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二人が見たもの

こちらは奥様視点のみです。

 馬車に乗ってから、何分経っただろうか。

 屋敷を出発した時から、私の向かいに座っている人はずっと目を閉じて腕を組んでいる。まるで私に対する拒絶の意思を、姿勢で示しているかのように。

 私から彼に何か話しかけようにも、ここまであからさまな態度をとられてはどうしようもない。


 向かい合わせに座っている二人は膝が触れるほどに近くにいるのに、心はこれほど離れている。最近少しずつ打ち解けて話ができるようになったと思っていたのは、私の勘違いだったのだろうか。

 やはり私たちは、せいぜいお互いの立場を利用するただの同居人で、夫婦と呼べる関係ではないのだろうか。



 昼の式典から旦那様が帰ってくる前に、私はボルマンさんが用意した夜会用のドレスに着替えた。

 それから、あまり化粧をし慣れていなかった私がてこずっているのを見かねて、アルマさんが上手に化粧をしてくれた。とても丹念に時間をかけてくれたおかげで、自分でも見違えるようになったと思った。


「おお……。す、すごい。……なんじゃこりゃ」


 化粧の魔力とはこういうものか。化粧台の鏡に映った自分を見て、軽く頬をなでながら無意識にそうつぶやいたほどだ。普段の私とはまるで別人である。確認のために頬をつねってみようかと思ったが、そこからパリパリと仮面が崩れるのは嫌だったので断念した。

 ちょっとこれは詐欺臭いんじゃないか。そう考えなくもなかったが、これならもしかしたら少しは――


「どうです? きっと旦那様もお喜びになりますよ」


 そう言って、やり遂げた顔でアルマさんが笑った。

 考えたことを見透かされた気分になって、私は少し顔が熱くなるのを感じた。


「喜ぶかは分からないですけど……、これなら多分、恥ずかしいとは思われませんよね」

「恥ずかしいだなんてそんな……! ……奥様はもっと、ご自分に自信を持たれるべきだと思います」


 正直な感想だったけれど、確かに手伝ってくれたアルマさんの手前、あまり自分を卑下するようなことは言うべきではない。私は自分の顔の話から、別の話へと話題をそらした。


「――それでもこのドレスは……、どうなんでしょうか?」


 ちょっと、いや、かなり胸元あたりが開きすぎじゃないだろうか。色は黒を基調として、あまり刺繡などの飾りも付いていないシンプルなドレス。だがその形状はかなり過激なように見えた。


「ボルマンさんも攻めますよねぇ」


 アルマさんはそう言ってうんうんとうなずいている。そういえばこのドレスはボルマンさんが選んだのだ。

 攻めるとは一体何を攻めればいいのだ。


 それに春だからと言って、夜は冷え込むこともある。それにしては空気にさらしている面積が多いように思えた。


「まだちょっと寒いんじゃないですかね……」

「いけますいけます! これぐらい全然いけます! これならどんな男も一撃です!」


 すごくハイテンションになってきたアルマさんが、肩掛けを持ってきて私に羽織らせた。


「いいですか奥様、堂々と!」

「……堂々と」

「そうです!」

「分かりました……!」


 彼女の言う通りかもしれない。いざ本番を目の前にしたからと、うじうじと臆病になってどうするのだ。この日に向けて積んだ、あの地獄の特訓を思い出せ。鏡を見ながらそう心の中で唱えると、背筋がピンとなる思いがした。

 そこで外から馬車の音が聞こえた。あの人が昼の式典から帰って来たのだ。迎えに出ようとした私をアルマさんが手で抑えた。


「私がお迎えに上がります。奥様はそのままで!」


 そう言うと、アルマさんは玄関に向かって駆け出して行った。しばらくすると彼女は同じように駆け戻ってきて、満足そうに言った。


「行ってきました。言ってやりましたよ。さあ奥様、仕上げにかかりましょう」

「仕上げ? もう十分じゃ……」

「何を言っているんですか!」


 そこからさらに、私は爪の先までアルマさんによる改造を施された。

その姿を玄関で待つあの人にさらした時、少しの期待があったことは否定しない。


 ――奇麗だよ、とか、そんな歯の浮くような言葉は無いとしても、このドレスについて、あるいは結った髪や化粧をした顔について、何か言ってくれるのではないかと。


 ――今日はよろしく頼む。


 でも、あの人はそんな事務的な短い言葉を述べただけで、そこには特に感慨は無かった。私の手を取った時も、彼は私と目を合わせようともしないで、ただの礼儀として機械的に腕を差し出したに過ぎない。


 残念だと思った。

 残念だと思ったけれど、いつの間に私は、この人にこんなに期待するようになったのだろう。それが少し、不思議でもあった。



 御者台にヘンリーさんが座っているが、馬車の中には私たち二人だけだ。その二人が口を閉ざしているのだから、中からは誰の話し声もしない。外の大通りが人込みにあふれていて、その喧騒がドア越しに伝わってくるのとは対照的だ。

 馬車窓から外を覗いてみると、家族連れや恋人同士が身を寄せ合うようにして歩いている。目の毒だからとカーテンを下ろして、私はもう一度正面に座っている人を見た。腕を組んで目を閉じたままの姿勢。出発した時から変わっていない。彫刻のように涼やかな顔が嫌味なほどだ。


 ここまで無関心を貫かれると、今度は腹が立ってきた。こんなに頑なになる必要がどこにあるのだ。私たちの関係が表面上のものでしかなくても、普通に話すくらいはすればいい。現に最近は、屋敷ではそれができていたのだ。馬車に乗ったからと、どうして急に意固地になるのだろうか。

 それとも私のような女に、こんな近距離に居られるのが嫌だとでも言うつもりなのか。


「……ん!」


 だから、こっちを見ろという思いを込めて、少し強めに咳ばらいをしてみた。それでも彼は微動だにしない。


 ――……むぅ。


 対抗してこちらも腕を組んでみたが、相手は眼を閉じているので無意味だ。すぐにやめた。


「……!」


 触れそうになっている膝に、改めて気づいた。今度はさりげなくそれを近づけていって、相手の膝にくっつけてみた。そこから少しずつ力を込めてみたが、びくともしなかった。

 いっそのこと、嫌がられるのを承知で隣に座ってみようか。それとも、頬をつねって無理やり目を開けさせてやろうか。相手がこっちを見ていないのをいいことに、私はしばらくの間、普段ならできないようなことを想像して憂さを晴らした。


 でも、そんなことは馬鹿馬鹿しい。もっとちゃんと、私にはできることがある。


「……旦那様」

「……なんだ」


 ――起きてたのね。


 私から声をかけると、一拍遅れて彼からの返事が返ってきた。あまりに動かないので、ひょっとしたら寝ているのかもしれないと思ったけれど、流石にそれは無かった。


「何か、話をしませんか」

「……ああ」


 私がそう持ち掛けると、目を閉じたままではあるが、彼は素直に同意した。

 なんだ、やっぱり普通に話しかけて正解だった。勝手に相手のことを想像してあれこれ思うより、そうした方がいい。私はこの数か月の彼との生活で、それを学んだ。

 しかし話をしようと言ったものの、話題は何がいいだろうか。彼は「ああ」と言ったきり無言のままだ。この人の方から話題を提供してくれることはなさそうである。


「庭の花壇に、いくつかつぼみができたんです」


 だから結局、庭のことを話すことにした。それしかないのかと頭の中で突っ込んでみたが、実際にそれしか話すことが思い浮かばなかった。

 ボルマンさんの特訓にひいひい言いながら、合間に水やりをしていた時に気付いたのだ。背の低い緑に、うっすらと黄色いつぼみがついていた。


「……ああ、私も見た」


 そこで初めて、彼は目を開いてこちらを見た。それよりも驚いたのは――


「旦那様も見たんですか?」


 私は狭い馬車の中で、身を前に乗り出した。

 小さい花だ。足を止めて目を凝らさないと見えないだろう。最近ずっと宮廷に泊まり込んでいた彼に、そんな時間があっただろうか。いや、そもそも彼は、庭のことなどを気にする人間だっただろうか。


「……ああ」


 そう言って、彼は再び目を閉じた。私を拒絶して――ではなく、彼が少し照れてそうしたように見えたのは、私の錯覚なのだろうけれど。


「今朝起きて、宮廷に向かう前に気付いた」

「……そうですか」


 私は短く返事をして、それから何も言えなくなった。

 何か言いたいと思ったけれど、よくわからないもので胸が塞がれて、言葉が出てこなかった。


 結局そこから私たちは無言のまま、馬車は宮殿に到着した。

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