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妻としての初仕事

「ボルマン、今日はミアが妙なことをしていたが……、あれはどういうことだ?」

「妙なことでございますか?」


 夜、いつものようにジェラールの寝室に明日の予定を確認しに来たボルマンは、主が仕事の話の前に夫人の事について触れたことに驚き、それからその声音に若干の憤りが含まれていること気付いて二重に驚いた。


「本日の奥様は、煉瓦で道を作ると仰っておられましたが……」


 明け方にジェラールが出かけた後、ミアは意気揚々と煉瓦を積み上げ始めていた。それは子爵夫人がすることとしては確かに妙だ。しかし既に妙なことばかりをしているミアである、今更そんな事で主がとがめるとは、ボルマンは考えていなかった。


「それはいい。好きにしろと言った。だが――」


 なんでもミアは、どこからか大きな金槌を持ち出して、それで煉瓦を割っていたのだそうだ。たまに乾いた大きな音がしていたから何事だろうと思っていたが、そういうことかとボルマンは納得した。

 しかしそれからジェラールが言った言葉に、ボルマンはまた驚いた。


「あれは『危険なこと』ではないのか?」


 ジェラールが怒っている理由が、それでボルマンにも飲み込めた。以前ボルマンは、ミアに危険なことはさせないと主人に宣言した。その約束を破ったことに、ジェラールは憤っているのだ。


「は、申し訳ありません」


 ミアも大の大人である。その程度を危険と言うのはどうであろうかという思いもあったが、確かにこれは自分の落ち度である。ボルマンは素直に頭を下げた。

 しかし頭を下げながら、彼はジェラールがミア――というよりも婦人に対してそのような心配をしていることについて、ボルマンは目を見張るほどに驚かされていた。


「……いや、私は別に怒っているのではない。少し気になっただけだ」


 そう言った時には、既にボルマンがよく知るジェラールに戻っていたが、彼はつい先ほどまで確かに怒っていた。それに今も、「関心が無い」ではなく「気になった」と言った。ずっと仕事以外の物に、興味が無いと言い続けてきた彼が。一人の女性に対して。

 そのことが、無性にボルマンの胸を熱くさせる。


「……ど、どうしたボルマン」

「……いえ、いえ、何でもありません。爺やも歳を取ったのです」


 急に目頭を押さえて肩をふるわせ始めた執事に、今度はジェラールが唖然としている。


「じ、爺や? ボルマン、私はそんな強く叱責したつもりは……」

「いえ、この爺や、坊ちゃまのご心配はよく分かっております。今後はこのような不手際が無いようにいたしますので、ご安心下さい」

「あ、ああ。いや、無理はするな」


 爺やなどという昔の一人称に戻って、妙に座った目で胸を叩く執事に、ジェラールはさっきまでの自分の憤りを忘れて圧倒されている。

 一つ咳払いをして、ジェラールは言った


「あー、では、私はもう少し書斎にいる。……ボルマン、今日はもう寝ろ、な?」


 逃げるように自分の寝室を出たジェラールは、閉じた扉の中から男泣きするボルマンの嗚咽を聞いた気がした。


◇◆◇◆◇


 働かざる者食うべからず、である。


 夜会には正直出たくないけれど、出なければならないものは仕方ない。そもそも、こういう時のためにあの人は私と結婚したのだろうし、これだって妻としての勤めには違いない。だったら私はやるべきだ。でなければ、私はこの屋敷の人たちに、庭ばかりいじっている無駄飯ぐらいと呼ばれかねない。

 初仕事が夜会というのは貴族的で優雅に聞こえるが、私にとってその場所は完全に未知の領域だ。対策を練らなければならない。


 ――あの人は直接相談してもいいって言ったけど、いきなりはちょっと……。


 そうだ、それはまだ私には難易度が高い。となればとりあえず、ボルマンさんに相談するのが近道だろう。そう思って、私は二階にいたボルマンさんに話しかけた。


「ボルマンさん、少し相談があるんですがいいですか?」

「何でしょうか奥様。このボルマンにお任せ下さい。奥様のためであれば、どのようなご用命であろうと命をかけて――」

「あ、ありがとうございます。でも、命はかけなくていいですからね?」


 最近、ボルマンさんの様子がちょっとおかしい。

 数日前ボルマンさんに、私が寝室に置いていた煉瓦砕き用のハンマーを取り上げられた後、危ないことをする場合には絶対事前に相談するようにと強く言い含められた。

 それはいいのだけれど、それからボルマンさんの私に対するしゃべり方と視線が、妙に熱いというか、何かを強く期待されているようなものになっているのだ。


 今日もえらく鼻息の荒いボルマンさんに、私は旦那様から建国祭の夜会に出席するように言われたことを話した。


「それはそれは。非常に結構なことでございます。そうでございますか、坊ちゃまから直接……。当日は奥様も、是非楽しんで来て下さいませ」

「いえ、実はそれが、あんまり楽しくないというかなんというか……」

「――! それはどうしてでございましょう」


 満面の笑みだったボルマンさんの目は、穏和なこの人がそんな顔が出来たのかというほど、一瞬で鋭い眼光に変わった。


「い、いえ、恥ずかしい話なのですが、私は夜会というものに出たことがなくて……。このままでは旦那様にも迷惑をかけてしまうのではないかと思いまして。それでボルマンさんに、色々教えてもらおうと思ったんです」

「なるほど、坊ちゃまのために……」


 そう言って何度もうなずくボルマンさんの目は、いつもの穏やかなものに戻っている。さっきの眼光は、私の勘違いだったのかも知れない。


「承知いたしました。この私が力になれることであれば何なりと」


 ボルマンさんは旦那様の執事として、その仕事の手伝いをしているだけあって宮廷行事にも詳しいそうだ。そんな人から教えを請えば百人力である。私は素直に、夜会に対して抱いている心配を相談した。


「どうかご心配なく。確かに建国祭には外国からの国賓も出席しますし、国内で宮廷に招かれるのは高位貴族の方々が中心です。ですが夜に行われる会は、奥様が想像しておられるよりもずっと気兼ねの無いものですよ」

「全然気兼ねなく聞こえないんですが……」

「市井から有力商人なども招かれますから、夜会に出るのは貴族のみとは限りません。それに基本的に無礼講とされていますので、よほどの粗相でもしない限りは――」


「そう、その粗相をしたくないんです。私の初仕事ですから、出来るだけ穏便に済ませたいのです」

「初仕事……? それはよく分かりませんが、奥様であれば、普段通りにしておられれば――いえ、お庭におられる時のようでは少しまずいかも知れませんが――、全く問題無いかと」


 ボルマンさんがそう言ってお墨付きを与えてくれるのは嬉しいが、私にはもう一つ懸念があった。


「ダンスなんかもありますか?」


 だとしたら不味い。これも母から一応の手ほどきを受けているけれど、最後に誰かと踊ったのはいつだったか――。そうだ、三年前に町の夏祭りで、たき火を囲んで踊って以来だ。


 ――あれは楽しかったなぁ。近所のテッド君が転んで、大騒ぎしたっけ……。


 ではなくて、それを数えてはいけないだろう。宮廷で踊るなら、もっとちゃんとしたダンスのはずだ。正直それも自身がない。


「ダンスですか……。音楽も用意されておりますので、踊ることもできるでしょう。ですが気が進まないというのであれば、無理に踊る必要などございません。それに肝心の坊ちゃまが……」

「旦那様が?」

「坊ちゃまも踊りがお嫌いでして」

「お嫌い……。まさか」


 もしかしてあの人も踊れないとか? だとしたら少し面白かったけれど、それは違ったようだ。


「ダンスはお得意なのですよ?」


 私がお教えしましたからと、ボルマンさんは片目をつぶってお茶目に笑った。しかしその笑いは、次に困ったような微笑になった。


「ですが……、まず人と踊るということはなさらない方ですので」

「じゃあ安心ですね」


 私をエスコートする旦那様が踊らないのであれば、私が踊る道理はない。まさに一安心である。私は猛烈に首を縦に振って、旦那様のダンス嫌いを歓迎した。


「安心……でございますか」


 するとボルマンさんは、今度は少ししょんぼりした顔でそう言った。


「ともかく奥様、他にも私の知る限り、当日の会について教えさせていただきます。建国祭までは余り日も残っておりませんが、念のため礼法についても見直しておきましょうか」

「はい、そうですね! ありがとうございます!」

「特訓でございますぞ」

「はい、特訓です!」


 ボルマンさんという先生を得て、これで大きな恥を掻かなくてすむと思った私は、ご機嫌でうなずいた。「少々厳しく参ります」とボルマンさんが付け加えたのにも、「そのくらいへっちゃらです」と言って笑った。





 ちなみに、安請け合いはするものではない。私はそれを身にしみて思い知った。

 その後ボルマンさんによって行われた特訓はまさに地獄だった。建国祭までの数日間、子爵邸には私の叫び声が響き渡っていた。


 ともかくこうして、なんやかんやありながら、私は子爵夫人としての初の大仕事への準備を整えたのだ。




「近所のテッド君」:

ミアの同い年の幼馴染み。テッドは愛称。

彼女に淡い恋心を抱いていた。

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