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のこぎりとわたし

「……ミアさん、何してるんですか?」

「え?」


 背後からかけられた声に驚き、庭で作業をしていた私は顔を上げた。この屋敷では聞き慣れない声だ。私が振り向くと、そこにあったのは先日夫を訪ねてきた少女の顔だった。


「あ、こんにちはレティシアさん」

「……」

「……あ、そ、そうでした。――こんにちは、レティさん」

「はい、お久しぶりです」


 白い服を着て、同じ色をした日傘を差しているレティシアさんはそう言ったが、彼女が前に来てからそう日は経っていない。


「あいにく主人は外出しているのですが……」


 今日の旦那様は宮廷に出仕している。多分夜まで帰ってこないだろう。彼女があの人を訪ねてきたのなら、残念だがそれは無駄足ということになる。


「いえ、今日はあれを――失礼、子爵を訪ねて来たんじゃないの。……ミアさんに会いに来たんです」


 白い日傘をくるくると回して、少し上目遣いでレティシアさんは言った。私が驚いて口を開けていると、彼女は少し間を開けて、お邪魔だったかしらとつぶやいた。


「と、とんでもない! すごく光栄――じゃなくて、嬉しいです」


 気を抜くと、どうしても敬った言い方になりそうになる。多分彼女はもの凄く偉い女性であるという推測と、彼女自身が放つ独特の雰囲気のせいでそうなってしまうのだが、その度にレティシアさんは少し寂しそうな表情をする。

 彼女が身分を明かさない限り、彼女が望むように気安い言葉遣いをしてあげるべきだろう。私は彼女に対して、そんな年上ぶった考え方をしていた。


「……えっと、立ち話もなんですから、中へどうぞ」


 それはそれとして、客人を立たせたままというのは失礼だった。ようやくそれに気付いた私はレティシアさんを屋内に促したのだが、彼女は優雅に礼を言ってから、さっきの質問を続けた。


「はい、ありがとうございます。でもその前に……、何をしていたのか、教えてもらってもいいですか?」

「ああ、これですか? テーブルです」

「テーブル……?」

「そうです」

「……ご自分で作ってらっしゃるんですか?」

「はい」


 レティシアさんの問いに得意げにうなずいた私の周りには、材木と木くずが散らばっている。言葉通り、私は目下大工仕事に精を出していた。


 前に彼女がこの屋敷を訪れた時は、ちょうど私が育てた初めての花が咲いた時だ。あれからさらに暖かくなって、開花した花の種類も増えた。彼女が見た小さな黄色い花だけでなく、苗から咲いた白や桃色の花などもある。庭として、少しは見栄えのするものになってきたのではないか、私はそう自画自賛していた。


 その花たちを見ていると、私は庭に腰を下ろせる場所が欲しくなった。だからテーブルと椅子を作ろう。そう思って一昨日あたりから作業していたのだ。彼女が私に声をかけたのは、まさにテーブルの天板になる部分をのこぎりでひいていた時だった。


「……作るんですか? 買うのではなく?」

「それもいいですけど、自分で作ると愛着が湧くんです」


 私は裏庭に続く煉瓦道を指して、これも私が作ったんですよと言ってふんぞり返った。これまで屋敷の人間以外に見せる機会が無かったので、ここぞとばかりに自慢しているのだ。


「――ふふ、ミアさんはいろんな事を思いつくんですね」


 そう言ってレティシアさんはまた微笑んだ。

 以前訪問された時にも思ったが、彼女の笑顔には二種類ある。まさに完全無欠というような隙の無い笑顔と、年相応の子供らしさの残った親しみのある笑顔だ。今のは後者であった。


「完成したら、レティさんにもぜひ座ってもらいます」

「いいんですか?」

「もちろん」


 そして彼女は意外と照れ屋でもある。私の言葉にこくりとうなずいた彼女の頬は、ほんのり赤くなっていた。


「でも、まだごらんの通りですから――、今日は中でお茶をご馳走させていただきます」

「あ、待って下さい」

「え? どうしました?」

「……私も、少しやってみていいですか?」

「え?」



 自分ものこぎりを引いてみたい。お嬢様然としたレティシアさんがそんなことを申し出たのには驚いた。元は下町で暮らしていた私はともかく、彼女はのこぎりなど、恐らく触ったこともないだろう。

 格好だって、とても木工作業をするようなものではない。そんな事をするとなったら、彼女の従者だって止めるに決まっている。


 ――あれ? そう言えばレティさんのお付きの人は?


 前回もそうだったが姿を見ない。彼女のような女性が一人で外出するはずはないから、どこかで待たせているのだろうか。

 とにかく、あまりほいほいと許可したくない。万が一があって、レティシアさんの白い肌に傷でもつこう物なら大事である。


「う~ん。結構危ないですから……」

「……だめですか?」

「もちろん大丈夫です!」


 しかしそんな風に上目遣いで言われると、つい許したくなる意志の弱い私だ。しかしこんな美少女にお願いされて、断れる者はいないだろう。――弟しか居なかったので、妹がずっと欲しかったという私の欲求は関係していない。多分。


「でも、着替えてもらわないと駄目です」

「え、その格好にですか?」

「はい、それはちゃんとしないと駄目です」


 やるならきちんと安全対策をしなければならない。私だってこののこぎりを使う時、ボルマンさんの強固な反対に遭ったのだ。絶対に危険なことをさせられないと言い張る過保護なボルマンさんに、ちゃんと軍手を付けるなどの安全管理の覚え書きを提出して初めて、使用の許可をもらえたという経緯がある。


「分かりました」


 レティシアさんは、着替えるのは嫌だと言うと考えていた。そうしたら今度こそ間違いなく断ろうと思ったのだが、予想外に彼女は素直に了承した。今更前言を撤回することもできず、私は予備の作業服を彼女に貸し出した。


「ミアさん、どうでしょう。これであってますか? こういう服を着るのは初めてで――」

「かわいい!」

「え?」

「い、いえ、何でもないです。完璧ですよ」


 作業服ですら、彼女が着ると違う物のように感じられる。おそろいの服装になった私たちは庭に戻ってきた。


「ではやってみましょう」

「はい」

「ここを、こう持って下さい」


 私自身、のこぎりの使い方はヘンリーさんに教わった。私は彼女の手を取って、教わった通りに伝えていく。


「――こうですか?」

「そう、それで引くんです。――いいですか? 押す時は力を入れないで、引く時に力を入れるんです」

「分かりました。――んっ!」


 可愛らしい気合いを入れて、彼女は柄を持つ両手に力を込めた。ちょくちょく引っかかりながらも、のこぎりの刃が少しずつ上下していく。ちなみに彼女が切ろうとしているのは、さっき私が途中まで切ったテーブルの天板だ。


「怪我に気をつけて、ゆっくりやりましょう。急がないで」

「んん!」


 レティシアさんはかけ声で返事をする。一カ所切り離すのに結構時間がかかったが、私の初めてに比べると、彼女はとても飲み込みが良かった。


「どうでしたか?」

「――面白かった、です」


 作業が終わって私が聞くと、彼女は少し荒い息で答えた。

 一カ所だけで気が済むかと思ったが、もう一度と言うので、結局彼女には三・四カ所切ってもらった。


「ちょっと、曲がっちゃいました」

「いいですよ、このくらい」


 彼女の言葉通り、テーブルの天板は綺麗な長方形にはなっていない。それに、元々私が切っていた時から曲がっていたのだ。彼女の手がけた切断面の方がまだましである。


「慣れないうちはこんなものです」


 だから私のこの台詞は、レティシアさんにというより自分に向けてである。そう、多少曲がっているくらいの方が、“味”があっていいのだ。


「でも、これくらいにしておきましょう。あんまりやり過ぎると汗をかきますよ?」

「はい。ありがとうございました」


 満足そうな笑顔を浮かべて、彼女はのこぎりをこちらに手渡した。それで私たちの作業は終わり、その後は普通に彼女とお茶を飲んだ。

 前回は彼女と旦那様の話をしたが、今回の彼女は私の話を聞きたがった。聞いても面白いものではないと思うが、家族のことや住んでいた町のことなど、たわいもないことを話した。


「あのテーブルと椅子が完成したら……、私も座らせてもらえるんですよね?」


 帰り際、彼女は念を押すようにそう言った。

 迎えに来る時刻を言いつけてあったのだろう。立派な馬車が屋敷の前に止まっている。玄関に立った彼女は、来た時とは別の無表情な顔をしていた。


「もちろん。その時は外でお茶にしましょう」

「……楽しみにしてます」


 とてもそういう表情ではない。テーブル作りも、その後のお茶の時間も、彼女は喜んでいたように見えたのに。

 ひょっとしたら、彼女は家に帰るのが嫌なのだろうか。この屋敷での時間を楽しんでくれたのは嬉しいが、それは寂しいことのように思う。


「……レティさん」

「……?」

「どうぞ」


 だからという訳ではないが、私はこの間渡した花とは別の白い花を彼女に渡した。


「また来てください」


 口を引き結んだまま、彼女は無言でうなずいた。



 夜、私は夕食の場で、旦那様に今日あったことを話した。レティシアさんが来たことを告げると、旦那様は目を見開いて、それから眉間に皺を寄せた。旦那様は、彼女が自分のことを何か言っていたかと気にしていたが、何もなかったと言うとほっとした顔をしていた。


「……旦那様」

「……何だ?」

「レティさんのお家は、どんな所なのですか?」

「……彼女が何か言ったのか?」

「いえ、でも――」


 彼女はあまり、家に帰りたくない様子だった。私が昼に感じたとおりの事を言うと、旦那様は少し考え込んだ様子で、それから、そうかと一言つぶやいた。

 そして夕食が終わり、彼はその話の続きのように私に何かを聞こうとした。


「…………君はどうだ」

「え?」

「……君は、この家を――。…………いや、何でもない」

「……」


 ごまかした彼が何を聞こうとしたのか、私は理解したつもりだったけれど、間違っていたら怖いので、敢えて聞き出そうとも答えようともしなかった。

 だから私も、彼と同じくごまかすつもりで話題を変えた。


「レティさんは、本当に素直で可愛らしい方ですね」

「……あれが?」


 私がそう言うと、旦那様は腑に落ちないという表情でしきりに首を傾げていた。

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