は、次の工程のために必要な道具をヘンリーさんに借りにいった。しかしヘンリーさんは後ろ髪を掻きながら首を傾げている。色々な道具を持っている彼でも、持たない物はあったらしい。
「無さそうですか?」
「そうですねぇ、前に井戸を直した時は使わなかったな。でもまあ、確かにあると便利ですね。二、三日うちに調達しておきます」
「あ、じゃあ私も行きます。他にも色々欲しいので」
「色々って?」
「肥料とか……、野菜が大きくなってきたので、支えになりそうな物とか」
私は指折り数えながら、他にも細々とした物の名前を挙げた。
「分かりました。それならアルマにも声をかけておきますよ」
ヘンリーさんはうなずいたが、私が外に出たがる度に忙しい二人について来てもらうのは忍びない。いつかも言った言葉を私が繰り返すと、彼は少し困ったような顔をした。
「貴族の奥様は、そんな遠慮をしないもんですよ。でもそうですね。奥様の言う通り、この屋敷には確かに人手が足りないかな。旦那様一人だけだった時はまだ良かったけど、奥様も増えたし」
「“増えた”って奥様に言う言葉ですか?」
「奥様から旦那様に言ってやって下さいよ、誰か新しい使用人を雇ってくれって」
「え~、それはちょっと……」
私にはまだ難易度が高い。でも、私が来たせいで使用人たちの負担が増したのは事実だろうし、勇気を出してお願いしてみるべきなのだろうか。私が真剣に悩んでいると、ヘンリーさんが鼻の下を伸ばして言った。
「新しく来るんなら、できれば若くて可愛い子がいいなぁ」
お願いは保留だ。そのふにゃけた表情を見て、私は思った。ついでに私は腕を組んで、彼に一言説教してやろうと考えた。
「ヘンリーさん、そういうこと言ってるとアルマさんに言いつけますよ?」
「え? どうしてそこでアルマが出てくるんです?」
しかし私の言葉に、ヘンリーさんは頭の上に疑問符を浮かべていた。
DIY