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よそ見をしない事


 皇帝陛下に謁見した時には、パニックで内臓がひっくり返りそうだったけれど、意外とその時間は早く過ぎた。謁見中に喋っていたのは旦那様だけで、陛下がそれに二言三言返して謁見は終わった。

 いつか実家に帰ったら、私は陛下に会ったのだと家族に自慢できるだろうか。さっき会った陛下の顔も思い出せないくらい緊張していた私だが、最大の山場を乗り越えてしまうと、そんなくだらない事を考える余裕も出来た。


 壁際に寄ると、彼は、後は自由にしていろと私に言った。彼が指した方を見ると、テーブルの上に豪華な料理や色とりどりの飲み物が置いてある。

 旦那様はどうするのかと私が問うと、必要ないという味気ない答えが返ってきた。

 普段からあんなに仕事をしているのだ。折角のお祭りの日くらいは羽目を外しても良いのではないだろうか。そう思ったが口には出さなかった。


「子爵! これは珍しい」


 そう言って、凄く立派な身なりの男性が旦那様に話しかけてきて、旦那様は私に離れるように手振りで伝えた。

 お祭りだなどと思っていたのは私だけだったようだ。この人にとっては、この華やかな場所も仕事の一部である。少し可哀想な気がしたが、ならばなおのこと、彼の邪魔をするべきではない。そう思った私はこっそりとその場を離れた。


 少し離れた場所から見ていても、あの人の周りにはどんどんと人が集まってくる。そしてその誰もが、彼に敬意を持った様子で話しかけている。やはりあの人は、この国の中枢にいる偉い人なのだ。その事は、この光景を見るだけでよく分かった。


 ――何人いるんだろ……。


 私なら、相手にするだけでうんざりしてしまいそうな数の人だ。

 しばらく待っていても列が途切れる気配が無かったので、お言葉に甘えて腹ごしらえだけでもしておこうと考えた。


 夜会というのは、そんなに恐れるものではなかった。

 入り口の兵士やすれ違う人たちが注目していたのは、やはりあの人の方だったようだ。私一人でいると誰も話しかけてこないし、誰も見ようともしない。それはそうだ。こんな所に来るような知り合いは、私にはいない。誰かから貧乏貴族めとなじられる想像までしていたが、これだけの人がいると、私一人が紛れていても問題無いみたいだった。


 談笑している人たちの間をすり抜けて、私は料理が並んでいるテーブルに近づいた。

 凄く豪華なご馳走が山盛りになっている。会話や踊るのに夢中で、食事に手を付けている人は少ない。本当にこれだけの量を、ちゃんと皆残さず食べるのだろうか。


 ――もったいないよね。


 そう思った貧乏性な私は、とりあえず目の前にあった魚に手を伸ばしてみた。

 高級感溢れる味……とでも表現したら良いのか。美味しいことは美味しいのだけれど、あまり食べ慣れない味付けだ。好みの問題かも知れないが、私は屋敷でフォルカーさんが作ってくれる食事の方が好きである。

 しかし滅多に無い機会だ。一通りは食べておこうと、私は次々と料理に手を付けた。


 ――本当に食べないのかな。


 どうせ今日も一日中忙しかったのだろうし、お腹は空いているに違いない。いくつか皿に盛って行ったら、彼も食べるだろうか。

 そう思って旦那様の方を見てみると、彼は同い年くらいの金髪の男性に話しかけられていた。さっきまで彼が相手をしていた偉そうな人たちとは、相手の態度も、あの人の態度も違う感じだ。打ち解けているというか、どこか対等な感じがする。


 ――旦那様の友達? 


 あの人にもそういう人がいるのだなと、少し感心してしまった。


 ――そう言えば、昔友達とお芋を育てたって言ってたな……。あの人だったりして。


 考えながら、私はよく分からないパテのようなものをもぐもぐと頬張った。

 そして次の料理に進もうとすると、相手をよく見ないで振り下ろしたフォークの先に、硬質な反応が返ってきた。


「ひえっ」


 カニだ。

 私の頭くらいありそうな大きな甲羅のカニが、まるごと皿に乗っている。しかもそれが、まるでまだ生きているかのように、ハサミを振り上げた形で盛られている。一瞬本気で驚いてしまった。


「……これも貴族の趣味っていうのかな?」


 小声で首を傾げながら、しばらくそのカニとにらめっこした。

 凄く大きなハサミである。これを持って行ったらあの人も驚くかもしれない。本当に実行しようと思ったわけではないけれど、私はそのハサミを持ち上げると、もう一度旦那様のいる方向を振り返った。


「あ……」


 すると、さっきあの人と話していた金髪の男性はもういなくなっていた。その代わりにあの人の隣にいたのは――


 ――…………。


 白いドレスを着たもの凄い美人が、旦那様と隣り合って話をしている。

 私がなまじ健康児で、目が良いのは余計だったかもしれない。あそこにいるのは本当に美人だ。この距離からでもそれが分かる。隣にいるあの人に負けないくらいの、おとぎ話から飛び出てきたかのような完璧な顔立ちをしている。私が男の人なら、間違いなく振り返ってしまいそうなほどに。


 さっきの男性と同じように、二人はずいぶんと気兼ねの無い様子で会話をしている。というかやっぱり、あの人も普通に女の人と話をするんじゃないか。結婚する前からあの人の女嫌いは聞いていたし、曲がりなりにも今日まで一緒に生活して、実際にそうだと思っていた。

 でも、それはやはり相手によるのだ。


 ――……なんか、話……、長い。


 手に持ったカニのハサミが、何故かミシリと音を立て、私は我に返った。


 ――いやいや、そんなの私が気にする事じゃないし……。そもそも、会話くらい誰とだってするだろうし……。


 だが、お前が彼と話せるようになるまで、どれくらいかかったと思っている。内側から、自分の声でそう言われた。


 ――……私よりあの人と付き合いが長い人なんて一杯いる。


 そう、私はあの屋敷に来てから半年も経っていない、お飾りの妻だ。自分があの人にとって特別だなどと考えたことは一度も無い。……無いはずだ。無いはずだけれど。


「……――む!」


 ばきゃりとハサミをへし折って、私はカニの中身をむさぼった。

 とりあえず、あの光景は自分にとって何だか目の毒だから、私は見ないことにした。

 男でも女でも、好きに話せばいいではないか。私は放っておかれたって気にしない。あの人は私に好きにしろと言ったが、当然あの人にだって好きにする権利がある。何しろあの人は私の“旦那様”なのだから。


 通りかかった給仕の持つ盆からグラスをひったくり、私は口に詰めたカニを飲み下した。


「うげ……、お酒だ……」


 それはそうだ。夜会に飲み物ならお酒に決まっている。

 飲めないということはないが、あまり強い方ではない。でもまあ、今日くらいはいいやともう一杯、さらに一杯と手を出した。


 そして私が二、三回目にお代わりをした時、前から強くぶつかってくる人がいた。


「きゃっ!」

「うわっ!」


 グラスの中身がこぼれて、私のドレスとぶつかってきたその人の服、両方にかかった。

 相手は私より少し年上だろうか。茶色の髪をした男性だ。


「す、すみません!」


 私は咄嗟にそう叫んだ。粗相をしてしまったこと自体もそうだし、ここにいる人たちは私のような貧乏貴族とは比べものにならないくらいの高位貴族や有力者のはずだ。その意識が働いて、私はとにかく謝らなくてはと無我夢中で頭を下げた。


「いや、大丈夫、大丈夫ですよ」

「ごめんなさい! ごめんなさい!」


 相手が鷹揚に微笑んで大丈夫だと言ってくれているのに、私は涙目になって頭を下げ続けた。

 すると彼は少し笑いを声に出して、それから言った。


「そんなに酷いことにはなっていないですから……。ね、お願いだから頭を上げて下さい」


 もう一度謝りながら、私は顔を上げた。

 目の前にいる男性の服には、胸元に拳くらいのしみが広がっている。透明なお酒だったのは不幸中の幸いだが、それを見て私の顔は青ざめた。


「本当にすみません……」


 もうそれしか言う言葉が無い。恥ずかしさで消え入ってしまいたい程だ。


「気にしないで。僕も不注意だったから。……それより、あなたにも飲み物がかかってしまった」

「いや、こんなの――」


 彼はそう言って、いかにも自然な手つきで私の肩に片手を添えた。私は自分のドレスを見たが、裾の方に少し水が引っかかったくらいだ。彼と比べたら大した事は無い。


「こんなの全然です。あの、私――洗って返します」

「……洗って? 困ったな、これしか今日は持ってきてないんだ」


 うろたえる私を見て、彼はあっけにとられた表情をした後、面白そうに笑った。


「そ、そうですよね! べ、弁償します。お名前を教えて下されば――」

「気にしない気にしない。それより、良ければあなたのお名前を聞かせて下さい」

「――え?」

「いや、違う違う。責任をとってもらおうなんて思っていません。ただ、そう――折角なので、お近づきになれればな、と」


 お近づきはともかく、彼の言うことはもっともだ。この場合、とにかく私の方が名乗るべきだ。相手は気にするなと言っているけれど、ちゃんと改めてお詫びをする必要があるだろう。


「私は――」


 でも、ヴェンドリン子爵夫人だと、そう名乗るのはためらわれた。姑息なようだが、こんな情けないことを、できればあの人には知られたくない。


「ミアです」

「ミアさん。良い名前ですね」


 どこのミアかとも尋ねずに、彼はそう言って微笑んだ。

 ――あれ、と、その貴公子然とした笑みを見た私の中に、何か釈然としない警戒心のようなものが浮かんだが、そんな思いはすぐにかき消した。落ち度があったのは私の方なのに、何を失礼なことを考えているのだろう。


「――でも、そうですね。ちょっとこれは、乾かさないといけないかな」


 彼の手は、私の肩に添えられたままだ。


「バルコニーに出てきます。……良かったら、話し相手にあなたもついてきてもらえませんか?」

「え――」


 二人きりで? そう思ったけれど、私は断れる立場ではない。


「は――」


 はい。

 しかし、私の口からその言葉が出てくる前に、私と彼の間に割り込んできた人がいる。

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